第289話 一石二鳥を狙う男

オレは手術中、院内PHSをオフにしている。

鳴ったって出れるわけがない。


仮に出たとしても誰かに耳にあててもらってまでしゃべるか?

そんな事したら、手術されている患者だって嫌だろう。

だからオフにしている。



以前は律儀にPHSに出ていた。

が、やっぱり手術中はテンションが上がってしまっているのか、つい暴言を吐いてしまう。


「あの、入院患者さんの内服がもうないので」

「知るか、そんなもん!」

「でも、主治医の欄に先生の名前が」

「黙れ、ハゲ」


そんな台詞せりふしか聞かされないなら、PHSにかけてくる方も気分が悪いだろう。

だから切っておくにこした事はない。


ちなみにウチの病院では入院患者の内服は担当医が処方している。

決して主治医ではない。

だからオレにとっては間違い電話もいいところだ。



とはいえ、PHSの事は沢山あるうちの1つに過ぎない。

今日はレジデントにまで暴言が出てしまった。


「いい加減に両手結りょうてむすびを出来るようにしろよ。いつまで片手結かたてむすびやってんだ」

「はいっ」

「おい、右手の次は左手だろ。最初に糸を持つときは逆手さかてだ」

「はいっ」

「どこに糸をはさんでんだ。ここだ、ここにはさめよ!」


そういって持っていた剪刀クーパーの峰でレジデントの中指と薬指の間を叩く。


いたたた!」


ちと強く叩きすぎたかな。

でも痛い所に挟んだらいいわけだから、これからは間違えないはずだ。


あとで練習しようなんて思うな。今、この場で出来るようにしろ!」

「はいっ」

「そもそも両手結びは基本じゃないか。研修医の間にマスターしておけよ。今まで何やってきたんだ」

「すみません」


言い過ぎかな、これは。


直介スクラブナースに声をかける。


さばきガーゼくれるか」

「あの、柄付えつきガーゼでもいいでしょうか?」

「はあ? ダメだろ、そんなもん」


喩えて言えば、宮中晩餐会きゅうちゅうばんさんかいに出席したら「おはしは片付けてしまったので菜箸さいばしでお願いします」と言われたみたいなもんだ。


「もうさばきガーゼはおろしてしまったんです」

「じゃあ、最初から柄付えつきしか無いと言えよ!」

「すみません」


もう直介スクラブナースは泣きそうだ。


レジデントに対する叱責があちこちに飛び火してしまって収拾がつかなくなった。

でも、オレにも言い分がある。


人生で最も集中している瞬間だぞ。

オレにとっては宮中晩餐会きゅうちゅうばんさんかいより大切なんだ、妥協できるか!

まあ、宮中に招かれるはずもないけどな。



そういや、オレがレジデントをやっていた時のこと。

当時の指導医に厳しく言われた。


直介スクラブナースがやらかしたりしたら、泣くまで叱れ!」


今、その意味が良く分かる。


とは言え、嫌な奴と思われたくもないし……


そうだ、良い事を思いついたぞ!


レジデントが直介スクラブナースを怒鳴どなったらいいじゃないか。

こんな省エネはない。


オレの方はなだめ役をやらしてもらおう。


「おいおい、いくら本当の事だからって、大きな声を出したら駄目だろ」


そう言いながら、すかさず「いい人」のポジションを獲得する。

一石二鳥じゃないか!


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