気づかないふり

シヨゥ

第1話

「腕まくりして臨む毎日に疲れたよ」

 飲み会の席で友達がそんなことをつぶやく。普段そんなことを言わない彼。酒の力もあるだろうけれど、相当に追い込まれているような気がした。

「そんなに毎日忙しいの?」

「うん。自分のことができないっていうかね。ルーチンで回している仕事以外の仕事が次から次へと発生して、どうしてもそっちの方が優先度が高くてさ」

「それって君がやらなきゃいけないこと?」

「そんなことはないんだけどさ。誰かがやらなきゃいけないし。僕が一番気づくというかね。なんか一番最初に手を付ける形になってしまって、それからはなし崩し的に」

「じゃあ気づかないふりをしたらいいんじゃないかな?」

「気づかないふりをするって、それは許されないんじゃないかな」

「誰に? それって君が君を許さないだけだよね?」

 その指摘にグラスを持ち上げた彼の手が止まる。

「気づくことは良いことだと思う。だけどさ。余裕がないのにそれに取り組むのは間違っていると思うよ」

「そう、なのかな」

 彼がゆっくりとグラスを置いた。

「救われていない人が救おうとしても結局どちらも助からないんだから。見ないふりをしてまずは自分を救おうよ」

「自分を救うね」

「そう。それに仕事って1回でも手を付けてしまうと、その人がやるものだという流れになるんだよ。そうやって雪だるま式に仕事は増えていくんだよ」

「たしかにその通りだな」

 彼は両手で顔を覆い天を仰ぐ。

「君はもう十分頑張ったんだからさ。腕まくりしなくても毎日が過ごせるように肩の荷物を下ろしていこうよ」

 そう話しかけると彼は鼻をすすった。

「泣いてる?」

「……」

「いいよ。待つからさ」

 彼が落ち着くまでけっこうな時間がかかった。泣いたせいかその瞳は赤かったが、それ以外はほぼいつも通りの顔に戻っている。

「ありがとう」

「別に何もしてないよ。だってこれから君は自分で助かるだけなんだから」

 あとは彼次第。外野から出来るのは野次を飛ばすだけなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

気づかないふり シヨゥ @Shiyoxu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る