第3話 誰が為の生贄か③

 ゆっくりと、夫人は顔を上げる。無表情だ。怒るでもない、嘆くでもない。夫人は平然とした表情を見せてきた。


「さすがはGシティ一番の探偵さんね。武闘派、なんて言われているから、おつむの足りない便利な駒だと思っていましたが、違ったようですわね」


 夫人は、徐々に口の端を上げていく。この状況で、笑っているのだ。その姿は、不気味以外の何物でもない。


「ええ、認めましょう。あなたの推理通り、わたしはスタッカートの開発に協力していましたの」

「そ、そんな……奥様」


 ロバートソンさんが、膝から崩れ落ちる。仕えていた人が、こんな悪事に加担していたのなら、そうなってしまうだろう。


「ですが! 依頼はこなしてもらいます。わたしを守って、スタッカートを捕らえなさい。依頼を引き受けたのだから、当然やってもらえますよね?」


 威圧的な語気で、あたし達は睨まれる。鋭い視線で、今にも貫かれそうだ。ちょっとした殺気さえ感じる。

 しかし、引き受ける必要はあるのだろうか。今の話を聞く限り、悪いのは聡子夫人だ。スタッカートは、強引に実験台にされた被害者に過ぎない。彼の復讐を肯定はできないが、夫人の依頼通り動くのも、あたしには納得できない。

 あたしはカレンさんに視線を向ける。どう答えるのだろうか。


「勿論、依頼を受けた以上やらせていただきます。それが探偵の流儀ですからね」

「そんな⁉」


 思わず声が出てしまう。しかし、カレンさんはあたしの前に手を出した。まるで犬にお座りとでも言うように。


「しかし、スタッカートは強敵です。捕まえるのは、困難かもしれません。手を抜けば、こちらがやられる。恐らく、どちらかが死ぬまで、戦いは終わらないでしょう。それでも良いのなら」


 そう言うカレンさんの顔は、ニヤニヤしていた。


「ふんっ、あくまでわたしの言いなりにはならない、と言う訳ですのね。まぁよろしいでしょう。わたしを守りなさい。スタッカートの生死は問わないですわ」


 どうやら、カレンさんは最初からこれが狙いらしい。満足そうに笑いながら「どうも」なんて言っている。


「それにしても夫人。どうしても、確かめておきたい事があるんですよ。旦那様と夫人は、この研究に資金提供をしていた、で間違いないですかね?」


 椅子に座り直しながら、カレンさんは訊ねた。もう隠す気も無いのか、夫人はけろっとした顔で答える。


「ええ。将来的な軍事産業への先行投資だと、旦那は言っておりましたわね」


 恐ろしい話だ。人体を改造し、スタッカートのような人間を兵士としようとしているって事だ。

 しかも、それを利用して金儲け。あたしは身震いした。反吐へどが出そうなほどの邪悪が、あたしの前にいる。いったい命を何だと思っているのだろうか。


「あの名簿に載っている研究員達は、どのように調達したんですか?」


 続けて、カレンさんの質問が飛ぶ。これにも、夫人はすんなりと答えた。


「あれはGテクノロジーの秘密研究員だと、旦那は言っていましたわ。普段は関連企業で働かせて、必要になると招集するんだとか」

「どうして、そんな面倒なシステムなんですか……?」


 あたしは思わず、二人の会話に口を出してしまった。でも、疑問に思ったのだから仕方ないじゃないか。


「あなた達のような、勘の良い人達から秘密を守るためでしょうね。警察は、被害者の関連性を突き止められなかったのですから」


 確かに、結果としてそうなっているのだから、間違いなさそうだ。あたし達も、それなりに悩まされたし。


「さて、日没まであと少しだ。私達は準備をしようか」


 カレンさんは、カップに残っていたコーヒーを飲み干すと窓から外を眺めた。


「本当に来ますかね、スタッカートは?」


 余裕な雰囲気の背中に向かって、あたしは訊ねる。名簿に載っている最後の人物だからと言って、今夜現れるとは限らない。事実、今日まで夫人は襲われなかったのだから。


「大丈夫、奴は今夜来る。あの時の口ぶりからして、早く決着をつけるつもりだろう。今まで関係者を殺害してきたんだ。奴の手元には、恐らく関係者の個人情報がある。それなら、ここの場所も容易にわかるはずだ」


 確かに、今までスムーズに犯行に及んでいた。その可能性は非常に高い。それに、動機が復讐なら、すぐにでも果たしたいはずだ。今夜でなくとも、近いうちに必ず現れる。


「必ず、わたしを守ってもらいますよ。あんな野良犬なんかに、殺されて堪るものですか」


 そう言うと、夫人は部屋を後にした。

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