第3話 誰が為の生贄か④

 それから時間は過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。時刻も午後十一時と、いい時間になっている。

 あたし達は、先ほどと同じ応接室に待機していた。勿論、ターゲットである聡子夫人も一緒だ。ロバートソンさんも協力するとの事で、応接室で食べ物や飲み物を用意してくれた。


「来るなら、そろそろですかね……」


 スタッカートが来るとわかっていると、思わずそわそわしてしまう。応接室を何往復しただろうか。


「少しは落ち着きな、小町」


 カレンさんは、椅子に深く座ってコーヒーを味わっている。これから、戦うというのに凄いリラックスしている。


「カレンさんが落ち着きすぎなんですよ。よくもまぁ平然としていられますね?」

「当たり前だろう。一流の探偵は、いつだって落ち着いているものさ。リラックスしていなきゃ、解ける謎も解けないだろ? 小町の好きな探偵だって、そうじゃないのかい?」

「うっ……」


 その通りだ。あたしは、そんな探偵に憧れている。でも、今のあたしは真逆だ。焦りと不安のあまり、自分にとって大切な理想像を見失ってしまった。

 これでは、いつまで経ってもなりたい自分になれない。重いため息が出てしまった。


「ちょっと、場の空気を悪くするようなため息は、やめてくださらない? そんな汚い空気、わたしは吸いたくありませんのよ」


 夫人が、嫌な顔をしながら睨んでくる。あの鋭い目つきを見ると、頭が痛くなりそうだ。

 っていうか、そもそも夫人が今回の元凶なんですけど。なんで、あたしがそんな事言われないといけないんだろうか。イラっとする。口にはしないけれど。


「宮坂さんも、コーヒーいかがですか?」


 ピリピリとした空気を和ませるように、ロバートソンさんがコーヒーを差し出してくれる。やっぱりブラックだ。飲めないことはないけど、さっき飲んだからあまり気は進まない。

 かといって、折角勧められたので、断る訳にもいかず。あたしは小さく頭を下げながら、カップを受け取った。

 一口飲むと、苦さのお陰か落ち着いてきた気がする。

 そんな時だった。突然、窓ガラスが割れるような音がした。方向からして、上の階かららしい。


「何事なの⁉」


 夫人は慌てたように椅子から立ち上がる。かく言うあたしも、天井を見上げながら肩をびくつかせていた。

 窓ガラスが割れてから、一瞬の静寂の後。いきなり電気が消えた。この部屋だけではない。廊下から漏れていた光も、今は見えない。


「ひぃぃぃっ!」


 夫人は腰を抜かし、尻餅をついている。ロバートソンさんが、そんな夫人へ駆け寄りながらも、あたし達に言った。


「上の階の窓辺には、送電線が走ってます。もしかして……」


 言わずもがなだった。こんな状況で、電気が消える事自体おかしな話だ。

 カレンさんも、さすがにコーヒーカップをテーブルに置いた。そして、椅子から立ち上がり、ニヤリと笑う。


「お客さんの登場だね」


 廊下への扉を開け、通路の様子をうかがうカレンさん。まだ、スタッカートの姿は見えないようだ。

 あれから物音がしない。嫌な静けさに、生唾を飲み込む。そんな音すら、周りに聞こえてしまいそうな静寂だ。

 周りを見渡した後、再び天井へ目を向ける。すると、一瞬何かが走った。部屋の暗さと、物体の素早さで、正体はわからない。

 次の瞬間、天井のシャンデリアが落ちてきた。いや、シャンデリアだけじゃない。天井がバラバラになって落ちてきた。


「うわぁっ⁉」


 咄嗟に、後方へ倒れ込むようにして避ける。どうやら、天井は全て落ちてきた訳じゃないらしい。部屋の中央、テーブルが置かれていた場所に瓦礫がれきが積もっていた。それと共に、物凄い埃が舞い上がり、部屋中を白く濛々もうもうとさせる。


「小町、カーテンを開けろ!」


 姿の見えないカレンさんが、そう叫ぶのが聞こえた。あたしは急いで立ち上がり、窓際へと向かう。厚手のカーテンを掴むと、引っ張るようにして開けた。

 外にある街灯の光が、室内を照らす。青白い光が当たり、舞い上がった埃がまるでスモークのようになっている。


「玄関のノックもできないのかい? スタッカート」


 カレンさんはそう言うと、まだ視界のハッキリしない室内で発砲した。立て続けに四発。しかし、弾は命中しなかったらしい。甲高い金属音が、部屋中に反響していた。

 これは間違いなく、防がれた。こんな芸当ができるのは一人しかいない。


「お前は、あの時の探偵か?」


 徐々に、視界が良くなっていく。部屋の中央に立つシルエットから、男の声が聞こえる。あの日聞いた、スタッカートの声だ。


「やっぱり、俺の邪魔をするんだな」


 スタッカートはカレンさんに飛びかかった。それを、横跳びで躱すカレンさん。


「小町、夫人達を連れて外へ!」

「はい!」


 言われるままに、夫人達の元へ駆け寄る。夫人はまだ腰を抜かしたままらしい。立ち上がれないでいた。


「急いで逃げましょう」

「はい。聡子様、肩をお貸しします」


 ロバートソンさんが夫人を起こし、歩き始める。あたしは、拳銃を取り出す。スタッカートと二人の間に入り、盾になるように歩いた。

 幸い、スタッカートはカレンさんに夢中だ。今のうちに、廊下へと出る。そして、玄関へと一目散に走った。

 玄関を抜け、外へ出る。あたしは振り返り、室内を見た。


「カレンさん!」


 呼びかけても返事は無い。銃声と金属音。椅子か何かが壊れるような音がするだけだった。

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