第25話
芝生の疎な庭から、獣道すらない笹の群生を歩く。僅かに露出した足首が、ちくちくと痛んだ。
歩いているうち、先生が「六年も前の場所を、正確に覚えているものなのか」と問いてきたが、私は「はい」とだけ答えた。場所は確かに覚えている。山の外からは隠れて見えはしないが、ある程度近づけばわかる程度の、目印があった。植生も、風景も、変わってはいても、その目印だけは変わらない。落ち葉と枝を踏んでいるうちに、それが見えた。
「ほら、綴、あれ、覚えてる?」
そう言って、私は人差し指を前に向けた。俯いていた綴が、顔を上げる。
「赤いリボン……?」
綴の口から、そんな言葉が漏れた。私達の目の前には、一本の枯れた木と、その幹に結び付けられた、赤い布があった。布は木の上部にしっかりと固定されていて、風に揺れていた。陽の光に照らされて、僅かに布地は輝いているように見えた。周辺の杉の木がその赤い布を隠して、山の外からは目立たないようになっていた。しかし、ある程度、この山を知っている私や家族であれば、この目印を目指して歩くことが出来た。
当の綴は首を傾げているが、私の中では、既に死体は見つけ出したも同然であった。私は確かに、綴と共に、男をあの木の根元に植えたのだ。先生の言った通り、あまり深い穴ではなかったが、体格の良い男を、今まで隠し通してきた程度には、上手く埋めた自信があった。
――――あの時、綴はずっと穴を掘っていたんだっけ。
死体に触れられない彼女の代わりに、男を捻じ曲げたり、手足を切り落として小さくしたのは、私だった覚えがある。最終的には、切り落とした手を胸に抱えさせ、赤ん坊のような体勢で、土を被せたのだ。細かいことこそ覚えていないが、そのはずだった。その時の薪割り斧を、何処に仕舞ったかまでは、記憶していなかった。
「絹だな」
ふと、先生が呟いたのが聞こえた。目を細めながら、布へピントを合わせているようだった。ずっと昔に織られて、雨風に晒されても、絹であると分かるほどに、あの布は未だ光沢を備えていた。その淡い光を追うように、私達は歩を進めた。
数十メートルほど歩くと、視界が広がって、枯れ木が目の前に現れた。その頃には、先生は再び黒の手袋を嵌めていた。辺りは静かで、車のエンジン音も聞こえない。考えてみれば、ここは、それなりに広いうちの敷地の、中心に近い場所だ。生きた人間の音などは、土や木々の隙間に吸い取られる。逆に、中にいる私達の雑音も、外には漏れない。だから私はここを選んだのだ。多分、そうだったと思う。
「死体を埋めたのはここか」
先生が、枯れ木の根元を指差した。その場所だけ、土が幾分か高く積まれていた。六年も経っていれば当たり前だが、腐臭はせず、土はここ数日の晴天で乾ききっていた。死体があるだろうその地面に、先生はそっと手を置いた。数秒考え込むように、眉間に皺を寄せた。
「花鍬、菖蒲」
私達を呼ぶ声は、冷たく、無機質だった。彼はこちらをただ見つめて、ただ、口を動かしていた。
「お前達は、殺した男をここに埋めて、その後、そのまま放置した、ということで良いんだよな」
私が頷くと、先生はより一層、顔を強張らせた。
「何か、気になることでもあったんですか」
無言になってしまった先生の、手元を覗いた。左右から綴と共に彼の背で隠れた土くれを見る。先生が何度か土を掻き分けたのだろう。指でなぞった部分が、地中の冷たい湿気が露わになっていた。
「人を埋めるのにかかる時間、子供だったお前達の体力を考えれば、例え埋めたとしても、かなり浅い状態で放置していた筈だ。それなら、六年の間に、骨の一つくらい露出していてもおかしくはない」
そう言う先生の手元には、白い破片も、変色した服の切れ端も見当たらなかった。少しずつ、先生は土を掻いていく。私の記憶する深さになっても、出てくるのは土のみで、死体の一部すら見えない。
暫くして、汗ひとつかかずに、肘が入る程度の深さまで、先生は土を除いた。日本人の平均よりは背の高い先生が掘った穴だ。身体の未発達だった私達が掘った穴よりも、深い。だが死体があるとすればここだったのだ。他に埋めた記憶はない。であるとするならば、理由は少なくとも、ひとつだけ浮かんだ。
「――――誰かが埋め直した?」
先に結論へ辿りついたのは、綴だった。彼女の言葉に、先生が頷く。
「深く埋め直したか、それとも場所を変えたかはわからん。だがお前達が埋めた後、誰かがここに来て、死体を一度掘り返したのは確かだろうな」
「そんなの、何のために」
「さあな。一度土の中に入れられた死体なんぞ、食人癖があろうとも、食えるわけでもあるまい。花鍬の身近にコレクターでもいたか。それか、犬猫の餌か、或いは――――蟲の餌か」
蟲の餌。その言葉に、天井から降ってきた乾涸びた百足と、天井裏の腐臭が過ぎった。酷く拙い考えだった。もしも、もし、あの天井裏に、私達が埋めたと思っていた死体の、一部がかつてあったとしたら。そしてそれを食べさせて、あの百足を育てていたのだとしたら。だが、そんなことを誰が何の為にするのか。鋭利な否定が再び頭の中で思考を流転させた。だが、そんなことくらいなら、嫌がらせの類としてでも、やってしまいそうな人間を、私は一人、知っていた。
病室で、私を睨む少女が、目の裏にいた。
私は深く鼻で息をした。掘り返されて露出した腐葉土の匂いが、私を現実に引き戻した。匂いの下、先生が掻き分けた土には、脳もなく身を捩るだけの、線虫やらが蠢いていた。
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