第5話 昇華

 他県の大学を受験した時、試験が終わり、雪崩れるように、多くの受験生が最寄駅に向かって進んでいた。人が多くて、しかもその大学は男子が多くて、人の背中ばかりしか見えない中、突然、目の中に、知っている顔が飛び込んできた。

 大杉くんだ。

 母と待ち合わせていたわたしに彼は、「お母さんあっちにいたよ」と声をかけ、いつもの笑顔で、じゃ、と手をあげて去っていった。わたしは、「あ、ありがと」と言うので精一杯で、人の波に流されながら、なんとか母と落ちあって帰路についた。彼もあそこを受けていたんだと、少しうれしい気持ちと、あの大勢の中で、地元の知ってる人に会うだけで驚きだが、それが、彼だったことに、また心臓がドクンとなった。

 わたしは、大杉くんと会ったその大学に通うことになった。もしかして、彼もいるんじゃないかと思ったが、彼はいなかった。


 大学生になり、わたしは、1人の先輩を好きになった。サークルのムードメーカーで、歌が上手くて、選ぶ言葉が面白くて、一緒にいるのがとにかく楽しかった。これで、わたしは、初恋の呪縛から抜け出し、前に進めるのかと思った。他の子を好きだった先輩を想い続けて、振り向いてもらい付き合えた。

 ところが、付き合って、2人での時間をたくさん過ごしているうちに、あんなに好きだったわたしの気持ちが、どうしたことか何か変わってしまった。他に好きな人ができたわけでもなく、何か嫌なことがあったわけでもないのに、先輩を好きでいられなくなった。

 久しぶりの恋だと思ったのに、大学の華やかな雰囲気に絆されて、恋に恋してしまっていたのか?なんだかわからないまま、相手に対しての申し訳なさと、自分のダメさへの落胆とで、かなり凹んだ。

 今考えてみると、わたしは、先輩の、みんなの中で輝く一面だけが好きだったのかもしれない。なんて稚拙な恋なんだ。

 それからわたしは、恋とは、愛とは、と頭で理屈をこね、考え込む日々に迷い込んでいった。

 

 そんな時、近くの別の大学に進学していた大杉くんと再会することになる。

 小学校の同級生が何人か近くにいるということで、急に集まることになったのだ。久しぶりに会う彼は、少し垢抜けていて、更に、よく喋るようになっていたが、相変わらず、独特の落ち着きは変わらなかった。一緒に会ったのが、小学校の同級生達だったこともあってか、当時の恋する気持ちを、より濃く思い出した。

 それから大杉くんと、たまに電話で話すようになった。それぞれの大学でのことや、共通の友人の話などをし、昔のようにドキドキはしないけど、電話がくると嬉しかったし、楽しかった。日常の他愛もない会話から、お互いに彼や彼女はいないのがわかった。何度か話しているうちに、どちらからともなく、付き合ってみる?という話になった。

 その頃のわたしは、恋愛に自信をなくしていた。というより、自信があったことなど一度もなく、愛を語るほど、わたしの心は成熟していなかったのだと思う。それでも、大杉くんとならと、なんとなくどこかで思っていたのかもしれない。そんなあやふやな気持ちのわたしに対して、彼は、付き合うのなら、ちゃんと言っておかないといけないと思ってと、今の自分の心の内をまっすぐに伝えてくれた。

 彼は同じ大学に好きな人がいて、その人に告白をして、結果振り向いてはもらえなかったのだけど、まだ好きな想いが少し残ってしまっている状態だと話してくれた。わたしと再会して話すようになって、わたしと一緒にいることで、前に進める気がしたと彼は言った。等身大の彼の正直で真っ直ぐな思いを聞いて、わたしの心の何かが動き始めた。付き合おうかとか、ウキウキしたような時に、なんで彼は、こんな話をしたんだろうと考えた。嘘なく向き合って付き合っていきたいと思ってくれたのかもしれない。大杉くんらしい誠実な思いに、こういうところにわたしは惹かれて恋していたのかなと、初恋の理由をあらためて感じた。

 それに比べてわたしは、自分の心を振り返りもせず、なんとなく大杉くんならうまくいくんじゃないかと、ぼんやりとした相手任せの期待で、安易に進もうとしていた。

 付き合うということが、時には互いに向き合って、時には同じ方向を向いて、互いを思い合う気持ちを一緒に育てていくことなのかということが、心にストンと落ちた。それまでも、頭ではわかっているつもりだったのに、心から理解ができていなかったのだと思う。「好き」が初めてわかったのと同じくらいの衝撃と視界が開ける感じがあった。

 何かがあると未だに連絡を取り合う昔からの親友ミサからは、「無意識かもしれないけど、あなたは友達関係での人との関係と、恋愛での相手との関係を、別のものとして分けてない?」と言われたことがある。確かにそうだ。友達のことは、長く一緒に時間を過ごすことで、相手をよく見て知って、好きなところもあまり好きではないところも、ひっくるめて好きになっていっている。でも、恋愛になるとそれができない。友達として人を好きになることも、恋人として人を好きになることも、根底は同じところにあるべきなのかもしれない。それが、わたしは、恋かもとなった途端に、自分の気持ちや感情の動きばかりに気がいって、相手のことを見て知っていくことができていなかったのだと思う。

 大杉くんの、真っ直ぐでリアルな心の動きに触れて、恋愛が、人と人との関係と共にあるものだと実感できたのだと思う。

 また、これまでの恋愛がうまくいかないことを初恋の彼への気持ちがあるからかもしれないと思っていた部分があったのだが、そうではなかったのだ。自分の気持ちばかりを注視していたので、考えるだけで幸せだったあの初恋の記憶が、そこまでになれない今の恋に、何か違うんじゃないかという錯覚をもたらしていたのだ。

 わたしは、今の自分のダメな恋愛力を正直に話し、大杉くんとは付き合うことをやめた。大杉くんへの初恋の記憶が大きすぎて、今の大杉くんとリアルに向き合って、付き合っていくことが、その時のわたしにはまだできない気がしたからだ。

 上手くその思いを伝えられたかはわからないが、大杉くんはわかってくれたのだと思う。


 これをきっかけに、わたしの心の何かが変わった。どんなにどんなに頭で考えてもわからなかったことが、大杉くんの心に触れて、感覚としてわかった気がした。心の一部を覆っていた壁が少しだけ剥がれて崩れて、中から光がもれているような感じがした。ひとりでしていた恋が昇華して、違うものに変わり、わたしの中に満ちた気がする。その違うものとは、人を愛する気持ちだったのかもしれない。

 その後、意識して何かを変えたり努力をしたわけでもないのに、自然と、人を愛することができるようになった。

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