第243話 縁起でもない事を言う男

「今、それを言いますか?」

「ごめん、ごめん」


 術者に言われてオレは謝った。



 ある日の手術室でのこと。

 オレはレジデントに熱く語っていた。


「君らもいずれ脳動脈瘤のクリッピングをすることになる」

「そんな日が来るでしょうか」

「来るよ。その時はくれぐれも注意してやってくれ」

「もちろんです」

「うまくクリップをかける事ができても慢心してはいけない」


 慢心しないまでも、つい気が緩んでしまうかもしれない。

 それが危ない。

 一瞬にして患者の人生を破壊してしまうのがクリッピング手術だ。


 オレは名著「脳外科医になって見えてきたこと」から引用した。


「いいか、脳神経外科医ってのは初めて動脈瘤をクリップしたときに脳神経外科医になるわけじゃない」

「……」

「そうなるのは、動脈瘤が初めて目の前で破れたときにだ……」

「そうなんですか!」



 そこで冒頭の術者の発言があったわけ。


 彼はまさしく手術用顕微鏡マイクロのぞきながら脳動脈瘤のクリッピングをしているところだった。


「目の前で破れるだなんて、縁起でもないですよ!」

「確かに縁起でもない話だった、すまん」


 実際、脳動脈瘤が目の前で破れたという経験はオレには何度かある。

 うまくリカバリーできたこともあれば、そうでないこともあった。

 そうでない、というのは良くて車椅子、下手したら死亡ということだ。


 そんな事が起こったときは脳外科医をやめたくなった。



 経験を積むにしたがって段々、手術の要領が分かってくる。


 若い頃にも慎重に手術したが、それはおっかなびっくりというやつだ。


 経験を積むと動脈瘤の剥離前はくりまえに逃げ道を作っておくようになった。

 出血したときに即座に遮断しゃだんするよう親血管を確保しておく。

 時には親血管を遮断しておいてから剥離する。


 動脈瘤を剥離する時に加える力の方向も考慮しなくてはならない。

 この方向に引っ張ると破れやすい、というのが徐々に分かってきた。

 剥離をあきらめて周囲の脳を吸引除去することもある。


 先に親血管を遮断するか否か。

 剥離せずに脳実質の吸引で対処するか否か。

 その判断には、操作の功罪こうざい天秤てんびんにかけて決断することが大切だ。



 物思いにふけっているうちに手術が進んでいた。


一時遮断テンポラリークリップをかけた方がいいですかね」


 術者に尋ねられたオレは答えた。


「動脈硬化もなさそうだし、かけておいた方が安心して操作できるんじゃないかな」


「じゃあ、そうします」といって術者は一時遮断テンポラリークリップをかけた。

 きっとこの術者も何度も怖い思いをしたのだろう。


 願わくは、今のオレたちのやり取りをレジデントたちに理解してもらいたい、と思う。

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