第四章 大海における蛙の再会確率
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地元は五月上旬なのに夏みたいな気温だが、関山峠を越えた途端に過ごしやすい涼しさへと変わる。単純に栄えているということもあるけれど、こういうところを実感するとやっぱり仙台は快適だ。途中ですれ違う学生も、地元と全然雰囲気が違った。良い意味で洗練されているというか、何となくスマートでこなれた感じがする。田舎者の勝手な憧れかもしれないが。
これが本当の意味での初夏の風なのだろう、と思いながら、俺は瞑っていた目を開ける。線香の匂いが鼻先を掠めた。
考え事をしていたからか、今立っている場所を一瞬忘れかけていた。ここは市街地から離れた、緑の多い静かな地域に所在する霊園だ。
「おじさん、おばさん、今日はありがとうございました」
墓前から離れて、後ろに控えていた父方の伯父と伯母に頭を下げる。伯母の側には来年小学生になる
伯母──俺の父親の姉にあたる──は、いいのいいの、とにこやかに笑った。
「大地君こそ、部活で忙しいのに来てくれてありがとうね。それにしても、また背ぇ伸びた?」
「どうなんでしょう……自分ではよくわからないです」
「これからもっと伸びるんじゃない? ほら、大地君のお母さん、百七十センチ超えてたもの。顔もそうだけど、きっと大地君はお母さん似なのよ」
伯母は嬉しそうにそう言うが、俺にはいまいち実感が湧かない。背が高い、と言われても母親のことは写真でしか見たことがないし、全身が映った写真はなかなかない。顔が似ている、というのはよく言われるから、漠然とだがわかることではあるけれど。
物心つく前に亡くなった両親の話をされても、俺は上手く受け答えができない。そうなんですか、と曖昧にうなずくだけだ。親戚が集まる場で、両親について話されるといつもこんな風になってしまう。
墓参りに関するあれこれは全部伯父と伯母が用意してくれたから、俺はそこはかとなく申し訳ない気持ちだった。さすがにそのまま帰る訳にはいかないから、片付けを手伝ってから別れることにした。
「大地君、
別れ際、伯母からこう提案されたが、気持ちだけ受け取っておいた。気を遣ってくれるのはありがたいけど、車で送られるとなると気疲れしてしまう。伯父の運転が下手という訳ではないのだが、他の家族の中に混じって車に乗っている間はどうしても緊張する。何より、必ず覚えていない両親の思い出話をされるのがきつい。伯父や伯母に悪気はないようだから余計に困る。
それに、滅多に来られない仙台だ。俺だって買い物を楽しみたいし、一人で行きたい場所もある。せっかくの機会なんだから、たまには自由に過ごしたい。
再度伯父と伯母に礼を述べて、俺は霊園を後にする。最寄りの停留所はあるけれど、祖父母からもらっている交通費を買い物にあてたいので節約のために市街地までは徒歩だ。そこそこ歩くことにはなるけれど、ちょうど良い運動にもなるし苦にはならない。きつい上り坂が続く訳ではないし、陸上部なら朝飯前だ。
まだお昼前だし、時間はたっぷりある。まずはどこかで昼食を食べようと思いつつ、最寄りの駅まで歩みを進める。
二十分くらい歩き続けていると駅に着いた。今日はホームでの試合があるのか、楽天のユニフォームを着ている人が多い。
タイミング良くやって来た電車に乗り込む。椅子に空きがないので、目的地──仙台まで立ちっぱなしになるだろう。宮城球場の最寄り駅は薬師堂、きっと降りる人も多ければ乗ってくる人も多いはずだ。そこまで疲れている訳ではないし、特別座りたい理由もないから、おとなしく仙台まで揺られていることとしよう。
それにしても、四両編成の電車とは珍しいものだ。……一般的な価値観からすれば珍しくも何ともないのだろうけれど、地元を走る電車は良くて二両が最長のワンマン電車である。乗ったら必ず端の車両じゃない、というのは変な気分だった。
しばらくすると車内アナウンスがあり、まもなく薬師堂に到着する
「……ん?」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、ふと視界の端に見慣れた姿が映った気がした。ちらりとそちらに視線を向けると、そこには見知った顔がある。
向こうもこちらに気づいたらしく、目が合った。静電気が弾けたみたいに、体中に痺れが走る。
「あ、」
俺が声を上げるよりも早く、彼女は動いている。急に踵を返して別の車両に移ろうとした──が、案の定入ってきた乗客が壁となって阻まれてしまった。
相手は悔しげに唇を噛む。そのまま俺から顔を逸らしたが、俺は声をかけずにはいられなかった。
「ええと……宝井、だよな?」
「…………なんで磐根君がいる訳」
名前を呼ばれた相手──宝井詠亜は、渋々といった様子で振り返る。相変わらずのぶっきらぼうな態度だが、それが彼女のデフォルトだと知っているから特に腹は立たない。むしろ親しげに話しかけられたら逆に怖い。
「なんでって……個人的に、用事があって。そういう宝井こそ、なんで仙台にいるんだ?」
「……磐根君には関係ないでしょ」
「……まあ、たしかに」
否定はできないけど、地味に傷付く。友人関係、とまでは言えない間柄だけど、そんなに邪険にしなくても良いと思う。
俺の表情を見て察するところがあったのか、宝井は何度か口を開いては閉じ、を繰り返す。そうしている間にも電車は走り続け、がたごとと足下が揺れる。
「……家族が、野球の試合を観に来てて。私は興味ないから、別行動」
やっと上手い言い方を思い付いたのか、唇を尖らせながら宝井が言う。
たしかに、宝井は野球が好きなようには見えない。こんなことを口にしたらまた機嫌を損ねそうだから心の内側に留めておくけど、きっと宝井はスポーツそのものに興味がないのだろう。体育の授業──特に球技──で居心地悪そうにしているところを見るに、良い印象がそもそもないのかもしれない。
そっとうつむく宝井を見下ろしつつ、俺は次の言葉を考える。何となく、言葉を途切れさせたくなかった。
「宝井、どこで降りるの?」
車内のアナウンスは、次が仙台であることを告げている。予定通りにいくなら、そろそろ降りる準備をしなくてはならない。
宝井はぎゅっと背負っているリュックサックのハーネスを握る。休みの日でも、長い前髪は変わらない。後ろ髪は結んでいないから、そこは新鮮だった。
「国際センター前。青葉城址とか博物館、行きたくて」
返答はそう時間を置かずにもたらされた。宝井にしては妙に素直だと思ったが、それは口にしない。ここ最近の付き合いで、前よりも彼女との上手いやり方がわかってきた──気がする。
俺は息を吸った。長い言葉を用意していた訳じゃないけど、変に緊張して仕方がなかった。
「……あのさ。俺も、ついていって良い?」
「……え?」
宝井が前髪越しに瞬きしたのがわかった。訝しげな視線が、俺を射抜く。
そこまでの至近距離という訳ではないし、言葉尻だけなら何気ない問いかけだ。でも、俺としてはどうしようもなく恥ずかしくて、逃げるように上を向いてしまった。どうやったって、宝井の顔が天井まで届くことはない。
もうすぐ仙台に着く。アナウンスが、やけに白々しく聞こえた。
「──好きにすれば」
決して大きな声ではなかったけれど──宝井は、たしかにそう言った。
俺は咄嗟に視線を戻す。相変わらずしかめっ面をしている宝井へ、本当に、と問いかける。
「良いのか? 俺、いっしょに行っても」
「いちいち許可しないと駄目なの? 磐根君の好きなようにすれば良いじゃん。学校で言いふらしたりしないなら、別に何でも良いよ」
電車が止まる。ドアが開いて、人が出入りする。それでも、俺たちの間に流れる空気は動かない。
嬉しかった。さっきまで一人で行動しようと思っていたけれど、宝井がいるなら彼女といっしょの方がずっと良いと思った。
ありがとう、と感謝を伝える。宝井は答えずに、唇をぎざぎざにさせた。
ドアが閉まる。電車は、終点の八木山動物公園を目指して走り始めた。
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