第十五話 誘惑

 『第一の眷属』は、至って真面目な顔をして、そう言った。

 裏切る。

 ……裏切る?

 誰が? 

 俺が? レイラを?

 何故?

 ……というか、なんでそんなことを訊くんだ?

「なんでそんな質問をする?」

 質問の意図がわからず、俺はそう問うた。

 すると『第一の眷属』は淡く笑って、こう言った。

「君はレイラの眷属になって、後悔したことはないかい?」

「……あ?」

「僕はね」

 『第一の眷属』は。

 チョコケーキを更に一口サイズに切って、言った。

「僕はレイラの眷属になった時……『ああ、なんて恐ろしい存在になってしまったんだろう』……って思ったよ」

「…………」

「簡単に人を殺せるチカラ。簡単に人を傷付ける、人から外れたチカラ。……能力もだけど、何よりも獣のようなレイラの性格が恐ろしかった。だから」

「だからレイラを――人間にしようとしたのか?」

「うん。そうだよ」

 ――失敗したけどね。

 と。

 『第一の眷属』は結果を端的に言った。

「僕はレイラを人間にできなかった。名前を付けて、言葉を教えて、物の道理を教えて……誰も殺さないように育てたのに、その望みは一瞬で瓦解したよ」

「……言葉って言えば」

 『第一の眷属』の言葉に、俺はレイラの口調を思い出した。

 古風で独特な口調。

 安土桃山時代や江戸時代から生きていたなら、あの口調はわかるが、本人から聞いた話だと、レイラの実年齢は一〇〇を超えていない。

「ずっと気になっていたんだけど――レイラのあの口調はなんなんだ? お前が仕込んだって話だけど」

「ん? ああ――

「…………」

 訊くと、『第一の眷属』は唐突に、レイラと同じ口調でしゃべった。

 照れ隠しなのか、そのあと、彼は一度咳払いをして話す。

「……元々訛りの強い地方の出身でね。昔は、僕もあんなしゃべり方だったんだ」

「……じゃあレイラのあの口調は、お前の真似なのか」

「まあね……僕はレイラに会った時から標準語もしゃべれたけど、意識しないと素のしゃべり方がすぐ出てね……レイラは素の僕のしゃべり方を真似てしまったんだ――途中からあのしゃべり方はよろしくないって思って、矯正しようとしたこともあるけど……染み付いた口調はまったく直らなかった」

「そうか」

 本筋と逸れた話題だが、レイラがあの独特な口調で話す理由はわかった。

 あれは元々――どこかの方言だったのか。

 どこの方言なのかは、まったくわからないけど。

「話を戻すよ」

 閑話休題。

 『第一の眷属』は語る。

 自分の過去を語る。

「君がレイラの過去をどれくらい知っているかは知らないけど……僕はね、『第一の人外ゴールド・ブラッド』が島を訪れた時に、レイラが根っからの化物であることを知ったよ」

 その出来事はレイラが少し前に語った、『第一の眷属』と別れるきっかけになった事件だろう。

「たくさんの人が死んだ」

 重々しい口調で――『第一の眷属』は言った。

「僕たちの前に現れた『第一の人外ゴールド・ブラッド』を見て、レイラは一瞬で暴走したさ。『災禍の化身』と言われるチカラを全開にして、文字通りいくつもの天災を引き起こして――気付けば」

 気付けば。

 島は原形を留めていなかった。

 黒い靄に包まれた姿のレイラは、全てを破壊して。

 島民全員を皆殺しにして。

 『第一の眷属』の目前に、地獄を顕現させた。

「あの時僕は、何もできなかった」

「…………」

「何もすることができなかった。最悪の事態にならないようにレイラに色々教えていたはずなのに、ああならないように教育していたはずなのに……僕がやって来たことは無意味で、無駄だったって思い知った」

 『第一の眷属』は、そこで俺に目を向けた。

 まるで俺を憐れむように。

 過去の自分の姿を、俺に重ねるように。

「君を見ていると……昔の自分を思い出すよ」

「…………」

「レイラを人間にしようと、やっきになっている時の自分を。……かなめくん。神崎かなめくん。君はできる限り、平和な日常を送りたいんだろ? ――かつての僕のように」

 そこまで聞いて、俺は『第一の眷属』が何故俺個人にコンタクトを取ったのかわかった。

「今はうまくいっているようだけど――君の日常は、いつか必ず崩壊する」

 こいつは許せないんだ。

 レイラが自分以外の眷属を作ったことを。

 あれだけの悲劇を起こしといて――と考えていて。

 同じような結末を見たくない――と考えていて。

 同じような絶望を味わって欲しくない――と考えているから、俺に話し掛けて来たのだ。

「今ならまだ間に合う」

 『第一の眷属』は言った。

「レイラは存在しちゃいけない存在だ。君はレイラと縁を切るべきだ……自分が望む日常こうふくを掴みたいなら……レイラと縁を切って、人間に戻って――それから平和な日常を送るべきだ」

「……人間に戻って?」

 『第一の眷属』の言葉に引っ掛かったので、俺はその部分を繰り返した。

「俺が人間に戻る方法があるのか?」

「ああ」

 すると『第一の眷属』は即答した。

 まるで誘惑する様に、彼は微笑む。

「僕の能力を知っているだろう? ――『後悔先に立たずリセット』。あらゆる事象をなかったことにする、因果を無効にするチカラ」

 『第一の眷属』は言った。

「君が望むなら、レイラの眷属になった事実を、僕がなかったことにしてあげるよ」

 そう言った。

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