第3話 誰が為の生贄か⑤

 とりあえず、二人を安全な場所まで逃がさないといけない。でも、安全な場所ってどこなんだろうか。


「ひとまず、敷地外へ行かないと」


 あたしも夫人に手を貸し、屋敷の門へ向かう。しかし、そこへ辿り着く前に、背後から大きな音がした。激しく崩れる音。何かが壊れる音だ。

 もう一度振り返り、館を見る。カレンさんは無事だろうか。それだけが心配だった。

 しかし、その不安は的中してしまった。突如、館の壁が吹き飛んだ。玄関の隣の壁だ。内側から、とてつもない力で吹き飛ばされたらしい。

 舞い上がる煙の中から、不気味なシルエットが揺れる。筋肉隆々、顔は獣。手からは、刃物のように鋭い爪。スタッカートが、こちらに向かって来ていた。


「ば、化け物!」


 夫人は金切り声で、スタッカートに向かって叫ぶ。夫人もロバートソンさんも、壁の吹き飛ぶ音で足を止めていた。


「化け物、だと?」


 スタッカートは、地の底から聞こえてきそうな低い声で言った。猛獣のような瞳は、夫人に真っすぐ向けられている。


「お前達が、俺をこんな体にしたんだろうがぁ‼」


 まるで、怪獣のような咆哮だ。腹の底で怒りを煮えたぎらせ、その熱を吐き出すような雄叫びだった。


「テメェの体も、人間とわからねぇほどに切り刻んでやる!」


 不味い。スタッカートは頭に血が上っている。このままじゃ、怒りに任せて夫人を殺そうとするだろう。

 そうはさせない。例え、聡子夫人が悪人でも、命を守らなければいけない。カレンさんの言っていた、探偵の流儀だからだ。


「スタッカート、止まりなさい!」


 拳銃を構える。銃口は、スタッカートに向ける。通用するとは思えないけれど、やるしかない。あたしにできる事は、これしかないのだから。


「ガキは引っ込んでろ!」

「だ、誰がガキよ! あたしはもう二十歳なんだから!」


 あまりにも場違いな事を言ってしまった。しかし、それがスタッカートのリズムを崩したようだ。血走った目が、少しだけ柔らかくなった気がした。


「どけ。俺は、そこのババアに用がある」


 スタッカートは、ギラギラと光る爪の先を聡子夫人に向ける。切っ先を向けられた夫人は、小さな声で「ひぃっ」と怯えていた。


「どきません。スタッカート――嶋田誠道さんに、聡子夫人を渡す訳にはいかないんです」


 スタッカートの本名を口に出すと、彼の眉間がピクリと動いた。ヤバい、何かしゃくに障ったのだろうか。


「……実験の事を知ったのか?」


 先ほどまで、身にまとっていた殺気が少し弱くなった。これは、あたしと話す気があるって事なんだろうか。


「はい、嶋田さんが無理やり人体実験された事を」

「ならわかるだろう。そのババアが、どれほどの悪い奴か。俺は、復讐を果たしたいだけだ。そこをどけ」


 まるで訴えかけるような話し方だ。スタッカート――いや、嶋田さんはまだ話し合いの余地がある。暴力ではなく、言葉で解決できる可能性があるんじゃないか。


「いいえ、尚更なおさらどきません。嶋田さんは、被害者なんです。だから、これ以上罪を重ねる必要はありません! 正当な裁きは、法が下してくれます!」

「所詮、人間の作った法なんて信用できない!」


 嶋田さんは、再び殺気を見に纏った。怒りの炎が燃え始めたらしい。


「俺は、普通のサラリーマンだった。だが、友人の借金を肩代わりさせられて、取立人には借金を雪だるま式に増やされた! 結局、そんな大金が払えるはずもない。俺は、元締めのマフィアに捕まり、こいつらに売られたんだ!」


 嶋田さんは、怒りに任せるように語った。その表情は苦しそうで、辛そう。過去の出来事を思い出し、悔しさで胸が一杯なのだろう。その悔しさが燃料となり、怒りの炎はさらに増し始めた。


「そんな人間を、今更信用できるか!」


 嶋田さんは、再び怒りに囚われた。全身を殺気で武装し、敵意を剥き出しにする。その姿は獣。スタッカートに戻ってしまった。


「それならあたしは、あなたを救いたい! だから話を聞いてください!」


 こんな悲しい事は、もう止めるべきだ。嶋田さんは辛い思いをした分、しっかりと報われるべきなんだ。復讐なんて形じゃダメなんだ。


「馬鹿かい、小娘!」


 すると、後ろから甲高い声が聞こえる。振り返ると、やはり聡子夫人だった。その顔は、怒りと恐怖がぐちゃぐちゃに混ぜられていた。


「そんな化け物、早く殺してしまいなさい!」


 その瞬間、腕の力が抜けた。拳銃を構えていた腕は、力無くぶらりと垂れさがる。


「……この人、本気で言ってるの?」


 茜村聡子。自身の利益の為に、嶋田さんを実験体にした。そして、自分の手に負えなくなったら、簡単に殺せと言う。

 あたしは、わからなくなった。誰が、本当の化け物なんだろうか。

 次の瞬間、身体が浮遊感に包まれた。何が起きたのか理解できないうちに、身体は地面に叩きつけられる。

 倒れながらも、あたしの視線はスタッカートに向いていた。どうやら、スタッカートに突進されたらしい。彼は勢いを弱める事もなく、そのまま夫人に向かって行った。

 スタッカートの顔が、ハッキリと見える。怒りと悲しみが、色濃く出ている。でも、それは当たり前の事なんじゃないだろうか。あんな人間に、自分の体を好き勝手にいじられて、最後には死ねと言われる。そんなの、堪ったもんじゃない。


「何をやっているの⁉ 早くわたしを助けなさいよ小娘!」


 夫人は、鬼の形相であたしに怒鳴っている。ロバートソンさんは、迫る恐怖に耐えられず、その場で身をかがめていた。


「……助けないと」


 まだ、右手には拳銃がある。でも、腕に力が入らない。

 なんで、夫人を助けないといけないんだろう。悪いのは、間違いなくこの人なのに。スタッカートは、復讐を果たしたいだけなのに。


「金は払う! 報酬も倍にする! だから早く助けなさい!」


 そんな言葉を聞いても、腕に力は入らなかった。あたしはきっと、そんな紙切れを貰ったって納得しないんだろうな。

 スタッカートは、あと少しで夫人を攻撃範囲に捉える。腕を振り下ろせば、夫人は一撃で命を落とすだろう。なんだか、それでも良いような気がしてきた。

 でも、そんな事にはならなかった。銃声と共に、スタッカートは足から血しぶきを上げた。そのまま、スタッカートは派手に転ぶ。夫人に、その爪は届かない。


「なんだ、皆揃ってビーチフラッグかい? 私も混ぜて欲しいなぁ」

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