#89 魔の森の出会い
フレメヴィーラ王国第一〇代国王“アンブロシウス・タハヴォ・フレメヴィーラ”。
騎士の国を自認しており、立地がら武に偏ったフレメヴィーラ王国において絶大な尊敬を集める武人でありながら文にも優れ、現在まで続く発展の礎を築いた名君として讃えられている。
今は息子である現国王リオタムスに位を譲り隠居した身分であるが、その偉容にはいささかの衰えも見えなかった。
またエルネスティという、ともすれば危険分子にもなりかねない人物をよくとりたて、銀鳳騎士団を設立することによりその力をうまく活かして見せるなど、騎士団にとっても大恩ある人物である。
そんなアンブロシウスの一喝は、勢いのままに暴走しかけていた銀鳳騎士団に冷や水を浴びせかけていた。
一息の間に、彼らの勢いが萎れてゆく。工房が、沈黙に包まれた。誰もが返す言葉を失い、ただ俯くばかりである。
「わしがお前たちに銀鳳騎士団の結成を命じたのは、このような無為無策無軌道に出るためではない」
アンブロシウスが歩み出ると共に、騎士団はさらに縮こまるように静かになる。
その中にあって、ディートリヒは意を決して前に出た。この戦いの始まりは、彼の決意にあるからだ。
「先王陛下のお言葉、おっしゃるとおりにございます。しかしながら我らは、騎士団長を救い出すためにもゆかねばならないのです!」
「それが、先ほどの悪巧みにつながると。ならば問おう。このように無計画な出撃で、本当に事をなせると思うてか?」
ぐ、と唸り、ディートリヒは返す言葉に詰まった。
それが無茶を含んでいるということは、誰よりも彼が一番よくわかっているからだ。
アンブロシウスはふむ、と一息おくと、先頭のディートリヒをはじめとして残る全員をゆっくりと見回す。
そして、表情を険しくして口を開いた。
「騎士が戦いに赴くならば、それは必ず成功させねばならぬ。ゆえに! まずは“根回し”から入らんか! なんと嘆かわしいことか、まったくもってやり方がなっておらぬ!」
「は、申し開きのしだいも…………んへ? 先王、陛下?」
てっきりと動かないよう命じられると思っていたディートリヒは、驚いて顔をあげた。
そこには、してやったとばかりに歯をむき出しにした笑みを浮かべる、アンブロシウスの姿がある。
それはまるで彼の孫のような振る舞いであったが、これはむしろ孫のほうが彼に似たのであろう。
「聞け、騎士たちよ! これから臨むは攻め戦である! 向かうは魔の森ボキューズ、これこの上なき難敵よ。たかだか一度覗いただけでは、その全容は杳として知れぬ。ただ、あのエルネスティを墜とすほどの魔が潜むのは確かであろう。血気に逸って飛び出たところで、勝利などおぼつかぬ!!」
アンブロシウスの視線が、呆然としたままの
「おぬしらが、此度の首謀者であるな」
言うなりアンブロシウスは彼らの前までやってくるや、床にどかりとあぐらをかいた。
仮にも先代国王ともあろう人物が、地べたにだ。ぎょっとする周囲に構わず、そのまま一方的に宣言する。
「皆、好きに座るがいい。これより、講義を開くぞ」
話の脈絡を掴みかねて、騎士団が混乱に包まれる。
「戦だ。ならばぬしらはこれより将となる。兵の多寡など関係ない、戦を起こすと望んだものが将たるのだ。あのいたずら坊主を連れ戻しに、征くのであろう?」
口の端をつりあげて、アンブロシウスは問いかけた。
「いずれ難き遠征よ、なれどなさねばならぬ。しかしながらぬしらはまだ若く、稚い。ゆえにこの老骨が、少々教えをくれてやろうぞ」
ディートリヒとエドガーは一瞬顔を見合わせたが、すぐさま先王の前に進み出ると、頭を下げる。
「は! お願い申し上げます」
「くくく……しかし魔の森への攻め戦か。
二人は同時に口を開く。
「お止めは、いたしませんが」
「かか! されど暴走は未熟者のみの特権である。まぁ、それにだ。陛下の手前、わしがむやみに動くものではないのだ。しかし、おぬしら! 王城にのりこんで、陛下に面と向かって歯向かうとはな。阿呆どもめ、お前たちが暴れまわるゆえ陛下も舵取りに難儀されておるではないか」
「……それは、申し訳なく思っております。ですが……」
またも、二人は言葉に詰まる。
それを片手で流して、アンブロシウスは懐から取り出した一束の書面を放った。
「言いたいことはわかっておる。しかしよく覚えておけ、王ともなれば人の無軌道を許してはおけぬし、軽率な振る舞いは許されぬ。それにまさか、何も動いてはおらぬと思うたか」
二人はことわりを入れ、それを拾い見るやすぐに目を剥いた。
「これは、調査隊の第二次編成計画……!?」
「ごく一部の者しか知らぬことである。陛下とてみすみすあれを見捨てるはずがなかろう、はやまりおって。しかし此度の失敗は、多くの者の熱意に水を差したのも確かなこと。我が国とボキューズの縁は、一度で解きほぐせるほど浅くはない。やはり、急いてはならぬことであったのだ」
髭をさする先王に、書面から顔を上げたディートリヒが声を上げた。
「……陛下のお心も知らず、恥じ入るばかりです。しかしながら私どもには、あまり時がありません。のうのうと待っていることは、できないのです」
そこに意見を曲げない強情さを感じ、アンブロシウスは苦笑を浮かべる。
「無為に逸るなというておるではないか。紫燕騎士団が戻ってきた時点で、十分すぎるほど時間が流れておる。いまさら焦る必要がどこにあろう」
エルネスティが墜ちた時より、すでに二月。
その生還を信じてゆくならば、ここで焦って数日を惜しむよりも、それだけ準備を整えたほうがよい。
「幻晶騎士も、人間も、多くのモノを喰らう。勝利を願うならば、準備こそ怠ってはならん。動くからには、必ず勝利を掴め。そのためにこそ、今は積み上げねばならぬ時だ」
言いながら、アンブロシウスは笑みを浮かべる。それはかつて獅子のごとくと謳われた、猛将の貌であった。
「確かにエルネスティの重要さは、いまさら言うようなことではない。ここで失うことなど論外である。しかしお前たちもまた、得がたく失うわけにはいかぬ、我が国の宝である。この戦、ただ征くだけで済むものではない」
先王の表情が、ふと和らぐ。
「全てを成功させるためには、いくら備えようとも足りぬ。そしてな、物を揃えようと思うならば、持っておるもの、出してくれそうなものへと頼むのだ。エルネスティは身勝手であるし酔狂極まってもおったが、あれでなかなか交渉も得意としておったぞ」
エルネスティは趣味人であると同時に、プレゼン大魔王でもある。
喋っている内容はただの愛でしかないが、それを相手に納得させるためには手間も努力も惜しまない。その圧倒的な熱意が、これまでにも多くの人間を動かしてきた。
ただ問題なのは、国王や大貴族を相手にしても臆せず交渉するような真似が、彼以外の者に簡単に務まるものではないということだ。
「は、はぁ……。その、騎士団長閣下の偉大さを再認識するしだいです」
「ふむ。本来ならば、そこから叩き込んでやりたいところではあるがな……まぁ、時が惜しいのも確かである。のぅ?」
意味ありげに問いかけた先に、一人の老人がいる。
彼は
銀鳳騎士団に、ざわめくように驚きが広がる。その人物の名を、彼らはよく知っているからだ。
「ディクスゴード、公爵閣下……」
クヌート・ディクスゴード“前”公爵は顔を上げると、ゆっくりと首を横に振った。
「陛下が退位なされた折に、私も爵位を息子に譲った。今の私は、ただのしがない老人にすぎん」
その台詞とは裏腹に、彼の雰囲気は決して古錆びてなどいない。
相対するものを両断せんばかりの鋭利さに満ちていた。現役であるといわれても、なにひとつ疑うことはないだろう。
「先王陛下のおっしゃるとおり、エルネスティを失ったことにより、ボキューズへと乗り出そうとしていた熱意は大きくくじかれた。それ自体は……私は、悪いことではないと考えている。まだ時期尚早であると」
前公爵も、その考えはアンブロシウスと大きくは違わない。しかし、と前置いて彼は言葉を続けた。
「それは今だけのこと。いずれ来るべきときに備え、エルネスティは欠かすべからざる人間だ。必ず、連れて帰ってこい。そのために必要な物は私が用立てよう。何しろ“あの時”より、そういう約束であったからな」
少々間抜けな表情を見せていたディートリヒとエドガー(変化がわかりづらいが、親方も同様だ)は、ややあって頷く。
「……前公爵閣下もやはり、エルネスティは無事であるとお考えなのですか」
「そも、この程度であれが死んでくれるとも思わん。幻晶騎士を失った? ボキューズに墜ちた? だからどうだというのだ。あれならば、魔獣の血肉をすすってでも生き延びているだろう」
酷い台詞ではあったが、その光景が容易に想像できすぎてディートリヒやエドガーは深く同意していた。
イカルガとはエルネスティのもつ力の象徴であり、確かに最大のものではあったが、決して唯一のものではない。
エルネスティという人間そのものが、あの小さな体に溢れんばかりの意志を詰め込んだ恐るべき力の塊なのだから。
それがひとつ目的に向かって動き出すとき。いったいどれほどの勢いを生み出すものか、それはこの場にいる誰もがよく知っている。
そうすると、ディクスゴード前公爵の背後から、もう一人の人物が現れた。
「私も、少しだが力を貸そう」
「セラーティ侯爵閣下まで」
ヨアキム・セラーティ侯爵。彼の領地はボキューズ大森海にほど近い場所にあり、広大な穀倉地帯を持ちフレメヴィーラ王国の食料庫の役目を担う。
古くからボキューズ大森海と関わってきた彼であるが、森への進出には慎重派であったはずだ。
「彼には色々と世話になっている、少しでも返しておかねばな。それに……もう一人、助けねばならぬ者がいる」
それとは別の意味で、彼はこの遠征に頼むものがある。
エルネスティとともに、アデルトルートも消息を絶っているからだ。彼女と侯爵家の関係は騎士団の中でも知るものが少なく、僅かに疑問が広がる。
しかし理由はわからずとも、その助力は今の銀鳳騎士団にとって非常に頼もしいものであるのは確かだった。
「銀鳳騎士団よ」
そうして心強い味方を得、奮い立った銀鳳騎士団へと先王が言葉をかける。
「この戦いの意味は、よくわかっておる。しかし敵は魔の森。騎士であるまえに
ディートリヒが、エドガーが、騎士たちが一斉に頷いた。
こうして、銀鳳騎士団は今再び魔の森への遠征に向け、動き出したのである。
それからしばらくの時が過ぎ、オルヴェシウス砦の周辺には大規模な船団が出現していた。
名だたる貴族であるディクスゴード公爵家とセラーティ侯爵家、その両家からの支援があれば、それだけで前回に匹敵する物資を揃えられる。
さらに両家からは飛翔騎士までも借り受け、戦力も十分にそろっていた。
加えてイズモには、砦にあった物資を限界まで詰め込んである。まさしく、空飛ぶ銀鳳騎士団そのものだ。
戦装束を身にまとい、集まった騎士の前にアンブロシウスが立つ。
短い間ではあるが、彼が教えを授け鍛えた騎士たち。元より、これまでに厳しい戦いを潜り抜けてきた猛者ぞろいだが、その表情は今までに増して自信と熱意に満ちていた。
先王は満足げに頷くと、高らかに告げる。
「征け、銀の鳳よ。あの我がままを連れ戻してくるがいい!!」
「御意!」
こうして多くの者の協力を得て、銀鳳騎士団は動き出す。行き先は、魔の森ボキューズ。
エルネスティとアデルトルートが無事であると信じ、彼らを取り戻すために騎士団は戦いへと赴く。その先にいかなる困難が待ち受けているのか、それを知る術はない。
だが騎士団には微塵も恐れる気持ちはなく、飛翼母船イズモは先陣をきって突き進んでいったのであった。
◆
――時は、そこから数ヶ月前へと遡る。
イカルガが蟲型魔獣の司令塔である赤い魔獣を倒さんとし、そしてあえなく地に墜ちた、あの時だ。
かろうじて無事に大地へと辿り着いたイカルガへと追いすがるかのように、蟲型魔獣の死骸までもが落ちてくる。それは落下の衝撃でぐしゃりと潰れると、周囲へと体液を飛散させた。
生命の灯が消えたために、その巨体を支えていた魔法も失われている。躯体は脆く、内容物はあっけなく撒き散らされ、そして一気に気化を始めた。
それは猛烈な勢いで
最高の推力を誇るマギジェットスラスタが機能を失った今、さしものイカルガも死の雲から逃れる術はない。
「最悪ですね! 速く脱出しないと、このまま溶かされてしまいます」
そうして、エルネスティはイカルガを走らせようとし。しかし、数歩も進んだところで膝をついた。
「なんてこと。いけない、
彼は、自らを守るために出力系の吸排気は閉鎖していた。
しかし幻晶騎士の躯体は、完全に密閉されているわけではない。酸の雲は自由にその内部へと侵入し、まず結晶筋肉へと被害を与えていたのである。
イカルガをはじめたとした新世代の幻晶騎士は、結晶筋肉を
まさか腐食性大気の中で活動することなど想定外もいいところであった。
さらにまずいことに、結晶筋肉の喪失はただ駆動系への損害だけを意味しない。
何しろ幻晶騎士の
この最悪の状況において、いままで想像だにされなかった幻晶騎士の構造的弱点が、露呈してしまったのである。
立ち上がることもままならず、軋みをあげるイカルガからボロボロと
同時に
状況は、加速度的に悪化してゆく。
魔力が失われたということは、イカルガの躯体を強化していた強化魔法の維持に問題がおこるということである。
悪くしたことに、腐食性大気を防ぐため炉への大気吸入は閉じている。イカルガを最強たらしめていた圧倒的な魔力供給すら、今は失われているのだ。
イカルガの崩壊は止まるところを知らず。最強を誇った幻晶騎士も、すでに指一本、機能の一つも動かすことができない。
ただこのまま、座して崩壊しきる時を待つばかりだ。
「……動けない。どころか、もうまともな形が残っているかどうかすら疑問です。しかもこれでは、外にも出れません」
周囲は腐食性の大気に包まれている。エルはそれが強力な毒性を伴っていることまでは知らなかったが、どちらにせよ酸に焙られるとなれば結果は同じようなものだ。
彼はここから逃げ出すことすらできない。崩壊が操縦席まで達したとき、それが、彼にとっても最期となる。
「…………はぁ。もう、ここまでなのかな。とても残念ですね、イカルガ。もっと、まだまだ、ずっと。あなたと一緒に暴れて回りたかったのに」
エルは長く息を吐くと、ゆっくりとシートに身体を沈み込ませた。そのまま
「でも、最後まであなたと一緒にいれて良かったです。一度は死んだはずの僕ですし、今度はロボットの操縦席で死ねる。それだけが幸いですね」
完全に酸の雲に包まれ、イカルガも最期を待つばかりとなった今、彼にできる抵抗はない。
いずれ、この
エルネスティ・エチェバルリアは
――だが。
たとえエルが最期を認めたとしても、それを絶対に容認しない者が、いる。
彼の感傷的な決意を撃ち抜くかのように、天空より数条の光弾が飛来する。
法撃は、一度だけではなかった。連続して、何度も、執拗とすらいえる勢いで法撃が加えられる。
それは、下手をするとイカルガごと吹き飛ばしかねないほどであったが、法撃の主は一切遠慮する気がないようだった。
ついにイカルガの周りにあった酸の雲は吹き飛ばされきって、ぽっかりと雲に穴が開いた。
そこをめがけて一直線に翔ける、半人半魚の騎士の姿。
「エル! 君を!! か! え! せぇぇぇぇ!!」
アデルトルートの駆るシルフィアーネだ。
マギジェットスラスタを限界まで噴かし、
まるで地面に追突せんばかりの勢いで、空白めがけて突っ込んでゆく。
「見ぃぃっけたっ!! いけぇぇぇっ!!」
彼女はもうほとんど残骸と化したイカルガを見つけるや、今度は急減速をかけた。
源素浮揚器にエーテルを供給しつつ、
その際に、彼女は機体に装備された
長く銀の光を曳きながら、牽引索が飛翔する。
それは先端部に鋏状の部位を有しており、物を掴むことができる。アディの操作に応えて自在に宙を翔け、ぼろぼろになったイカルガの元へと辿り着いた。
そのまま脆くなった胴体装甲に食い込み、強固に固定する。
シルフィアーネは上昇に転じながら牽引索の巻き上げを始める。それによってイカルガの胴体が持ち上がり、急速に雲の中から脱出していった。
アディは会心の笑みを浮かべるが、しかしそれもすぐに曇り模様へと転じる。
「あ、ああっ!? ……ダメェッ!!」
上手くいったかに見えたのも、そこまでだった。
確かに、法撃によって周囲の酸の雲を吹き飛ばしは、した。しかしそれは完全ではなく、そこにはまだ薄く雲が残っていたのだ。
希薄な酸の雲であっても、牽引索とつながる脆い
ぶちりぶちりと銀線がちぎれてゆくのを目にしたアディは、シルフィアーネの機体をしならせ、急速に旋回する。同時に、源素浮揚器のエーテルを再び放出して下降へとうつる。
その時、最後の牽引索がちぎれ、イカルガの胴体が空中へと投げ出された。
「逃がさないからぁっ!!」
シルフィアーネが加速を全開にして、イカルガの胴体めがけて体当たりを仕掛ける。それが再び酸の雲の中へと落ちる前に横合いからシルフィアーネが突撃し、がっしりと取り付いた。
アディはそのまま、安全な高度まで上昇しようとしたが。
「あ、上がらない!? どうして!? シーちゃん、もう少し! 頑張って!!」
下降は止まらず、シルフィアーネは地上をめがけて落下を続ける。
彼女はあずかり知らぬことであるが、これは
この機器の原理は、十分な量の高純度エーテルを供給することにより
それが急激に繰り返しエーテルの供給排出をおこなうと、器内のエーテル密度は不安定になり、結果として十分な浮揚力場を形成できなくなる。
浮揚力場の助けがなくば、空戦仕様機は空にとどまれない。シルフィアーネは、まさにその状態に陥っていた。
幸いにもイカルガに追いつくために相当な加速をしていたこともあり、シルフィアーネは酸の雲につっこむことはなくその範囲から飛び出ていた。
しかし安堵には程遠い。なにしろ高度は落ち続け、もはや地面を目前にしている。
飛翔騎士は、推進器と鰭翼の力だけでは上昇できない。見る見るうちに近づく大地を前に、アディは覚悟を決めた。
彼女はシルフィアーネを動かし、さらにしっかりとイカルガを抱きかかえさせる。それから一拍、息を整えて。
「シーちゃん、お願い……! エル君を、護って!!」
機内に残った
「ごめんなさい!」
直後に、アディは
一瞬で機体の背面にある操縦席が分解し、圧縮大気が彼女を空中へと射出する。
脱出は、機体に乗る前に嫌というほど訓練を重ねたところだ。
彼女はすぐさま
ちょうどその頃、シルフィアーネは地面に達しようとしていた。
直前に背面飛行にうつっていたために、シルフィアーネはイカルガの胴体をかばうようにして大地につっこむ。勢いのままに木々をへし折りガリガリと地面を削りながら、土煙を噴き上げて滑走していった。
躯体から装甲が吹き飛び結晶の破片が散り、聞くに堪えない異音が周囲に鳴り響く。
そうとうな勢いのまま地面に激突したのだ、機体は粉々になってもおかしくはなかった。
しかし土煙の先で、シルフィアーネはイカルガの胴体をしっかりと抱えたまま、なんとか停止しきったのである。
エーテルの不安定化により浮揚力場を失った浮揚器であったが、最後の強制的なエーテル供給により、ほんのすこしだけ力場を取り戻していた。
結果的にそれが緩衝材の役割を果たし、機体の損害を軽減したのである。
とはいえ、鑢の上を進むように地を走ったのだから。その損害は深刻で、撃墜されたのとほぼ変わらない有り様であった。
特に最初に突っ込んだ背中から上半身の被害が深刻で、おそらく
さらに下半身も無事ではなく、あちこちから虹色の光が噴出していた。
衝撃で源素浮揚器が損傷し、内部のエーテルが漏れ出している。もはやシルフィアーネは空へ舞う、その機能を果たさない。
だが、その腕の中には。
身を挺して護りきったイカルガの胴体を、誇らしげに抱えていたのだった。
アディは
そのまま甲冑を降りるのももどかしく、腕の中のイカルガへと駆け寄った。
彼女は胴体へと駆け上がろうとして、イカルガの損傷の酷さに動揺する。
外装がほとんど失われている上に結晶筋肉までも溶かされ、金属内格がむき出しになっていた。それは雨ざらしになった骸を想起させる、おぞましさすら漂う様相となっている。
しかし彼女は首を振って、浮かんだ嫌な想像を振り払った。
その目的はイカルガそのものではない。どれほど機体がボロボロでも。頑丈に作られている胸部装甲が残っている以上、“中身”が無事である可能性はあるのだから。
彼女はイカルガの残骸を駆け上がるや、酸に灼かれて歪んだ装甲をガンガンと叩く。
「エル君! エル君! 大丈夫!? 生きているの!? お願い、返事をして!! ……ええいもう! 邪魔ね!!」
呼びかけるも、すぐに面倒になったらしい。やにわに銃杖を抜くと、躊躇なく魔法をぶっ放した。
脆くなった胸部装甲は
森に射し込む光が、操縦席の中を照らす。
アディが覗き込むと、その奥、座席の上で目を閉じて身体を丸めたエルの姿があった。
一見したところ傷があるようには見えない。しっかりと無事を確かめようと、アディは身を乗り出し。
「エル君、お願い生きてい……うわぷっ」
顔面から、弾力を感じる透明な何かにぶつかり、エルの手前で押しとどめられた。
アディはすぐさま、その正体に気づく。それは“
それが、ここにあるということは。
アディが圧縮大気の塊にべったりと張り付いて見守っていると、それはゆっくりとしぼみ始めた。
ぺたりと座り込んだ彼女の前で、エルが目を開き、もぞもぞと動き出す。
「……ううむ、酷い振動でした。あれは、アディが? 助けてくれたのですね。でも危うく挽肉になるところでした……よ……と」
言い終わる前に、アディが飛びつくように抱きついてきた。
手加減なしに抱き締め上げられて、エルの口からぐえ、と奇妙な声が漏れる。
「よかった……エル君、生きてる。生きてる……! エル君、エル君……!!」
「ぢょ、ちょっと、苦しい。大丈夫、僕は大丈夫です。だからもう少し、力を抜いて、死ぬ……」
ぐすぐすと涙をこぼし、アディががっしりとエルを抱きしめるたびに潰れたカエルのような音がする。
結局、それから彼女が落ち着くまでにしばしの時間を必要とした。
「ふぅ、止めを刺されるかと思いました……」
「ううう、エル君、エル君。もうダメかと思った。間に合った……。うう、ふわふわさらさらして気持ちいいようへへ」
力は緩めたものの、エルを放すつもりはまったくないらしく。がっしりと抱きしめたまま、撫でたり頬ずりしたり忙しくしている。
時折、エルの頬を零れ落ちてきた雫がぬらす。エルはアディを抱きしめ返すと、あやすように髪を撫でた。
「大丈夫。僕は、生きていますよ。アディが、助けてくれましたから」
「うん……」
「しかしアディ、船を護れとお願いしたのに。結局、ついてきてしまったのですね」
「だって!!」
アディは抱きしめる力を緩めると、しっかりとエルの瞳を見据えた。
「船は護れても、エル君が! 一人で……っ! あの、まま、イカルガ墜ちるし……」
言いながら色々と思い出したのだろう、どんどんと涙があふれ始めてくるのを見て、エルは眉根を下げる。
「おかげで、助かりました。ですが、一歩間違えばアディまで危険な目に遭っていたのですよ」
「そんなの関係ない! エル君がいなくなって、一人で残されるくらいなら、一緒に死んだほうがましよ!」
彼は降参し、ついに長い溜息をついた。
「これは、僕も迂闊には死ねませんね。これからは気をつけないと」
「そうよ! 絶対に許さないから!!」
結局、泣き出してしまったアディの耳元で、エルがそっとつぶやく。
「……アディ。ありがとう」
そうして、その頬にそっと口づけしたのだった。
アディはぴたりと泣き止んだものの、そこには非常に不満げな表情が浮かんでいた。
じっとりとエルを見つめ、無言で何かを要求する。
「……ええと?」
「足りない。もっとじっくりがっつりキスしてくれるまで、許さない」
エルは苦笑を浮かべると、そのまますっと顔を近づけ。
彼女の唇を、塞いだのだった。
多少のすったもんだがあったものの、二人はようやく外に出る。
改めて、骸と成り果てた二機を見上げて、彼らは無言で佇んでいた。
片や地面に突っ込み破砕され、片や酸に溶かされ原形も止めていない。主を護るために、あるいはその命を果たすために全てを尽くした機械たち。
やがてアディは振り返り、周囲を見回した。鬱蒼と茂る森の中に、シルフィアーネが滑走した跡が一直線に残る。
それ以外にあるのは、どこまでも広がる山野と森林。人の営みは、ここには存在しない。
「これから、どうしよう……」
戦いが終わり、空は静けさを取り戻していた。
騎士団の飛空船は、既にこの場所を離れた後だろう。蟲型魔獣とはちあわせする危険を冒してまで、戻ってくるとは考えていなかった。
つまり彼らはたった二人で、魔のボキューズ大森海に取り残されてしまったのである。
それを理解したところで、アディは我知らず寒気を覚えた。
これまでにあったどのような戦場でも、彼らはライヒアラ騎操士学園の、後には銀鳳騎士団の仲間と共にあった。ここまで孤立無援になったことはない。
「…………」
その間、エルは一言も口を開かずにじっとイカルガの残骸を見つめていた。
アディは寄り添い、何か声をかけようとして、迷った末に口を閉じる。エルがイカルガを作るためにかけた想いと労力を考えれば、どのような慰めも無駄であるような気がしたのだ。
「ふふっ。ふふふ、あはは、はははははっ」
そうして迷い悩む彼女の耳に届いたのは、何としてか笑い声だった。
アディはぎょっとする。さしものエルも、イカルガを失ったのが相当に堪えたのか。
「あはは、はは! ……よし、やはり滅ぼしましょう」
しかし彼の台詞は、素晴らしいまでに脈絡がなかった。
「あの蟲の魔獣……。おそらくは魔獣の外殻を溶かすために、あの強い酸性の体液を得たのでしょうけれど。
聞きようによってはひどく傲慢な言葉だ。しかし相容れることのない存在である以上、どちらかが滅ぶしか道は残されていない。
ならば彼は、間違いなくそれを実行するだろう。
「なんとしても根絶やしにしないといけません……が、肝心のイカルガもシルフィアーネもこの有様。戦力の不足も甚だしい、いけませんね。これはまず、修理が先決です」
ぶつぶつと、彼はこれからの行動指針を指折り数えてゆく。
「さて、国許に帰還して改めて回収に赴くのと、この場所で僕たちだけで修理を目指すのと、どちらが早いでしょうか。どう思いますか? アディ」
「ほへっ!? え、えーと。いきなり状況が厳しすぎて、わかんないわよ」
「それもそうですね……僕たちには、この場所についての情報があまりに少ない。まずは偵察と、安全の確保から始めましょう。アディ、ここから持ち出せるだけのものを、かき集めますよ」
「あ、えっ? う、うん」
先ほどまでの感傷を微塵も感じさせない、エルのテキパキとした動きを見て、さしものアディも唖然としていた。
本当に現状を認識しているのだろうかと、心配になるほどの前向きさだ。
「エル君は、怖くはないの? ここはボキューズの真っ只中なのよ? 魔獣だって、どれくらいいるかわからないのに」
「ええ、怖いですね……僕たちが倒れ、イカルガとシルフィアーネがここで朽ちるようなことになるのは、とても怖いです」
しかしエルの危惧する問題は、どうにも観点が異なっていた。目的がすべて幻晶騎士へと帰結する狂人にあっては、前提条件があまりにも異なっている。
「では、学園で習ったことを思い出しましょう。団からはぐれた場合の心得は? 生き残るすべは? 色々な演習をこなしてきましたよね」
「ボキューズのど真ん中に二人って状況は、ちょっと考えられてないかも」
魔獣ひしめく魔の森に投げ出され、幻晶騎士は破壊され味方に助けられる可能性も低い。普通に考えれば、間違いなく死が待っている状況だ。
絶望に足を止めるだろうか。苦悩に倒れ伏すだろうか。恐怖に凍りつくだろうか。
「それにこれからイカルガを修理するまでに立ちはだかる問題は。ちょっと考えただけでも大きな困難がいっぱいありすぎて困ってしまいます。その中で……」
すらりと腰から銃杖を抜き放つ。鈍い輝きを放つ刃を見つめ、にぃっ、とエルは笑みを深めた。
「“斬って撃てば斃せる”問題なんて、些末事に過ぎません。そうは思いませんか?」
「エル君が恐ろしいくらいに前向きすぎる……」
そう、エルは再び動き出した。
そこに至るまでに、果て無き苦難があるとしても。目的を定めてしまったエルネスティ・エチェバルリアが、歩みを止めることはありえない。
何しろ彼は、死んですら治らなかった狂人なのだから。
「というわけでまずは生活の基盤から。どこか、僕たちのねぐらに出来る場所を探さないといけませんね」
その時、衝撃がアディの全身を貫いた。
「……こ、これは……! もしかしてしばらくの間、エル君と二人っきりで甘い生活!? 私も、もりもりと頑張れる気がしてきたわ!!」
人のことを言えたことか、アディはアディでエルに引けをとらないくらいには、変わり者なのであった。
それから二人はイカルガとシルフィアーネの残骸をくまなく調べ、そこから持てる限りの物資を持ち出した。
幻晶騎士には緊急時にそなえ、いくらかの物資が積まれるのが通例だ。幸いにもイカルガもその例外ではなかった。
シルフィアーネの場合は降下甲冑が脱出機構を兼ねていることもあり、最初から安全に持ち出せている。
少量の薬類、毛布や簡単な調理器具。そして保存食。ひとまず、すぐさま飢える心配はない。
次に、戦力の確認だ。いうまでもなく、二機の幻晶騎士は完全に壊れている。
そうなると、この場に残る最大の戦力はアディの降下甲冑ということになる。うらやましそうに降下甲冑を眺めるエルに、アディは渡そうかと言い出したのだが。
「甲冑は、そのままアディが使ってください。どの道、大きさの問題で僕には合いませんし……」
降下甲冑は専用というほどのものでもないが、ある程度は搭乗者の体格にあわせてある。
飛びぬけて小柄なエルが乗るためには、特注しなければならない。彼は、イカルガを失ったときよりも悲しそうであった。
そうして彼が持つ武器は二本のウィンチェスターに、腰に付けた数基のワイヤアンカー。
機械が足りない、という思いが脳裏を過ぎったものの、すぐに頭を振って追い出した。
「ひとまず、水源を確保しましょう。確か上から見た時に、近くに川があったはずです」
かさばる荷物は、まとめて降下甲冑に括りつけて運ぶ。
そもそも、このように投げ出された後の助力となるべく作り出された機体である。図らずも、彼ら自身がその目的を存分に発揮することになった。
そうして準備を整えた二人は、森の中へと歩みだしたのである。
下草を嫌い、木々岩々を飛び移りながら、エルはすん、と鼻を動かした。
あたりをつけて探してみれば、視界の中でガサガサと動くものをみつける。
「……いた。逃がしませんよ」
木々の間を器用にすり抜けて走るそれは、兎に似た獣であった。
彼は飛び出すや
獣もかなり足が速かったが、高速機動の申し子から逃れるまでは至らない。
エルは、追い抜きざまに首元へと斬りつけた。
狙い通りだ。獲物を仕留めた彼は、そのまま木にぶら下げて血抜きをおこなう。
そんな調子で数匹の獣を狩り集めると、満足して引き返していった。
仕留めた獲物を銃杖に吊り下げながら、軽やかに森を抜ける。
木々が生い茂る場所から離れ、岩がちな地形が広がる場所に入ったところに、目的地はあった。
「アディ、ただいま帰りました。今日の夕食をとってきましたよ」
「はーい。お帰りなさい、あ・な・た」
彼の声を聞きつけるなり、そこにあったテントからアディが出てくる。
彼女は、何故だか妙に上機嫌である。
「さっさと捌いちゃうわね。エル君は火の用意をしてくれる?」
「ええ、はい……。時にアディさん? どうしてそんなに楽しそうにしていらっしゃいますか」
「だって、エル君が帰ってくるのを、家で待っているんだから……そりゃあもううへへへへへ」
「ここは周囲の探索を安定しておこなうための、仮の宿ですよ。まさかこのまま定住はしませんからね」
本末転倒を疑うエルに、アディもわかってるわかってると頷いたものの、その様子はどう控えめに見ても舞いあがっていた。
ひとまず変に落ち込むよりはいいかと、エルも止めないことにした。
とってきた獲物を渡すと、エルは集めておいた枯れ木を持ち出す。
そこに爆炎の基礎魔法を用いて火をつけた。魔法現象を利用すれば、火種は無制限に手に入る。
しかし必要な熱量を全て魔法のみで補うのは、無意味で手間ばかり多い。燃料としての木は必要だ。
彼らが森の中を彷徨い始めてから、はや一週間ほどが過ぎた。
幻晶騎士のもとを旅立ってから後、彼らは早々に川を発見していた。それからは川に沿ってさかのぼりながら拠点を移し、こうして食料は適度に狩り集めながら暮らしている。
彼らの拠点となっているのは、アディの降下甲冑だった。
関節を固定した機体を骨組みとして、幌布をかけて簡易のテントとしているのである。いざとなれば、幌布を畳んでそのまま移動できるという、優れものだ。
「降下甲冑があるとはいえ、アディにばかり荷を持たせてしまって申し訳ない」
「大丈夫よ! 今はこの子が私たちの家みたいなものでしょう? 私たちの家……しっかり守っていくから!」
と、アディはよくわからない理由でやる気に満ち溢れているようで、エルはツッコミを諦めた。やる気があることは大切なことだ。
この日の夕食は焼いた獣肉と、潰した木の実や野草の煮物になった。
食料などは極力森から採集しているため、だいたい毎日こんな感じだ。
「このあたりには食用肉にもなる獣がいて、助かりましたね」
「調味料とか持ち合わせが少ないし、香草まぶして焼くくらいしか出来ないのが残念ね」
色々と不自由な環境ではあるが、そこはアディが存分に腕を振るっていた。
彼女の料理の腕は、なかなかのものである。
用意された料理をエルが食べていると、なぜかニコニコとしてそれを眺めていたりするが、やはり好きにさせていた。
そんなこんな、あてどもない旅路。
人間は自分たちだけで、周囲にはうねるような脅威の自然のみがある。圧倒的なまでに狭い、彼らの安全と領域。気を抜くと、木々の間に飲み込まれそうな気分になる。
フレメヴィーラ王国の騎士は、教育の過程において森の中で生き残る術を教えられる。
それでも、ここまで先の見えない状況など、想定されてはいない。
しかし彼らは、着実に森での生活に順応していた。
そこには、たった二人で魔の森に取り残されたという悲嘆は、ない。
普く周囲が致命の危険に溢れているという絶望も、ない。
その程度で心が折れるならば、エルネスティ・エチェバルリアはこのようなところまで辿り着いていない。彼は常に行き過ぎているのだから。
さらに言えば、個人としては戦闘能力に恵まれた彼らである。決闘級以上の魔獣など、ある程度の危険にさえ注意すればいい。
結果として、魔の森の中で、彼らは思いのほか図太く生活していたのである。
自作の地図に情報を書き記しながら、彼らは森の中を進み続けた。
そしてある日、ついに“ソレ”と、出会うことになる。
森の中を進んでいる時、ふとエルが立ち止まった。
彼は周囲に耳を澄ますと、そばの木に駆け寄る。そのまま張り付いてじっとしていると、彼の体に微かな振動が伝わってきた。
「……遠く、重い。おそらく決闘級以上の魔獣ですね」
「また、避ける?」
「基本は。ですが、居場所は掴んでおきたい、木の上から探しましょう」
決闘級魔獣など、本来は幻晶騎士をもたぬ生身の人間にとっては、致命的な存在のはずだ。
しかし二人の戦闘能力は、ちょっと人間離れ気味である。彼らにとっては対処できない相手ではない。ただ、手間がかかるばかりなので避けた方が得策なだけである。
エルと降下甲冑を着込んだアディは、手早く近くの木に登る。
そうして視界を確保すると、注意深く周囲を探った。やがて、彼らの視界に巨大な何かが動くようすが映る。
重い足音を響かせながら、森の中を歩み進む二体の巨大生物。大きさは彼が想定したとおり、決闘級に分類される程度であろう。
しかし彼らは息を呑み、驚愕に目を見開いた。
木々の間に見えた、巨大生物の姿。何しろそれらは――巨大な、“人型”をしていたのだから。
「嘘っ、こんなところに幻晶騎士が!?」
「……いいえ。いいえ、違います。何かがおかしい。まさか、あれは……!」
それらは、馬鹿馬鹿しいほどに巨大な獣の頭骨を“被って”いた。その大きさからして、決闘級以上の魔獣の骨を用いたものと思われる。
同様に、身体のいたるところに魔獣の皮革や甲殻を加工したと思しき“装備”を身に付けていた。
それだけならば、まだ風変わりな幻晶騎士といえなくもない。
しかし決定的な、違いがあった。
ぎょろりぎょろりと濡れた一つ瞳を巡らせ、口元からは熱く、湿った息を吐き出す。
部分的に剥き出しになった手足は、脈打つ生々しさと肉の質感を有している。
そうだ、この巨人は生きている。人の手によって作られた機械の巨人ではない、正真正銘本物の、“生きた巨人”なのだ。
「……巨人。幻晶騎士ではない……生きた、決闘級の、巨人!!」
その認識は、エルをして戦慄を与えていた。
彼がこの世界に生まれついて、はや十八年。これまですごした時間から、魔法の力を利用した巨体を誇る魔獣の存在には、慣れきっていた。
それから考えてみれば、確かに不思議なことではない。
ただの獣が巨大化するならば、その中で人型の生物が巨大化する可能性は、多いにあったのだ。
しかし彼らは、これまで人が作り出した機械の巨人を、兵器として扱ってきた。
彼らにとって巨人とは人類がもつ最高の武力、幻晶騎士に他ならない。
それだけに、目の前の生きた巨人という存在は、恐ろしいほどの違和感を彼らに与えていた。
「そんな……巨人が存在するなんて。だ、ダメよそんなの……」
混乱し、不安げに震えるアディの手を、エルがしっかりと握った。彼は小さく微笑みかけると、次にしぐさだけで巨人を指し示す。
「あの巨人、よく見れば魔獣の殻を加工した鎧を身に着けているではないですか。つまりは工作技術があり、文化があるということ。あるいは、言葉もあるかもしれません」
「……ふぇ!? ええ、そ、そう。で、ええっ!?」
エルはじっと、巨人たちの一挙手一投足を観察している。
大きさゆえに体は重い、それに負けないだけの筋力と、おそらくは強化魔法がかかっている。
手には、主に打撃用と思われる棍棒をもっている。指は五本、人と同じ程度の器用さはあると想定してもいい。
鎧はおそらく魔獣の死骸を加工したものである。骨格、皮革、甲殻といった素材が主で、金属的な部品は見て取れない。
毛皮や飾り羽を用いたと思しき装飾らしき部分もあり、そこから彼らが装飾の概念と文化を持っていることがうかがい知れた。
見れば見るほどに、エルの表情が笑みの形をとってゆく。
「よし! アディ、巨人の後をつけますよ」
「うぇ!? 本気なんだ、エル君」
アディはいやそうに、首を横に振った。
当たり前だ。相手がただの魔獣であれば、どのようなものでも気にならない。しかし幻晶騎士にも匹敵する大きさの巨人――そのような得体のしれないものに近寄りたいと、彼女は思わなかった。
「あの巨人の鎧を手に入れれば……
「いきなりそこ!? ねぇ、生きた巨人だよ。もうちょっとこう、驚きとか、ない?」
何をすんなりと受けて入れているのかと、アディは愕然とした面持ちでエルを見た。
驚きを通り抜けてまず利用法から考えるなど、あまりにもネジがすっ飛びすぎている。
「どれくらいの工作技術を持っているのでしょうね? もしかしたら、鍛冶師などもいるのでしょうか? だとしたら、仲良くなれたら色々と助かると思うのです」
「なさそう!? エル君、心強いというよりもちょっと落ち着いて」
確かに、巨人の鍛冶師がいるならば普通の人間が作業するよりも効率はよさそうである。
だからと言って、未知の巨大人型魔獣(推定)に対していきなり鍛冶作業を頼むなど、正気の沙汰とは思えない。
彼ほどに目的のために手段を選ばない者は、そうはいないだろう。
「確かに巨人とは、脅威の存在です。ですがこのまま二人だけであてどなく森の中を彷徨うよりは、ずっと面白くなってきたではないですか。さぁ、いきましょう!」
未知なる存在を前にしても、エルはどこまでもエルであった。
「これはエル君が、もうダメっぽい」
目的を持ち、さらに手段を見つけてしまったエルは決して止まらない。
アディは早々に諦めると、結局彼の提案に賛同したのだった。そうして二人は、こっそりと巨人の後をつけ始める。
広大な魔の森に紛れ込んだ、小さな小さな異物。
それを取り戻すために、再び森へと進み出た空飛ぶ船。
森に住まう未知なる種族、巨人。
これらの出会いは後に、魔の森と恐れられてきたボキューズ大森海に、未曾有の激震を呼び起こすことになる。
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