第371話 リセットされてしまう男

今日は頭蓋骨形成の手術。


この患者は1ヶ月ほど前に自室の窓から飛び降りた。

追われた相手が借金取りか警察か、それは分からない。

問題は自室が4階だったということだ。


当然、重症頭部外傷で開頭血腫除去を行う羽目になった。

こういう時には大きめの開頭をして骨を戻さないことが珍しくない。

脳がれたら命取りになるので、その圧を外に逃がすためだ。


で、1ヶ月もすると脳の腫れも改善するので骨を戻す。

これを頭蓋形成術という。


最近はセラミックやチタン、ポリエチレンなどの人工骨の方が人気だ。

自分自身の骨、いわゆる自家骨だと一部が吸収されて頭が変形する。

その点、人工骨だと吸収される心配はない。

材質もどんどん改良されて、人間の骨に匹敵する強度になった。


頭蓋骨形成術は基本中の基本。

だからオレの監視のもとにレジデント2人が行った。

とはいえ、見ているとイライラしてきて途中で何度も手を出してしまう。


「おいおい、モスキートじゃなくてメイヨ―か何かで剥離はくりしろ」


モスキートは止血鉗子しけつかんし、メイヨ―はハサミの1種だ。

開閉頭に使うハサミは大きい方からクーパー、メイヨー、メッツェンバウムとある。

クーパーだといかつすぎるし、メッツェンバウムだと頼りない。

そういうときにメイヨーを使う。


「そんなへっぴり腰じゃなくて、もう少し大胆に剥離しろよ」


ハサミを使った剥離は刃を閉じる方向ではなく、開く方向で使う。

そうしておいて残った組織をチョンと切れば、綺麗に2層に分ける事ができる。


「いやいや。深い方向に行くんじゃなくて、横向きに剥離して残った部分を切ってくれ」


口で言っても中々レジデントには伝わらない。


「ちょっと有鈎鑷子こうピンとメイヨーを貸してみろ」


実際にオレがやってみせる。

といって全部やってしまったらレジデント教育にはならない。

だから少しやってみせてから器械を返す。


「ちょっと骨をあててみようか。……ここの剥離が足りないな。もう少し頑張るか」


人工骨を入れるための十分なスペースを作る必要がある。

でも十二分なスペースは要らない。

過不足のなくやる事が省エネかつ時短のコツだ。


「最初に比べたら剥離がずっと上手うまくなったじゃないか」

「おそれ入ります」

「次の手術でもこの調子でやってくれよ。先生の場合はリセットされているんじゃないかという疑惑があるけどな」


レジデントにも色々なのがいる。


教えなくてもできる奴、教えればできる奴、教えてもできない奴。

このレジデントは教えればできるが、次の手術でまた1から教え直す事になりがちだ。

「3歩進んで2歩下がる~♪」とかいう歌を思い出す。


「とにかく手術の前にイメージトレーニングするようにしてくれ」

「分かりました」


ようやく剥離が終わり、骨を入れるスペースが出来た。


「よし、止血しておいてくれ。親のかたきみたいにな」


そう言って、オレは人工骨に固定用チタンプレートをとりつける。

今日は業者立ち合いだ。

というのも人工骨は何種類もあり、固定の仕方もそれぞれに違っているので教えてもらいながらでないと、やり方を憶えていない。


「プレートは何を使いますか?  ボックス3つですね。先に骨に孔を開けてください」


鉛筆の芯ほどの太さの専用ドリルで人工骨に孔をあける。

裏まで突き通すが、自分の指まで突き通してはならない。

その後、ネジでプレートを人工骨に止める。


「今、ネジが抜けませんでしたか?」


業者に指摘されて確認すると6個のネジのうちの1個が抜け落ちている。


「さっきお使いになったのは自家骨用のネジなんですよ」


なんと人工骨と自家骨でネジが違っているらしい。

人工骨に自家骨用のネジを使ったので抜け落ちたのだ。


知らなかった。


次に同じ骨を使う時まで憶えていられるだろうか。

オレも十分にリセット人間かもしれない。



ようやく人工骨を入れ、正しいネジで固定し終えた。

記録用の写真をとり、頭皮を2層に縫合ほうごうする。


「終わりです、ありがとうございました」


そう声をかけながら、手術室の壁に表示されているタイマーを確認する。

ちょうど2時間30分。


若いレジデント達は元気一杯だがオレはもう疲労困憊ひろうこんぱい

ちょうど東京大阪間の新幹線で立ちっぱなしだったみたいなもんだ。

疲れるのも無理はない。



手術後の昼休み。

医局のソファの上で眠ってしまった。

夢の中のレジデント達はオレが何も言わなくてもどんどん手術を進めてくれる。


幸せな夢だった。

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