第348話 夫婦仲に貢献する男

その日、オレの外来にやってきたのは比山ひやまビアンカという女性。

フィリピン出身だが、来日する前から頭が痛かったのだそうだ。


症状を確認すると緊張型頭痛だと思われた。


こういう時にオレはいつも有名人の話をする。

そうすると理解してもらいやすい。


「緊張型頭痛に苦しんでいた有名人というと孫悟空そんごくうですね」

「ソンゴクウ?」


そうか、日本人なら通じる孫悟空そのごくう西遊記さいゆうきもフィリピン人には通じない。

英語で西遊記は Journey to the West、孫悟空は Monkey King というらしい。

スマホで画像検索してイメージをつかんでもらった。


孫悟空の頭の金の輪が締まる感じ、あれが緊張型頭痛だと説明した。

きっと西遊記の作者自身が緊張型頭痛で苦しめられていたに違いない。

だからあのような名作が生まれたんだろう。


通常なら緊張型頭痛には少量の三環系さんかんけい抗うつ薬を用いる。

商品名はトリプタノール、こいつを半錠程度、寝る前にのんでもらう。

これで金の輪がとれる。


が、フィリピンの人にオレが下手な英語で抗うつ薬などと説明しても理解は得られないだろう。

「私は鬱病うつびょうなんかじゃない!」とか言われて終わるに違いない。


その代わりに効果的なのがマッサージだ。

くびの後ろの背骨の外側、そこを誰かに親指でんでもらう。

凝っている筋肉を力強く押してもらうと気持ちがいい。

このマッサージを毎日30分、10年間続ければ必ず治る。


オレは妻を相手に少なくとも10年間はマッサージを続けた。

頭痛とムチウチに苦しんでいた妻はすっかり調子良くなっている。


だから亭主にやってもらうとか、小遣こづかいを渡して孫にやってもらうとか。

そのためにオレは多くの患者家族にやり方を伝授してきた。


が、10年間どころか1年できた人間は皆無だ。

1ヶ月すら続けられた人はいないんじゃないかな。


「ビアンカさんは独身じゃないですよね」

旦那ダナサーンがいます」

「じゃあ、次回、御主人にも一緒に来てもらえますか?」

「都合を聞いてみます」

「診察室でマッサージの方法を伝授しましょう」

「デンジュ?」

「やり方を教えますから、しっかり学んでもらってください」


ビアンカさんはその場で亭主に電話して予定を決めた。


旦那ダナサーン、結婚した時はやさしかったけどね」

「また優しくなってもらうようマッサージをお教えしますよ」


何と言っても10年の実績がオレにはある。



さて、次の診察日。

オレはビアンカさんの後頚部こうけいぶを相手にマッサージを実演した。

亭主にもやってもらうが、へっぴり腰もいいところだ。


「御主人、マッサージしながら言って下さい。『ビアンカ、お前は世界一綺麗きれいだ』って」

「えっ、本当にそんな事を言うんですか?」

「当然ですよ。そう言いながら毎日30分、くびをマッサージしてあげたら必ず治ります!」


当たり前だ。

「世界一綺麗だ」と言われ続けたら、治らなくても治る!



実はオレにとっても頚椎けいついのマッサージは苦難の連続だった。


最初はすぐに指が疲れてしまい、5分しかもたなかった。

次第に10分でも15分でも出来るようになった。


が、指がきたえられても脳の方が単純作業に飽きてくる。

そこで、テレビを見ながらマッサージするようになった。

特にボクシングとかK1などを見ながらやると指にも力が入る。

妻はそのままよだれらして眠り込んだりしていた。


ただ、いつも都合よくテレビでボクシングを放映しているわけではない。

最近は YouTube で色々な格闘技を見る事ができるようになり、燃料には不自由しなくなった。



「だからホラ、私の親指は両方とも反対に曲がるようになったんです」


そう言って、オレは両手の親指を反対に曲げて見せた。

皆が驚いてあとずさりする。


実はオレの親指のIPアイピー関節は生まれつき過伸展かしんてんする。

正常人の伸展は10度までだけど、なんとオレは90度まで曲げることが可能だ。

ここで、「妻のくびのマッサージを頑張ったせいで、今では親指の関節が反対にも曲がるようになったんです」というと説得力がある。


皆が感心して「なんて素晴らしい御主人なの!」と言い出す。

真実と妄想の境目が曖昧あいまいだが、患者の頭痛が良くなれば結果オーライ。


夫婦仲にも貢献できるってもんだ。

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