なんでや?
勢いよく優司が椅子から立ち上がる。顔が赤いのは、アルコールだけのせいではないだろう。
「いくらイチローさんでも、言っていいことと悪いことがありますよ」
「先走るなよ。別に芸人目指すのやめろとか、芸人に向いていないと言ったわけじゃない」
「でも、言いましたよね。向いてないって」
イチローさんはうなづいて、ようやくメニューをテーブルに置いた。本物の町中華ではないので、メニューもテーブルも脂じみていない。
「漫才は向いてない。コントやったらどうだ?」
意外な提案だった。
「優司は元々、学生演劇やってたんだよな。脚本も書いて演出もして」
そうですけど、と優司は中ジョッキに手を伸ばす。
「芝居の感覚で上田を操ろうと漫才しても、面白くなんねぇと思うんだよな」
「ですかねぇ」
優司は納得がいっていない様子だ。
「漫才はしゃべりだからな。芸人が素に近い状態でわあわあ他愛のないことをその場の空気を読み取りながらやる。コントは設定とキャラだろ? 根本的に違うと思うんだよ」
「言えてるな」
小宮山さんが割って入ってきた。
この人、語り出すと長いんだよなぁ、面倒くさい・・・・・・などと俺は思わなかった。
いや、噓だ。思った。
「正直、今日のお前らのネタはちょっとよかった。後で今日しゃべったことを文字に起こしてみろよ。つまらんぞ。でも、少しは笑いが起きた。なんでか? 勢いとかタイミング、間なんだよ。変な料理のことを熱っぽくしゃべりだす変人を前にした人を優司が完璧に演じたんじゃなくて、蟹チリについて語るどうかしているやつを前に優司が本当に戸惑っていた。その様子がうけたんだよ。漫才やるなら、完成品を出そうとするな。現場で完成させろ。ライブを信じろ。目の前のお客様を見ろ、感じろ。そういうことだよ」
あきらかに優司は不満そうだ。
「優司さん、アンケート、コメントありますよ」
イレギュラーズのトム宮本がすっとんきょうな声をあげた。重くなった空気を振り払おうとしたのだろうか。いや、計算なしだろう。トム宮本は天然だ。
優司は奪うようにアンケートを手に取った。すぐに俺ものぞきこむが体の向きを変えられ、阻まれた。
ぷ、と優司の口から漏れた。
「なんだよ、思わずにやけるほど、嬉しいことが書いてあったのかよ」
ニタニタした小宮山さんが尋ねる。
「いや、まぁ。ちょっと小宮山さんも読んでください」
海老チリの皿の上で、アンケートが手渡される。
「まぁ、いろいろ考えて、試してみればいい。海老でなくて蟹ならどうだ? どう料理しよう? とかな。お互い意見を出し合ってな。コンビはそれができるんだから」
解散して一人でやっているイチローさんの口から言われると、重い。
「なるほどな。今日、笑いがとれたのは、そういうことか。ほれ、上田」
ようやくアンケートが俺の手元にやってきた。
コメント欄にはなにが書いてあったか?
それはこうだ。
蟹チリの話をする人の顔がおいしそうでおかしかったです。
しみじみと優司が言う。
「すげぇな、この人」
「なんでや?」
「漢字で書いてるよ、蟹を」
(了)
チリの海に沈む アカニシンノカイ @scarlet-students
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