第368話 役所に行く女 1

とある一家。

高齢の母親と中年の娘で暮らしている。

両方とも生活保護だ。


一緒に住んでいても世帯は別々。

おそらく世帯分離する方が税金や介護費用などを軽減することができるのであろう。



この親子は何か用事ができるとやってくる。


「最近、お母ちゃんの調子が悪くなったんで介護が大変になって。だから市役所に相談に行ったら『今かかっている病院があるなら、そこの先生に頼め』って言われて」


どういう制度が利用できるかって事をきたいのだろう。


「いや、私もそれは分かりませんね。制度ってのは無数にあるし市町村ごとに違うし」

「だからそれを先生にきたいのよ」


どう言ったら分かってもらえるのかな。

それはオレの仕事でもなければ専門でもない。


「『この制度を使いたい。だからこういう診断書を書いてもらいたい』というのがあれば作成しますけど」

「それが分からないから訊いているの」


だからそれはオレの仕事じゃないんだって。


「『こういうものがありますよ』と、役所の人にアドバイスをもらってきてください」


何と言われても無理な物は無理。

イヌに物理の試験を強いるみたいなもんだ。


「2週間後に再診予約をとっておきますから、それまでに役所で教えてもらって用紙を持ってきてください」


ようやく親子は引き下がってくれた。



で、その2週間後の再診。


「役所に行ったら市のホームページを先生に見てもらえって」


はあ?

それ、オレみたいな無茶苦茶忙しい人間に言うことかね。

昼食をるヒマもなく、今もトイレを我慢して外来をしているというのに。


「ゴメン。あんな何百ページもあるようなものなんか見ている暇はないから」

「でも、役所の人が『先生に調べてもらえ』って」

「そりゃあ自分でやるべきでしょう」

「パソコン持ってないから」


なるほど、生活保護ならパソコンを持っていないのもうなずける。


「でも、スマホは持っているでしょ?」

「持ってるけど……」

「それか、役所に行けば市民向けの端末だってあるんじゃないかな」


もう80歳になろうかという母親がネットを使えないのは仕方ない。

でも元気一杯の娘がホームページを調べるくらいの事はしてもいいと思う。

時間は無限にあるんだし、自分たちのためだし。


「とにかく私の仕事は屁理屈へりくつを考えて診断書を作ることですから」

「ええ」

「他の事で消耗してしまったら、頭が回らなくて診断書作成ができなくなります」


こいつはオレの本音だ。

もうオシッコに行かせてくれ!


「じゃあ、役所に行っていてみる」


多分、役所の人も「また来たか!」とか思うんだろうな。

もちろん表情には出さないのだろうけど。


この娘さんも他人に頼らず、自分で調べたらいいじゃん!


そのくらいしてくれなかったらオレも一緒に頑張ろうって気力がいてこない。

屁理屈へりくつを考えるのって想像以上に大変なんだから。


(次回は屁理屈の実際について述べる)


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