第47話 血を吐いて搬入された男

 初期研修医が症例レポートを持ってきた。


 テーマは吐血とけつ喀血かっけつだ。


 ベースになった症例は、血を吐いて救急外来に搬入され、出血源が食道癌だと判明したものだ。

 レポートに書かれているのは、病歴、身体所見、検査所見、治療。

 ここまではいい。


 問題は考察だ。

 この研修医は食道癌について延々書いている。

 分類だとか病期だとか治療法だとか。


 しかし、吐血症例で研修医が食道癌を語っても仕方がない。

 治療するのは消化器外科か消化器内科だ。

 初期研修医が求められているものは他にある。


 簡単に言えば、誰に助けを求めるか。

 そして助けが来るまで、自分に何ができるのか。

 それに尽きる。


 口から血を吐くのは吐血だけではない、喀血もある。

 喀血は気管からの出血、吐血は食道や胃からの出血だ。

 前者は呼吸器内科医が対処し、後者は消化器内科医が対処する。


 もし喀血の患者をて消化器内科の内視鏡当番を呼び出したらどうなる。

 怒鳴られた上に患者ごと放置されてしまうだろう。

 だから喀血か吐血の違いを見分けることから診療が始まる。


 オレは研修医に尋ねた。


「吐いた血が赤かったら、吐血か喀血か?」

「喀血です」

「じゃあ黒かったらどっち?」

「吐血ですね」


 喀血は動脈血なので赤いが、吐血は胃液が混ざって黒くなる。


「吐いた血に食物残渣しょくもつざんさが混ざっていたら?」

「吐血です」

「じゃあ気泡が混ざっていたら?」

「喀血です」


 これは説明するまでもない。


「ゴホッ、ゴホッとき込みながら血を吐いたら」

「喀血です」

「オエッ、オエーッとやりながら血を吐いたら」

「吐血でしょうか」


 出血源を考えれば当然だ。


「じゃあ既往きおうに食道静脈瘤があったら?」

「吐血です」

「既往に肺癌があったら?」

「喀血の可能性が高いです」


 やればできるじゃないか。


 次に大切な事は助けが到着するまでの間、自分に何ができるかだ。


 吐血なら、血圧を保て。

 まずは静脈ルートの確保と輸血の準備だ。

 場合によっては気道を確保しろ。


 喀血なら、気道確保が最優先になる。

 気管挿管して患側かんそくを下にした側臥位にして健側肺けんそくはいを守れ。

 どちらの肺から出血しているかは胸部CTで簡単に分かる。

 当然、血圧も下がるので静脈ルートの確保と輸血の準備も必要だ。


「そういう事をレポートに書いてくれ、やり直しだ!」

「やり直し……ですか」

「当たり前だろう」


 毎年、大勢の研修医に何度も繰り返し。

 ひたすら教え続けることになる。

 ザルで水をすくっているような気になる。


 医者ってのは生涯勉強が必要だけど、教育の方も一生しなくちゃならない。


 とはいえ、若い連中を相手にしている間はオレもけなくてみそうだな。



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