第278話 専門用語が通じる男

「そうすると、いわゆる『懲役太郎ちょうえきたろう』って事になるわけですね」

「そうでんねん。刑務所には何回も行ったんで、『懲役太郎』と呼ばれても仕方おまへん」


通じた、裏社会の専門用語が!


脳外科外来での出来事。


懲役太郎というのは有名な YouTuberユーチューバー の名前だ。

顔を出していないので、正確には Vtuberブイチューバー になるのかもしれない。


しかし、「懲役太郎」は固有名詞ではない。

何回も懲役に行く人間の事をあちらの業界では懲役太郎と呼ぶ。

刑務所を出たり入ったりする人の事だ。

だから10回も刑務所に行ったら立派に懲役太郎を名乗る資格がある。


この人は20回近く刑務所に行ったので、もう自他ともに認める「懲役太郎」だ。


何処どこの刑務所に行ってたんですか?」

「俗に三都物語さんとものがたりといいましてね、京都・大阪・神戸ですねん」

「うまい事いいますねえ」

「京都は山科やましな、大阪は堺、神戸は大久保ってとこやけど」


あとで調べると神戸刑務所ってのは明石市大久保町にあるみたい。


「やっぱり刑務所ってのはつらいですか?」

「それは気候とか人間関係によりまんなあ」

「冬は寒すぎるとか?」

「山科は冬は寒いし夏は暑いしで、どうにもなりまへん」

「盆地ですからねえ」

「堺は気候もええし、担当さんも知っている人ばっかりで、『刑部おさかべ、また来たんか。もうここに表札かけとけよ』とか言われるんですわ』」


この人の話を聞いていると、なにが幸せかが良くわからなくなってくる。


「懲役も1回とか2回やったら勉強にもなるし、規則正しい生活が身についてええんですけど、3回以上行くとこ違いますわ」


なるほど。

でも、全く行かないのが1番だと思うんだけど。


「ところで覚醒剤はもう使ってないですよね」

「長いことやってません」

「もし人生をやり直すとしたら何をしたかったですか」

「そうでんなあ、ちゃんとした商売をやりたかったですなあ」

「テキヤとかですか」

「いやいや、食材ですわ。親が八百屋やったんで」


なんでも両親は手広く商売をしていたそうだ。


「自分もお客さんに物を売るのが得意で、また好きやったんです」


覚醒剤に手を出したばっかりに人生を棒にふった、と言うべきか。

とは言え、今からでも「明るく楽しく前向きに」を期待したい。


「でも80歳でこれだけしっかりしていたら言うことありませんよ。引き続き生活習慣に気を付けて、物忘れについてはメモを活用して対処してください。覚張かくはり先生にはこっちから返事を郵送しておきます」


そう明るく励ました。


「よかった、よかった」


そう言いながら刑部おさかべさんはヘルパーとともに帰っていった。

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