第79話 文学的表現を競う男

オレたち3人の脳外科医は手術室の巨大モニターの前に座っていた。

60インチか80インチか知らないが、何せタタミ1畳ほどありそうな代物しろものだ。


画面に写しだされているのは脳腫瘍……のはずだ。


実は、脳腫瘍にも色々ある。

転移性脳腫瘍かもしれないし、神経膠腫グリオーマかもしれない。

ひょっとすると悪性リンパ腫ということもあり得る。


どれも脳腫瘍には違いないが、それぞれ全く違う治療になる。

だから、病変の一部を切除して検査することになった。

これを生検せいけんという。


外科的に切除した病変から標本を作成する。

そして病理学的検査を行って、正体を確認するのだ。

結果が出るには1週間ほどかかるわけだが。


ところが、実際の術野では腫瘍に色がついているわけではない。

だから病変と正常脳の見た目の区別がつかない事はよくある。

せいぜい「正常脳とはちょっと違うかも」という程度だ。


要するにどこを切り取るかが難しいわけ。

間違って正常脳を切除して標本にしたらすべてが徒労とろうに終わる。


そのため術前の画像から、あらかじめ病変の位置を特定しておく。

で、見た目にかかわらず位置情報だけを頼りに特定した部分を切除する。


とはいっても、目標には「いかにも病変でございます」という邪悪さが欲しい。

れているとか、赤黒いとか、やけに固いとか。

そうすれば確信をもって切除することができる。


でも、本日の腫瘍はそうではなかった。

位置情報から割り出した部位にあったのは正常脳とのわずかな違いだった。

いや、違いともいえない少し灰色っぽいという程度のものだ。


にもかかわらず画面の前の3人が同時に叫んだ。


「そいつだ!」

「これだろう」

「おかしいぞ、こいつ」


正常脳との差はあるかないかに過ぎない。

この違和感をどう表現したらいいのか。


「何かおかしいぞ。まるで友達のふりをして近づいてきた詐欺師みたいな胡散臭うさんくささがあるな」


思わずオレはそう言った。

あとの2人もそれぞれに同調する。


「僕には1人旅していたヨーロッパで話しかけてきた日本語のうまい外人みたいな感じに見えますよ」

「いやいや、単独でみたら分からないけど、普通の人の中に混ざったら一目で区別できる犯罪者だよ、こいつは」


おいおいおい。

なんでオレたちは文学的表現を競っているんだ。

手術室という非日常空間が狂気を誘発するのか。


「とにかく犯人ということで意見が一致したから、その部分を取っちまおうぜ!」


とはいえ病変の位置は深い。

術者も四苦八苦しくはっくだ。


それでも何とか目標の部分を切除することができた。

豆粒ほどのサイズの標本が3つに過ぎないとはいえ。


標本が無事に切除されたら大画面前の3人は急にテンションが落ちてしまった。


「お疲れー!」

「あとはよろしく」


そう言いながら、オレたち3人は手術室を後にした。


術者も疲れているだろうが、オレたちも疲労困憊ひろうこんぱいだ。

これから術者とレジデントがお互いに励ましあいながら閉頭するのだろう。

まあ、1時間はかかるかな。


ご苦労さん。


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