第7章 巨人の国編

#90 巨人たちの国

 フレメヴィーラ王国に隣接し、セッテルンド大陸の東側を覆う巨大な森林地帯。その森は“ボキューズ大森海だいしんかい”という名で呼ばれている。

 この広大な森の支配者は人間にあらず。森の中には数多の魔獣がひしめき、我が物顔で闊歩していた。


 人間が扱う最強の武具、鋼でできた巨人の騎士、“幻晶騎士シルエットナイト”。

 かつて人々は、その力をもって魔の森を拓かんとした。しかし彼らの野望は、森に潜む強大な魔獣たちの力の前に、屈することになる。

 それ以来、ボキューズ大森海は踏み込むことを許されぬ禁断の地として、恐怖と畏怖の象徴としてあり続けているのだった。



 鬱蒼と茂る木々の間を、二体の巨大な存在が歩いている。

 その全高は、およそ一〇m前後。この森に住まう巨大生物はまったくの例外なくすべてが魔獣であり、そのうちでこの程度の大きさを持つものは大抵が“決闘級魔獣”という分類に該当する。

 この世界に独自の“魔法現象”という超物理的な力を利用し、その身を巨大に、破壊能力までもを強大にした巨獣たちだ。


 しかし、この二体はただの魔獣とは大きく異なった存在であった。

 何しろ、それらは魔獣の皮革、甲殻や骨を加工して作られた“鎧”を身にまとっていたのだから。その下には筋骨隆々とした体躯がうねりを上げ、さらには二本の足でもって大地を踏みしめ進む。

 そうだ。この二体の正体は人型をした巨大生物――すなわち、“巨人”なのである。



 この森では決闘級以上の魔獣が数多く活動しているために、しばしば巨大な獣道ができあがる。巨獣によって踏み均された空間を、その二体の巨人は歩いていた。

 そのうち片方が、魔獣の頭骨を加工した兜の下から、巨大な一つ目をぐるりとめぐらせる。

 手には巨大な丸太と石材を組み合わせた原始的な斧――作りは粗くとも、その重量だけで素晴らしい威力を発揮するだろう――を掲げ、油断ない様子で歩みを進めていた。


 対してもう一体の巨人は、“一つ目”とは異なる特徴を有している。

 ひとまわりほど大きな体躯に、頑健さと強大さに満ちた体つき。身に付けた鎧は一つ目のものよりは手が込んでおり、ところどころに様々な毛皮を配置した飾り付けが施されている。

 何よりも大きな違いは、その兜の下にあった。そこには、一つ目よりも小ぶりな瞳が“三つ”。

 つまり、彼は“三つ目の巨人”なのである。



 頻繁に周囲に目線をめぐらせる一つ目に対し、三つ目は委細気にせずとばかりにのしのしと歩みを進めていた。

 やがて、やや遅れ気味になった一つ目が慌てて歩調を速め、その時に三つ目の背中が視界に入る。


 そこには、いかにも目立つ背負いものがあった。魔獣の革によって包まれた細長い荷物。

 その中身と、持ち出した状況を思い起こしながら一つ目は“口を開いた”。


「……三眼位ターシャスオキュリス。しかし、幸運であったな。“穢れの獣クレトヴァスティア”の殻を、無傷で手に入れられるとは」


 それに、三つ目は振り返りもしない。


「傷も負わぬなど、つまらぬ。我は戦いに赴いたのだ。残り物を拾うのは眼下の役目だろう」

「しかし。しかし穢れの獣。幾眼の勇者フォルティッシモスが喰われたことか。それを思えば、やはり百眼アルゴスの瞳に映ったとしか思えぬ」


 三つ目はそこでようやく歩みを緩め、そのうち額にある目の一つを相方へと向けた。


「だが面白きこともある。何者かが、我ではない何者かが穢れの獣を倒したということ。獣か、人か。いずれ勇者にふさわしき敵。必ずや、相見えよう……」


 ニィ、と口の端を獰猛に吊り上げる三つ目に対し、一つ目は表情を堅くするばかりだった。

 ただの従者アルミーゲラである一つ目は、勇者ほどに心を猛らせることはできない。彼の勇気はひとつしかないからだ。


「ともあれ、今はまず魔導師マーガに伝えねばならぬこと。急ぐぞ」


 そう言い残し、三つ目はさっさと踵を返していた。一つ目が、慌ててその後を追う。


 それからしばしうねり続く獣道を歩み進めたところで、彼らは森の中に開けた場所へと出る。

 そこにあるのは、集落だ。それも彼らと同じ、巨人たちが暮らす集落である。

 切り拓いた木を骨組みに、魔獣の皮革をかぶせて天幕とした建物が並ぶ。その数は十もない。規模としてはさほど大きくないようだった。


 しかしそこは、何しろ巨人の暮らす場所のこと。当然ながら、天幕の一つ一つが非常に巨大である。

 覆いに使われている皮革とて決闘級、あるいはそれを上回るような魔獣を素材としたものだろう。あるいはそのような素材を利用せねば、彼らの巨体を収めるだけの住居は得られないだけかもしれないが。


 森を抜けた二体の巨人は、集落の中心を目指して進む。

 道々、集落に暮らす巨人たちがそれに気付き、周囲に呼びかけながら集まってきた。


 二体が天幕に囲まれた中央の広場につくころには、その周りは集落に住む巨人たちによってすっかりと囲まれていた。

 全て合わせても二〇体には届かない。ここは巨人たちにとって比較的ありがちな、氏族で暮らす小規模な集落である。


 三つ目は、周囲を見回すと力をこめ、声を張り上げた。


三眼位の勇者フォルティッシモス・デ・ターシャスオキュリス! 今ここに戦いを終え、帰還せり!」


 彼の雄叫びに応じて、村人たちの囲いが一箇所だけ開く。

 その奥にある、集落の中で最も大きな天幕から、一体の巨人がゆっくりと歩み出てきた。


 この場に集まった巨人たちは、どれも様々に異なる姿を持っている。

 巨人の名を体現する巨躯を持つものがほとんどであるが、中には子供と思しき小さなものが混じっている。また男性と女性がおり、さらにはきわめて特徴的な違いが見て取れた。

 この場にいる巨人たちは、瞳の数が一定しないのだ。

 そこには一つ目の者と二つ目の者が入り混じっていた。三つの目を持つ者は、今戻ってきたばかりの“勇者フォルティッシモス”を含めても二体しかいない。


 そして、大きな天幕から現れた巨人。

 それは、魔獣から採れる素材の中でも色合い豊かなものを特により集めた、派手な装束をまとっていた。

 他の者は毛皮でできた服をまとっただけの素朴なものであるがゆえに、その巨人の特別さは一目で理解できよう。


 剥きだしの顔には数多くの皺が刻まれていた。他に比べて手足もか細く、歩みは遅い。いかにも年老いた、巨人の老婆なのである。

 しかしその皺に埋もれるようにしてある“四つの瞳”は、深い理知を湛えて静かに前を見つめていた。


 三つ目は膝をつくと腕を組み、両目は閉じて額の一つ目だけで老婆を見上げる姿勢をとる。

 その横で、一つ目の巨人も同じような姿勢をとりながら、瞳は閉じずにいた。


「“四眼位の魔導師マーガ・デ・クォートスオキュリス”よ。戦いを終え、ただいま戻った」


 老婆は、四つの瞳で二体を見回し頷く。


「よくぞ戻った、勇者よ。して、戦いに勝利は得たか」

「否。勝利を得ること叶わず」


 間髪入れず、三つ目が応える。その意外な内容に、ざわめきが巻き起こった。


「ならば、何を得たか」

「これを!」


 三つ目の巨人が、背負っていた荷をほどく。その中から出てきたのは、長く細い角の生えた、魔獣の甲殻とおぼしきもの。

 ソレを目にした瞬間、老婆の口から抑えきれないため息が漏れた。遅れて、周囲の巨人たちの間にもどよめきが走る。


「おお、あれはまさしく穢れの獣クレトヴァスティア……」

「葬ったというのか、なんと勇猛な! それでこそ我らが勇者よ!」

「しかし、おかしいではないか。頭角を得ていて、なぜ勇者の勝利ではないという?」


 周囲のざわめきに構わず、四つ目の老婆は険しい目つきで頭角を検分する。

 そこに向けて、三つ目の勇者は説明を始めた。


魔導師マーガよ。残念ながら、これに死を与えたのは我ではない。既に何者かが討ち倒したあと、落ちていた死骸から得たもの」

「なるほどな。ゆえにお前の勝利ではない、か。しかしたとえそうであっても、お前が戦いを覚悟して向かったことに変わりはない」


 彼は、姿勢を変えないまま続ける。


「それだけではない。我が拾ってきたものはこのひとつだけだが、死骸はまだ数多くあった」


 老婆の巨人が、顔を覆う皺をわずかに伸ばす。


「……それは、まことか。あの穢れ撒く災厄に、いったい何が抗しえたというのか。あまつさえそれほどの数を倒すなど……」

「わからぬ。あの場にあったのは、穢れの獣の死骸のみ」


 老婆は思わず考え込む。そんな二体の話を他所に、集落はにわかに熱を帯び始めていた。


「まこと、穢れの獣が倒されたと。ならばこれは、好機ではないのか」

「そうだ! 穢れの獣あらずば、ルーベル氏族ゲノス・デ・ルーベルなど恐るるに足らず!」

「遣いだ。遣いをたて、新たなる賢人の問いを啓くのだ!」


 巻き起こった興奮は、四つ目の老婆があげた怒号によって押し消された。


「静まれぇいっ! みだりに動くこと、決してまかりならぬ!」


 老婆は、その手に持った杖でどすりと地面を突くと、抑えた調子で言った。

 巨人たちは一瞬静まり返ったものの、直後には猛然と反論し始める。


「穢れの獣を失った今、ルーベル氏族を恐るる理由はない!」

「これですべての獣とは限らぬ。そも、氏族の数で負けておるのだ、侮るではない」


 老婆は、それらをゆっくりと制していった。彼女は、膨れ上がる戦いの気配を払おうと、言葉を尽くす。

 そのうちに、巨人たちの言葉は落ち着き始めたが、ぽつりと一体の巨人が口を開いた。


「だが、魔導師もわかっていよう。奴らは正しく王位に適っていない。以前の賢人の問いは、とうてい百眼の選定を満たすものではなかった。このような暴挙、認められるものではない。いずれ必ず、問いを重ねる必要がある」


 老婆は、皺に埋もれそうな四つの瞳を僅かに細め、今度は深く考え込んだ。


「聞け、皆よ。四眼を越える魔導師も、我一人しか残っておらん。我が瞳を捧げて済むならば、躊躇うことはない。だが我は些か以上に老いた。あとを継ぐ眼すらなき今、軽々しく瞳は差し出せぬ」


 諭され、巨人たちは一様に静まり返った。

 すると、それまでは黙って話を聞いていた三つ目の勇者が立ち上がり、ひたと老婆を見据える。


「魔導師。まずは他の氏族に伝えるべきだ。聞けばまなこを開くものも現れよう」

「はやるな、勇者よ。以前の過ちを繰り返すつもりか。それが力によるものであれ、我らはルーベル氏族の暴挙を止めることかなわなかった。どころか、互いにいがみ合っていたではないか」


 三つ目の勇者は、返す言葉に詰まる。

 敵の敵は味方、などと軽々しく嘯くわけにもいかない。事実として、共通の敵があった状態でも手を組むことが叶わなかった過去が彼らにはあったのだから。


「しかし確かに、これだけの事を起こした者がいる。それが何者であれ、このまま黙ってはいまい。今はまだ時の眼は開いてはおらぬ……待つのだ」


 そうして周囲が落ち着いたのをみた四つ目の老婆は、頭角を捧げもつと厳かに告げた。


三眼位の勇者フォルティッシモス・デ・ターシャスオキュリスよ、今はおぬしの勇を讃えよう。穢れの獣の頭角にて、誉れを飾るべし」

「承知。百眼よ、ご照覧あれ!」


 老婆が差し出した魔獣の頭角を、三つ目の勇者が恭しく受け取りなおす。

 元は死骸から拾いだしたものであるが、やり取りを経て正式に武勲として認められた。己の力で倒した魔獣の一部をもって身を飾ることは、彼らにとって極めて大きな意味を持つ。


 彼は、受け取った頭角を大きく振り上げた。


「これはただ死骸より拾いあげたもの。だが! 次こそはこの手で討ち取り、我が身を飾ってみせよう!!」


 その叫びに、おおお、と巨人たちが雄叫びをもって唱和する。


勇者フォルティッシモス! 勇者フォルティッシモス! 勇者フォルティッシモス!!」


 拳を叩き合わせ、地を踏みしめ。

 巨人たちがあげた雄叫びは、大気を震わせ四方へと轟いたのであった。




 巨人たちが狂乱ともいえる熱気に包まれているのを、静かに見つめ続ける視線がある。

 それは集落の周りを囲む木々の上、幹に張り付くようにして梢の上に立つ、人影から放たれたものであった。


 荒れ狂う巨人たちに比べ遥かに小さな二つの人影は、ただの人間のもの。

 エルネスティと、アデルトルートだ。森の中で巨人たちと遭遇した彼らは、騎士として身に付けた対魔獣の技でもって、密かにその跡をつけてきたのである。


「ど、どういうこと……そんなことって」


 エルを抱きしめる、アディの腕に力がこもる。

 彼女は今、目前の光景に総毛立つ思いを味わっていた。


「さすがに驚きましたね。巨人たちが言葉を持っているのはともかくとして……」


 彼女のみならず、エルまでもが愕然とした様子でいる。それは、なぜなら。


「……それが僕たちにも、“理解できる”とは」


 巨人とは、エルたち人間とは、大きくかけ離れた存在である。

 とはいっても人型の存在、しかも知と文化を持っている以上、言語を得ていることまでは不思議というほどのことでもない。

 しかし彼らが話す言葉が、エルたちが用いるものに非常に似通っていることは完全に予想外のことであった。それも多少の誤差はあれど、すぐに理解できるほどに似ているのだ。


「どうなってるのよ!? こいつら……何? もしかしたら少し人に似ただけの魔獣かもって思って、でも、違う……」


 アディとて、幾多の戦いを潜り抜けてきた騎操士ナイトランナーである。

 魔獣を相手に戦うのであれば、それが決闘級であろうと師団級であろうと、臆することはない。なぜならそれらは、破壊力こそ脅威的であるものの、理解の範疇にあるからだ。

 しかし目の前の光景は、まったく理解の埒外にあった。それが彼女の中に、じわじわと言い知れぬ感情を呼び起こしてゆく。


「……つまり、言葉は通じそうということですね。ならば、話も通じたりはしないでしょうか」

「ええっ!? まさかエル君、あれと話し合うつもりなの!?」


 そんな時、腕の中から聞こえてきた突拍子もない言葉を聞いて、アディの表情が驚愕へと変わる。


「さすがに、安全かどうかもわからない状況でやろうとは思いません。ですが、いざというときの選択肢の一つにはなるでしょう」

「それは、そうかもしれないけど……」


 彼女は、答えを探す代わりにエルをしっかりと抱きしめ直す。

 そんなアディの様子などどこ吹く風、エルは巨人たちの馬鹿騒ぎに耳を澄ましていた。


「見てください、彼らが掲げたあの頭角。あれは、あの蟲のような魔獣の殻です。うふふふ、“穢れの獣クレトヴァスティア”という呼び名なのですね。あははは、覚えましたよ僕の敵」

「そこはばっちり聞いてるんだ……」


 アディの呆れはついに限界へと達し、ながーい溜息となって流れ出る。


「ほんっとうに、エル君ね! だって人間みたいで、でも決闘級魔獣みたいな巨人よ? それも喋ってるし! めちゃくちゃじゃない。ちょっとは怖いとか、気持ち悪いとか……思わない?」

「いいえまったく。むしろ彼らのことをもっと調べないと。ちゃんと、使い方は把握しないといけませんからね」


 この期に及んでいつも通りの彼の様子をみていると、どうにもこんなことで動揺しているのが馬鹿らしくなってくる。

 そうしていつの間にかアディからも動揺は去り、落ち着いて巨人を観察するだけの余裕が生まれ始めた。


「でも、なんだかこうちょっと、おかしいわね。なにかな、言い回しが古い? 言いたいことが、わかりづらいような」

「僕たちの言葉と似ているように思えて、やはり違うものということなのでしょう」


 そうして彼らが見ている間にも、巨人たちは何かの集会を終えたらしくそれぞれ散らばり始めた。

 あるものは天幕に戻り、あるものは仕事へと戻ってゆく。


 エルはそれを見送りながら、腕を組んで悩み始める。


「さて、どう接触したものでしょうね。言葉をもつ相手とはいえ、動きはかなり荒々しい。これを友好的と考える理由が、まったくないわけですけど……」

「うう、やっぱり本気なんだ、エル君」

「もちろん。彼らが何かしらの技術を持ち、さらに言葉も通じそうなのです。これは幻晶騎士を直してもらうのにも、ぐっと希望がもてるというもの」


 確かに、小さな人間がやるよりは巨人に任せたほうが効率的ではあろう。

 だからと言って、未知の文化を持つ巨大人型魔獣(推定)に対していきなり鍛冶作業を頼むなど、正気の沙汰とは思えない。


 結局のところ、彼の判断基準は愛する幻晶騎士のために役に立つかどうかしかない。

 拘りがないにも限度があるというものだが、それくらいの図太さがなければ、とうていこの生き方は貫けないのである。


 巨人への態度はともかく、アディは不安げに首をかしげる。


「そう、うまくいくかなぁ……?」

「ダメで元々。もしも失敗しても、それはそれで敵であることが確認できるわけですから、無駄にはなりません」


 さすがの彼女もそういう問題ではないような気がしたが、もはやツッコミは諦めていた。

 それに、こうして手をこまねいていても仕方がないのも事実である。何かしら、行動に移すことは必要だった。


「とにかくもう少し、情報を集めるべきですね。できるなら彼らの生活文化を把握したうえで、交渉か敵対かを決めたい」

「じゃあ、忍び込むの?」


 エルは頷く。


「いきなり正面から押しかけることはありません。ひとまず夜を待ったうえで、こっそりと忍び込んでみましょう」


 巨人との大きさの違いを考えれば、そのまま忍び込むことも不可能ではない。だが彼はいくらかの慎重さをもって、ひとまず暗闇を味方とすることを決めていた。

 それでもアディは、漠然とした不安を拭えないでいる。


「願わくば、鍛冶の技を持っていればいいのですけど。しかも手を貸してもらえればいいのですけど。ついでにイカルガの回収もお願いしたり……」


 対するエルは、際限ない皮算用で大変に忙しそうなのであった。




 やがて日は落ち、夜の帳が森におりる。

 さめざめとした月明かりが降り注ぐなか、何とも知れぬ獣の遠吠えが木々の間にこだましていった。


 巨人の集落は、昼間とは打って変わって静けさに包まれている。

 エルたちの思った通り、巨人たちは夜は眠る習性をもっているようだ。


 集落に点在する巨大な天幕が落とす、黒々とした影の中を駆け回る存在があった。エルと、降下甲冑ディセンドラートをまとったアディである。

 彼らは天幕の大きさに比べてまったく小さく、おかげでほとんど目立たずに動き回れていた。

 さらに十分に強化魔法を行使した彼らは飛ぶような速度で動き回っており、この暗がりで視認するのは大変に困難だ。


 やがて彼らはとある天幕の裾に寄り添い、そびえ立つそれを見上げた。


「なんだかこれって、まるで這い回る鼠になったような気分」

「さて、目的は食料をかじることではありません。ですけど、ひとまずは情報をかじらせてもらいましょうか、と」


 エルがそっと指し示し、アディの降下甲冑が巨大な天幕の裾を持ち上げる。

 巨人が暮らす住居の中へと、二人はひそかに忍び込んでいった。



 天幕の中は灯りがなく、まったくの暗闇だった。

 実は天頂部に隙間があるのだが、二重構造になっているために光はほとんど入らない。さらに出入り口にも幕が下ろされており、しっかりと月明かりを遮っていた。


 二人が耳を澄ませば、暗闇の奥から巨人のものと思しき低く、重い寝息が聞こえてくる。

 規則的な呼吸音、動く様子もないことから、彼らは十分に寝入っているものと判断した。


「でも、なーんにも見えない」

「ううむ。これはちょっと、思ったよりも大変そうですね」


 こそこそと、二人は抑えた声で話し合う。

 全くの明かりのない暗闇だ。これでは調査もへったくれもない。とはいえ、いくら巨人たちが寝付いているからといって明かりをつけるのは躊躇われる。

 そうすると、さしもの二人でもお手上げの状態であった。


「手探りで、調べられなくはないのですけど」

「危ないよ……巨人がどこにいるかもわからないし」


 こんな暗闇でへたに巨人を起こしてしまっては、あまりにも危険だ。

 あれやこれやと試みたものの、結局二人は調査を諦め、再び天幕の隙間から抜け出していった。

 後に残るのは、変わらぬ暗闇と規則正しい寝息だけ。


 ――そのはずが、ふと寝息が途切れていた。

 暗闇の中に、強大な気配がおきあがる。それは巨体に似合わず息を殺し、まるで野の獣のごとく密やかに動き出していた。



 その頃、天幕から出たエルとアディは月明かりの下で途方に暮れていた。


「確かに狙い通り、巨人たちは夜には寝静まっています。ですが、明かりもなしに調べるのは困難ですね」

「そうすると、今度は昼間に忍び込む?」

「調べるにはそうするしかないようですが、さすがに危険が伴います。どうしたものか……あ……」


 それは、エルが今後の方針を考え込もうとした、その時のことだった。

 頼りない月明かりを遮って、大きな影が彼らの周囲を切り取る。


 二人は、弾かれたように顔を上げた。

 そこにあったものは、天幕から飛び出た巨大な何者か――その、頭であった。


 それだけでエルの身長を越えるほどの大きさがある頭部。

 巨人、それ以外にはありえない。

 影を落とす顔面に、地面の照り返しを浴びて三つの瞳が光った。



 巨人族アストラガリの一人、ウィルトス・フォルティッシモス・ターシャスオキュリス・デ・カエルレウスは、額の目元に皺を寄せて、足元の小さな生き物を凝視していた。


 まるで彼らをぐっと小さくしたかのような、その生物たち。

 彼には、その正体に心当たりがあった。そして、その“飼い主”にも――。


「“小鬼族ゴブリン”が、何故このようなところにある? ……さては貴様ら! ルーベル氏族に飼われし小鬼どもか!!」

「へっ?」


 言葉自体はわかっても、その意味までは、エルたちには理解できない。

 彼らの混乱などお構いなしに、瞬間的に激昂した巨人が手近にあった得物を掴んで天幕から飛び出した。


「ルーベル氏族も、穢れの獣を失ったのは痛手と見える! だが、たかが小鬼ごときに嗅ぎまわらせるとは、眼が曇ったものだ!!」

「いいえ、人違いではないかと思いますよ」

「エル君!? のんびり答えてる場合じゃないから!?」


 思わずといった調子でエルが釈明を終わるより早く、彼らをめがけて巨大な棍棒が振り下ろされる。

 莫大な質量を持った巨人の武器が大地をえぐり、爆発じみた鈍い音が夜のしじまに響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る