第128話 てんかんにされたくない女

「先生、『てんかん』という病名は薬をのんでいる限りついて回るのでしょうか?」


女の子の母親がオレに尋ねる。


「そうですね、実際にてんかんですから」


母親は小さく溜息をついた。


母親の懸念はよく分かる。

だからオレは先に尋ねた。


「お母さんとしては、てんかんなんて病名は心外しんがいだ、と思っておられるわけですね」

「いや、そういうわけでは……」


これまで多くの患者にしてきた説明を行う。


「てんかんという病名はイメージが悪いですもんね。あそこの家はてんかんの家系だとか言われかねないし」

「やっぱりそう言われるのでしょうか?」

「いや、そもそも外傷性てんかんだから、遺伝なんかは全く関係ないですよ」

「確かにそうですね」


現在、中学生の患児は幼少の頃の脳挫傷で外傷性てんかんになったのだ。

全身痙攣で救急搬入されて以来、抗痙攣薬を服用している。


「泡を噴いて倒れるし子供にも遺伝する、などという人がいますけどね」

「そうなんですか!」

「そういうのはいささか古い考え方、まさに昭和ですよ」

「すみません、私、昭和生まれです」

「僕もそうですけどね」


てんかんがどうとかこうとか。

おおかた、近所の人たちの立ち話で出る話題なのだろう。


なんで世間の人たちは医者の言うことより隣の家のオッサンの言うことを信じるのか?

いつもながら理解に苦しむ。


「本人が気づいていないだけで、70代、80代のてんかんも結構多いですね」


脳卒中や頭部外傷がてんかんの原因となる。


「噂をしている本人自身がてんかん持ちだったりするわけです」


ここからが本題だ。


「で、お母さんとしては、この子の将来が心配なわけですよね。いずれ妊娠、出産、育児という事になるけど大丈夫だろうか、とか」

「ええ」

「お相手の理解は得られるだろうか、とか」

「……」

「生まれてきた赤ん坊に障害が出たりしないだろうか、とか」

「そうなんですよ」


オレが色々言うとかえって不安をかきたてられるかもしれない。

だが、これは受け入れなくてはならない現実だ。


「まず、まったく病気のない健康な女性が出産した場合、なんらかの障害をもった子供の生まれる確率はだいだい2~3%で、これは現代医学をもってしても変えることのできない数字です」

「はい」

「昔の抗痙攣薬はこの数値をあげていました。4~6%とかね」

「ええっ!」

「でも今の抗痙攣薬はリスクを上げることはありません。つまり極めて安全です」

「よかった」

「とはいえ、ベースの2~3%という数字は残る、つまり障害児が生まれる可能性はあるわけです」


オレは何度も数字を強調した。


「いいですか。大切なことはですね、たとえ障害児が生まれたとしても逃げ出したりしない亭主を選ぶことです」

「……」

「結婚するということは、相手の一生を丸ごと背負うってことです。なにがあろうと奥さんと子供の面倒をキチンと見る男、これが重要です。そうですよね、お母さん」

「確かにそうですね」


オレは患児に向かって言った。


「いいか、結婚相手はな、甲斐性かいしょうと責任感のある男にしておけ。顔なんか岩石でもいいから!」


彼女の眉間にかすかにしわが寄った。


「それ……困る」


だから顔なんか関係ないんだって。

オレは持論を述べる。


「あのな、イケメンは必ず浮気するんだ。お母さん、そうじゃないですか?」


母親に賛同を求めたら、思わぬ反論が返ってきた。


「イケメンでなくても浮気する人はいると思いますけど」


そりゃそうなんですけどね。

ここで浮気論争を始めても仕方ないので、話を本題に戻す。


「いいですか。もし結婚を考える男がいたら、僕のところに連れてきてください。この子がどういう病気で、亭主としてどういう覚悟がいるか、それをキチンと説明しますから」

「まだ中学生なので、ちょっと早いような気が」

「まあ、結婚はともかくとしてですね、妊娠なんてのはいつ起こるかわかりませんよ」

「……」

「とにかく結婚したり妊娠したりしたら、相手を連れてきなさい」


実際、これまでにもてんかんの奥さんを持つ亭主を呼んで説明を行ったことが何度かあった。

ほとんどは素直で真面目な人たちだったし、実際、出産はとどこおりなく終わった。


この子が将来、結婚や出産をするつもりかどうかは分からない。

だけど、根拠のない話を信じて勝手にあきらめることだけはないように。

その部分は医師として支えなくてはならないと思う。


もっとも母娘おやこからしたら、オレが一方的に熱弁をふるっただけに見えたかもしれないけれど。

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