...

 「またですか」

 処置室からでてきたお医者さんは、待合室のソファから教頭先生が腰を上げたところで、開口一番そういってきた。呆れたね、て顔だ。

 「年末にも男の子、ありましたよね? どうなってんですか、お宅の学校」

「…申し訳ありません…」

教頭先生が頭を下げている。

 「処置は終わりましたから、どなたか…」  


 学校がなにをしたわけでも、学校がなにをしなかったわけでもないのに、教頭先生はずっと頭を下げていた。

 小山先生も、谷川先生も、お医者さんがはなしている間ずっと黙って、俯いていた。


 小山先生のとなりで聞いたお医者さんのはなしでは、あとは目が覚めるのを待つのみ、てことだった。

 「薬の量はそんなではないですけどね、まだ身体が小さいですから…」

それを聞いてほんの少し、表情のなかった教頭先生の顔が、痛そうに歪んだ気がした。


 「はっ、」

 お医者さんがまた処置室に戻ってゆくと、教頭先生はため息をついてドサリ、ソファに崩れ落ちた。ぼんやり、向かいの壁を見つめている。

 小山先生と谷川先生も、小さく息をつく。

 「ありがとう、浩太くん」

小山先生が、そう、顔を上げた。

 「浩太くんがネコを探してくれたから。夜になったら、もうきっと間に合わなかった」


 よかった…


 ぼくも、黙って床を見つめる。


 よかった…、


 よかった…?


 「小山先生、」

「ん?」

「あの、薬、」

小山先生の笑みが一瞬、強ばる。

 「母親のだって、」

教頭先生と谷川先生も、ゆっくり、顔を上げる。


 これでよかった、て、終わりじゃ、ない。ネコが無事でよかった、て、よくなんか、ない。


 「ママの薬を飲んだ、て天会えるかな、て、電話で、ネコが、」


 一年が経って、だれかに大切にしてもらうことを知って。

 健全に動きだした心は、幼い子の当然の欲求としてママに向かう。


 手紙を書いて、

 漢字を練習して、

 波乗りだって上手になって、

 クッキーをつくって、

 待っていたのに、


 それでもなぜかママは来なかった。


 ママに会いたくて仕方ないネコは、

 あの薬を、

 思いだしたに違いない。


 会いたくなったら飲めばいい、とでも、いわれたのかも知れない。


 ママに会いたくて、とった行動の結果が、これだろうか。


 「…ありがとう、はなしてくれて」

そうぼくに向けられる柔らかい小山先生の声とは別に、くうを見つめるその瞳は、もう、波を捉えていた。

 先生たちはきっと気づいていた。ネコが薬を飲んだと聞いたときから。

 教頭先生の視線が一瞬、宙に彷徨う。脱力したように天上を見上げると、大きなため息をついた。

 「…谷川先生、」

「はい、」

「警察と児相」

「教頭先生、警察は、」

谷川先生がなにかいいかけるけど、教頭先生は力なく首をふった。

 「警察、と児相」

「……、」

「…許せねぇだろ…こんなの…許せねぇよ、オレは、」

 谷川先生がすばやく小山先生に視線を送る。小山先生が教頭先生に視線を返して、教頭先生が小さく頷くのを認めると、谷川先生は黙ってスマートフォンを取り、廊下へでていった。

 「くっそ…」

教頭先生は、ポツリ、呟いて項垂れると、大きな手に顔を隠してしまった。

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