最終話 神崎彼恵

 沈黙があった。

 一〇秒ほどの沈黙――その反応で十分だった。

 おそらく確定。

 沈黙のあと、姉はこれまで通り淡々と言った。

『……センキシ? 何それ美味しいの?』

「お姉ちゃんなんでしょ? 海鳥と佐々木を送り込んだの」

 俺は姉の言葉を無視して言う。

 すると息を飲む音が聞えた。

 そして、またしばらく沈黙があった。

 それから溜め息が一つ聞こえて、やがて、姉は観念したように言った。

『……どうしてわかったの?』

「目的」

 俺は姉の質問に答えた。

「殲鬼師の目的をずっと考えていた。殲鬼師は吸血鬼から生じた問題を専門に扱う魔術師だって言っていたのに、海鳥も佐々木も俺とレイラを一向に退治しようとしないし、何を目的としているのか、わからなかったからさ」

『『第二の人外シルバー・ブラッド』。及びその眷属である神崎かなめの監視……って言ったって聞いたけれど。それで納得しなかったの?』

「そう言われて、俺が納得すると思う?」

『まあ……するとは思っていなかったけれど』

「うん。だからずっと考えていた」

 ジュウジュウと肉の焼ける音がする。ゆーきたちの談笑する声がする。

 それらを聞きながら、俺は言った。

「殲鬼師は俺の中でヴァンパイア・ハンター……人の営みのために化物退治を生業にしている人間って認識だったからさ。監視っていう目的は嘘だって思った」

 殲鬼師にとって吸血鬼は化物であり――敵。

 倒すべき対象であって――そのままにしていても益はない。

 そう見ていると思った。

『だったら――何が目的だと思ったの?』

「わからないって思ったよ――正義の味方の目的で、一番わかりやすいのが悪の退治……つまり人外であるレイラと、眷属になった俺の殺害が目的だって最初は思ったけど……そうしたら不可解な点が何個かあって納得できなかったから、わからなかった」

『……不可解な点って?』

「一つ目は海鳥が北亀高校にいることと、入って来た時期」

 俺は脳内のメモ帳を開きながら言った。

「――レイラが俺の前に現われたのはゴールデンウィーク初日なのに、俺と海鳥が出会ったのは入学式……レイラがこの街に来て、眷属になった俺を調査するために転校して来た……とかならまだわかるけど、あいつはレイラがこの街に来る前から俺の近くにいたから、変だなって思った」

『……偶然とは思わなかったの?』

「偶然だとしても、理由はあるでしょ」

 俺は姉の意見に反論する。

「実家がこの辺りにあって昔から住んでいるだとか、レイラとは関係ないほかの目的で来ていただとか……家庭的事情と、レイラとは無関係な仕事上の都合。簡単に思い付くのはこの二つだけど――海鳥の地元がこの辺だって話は聞いたことがないし、殲鬼師の仕事で来ていたとしても、変死事件が起き始めたのはゴールデンウィークが終わったあとだから、この二つの可能性は低いなって思った」

『……なるほど』

 姉は納得した声を出す。

 とりあえず、反論はないらしい。

「で、二つ目だけど――海鳥は俺がレイラの眷属になる前から、よく俺に話し掛けて来ていた」

『……それって不可解に思うことなの?』

「思うことだよ」

 疑問を発した姉に俺は言う。

「姉ちゃんも知っていると思うけど、俺って他人に好かれるようなキャラクターじゃないでしょ? ゆーきみたいに外見は良くないし、誰とでも仲良くなれるような性格はしていない……クラスメイトとしゃべるのも面倒だから、休み時間は大体本読んで過ごしてるし」

『かなちゃん。読書するのはいいけれど、何人かお友達作っておかないと、修学旅行の時つらいわよ?』

「一人には一人の楽しみ方があるからそれはいいけど――まあ要は、俺に話し掛けるクラスメイトは高校でも少ないってこと。……で、海鳥は特に用もないのに、よく俺に話し掛けて来ていた」

『……さっきも言ったけど、それって不可解に思うようなことなの?』

 姉はもう一度疑問を言う。

 俺は答えた。

「これだけだったら特に不可解じゃないよ。面白半分で俺に話し掛けてくるやつなんて、これまで何人もいたし……海鳥もゆーきと同じくらいお人好しだから、これまでのやつらと似たような理由で、似たように話し掛けて来たんだなって思っていた」

 興味本位。怖いもの見たさ。義務。使命感。憐れみ。蔑み。

 優しさ――そんな感じの理由で、話し掛けて来たんだろうなと思っていた。

「でも――あいつが殲鬼師だったってことは、そんな理由じゃなくて、仕事で話し掛けて来たんだと思った」

 俺と同じ高校におり、俺と同じクラスに所属し、『第二の人外シルバー・ブラッド』と呼ばれているレイラの眷属になった俺に、殲鬼師だった海鳥はよく話し掛けていた。

 それは仕事上の理由があって、俺に接触していたのではないだろうか?

「例えば俺がレイラの眷属になることを予め知っていて、話し掛けて来たとか……そんな殲鬼師としての理由があったんじゃないかって――まあ、未来を予知して行動しているって仮定したら、不可解な点がもっといっぱい出てきたから、さすがにこれはないなって思ったけど」

 魔術の中には、未来を予知する類のものがあるかもしれない。

 しかし仮に海鳥がレイラの出現と俺の眷属化を予知して行動しているのだとしたら、入学からレイラが現われるまでの間に、俺を殺すなり拘束するなり、有力な殲鬼師を大量に送り込むなりして、事前に備えていたはずだ。

 それをしなかったってことは、海鳥は未来を予知して、それに従って行動しているわけじゃないってことになる。

「でも、だとしたら海鳥が入学式から北亀高校にいる理由がわからなかったし、俺に話し掛けて来た理由も、監視って言葉の裏に隠れた本当の目的もわからなかった――だから」

『だから――あの契約を提案したの?』

「そう」

 俺は肯定した。

 殲鬼師の目的で、一番わかりやすいのは退治だ。

 その次に考えられるのは『第二の人外シルバー・ブラッド』のチカラの掌握――つまり、レイラを自分たちの下に置いて、兵器か何かとして利用しようとしていることだ。

「殲鬼師の目的がわからないのは問題だったけど、もっと問題だったのはその目的が『俺の生活に危害を与えるものかどうかわからないこと』だったからさ。それを明らかにできる基準点が欲しかった」

 『第二の人外シルバー・ブラッド』とその眷属が人に危害を加えた場合を除き、魔術的組織『不屈の光』に所属する全殲鬼師は、『第二の人外シルバー・ブラッド』とその眷属、両者の生活を侵す行為、殺害を目的とする行動を禁止する。

 『第二の人外シルバー・ブラッド』とその眷属の両者は、『不屈の光』に所属する全殲鬼師が両者の生活を侵す行為、殺害を目的とする行動を行なわない場合に限り、正当な理由なく人に危害を加える行為、被害を及ぼす行動を禁止する。

 『不可侵契約』の正式な内容は、上記の通りになる。

「あの契約を提示したら、殲鬼師の行動は契約を守るか破るか、その二つに絞れる。だからそれを基準にして、殲鬼師に害する意思があるのかどうか判断した」

 『不屈の光』が提示した契約を守るならそれでよし。

 逆に破って攻撃して来たなら、害する意思があると判断して、行動すればいい。

「海鳥は敵対する気も殺すつもりもないって言っていたし、こちらから人に危害を加えませんって宣言しているんだから、『不可侵契約』は受け入れられるだろうなって思ったよ……まあ」

 正直、殲鬼師が俺とレイラを害さない目的を持っているとは思えなかったから、あんな口約束は、すぐに破られると思っていたけど。

 殲鬼師側が破らなくても、退治か掌握を目的としているなら、俺かレイラに騒ぎを起こさせて、それをカードにして目的を達成しようとするだろうなとも思った。

 だから契約に合意して一ヶ月待っても、俺とレイラを害そうとする動きが一切見えなかった時は――物凄く不気味に思った。

 何を考えているのかわからなくて。

『……? まあどうしたの?』

「ん。いや……なんでもない」

『? そう?』

 急に黙ったことを不審に思われたようだが、一々言うことではないのではぐらかす。

「話を続けるけど、俺は殲鬼師の目的がなんなのか、俺とレイラを害するものなのか、確かめるために『不可侵契約』を提案した――で、まあそれから殲鬼師側からこれといった動きも確認できずに、一ヶ月ほど経過して佐々木に遭遇するんだけど……そこからまた不可解な点が出てきた」

 俺は言う。

「まずおかしいって思ったのが佐々木の態度。俺はてっきり殲鬼師側が俺とレイラのために新しい殲鬼師を送り込んで来たんだって思って、それを確かめるために佐々木に顔を見せたんだけど……あの時の佐々木は俺がレイラの眷属だってことも知らなかったし、契約のことも知らない感じだった」

『――あんた、誰の眷属なの?』

『――灰の状態から再生するなんてありえない! そんな馬鹿げた再生能力を持っているのは、『第一の人外ゴールド・ブラッド』か『第二の人外シルバー・ブラッド』くらい――ほかの吸血鬼はありえないわ!』

『――まさか……まさかあんた、『第二の人外シルバー・ブラッド』⁉』

「もし佐々木が俺やレイラのために送られて来たなら、名前とか容姿とか、あと俺が提示した契約のこととか、最低限の情報は事前に伝えられているはず――だってそうしないと、何も知らない佐々木が契約違反をしたり、森に入ってレイラに殺される可能性が出てくるから」

 実際、オルトロスと戦っていた佐々木は乱入した俺を殺そうとしたし、あの場所にいた佐々木は、下手したらレイラに殺されていた。

「海鳥から説明されたのか、翌日には俺とレイラのことを知ったみたいだけど、そのあとの態度も妙だった――放課後に会った佐々木は俺に対して攻撃的で、現状を知って仕方なく従っている感じだったけれど、憎悪や殺気と言った強い感情はほとんどなかった……初めて会った時は俺が何か分からず、すぐ殺そうとしたのに」

 なくなったとは思わなかったが、あの時全身から放っていた剥き出しの敵意や殺気は、翌日には確実に薄れていた――攻撃的で懐疑的。ファストフード店で話した佐々木はそういう印象を憶えたが、それは俺を退治するべき対象と見ていたからというよりは、何かに対する不満と無理解があったからのように思える。

 あのあと、俺を追って来ても殺そうとはしなかったし、あの時は何かを確かめようとしていた気がした。

「で、次に不可解だったのが変死事件……正確に言ったら事件について説明したあとの、殲鬼師二人の見解だけど」

 俺はファストフード店での出来事を思い出しながら述べる。

「この街で吸血鬼が犯人の事件が起こっているって、わざわざ俺に説明してくれたのもそうだけど、俺とレイラを最初から容疑者から外しているのが妙だった――海鳥と佐々木は殲鬼師で、俺とレイラは化物。契約が邪魔でも無視できる都合のいい事件が起こったんだから、俺とレイラを犯人と決め付けて、強引に排除しに来ると思ったのに、あいつらはそうはしなかった」

 海鳥は俺が否定する前に無実だと言って、俺とレイラの犯行ではないと明言した。

 佐々木は俺とレイラを疑っていると言いながらも、海鳥が示した理由を蔑ろにせず、俺を犯人と決め付けなかった。

 ……最初は俺に容疑者じゃないと言って安心させて、そのあと騙し討ちでもするのかと思ったが、そんなことはなかったし、二人はただ真面目に事件の調査をしているだけだった。

「ここで今まで話した不可解な点を簡単にまとめるけど――一つ目は海鳥がこの街にいた時期。二つ目は俺がまだレイラの眷属じゃなかったのに、海鳥がよく俺に話し掛けていたこと。三つ目は殲鬼師の目的が俺とレイラを害することだと思ったのに、殲鬼師は契約を律義に守って、俺とレイラを害そうとしなかったこと。四つ目は佐々木が事前に俺とレイラについて、教えられていなかったこと。五つ目はそれで俺のことを知らず殺そうとしたくせに、翌日には殺そうとしなかった佐々木の態度――そして最後の六つ目が、俺とレイラを犯人候補から外していた、殲鬼師二人の見解」

 不可解な点を上げようと思えばもっと上げられるが、代表的なのがこの六つだ。

「……俺はずっと、殲鬼師は化物退治を縄張りとしている連中だって思っていた。だから海鳥と佐々木は、俺とレイラを害することを前提に考えていたけど――違うなって思ったのは、レイラから俺が眷属に選ばれた理由と経緯を聞いた時だよ」

 あの日、レイラの口から幼少期に出会っていたと聞いた時、レイラ以外に、それを知っている人物がいると気付いた。

「俺が二歳の時にレイラに会っていたなら、俺が将来、レイラの眷属になることを知っている人物がいる……俺が小五まで一緒に住んでいた家族――つまり叔父とうさんと叔母かあさん、それに姉ちゃん……俺の髪と瞳の色が変わる前から一緒にいた三人なら、レイラのことを知っていてもおかしくないって思った」

 俺がレイラの眷属になっていることを知っている人物がいるなら、殲鬼師である海鳥が、レイラの到来前に俺の近くにいた理由は、一応説明できるようになる――三人の内の誰かが殲鬼師と関わりを持って、海鳥を送り込んで来たのだ。

 問題は三人の内の誰が、海鳥を送って来たかだが、それは簡単に推測できた。

 俺の姉。

 血縁上は従姉の、神崎彼恵。

 姉は俺が海鳥の正体を知って、それからよく連絡して来るようになった。

「……姉ちゃんが殲鬼師と関わりがあるって仮定したら、姉ちゃんが殲鬼師だって考えが頭に浮かんで、不可解な点が芋づる式に解けていったよ――海鳥が入学式からいたのは姉ちゃんが頼んでいたからで。海鳥が俺によく話し掛けいていたのは、目的の対象である俺の性格を把握するためで。海鳥が契約を律義に守ったのは、俺を害するのが目的じゃなかったからで。俺を殺そうとした佐々木の態度が軟化したのは、姉ちゃんが事情を説明したからで――そして海鳥と佐々木が俺とレイラを変死事件の犯人と疑っていなかったのは、俺が姉ちゃんの弟で、人を害するような生活をしていなかったからで」

 そう考えたら、不可解な点のほとんどの理由に推測が立った。

 ……唯一、佐々木に事前に俺とレイラのことを教えていなかった理由はわからなかったが、たぶん、海鳥か姉のどちらかが、もしくはどちらもが、「こっちに着いてから教えたらいいか」とでも思って、伝えていなかったのだろう。

「まあ、姉ちゃんが殲鬼師だっていう明確な証拠はなかったし、この考えが頭に浮かんだ時は、自分でも首を傾げたけど……海鳥が殲鬼師だって知ってから姉ちゃんからよく連絡が来るようになったのと、記憶を辿ってみると、海鳥も佐々木も、姉ちゃんと面識があるみたいな発言があったから、暫定的に姉ちゃんが殲鬼師だって結論を出したよ」

『――ああ、かなえさんか! 確かかめくんの従姉いとこの。……すっごい美人だよねー?』

『……うんうん。私だったらあんなスタイルのいいお姉ちゃんがいたら、みんなに自慢してるよー』

『高身長でおっぱい大きいし』

『で、その上運動神経もいいなんて、完璧だよねー?』

 クレープを食べている時に海鳥はこう言っていた。

 あの時は、海鳥が姉を知っている理由について、ゆーきがとっさに『写真を見せたから』と言っていたけど――あれは確実に嘘だ。

 だって写真だけじゃあ、運動神経の良し悪しなんてわかるわけがない。

 ゆーきが話していたという可能性もあったが、それにしては海鳥は、ゆーきから聞いて知ったというよりも、直接会ったことような言い方をしていた。

 佐々木も同様だ。

『――神崎……いい名前ね。あたしの尊敬する先輩と同じ名前だわ』

『――……それは誰かを敵に回してでも?』

『――例えば、あんたを大切に思っている人を敵に回すことになってでも、叶えたい望みなの?』

 佐々木は最初に俺に会った時、俺が『尊敬する先輩』と同じ苗字を持っていると言っていたし、俺が自分の目的の変化に気付いた時も、『俺を大切に思っている人物』を知っているみたいな言い方をしていた。

『――なんでリアちゃんは頭に血が上ったらそう一直線なのかなぁ……? まあ、何事もなく終わったからよかったけど? ……けど、この件は先輩に報告させていただきますからね!』

『――ちょっ、それはなしでしょさつき⁉』

『――いいえ報告させてもらいますぅ! 少しくらいだったらまあ多めに見てあげようかなー……って思っていたけど! リアちゃんは今回の件を反省して、先輩に怒られて下さい!』

『――え、いやっ、ちょっ……待って、待ってさつき! 悪かったからっ! 勝手なことしたのは悪かったから、それだけはやめて!』

「……佐々木ってさ、お姉ちゃんのファンなの?」

『んー……まあ、慕ってもらっているわね』

 俺の質問に姉は少し困ったように回答した。

 海鳥と佐々木が言っていた『先輩』とは、姉のことだったのだ。

「で、最後に……最初にわからないって言った、殲鬼師の目的だけど。姉ちゃんが殲鬼師になっていたことと、俺がレイラの眷属になることが決まっていたこと、俺が不可解に思っていたことを全部踏まえると、『俺の眷属化の阻止』が元々殲鬼師の――つまり姉ちゃんの目的だったんじゃないかって、俺は思う……そのために二年後、俺がレイラの眷属になる『本来の日』に備えて、海鳥を監視役に付けたのはいいけど、予定と異なって今年のゴールデンウィークに、俺が眷属化しちゃって、それと俺がレイラと平和に暮らしてるって報告があったから、海鳥に監視役続行をお願いして俺とやり取りをしつつ、俺がレイラとの生活に絶望していないか探っていたとか……大体こんなところかな?」

 俺は組み立てた推測を述べた。

 殲鬼師になって海鳥を送り込んだ姉の目的を考えるなら、これが一番、合理性の高い推測だと思う。

「……で、どう? 姉ちゃん。どこまで合ってる?」

 姉は自分が殲鬼師であると最初に認めたので、俺は目的とそれを導き出すまでの考察が、合っているかどうかを問う。

 しばらく俺の考察を黙って聞いていた姉は、息を一つ吐いて――それから呆れたような声で、一言言った。

『ほとんど正解よ』

 ほとんど正解らしかった。

『……でも、一つだけ抜けていることがあるわ』

「それってもしかして……ゆーきも姉ちゃんの協力者だったってこと?」

『……それも気付いていたの?』

「んー。まあね」

 それも姉が殲鬼師だと気付いてから気付いた。

 ゆーき自身、吸血鬼や殲鬼師を昔から知っていたわけではないだろうが、たぶん、ゴールデンウィークが終わってから、姉から協力要請を受けたのだろう。

 俺が化物になったのを知っても距離を置こうとしなかったのは、あいつの性格だろうけど……それから海鳥が殲鬼師だと知っても、仲良くしていたのは、裏に姉がいたからだ。

 頼まれていたんだと思う。姉に俺のことを。

『――わっかんないぜー? 実は殲鬼師達は、お前を守るために動いているのかもしれないだろ?』

『――かなえさんだったら――お前の力になろうとするって』

 ……あの時も、あの時も、妙なことを言ってくると思ったけど――振り返ったらそういうことだった。

 ゆーきは知っていた。

 殲鬼師が俺を助けるために、行動していることを。

 姉が俺に手を指し伸ばしていることを。

『はあ……まさかそのこともバレていたなんて』

「これに気付いたのも最近だけど……つーか、別に隠す気なかったでしょ? ゆーきも姉ちゃん達も」

『まあ、バレたらバレたで正直に話そうって思っていたから……でも、いきなりお姉ちゃんが黒幕ですって言っても、かなちゃんがショックを受けて、混乱するだけだと思ったから……みんなにはなるべく隠してもらってたのよ』

「ああ、なるほど」

 隠している理由は大体想像できていたが、やはり俺のことを慮っていたかららしい。

 確かに、海鳥の正体を知った時に姉が殲鬼師だってことも知ったら、混乱なんて言葉で表現できない状態になっていたかもしれない。

『ごめんなさい』

 思っていると、重々しい口調で、姉は謝罪の言葉を口にした。

『別に騙そうって気はなかったの……ただ、かなちゃんにはみんなと同じように生きて欲しかったから。ずっと黙っていようって、昔お父さんとお母さんと決めたから』

「別にいいよ謝らなくて。……そこは勘違いしていないよ」

 レイラの眷属になることが決まっていたってことを本人の口から聞くまで、俺がそのことを知らなかったってことは、それは姉や両親に何かしらの強い思いがあって、ひた隠しにして、俺と暮らしていたってことだ。

 ……本当、その思いだけで頭が下がる。

『そう。……ありがとう』

「けど、一つだけ訊かせて――なんでこんなことしたの?」

『……それは、かなちゃんがさっき言ったでしょ? 今更お姉ちゃんの口から聞かなくても』

「いや、姉ちゃんの口から聞きたい――どれだけ合っていても、俺の推測はあくまで俺が考えて辿り着いたものだし。……こういうものは本人の口から聞かないと」

『そう』

 そう言うと、姉はしばらく黙り込んだ。

 思いがあり過ぎてうまく言語化できないのか、それとも思いは決まっていても、的確な言葉が見付からないのか。

 俺にはわからなかったが、やがて姉は言った。

『まあ……一言で言うなら……かなちゃんに絶望して欲しくなかったから……かしら?』

 そう言った。

 その言葉だけで――俺は納得した。

 その言葉はこれまでの言動で、十分示されているから。

 だから、俺はこう言った。

「そっか」

『だって『第二の人外シルバー・ブラッド』よ? 『災禍の化身』とまで言われている人外に、自分の家族が見初められたら、誰だって阻止しようって思うでしょ?』

「まあ、そうだね」

『それなのに……せっかく二年後に備えて準備してたのに……かなちゃんが眷属になってるって報告が来るし……それに諸悪の根源と仲良く暮らしてるって言われるし――もう何が何だかわからなくて……怖かったわよ』

「はは――そりゃ心配どうも」

『笑い事じゃない』

 怒られた。

 それからしばらく、俺は姉に小言を言われる時間になった――レイラの眷属になってどれだけ心配しただの、計画が破綻して最悪な気分だったの、『変身術』の習得にどれだけ苦労しただのと言われて、俺は謝罪しながらそれらを聞いていた。

 しかし、姉の声には怒気は含まれておらず、代わりに安堵の感情が含まれているように感じた。

 実際、安堵しているのだろう。……俺がレイラの眷属になって、ずっと不安だっただろうから。

『……ねえ、かなちゃん。お姉ちゃんも、一つだけ聞いていい?』

 しばらく溜っていたものを吐き続けて冷静になったのか、姉はふと声の調子を変えて、そんなことを言って来た。

 何――と俺は返す。

『今、『第二の人外シルバー・ブラッド』と暮らしていて、幸せ?』

 姉からの質問。

 俺はこれまでのことを振り返って、考えた。

 それから答えた。

「……さあ?」

『さあって』

「わかんないよそんなの。姉ちゃんが言う幸せの定義もわかんないし、俺は今の自分の生活が不幸だとは思わないけど……けど、だからって、これまで体験したことすべてが幸せなことで、他人にお勧めしたいかって訊かれたら、答えは圧倒的にノーだし」

 実際、レイラとの生活が始まってから、いいことばかりじゃなかった。

 楽しいと思うこともあったけど、嫌なことの方が圧倒的に多かった。

 外を歩いていたらクリーチャーズに襲われるし、魔法少女には灰にされる。これまでもう何回死んだか自分でもわからないくらい殺されたし、レイラのチカラは凶暴過ぎて、容易に制御できるものじゃない。暴走したら止めるのも大変だし、レイラは敵だと思ったらすぐ人を殺そうとする。

 何台も電子機器は壊されたし、食器の扱い方を教えるのも、服を身に付ける習慣を着けさせるのも大変だった。

 初めて街中を一緒に歩いた時は人が多過ぎて気持ち悪いって言って、ずっと俺の腕を離さなかったし、人に触られるのが嫌だからって言って、伸びっぱなしだった髪は結局俺が切った。その髪も一人で洗うこともままならないから、俺が毎日洗っているし、三食の食事は俺が全部用意している。

 歯もまともに磨けないから、俺が朝晩磨いているし、寝相は滅茶苦茶悪いから、顔面キックを食らうことも何回もあった。

 それに……これらはレイラと生活を始めてから起こったことだが……生活が始まる前でも、レイラが要因となって起こったも――ある。

 例えば――俺が姉や両親と離れて暮らしていることとか。

 ……それでレイラを恨んでいるかって訊かれたら、今すぐこの生活から抜け出したいかって訊かれたら――どちらも答えはノーだけど。

 だからわからない。

 幸せとも不幸とも、一概には言えない。

「でも、まあ」

『ん?』

「今こうやって姉ちゃんとしゃべって……姉ちゃんが俺を守ろうとしてくれたことを知ったのは……レイラと姉ちゃんのおかげだと思う」

 あの日、ゴールデンウィークの初日にクリーチャーズに襲われて、レイラが俺のところに来なかったら。

 そして姉が心配して、行動してくれていなかったら。

 俺は今日、自宅でバーベキューをしようだなんて、考えなかっただろうし、こうして姉としゃべって、姉の想いも知ることもなかったと思う。

 それを知れたことは、とても良いことだと思う。

「ありがとう」

 だから俺は、感謝の言葉を述べた。

 述べたかったし、ここで述べるべきだと思ったから、述べた。

『…………』

 俺の発言に、姉は特に何も言わなかった。

 電話越しなので顔は見られないが、この無言は照れているからかもしれないし、笑っているからかもしれない。

 ……いや。いつも通り、あまり表情は動いていないかもしれないけど。

 見えないからわからない。

『……あまり、一人でなんでも解決しようとしないのよ?』

 やがて、姉はぽつりと言った。

『何か困ったことがあったら、いつでもお姉ちゃんが相談に乗るから……『第二の人外シルバー・ブラッド』のこととか、吸血鬼とか魔術とか。たぶん、かなちゃんはこれから、そっち方面の人物とか、事件に巻き込まれることが多くなると思うし……辛いことも経験すると思うから。そういう時は、一人で突き進まず、お姉ちゃんに言いなさい――そうしたらいつでも飛んで行くし、助けるから。わかった?』

「そう。ありがとう――その時は頼らせてもらうよ」

『……本当にわかっているの?』

「わかってるよお姉様――要は、俺は一人じゃないって話でしょ?」

『……まあ、そういうことだけれど』

 しつこく確認してくるので直球で言うと、姉は歯切れ悪くそう言った。

 まったく……本当に頭が下がる。

 本当に、お姉ちゃん様々だ。

 そう思うと同時に、俺は気になっていることがあったのを思い出したので、『殲鬼師の』姉に相談した。

「あ、そうそう。そう言えば殲鬼師の目的以外に、もう一つ気になってたことがあったんだけど……変死事件ってこれからどうするの? 犯人だったらこの前、俺達の前に現われたんだけど」

『ん? ああそうね……そう言えばかなちゃんはもう知っているんだから、説明しておかないと』

 そう前置きして、姉が説明しようとした時だった。

「ぎゃー! 燃えたー!」

 外からゆーきの叫び声が聞こえた。

「やっべぇあっつ、あっつッ! ちょっ、レイラちゃん――だから肉乗せ過ぎたらだめだって言ったでしょ⁉」

「おー……燃えた燃えた。これで肉がいっぱい焼けるのー」

「いや、この火力だったらお肉すぐ炭化しちゃうよ⁉ あっつ!」

「ちょっと何やってんの⁉ 水……いや消火器!」

「ゆーくん消火器の場所知ってる⁉」

「残念ながら知らん!」

「……何やってんだあいつら」

 通話中なのにぎゃあぎゃあと騒がしい。

 台詞から察するに、レイラが(勝手に)網の上に肉を置いて、炎上したのだろう。

 ……ホルモンは買ってないから、豚トロか豚バラを置き過ぎたのかな?

『……楽しそうね』

 ゆーきたちの騒がしい声が聞こえたのか、電話の向こうにいる姉はそう言った。

 顔は見えないが、恐らく今、笑ったと思う。

『見えないから状況はよくわからないけれど、この話はあとにした方がいいかしら?』

「あー……ごめん、姉ちゃん。そうしてもらったら助かる」

『わかった――じゃあ、またあとで掛け直すから』

 バーベキュー、楽しんでね。

 そう言って姉は通話を切った。

 俺はスマホを耳から離して、画面を見て通話が切れたのを確認してから、ズボンのポケットに端末を仕舞う――それから立ち上がるとほぼ同時に、佐々木がベランダから飛び込んで来た。

 慌てた様子で彼女は言う。

「神崎かなめ! 消火器どこ⁉」

「あー……俺が鎮火するからとりあえず落ち着け。ちゃんと炎上した時の対策は用意してあるから」

 そう言って俺はベランダに出て、保冷バッグに手を伸ばす。

 慌てふためく三人を無視して、中に入っている無数の一口サイズの氷をトングで一つ掴んで、燃え盛るバーベキューグリルに近付く。

 俺はグリルの近くでわくわくしているレイラに言った。

「何やってんだレイラ?」

「ん? 儂は肉が焼けるのを待ってるだけじゃぞ?」

「……網の上が大惨事になってますよー、レイラさん?」

 そう言って俺は鎮火した。

 ――俺はこの先も、レイラに迷惑を掛け続けられるだろう。

 地獄なら経験したことがあるし、悪夢なら見たことがある。

 レイラが原因でトラブルに巻き込まれることもあるだろうし、この先、姉が言ったように、辛い経験も、俺はたくさんするだろう。

 けどまあ――それがどうした。

 それくらいのことは――レイラの眷属になった時から、前提として考えていたことだ。

 俺はレイラの眷属であり――眷族。

 レイラに属して、レイラを家族として――受け入れたのだから。

 レイラが『災禍の化身』と恐れられていようと。

 どれだけ負の存在でも。

 受け入れて、見捨てず。

 共に生きるのが――眷族かぞくというもの。

 個人的な意見だが、俺はそう思う。

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