第262話 喫煙で調子良くなる女

 たまたま脳外科の先代教授と話をする機会があった。

 最近は、認知症の人を数多く診ているのだそうで、こんな事を仰った。


「認知症も奥が深くて面白いね。現役の時は診る機会があまりなかったけど」


 オレの場合はそもそも脳外科疾患だけ診るという立場にない。

 だから、これまでも大量に認知症患者を診てきた。


「私も診ていますよ、確かに面白いですね。認知症の人には腰痛がないし」


 そういったら教授は驚いた表情をした。


「腰痛がないって、それは本当かね?」

「私の推測ですけど、慢性疼痛は記憶の部分が大きいんじゃないかと思うんですよ」


 オレが思っているのは、慢性疼痛の大部分は疼痛の記憶とそれに伴う恐怖なんじゃないかってこと。

 だから何でもすぐに忘れてしまう認知症の人は慢性疼痛がこじれにくい


 オレが外来で診ていた患者の娘がこんなことを言っていた。


「うちの母は腰痛治療グッズが部屋一杯にあったんですけど、認知症になってからはすっかり使わなくなってしまいました」


 この娘さんの観察は何かと面白い。

 母親はタバコを吸うと調子良くなるそうだ。


「包丁とまな板で何か切るときに母は出鱈目なんですけどね。タバコを1本吸うとトントントントンって綺麗に切れるんですよ」


 彼女の母親がどのタイプの認知症か、オレは知らない。

 普通のアルツハイマー型なのかレビー小体型なのか。


 ただ、レビー小体型認知症の類縁疾患であるパーキンソン病は喫煙が発症を抑制するという疫学研究がある。

 だから、もしレビー小体型認知症だったらこの患者のような現象が起こるのかもしれない。


 少し話が脱線するが、タバコは悪の権化みたいに言われている。


 でも認知症に対するみたいに喫煙で病状が良くなる疾患も少数ながら存在する。

 たとえば潰瘍性大腸炎は禁煙で症状が悪化する。


 また統合失調症にヘビースモーカーが多い。

 確証はないがタバコを吸うと幻覚が減るのだという説がある。

 だから精神科病棟ではあえて喫煙を禁止していないところもあるくらいだ。


 話を元に戻す。


 認知症ってのは奥の深い疾患だ。

 だから認知症を真面目に観察すれば、健常人に対する理解も進むのではないかとオレは思っている。

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