第346話 歩けるようになった女

その女性は70歳代。

総合診療科そうしんの外来でオレが診ている。

色々な生活習慣病があるからだ。


カルテを見ると整形外科外来で押し問答があったらしい。

というのも右下肢の痺れで半年前から歩きにくい。

「それは股関節だ、整形外科だ」と誰かに聞いて、当院の整形外科受診を希望した。

が、当院整形外科ではそのような患者は診ていない、ということで断られた。


確かにウチの整形外科でやっているのは骨・軟部腫瘍なんぶしゅよう、脊椎、人工関節、先天奇形など、マニアックな疾患ばかりだ。

にもかかわらず腰の痛い年寄りが外来に集中して数年前に破綻はたんしてしまった。


実はオレにも心当たりがある。


「最近、腰が痛いので整形外科にかかりたいんですけど」

「分かりました。じゃあウチの整形外科に紹介しましょう」


そんな軽い会話で自分の外来患者を整形外来に紹介したことが何度かある。


「お薬と湿布を出しておきます。後は御近所の整形外科で診てもらって下さい」


患者は皆、5時間待ちの整形外来で腰痛を悪化させて帰っていった。


かといって整形外科医を責めるわけにもいかない。

彼らは昼食もらず、トイレにもいかず、無数ともいえる高齢者の腰痛に対応していたのだから。


本来あるべき姿というのは、病院の整形外科が手術に専念し、ちまたのクリニックが手術以外の事に対応するというものだ。

が、どうしても手術不要な患者が病院の整形外科に集中してしまう。


で、整形外科の部長が交代した時に「当科では手術症例に専念します」と宣言した。

手術の不要な患者は診ない、という本来の姿に戻したわけだ。

が、納得いかない患者との間で年中めている。


オレが総合診療科そうしんの外来で相談を受けた患者もその1人だ。


「右の太腿ふとももの裏側がしびれたり痛くなったりするのよ。調子が悪いときは膝とかかかとまでしびれるし、歩きにくいし」


確かに歩いてもらうと右足が不自由なのか引きずっている。


さわった感じに左右差がありますか?」


オレは下腿かたい、膝の裏、大腿だいたいの裏と順に左右の感覚を確認した。


「右の方がにぶいみたい」

「調子には波があるのですか」

「そう、調子いい日はもう少しうまく歩けるんだけど」


確かに痛いとか動かしにくいというのは筋・骨格・関節疾患、すなわち整形外科領域だ。

が、オレの方で見当をつけておいて悪くはない。


「たぶん股関節じゃなくて腰の病気じゃないですかね」

「腰?」

「腰の神経が背骨で圧迫されて右足が動きにくくなったり痺れが出たりするんですよ」


そう言いながらオレは座っている患者の背後に回り込んだ。


「10秒ほど腰を引っ張ってみますから、それで症状が良くなるか悪くなるか変わらないか、教えてください」


患者の背後から患者の両肘を持って腰を引っ張ってみる。

この診察法はオレの考案したもので、画像検査抜きで病変部の見当をつけることができる。

難点があるとすれば、自分の腰に負担がかかって痛くなることくらいだろうか。


「どうですか?」

「うーん、あまり変わらないみたい」


あれ?

ちょっとぐらいは変化があるはずなのだけどな。


「じゃあ、ちょっと歩いてみましょうか」

「はい」


そういって患者は椅子から立ち上がった。


「うわあ!」

「どうしました」

「びっくりするぐらい足が軽くなった」


そう言いながらスタスタ歩き始めた。


「やっぱり腰が原因でしたか」

「どこで治療してもらったらいいの、私は」

「腰の牽引けんいん、注射、薬の組み合わせで治してもらいましょう」

「それは整形外科で?」

「そう、週3回は通う事になるから家の近所がいいですね。どこかありますか?」

脊山せきやま整形外科クリニックというのが5分くらいのところにあるけど、行ったことないのよ。でもどうなのかしら」


こういう時に若い人ならスマホで検索けんさくして評判を見るだろう。

でも70歳代だとなかなか難しそうだ。

だからオレが代わりに検索した。


「おお! ここの院長先生は脊椎せきついが専門みたいですよ」


ホームページには「これまで数多くの脊椎の手術をやってきたが、手術不要な患者の方がはるかに多いので、そういう人たちに対応しようと思って開業した」とある。


「まさしくぴったりのクリニックじゃないですか。ここで治療してもらって、いよいよ手術しか手段がない、となったらウチの整形外科で手術してもらいましょう」

「手術は嫌だな」

「普通はそうでしょうね。とにかく私の方から脊山せきやま先生あてに紹介状を書きましょう」


そう言いながらオレは紹介状を作成した。

その間にも患者は不思議そうな表情で立ったり座ったりしている。


牽引と注射と薬とか適当な事を言ってしまったが、先方では実際にどんな治療をするのだろうか?

また、一口に腰の疾患といっても脊柱管狭窄症せきちゅうかんきょうさくしょうもあれば椎間板ヘルニアもある。

一体、何が原因になっているのか。


色々興味はきない。


が、ともかくも患者のニーズにこたえる事ができたオレは、ひそかに達成感にひたった。

誰もめてくれないから、自分でめておこう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る