第350話 すぐ来なさいと言う男

ある日の夜、自宅に電話がかかってきた。

80代の高齢女性でオレの外来に通院している。

なんでオレの電話番号を知っているのかは謎だ。


患者の訴えはこうだった。


「50になる息子の口が開かなくなったの」

「なるほど」

「それで歯医者に行ったら顎関節症がくかんせつしょうだと言われたんだけど」

「そうなんですか」

「でも目もれてくるし、口の周りもしびれて。先生にてもらえないかな」


口が開かなくて目が垂れて口の周りが痺れる?

どんな奇病ですか、それは。

でも、こういう時にウジャウジャ訊くのはオレは好きじゃない。


「明日の私の外来に来てください」

「でも、息子は1回もそちらの病院にかかったことがないんだけど」

「初診受付をして来てください。紹介状の有無をかれるので、紹介状はないけど私が診ることになっているから、と言ってもらったらいいですから」

「それでいい?」

「いいですよ。紹介状なしだったら7000円だか8000円だか余分にかかりますけど、その心積こころづもりでお願いします」

「もちろん、そのくらい支払います」


この余分の金額を選定療養費と言う。

かかりつけ医に紹介状を書いてもらったら免除される。

が、そのために使う時間がしいし紹介状自体もタダではない。


だから7000円くらいは払うつもりで来てくれ、とオレはいつも説明している。


「先生、ただの顎関節症とは思えないんだけど」

「それは軽い脳梗塞のうこうそくですね」

「やっぱり!」


目が垂れるのはホルネル症候群。

口の周囲が痺れるのは手口てくち症候群。

両方を同時に起こす病変部としては視床ししょうあやしい。

小さな視床梗塞か視床出血か。

目の垂れている側の瞳孔どうこうも小さくなっているんじゃなかろうか。


「それで、朝早めに来てくださいね。私、昼から運転免許証の書き換えに行かないといけないんで、遅くなるようなら他の人に代わってもらいますけど」

「朝一番に行くから」


明日は簡単な診察をしてから緊急頭部CT撮影をしなくてはならない。

視床ししょうに出血があれば脳外科、梗塞があれば脳卒中内科の守備範囲だ。

もしCTで何もなければ緊急で頭部MRI撮影が必要になる。

その場合は画像検査ごと脳卒中内科に依頼しよう。


どちらにしても免許証の書き換えは外すことができない。

せっかく写真屋さんでさわやかな顔写真をってもらったところだ。

それに最近の免許証書き換えは予約制だし。

今回行きそこねたら次にいつ行けるか分からない。


それにしても口が開かないというのはどういう事だろうか。

別の症状に対して、そういう表現をしているのかもしれない。

診察室で改めて確認することとしよう。


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