第4話 砂糖は多めに
ブラインドの隙間から、日光が入り込む昼下がりの事務所。その中をカタカタと、心地よい音がする。
やっぱり、報告書を作るならタイプライターが一番だ。あたしは、事務机で作業に当たっていた。
カレンさんはというと、応接用のソファで寝そべっている。今回の事件であちこち怪我をしたので、しばらく安静にとお医者さんに言われた。
それにかこつけてか、ここ数日はだらだらと過ごしているみたいだった。テレビを見ながら、スマホでゲームをしている。
「小町、コーヒー淹れてくれ~」
気の抜けた声が飛んでくる。なんで仕事中のあたしが、ぐーたらしているカレンさんの為に動かないといけないのだろうか。
「今忙しいんで、自分でやってください」
「所長命令」
「……こんな事で所長権限使わないでくださいよ」
ため息をつきながら、仕方なくコーヒーを用意する。ついでに自分のも。
いつもは事務所のコーヒーミルを使って作る。でも、今は簡単に用意したい。棚からインスタントコーヒーの粉を取り出して、すぐに作った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。では、一口」
コーヒーカップを傾け、カレンさんはコーヒーを飲んだ。
「これ、インスタントじゃないか。私はインスタントより――」
「コーヒーミルで挽いた豆がいい、ですよね。なら自分でやってください」
「……つれないねぇ」
不満そうに頬を膨らませながら、カレンさんはもう一口コーヒーを飲んだ。
それを見届けると、あたしは仕事に戻る。えっと、どこまで書いたんだっけ。記憶を思い返しながら、指を動かす。
スタッカートが死んだ後、カレンさんは聡子夫人を警察へと突きだした。証拠はあたし達が手に入れた情報がある。それに、夫人もすぐに自供を始めた。結果、夫人はすぐに逮捕されることになった。
ファルネーゼさんには沢山小言を言われてしまったけれど、なんとか事件が解決したので喜んでいた。これから、捜査や聴取で警察は大忙しらしい。
そのような事を書いていると、事務所のドアが勢いよく開いた。
「二人ともお疲れ様!
元気な笑顔で現れたのは、リンちゃんだった。
「まったく、ドアをノックもしないなんて。品のないお嬢さんだ」
「家賃上げてもいいのよ?」
カレンさんには、張り付いたような笑顔が向けられた。目が笑っていない。怖い。
「小町、お嬢様にコーヒーを出しなさい」
流石のカレンさんも、慌てた様子であたしに指図した。あのリンちゃんの顔は、本当に家賃を上げかねない。
実際、まだ家賃は滞納している立場だ。カレンさんは、どうあがいても抵抗できない。
「あ、こまっちゃん。クッキー焼いてきたから、お皿の用意もお願い♪」
「……なんだか、私と態度が随分違うじゃないか」
そう嘆くカレンさんは放っておいて、あたしは準備を進めた。こうして突然のコーヒーブレイクが始まった。あたし的には、丁度良い休憩になって助かる。
「本当に二人とも、お疲れ様。今回の事件は、かなりヤバかったんじゃない?」
「そうだね。でも、私の腕に
「カレンさん、鏡見て来てください」
「またそれか」
今のカレンさんは、全身のあちこちに包帯や絆創膏がある。そんな余裕の態度を取れるような見た目をしていない。
「あれ? これ今回の事件じゃない!」
少し嬉しそうな声で、リンちゃんはテレビ画面を指差した。そこには丁度、今回の秘密生体兵器開発についてのニュースが流れていた。
ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げる声がする。
「――一連のスタッカート事件は、この秘密研究が発端になっているとし、警察は捜査を進めているとのことです。では、次のニュースです」
すぐに画面が切り替わる。テロップにはGシティ動物園ベビーラッシュと出ていた。画面には、可愛らしい動物達が映っている。
「なんだか、あっさりしてるわねぇ」
リンちゃんは、つまらなさそうに頬杖を突き、クッキーを摘まんでいた。
事件解決後は、どのニュース番組でも取り上げられていた。しかし、もうそれなりに日が経ってしまったので、視聴者も飽き始めているのかもしれない。
「特に捜査に進展はないみたいですし、仕方ないですよね」
カレンさんに目線を送ると、リンちゃん同様につまらなさそうな顔をしている。しかし、どことなく重い空気を感じる表情だ。
「どうしたんですか?」
「……マリーから、連絡があってね。Gテクノロジーと今回の事件、関連性を見つけられなかったそうだ」
「え、そんな⁉」
カレンさんの推理的にも、Gテクノロジーの関与は間違いない。あたしは、それも込みで暴かれるものだと思っていた。
「証拠が出なかったらしい。恐らく、揉み消したんだろうな。研究員を関連会社とかに送っていたのは、こういう時のためだったんだろう。Gテクノロジーと研究員の関係を、いつでも隠せるようにね」
「そんなの、トカゲの尻尾切りじゃないですか!」
人の命を弄んでおいて、自分達は呑気に眺めていたのに。それがバレそうになったら、知らないふりだなんて……。
「警察にも、これ以上業務の邪魔をするなら、出るとこ出るってさ。Gグループの会社にそう言われたら、アイツらも打つ手なしだよ」
その言葉を聞いて、改めて思い知らされる。このGシティにおける、Gグループの権力の大きさに。
この街を発展させてきたのは、Gグループだ。それ故に、ヒエラルキーが特殊なようだ。
「そんなの、あんまりじゃないですか……」
「まぁ、今回は仕方ないさ。私達が口封じされなかっただけでもラッキーだよ」
でも、あたしは納得できない。そんなイライラを飲み込むように、コーヒーを一気に飲んだ。
「うぅ……苦い」
口の中に広がる苦味に耐え切れず、クッキーを口いっぱいに頬張った。黒い苦味が、白い甘さに塗り替えられていく。
「まったく、小町の舌はお子ちゃまだな」
「悪かったですねお子ちゃまで!」
クッキーが口に残ったまま喋ってしまった。案の定、ぽろぽろと食べかすが飛んでしまう。
「馬鹿! きったないな、もう」
そんな様子を、リンちゃんは面白可笑しく眺めていた。
その時、ふと思ってしまう。スタッカート――嶋田さんも、本当はこうやって笑いあっているような普通の人だったんだ。
だけども、身勝手な人のせいで、そんな日常も奪われてしまった。
Gテクノロジーの関与は暴けなかった。けれども、秘密研究については
「これで、嶋田さんの無念も晴らせたんですかね」
思わず、遠くを見てしまう。そんな様子に当てられたのか、二人も少ししみじみとした雰囲気になっていた。
カレンさんは、コーヒーを一口飲むと、ぽつりと言った。
「死人の気持ちなんて、わからないさ。それを考えるのは、生きている人だけだ」
クッキーを一つ摘まみ上げて、カレンさんはニヤニヤと笑いながら続けた。
「つまり、小町が思った事が答えなわけさ」
そう言うと、カレンさんは美味しそうにクッキーを口にした。
「相変わらず、キザすぎない?」
なんて、リンちゃんは茶化している。けれども、カレンさんの言葉に肩の重荷が少しだけ、軽くなった気がした。
そんな時、事務所のドアからノックする音が聞こえる。リズムよく三回だ。
「おっと、品の良いお客様だ。小町、用意を」
「はい!」
カレンさんが扉を開けると、そこに現れたのはロバートソンさんだった。ジェラルミンケースを持って立っていた。
「これはこれは、執事さん。どうぞ、中へお入りください」
そのままカレンさんは、ロバートソンさんを応接用の椅子に案内した。あたしもすぐ、テーブルの上にコーヒーを置いた。
「あ、小町! これインスタントだろ。執事さんは舌が肥えてるんだ。今すぐ豆を挽いて……」
「いいんですよ。たまにはインスタントも飲みたいですから」
ロバートソンさんは、紳士的なフォローを入れつつ、本題に入り始めた。
「このたびは、私の主人がご迷惑をおかけしました。今回の依頼は、こんな形にな
ってしまいましたが、依頼金を払わない訳にはいきません。ですので、今日お持ちいたしました」
そう言うと、ロバートソンさんはテーブルの上にジェラルミンケースを置いた。そして、中を見せる。そこには、札束があった。
カレンさんは、それを手に取り数える。問題は無かったのか、笑顔で頷いた。
「確かに、契約通りの金額をいただきました。またの依頼、お待ちしております」
深々と頭を下げるカレンさんに合わせて、あたしも頭を下げる。ロバートソンさんも、同じだけ頭を下げていた。
「それにしても、良かったですねカレンさん。今回の支払いは無いかも、なんて言ってましたよね」
「あぁ、これでレーナちゃんの所で遊べる!」
「いや、家賃払いなさいよっ‼」
カレンさんの発言に、堪らずリンちゃんが飛び出した。貰ったばかりの報酬金を奪おうと、手を伸ばしている。
「こら、お客様の目の前で恥ずかしいじゃないか。シャオは、小町とくつろいどきなよ。私はちょっと出かけてくるヨ」
カレンさんの口角が、卑しく上がる。間違いない。このまま、エデン・バタフライへ行くつもりだ。
「そんな事させないわよ!」
逃げるカレンさんを追うリンちゃん。広くない事務所内で、追いかけっこが始まってしまった。これには、ロバートソンさんも苦笑いだった。
あたしは呆れすぎて、ため息しか出ない。コーヒーのおかわりを用意して、飲みながら追いかけっこを眺めていた。
「やっぱり、苦いな~」
まだまだ、ブラックを味わえない。でも、今はそれで良い気がする。いつか味がわかる日まで、あたしはあたしにしかできない味わい方をするんだ。
コーヒーを置いて、事務机に座る。今なら、報告書が
文字を打とうとしたその時、カレンさんに腕を掴まれた。
「ほら、小町。君も一緒に行こうじゃないか」
「あ、カレン! 無理やりこまっちゃんを仲間に引き入れるな!」
もう片方の腕を、リンちゃんが引っ張る。
あぁ、これではいつ報告書が完成するのやら。前回のですら、まだ出来上がっていないのに。先が思いやられる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます