#64 鬼神の狂乱
遥か東、遠方にかすむオービニエ山地の背後から、眩い輝きが顔を出した。
燦と輝く朝日を背負い、新生クシェペルカ軍はフォンタニエより出撃する。悠然と空を支配していたはずの
クシェペルカ軍を押さえつけるものは、もはや存在しない。敗北を重ね、溜まった鬱憤を晴らすかのように彼らは意気軒昂に前進する。
しかし、その歩みは速いとはいえないものだった。最新鋭機である“レーヴァンティア”が投入されたとはいえ、彼らの戦力の多くを占めるのは“
そうしてじわりじわりと迫りくる進軍の地鳴りを耳に、動揺に固まっていた黒顎騎士団はようやく正気を取り戻していた。
「か、閣下、ご指示を!」
ジャロウデク軍の最後方に佇む本陣船では、司令室にいる全員の視線が黒顎騎士団の騎士団長へと集中していた。
鋼翼騎士団の壊滅により、彼らの戦術は根底からひっくり返ってしまっている。退くか、迎え撃つか。彼らの混乱に道筋を示すことができるのは、指揮官たる騎士団長だけだ。
じわりと、汗が彼の額を流れ落ちた。本来ならば計画がご破算になった以上、体勢を立て直すべく一度撤退する場面である。しかし、彼はどうしてもその命令を下せずにいた。
ジャロウデク軍最強の騎士団である黒顎騎士団と、史上初の航空戦力である鋼翼騎士団。これほどの戦力を投入しながら瀕死の相手にトドメひとつ刺せずに撤退したなど、そのような報告を持ち帰ることができようか。
さらに言えば、黒顎騎士団の戦力が欠けることなく健在であったことが、話をややこしくしていた。まだ戦うことができる、その事実が彼の思考を捻じ曲げる。
「…………
わずかな逡巡を経て、彼は決断を下す。
本陣船より放たれた命に従い、ジャロウデク軍は旺盛とはいえない戦意をなんとか奮い立たせると、敵を迎え撃つべく動き出した。
大軍ゆえにフォンタニエ周囲の森へは入らず、彼らは平野部に陣を敷いて待ち受ける構えだ。剛健無比なる黒鉄の騎士が
怒号も、鎧の擦れる音もなく、不自然なまでの沈黙があたりを支配していた。森へ向けてじっと槍を向けながら、黒騎士たちは微動だにしない。
粘度の高い時間が流れ過ぎてゆくなか、森の暗がりに鈍い鉄の輝きが現れた。全周囲を“ウォールローブ”で覆った塔のような姿、クシェペルカの主力機レスヴァント・ヴィードだ。互いを視界に収めた直後に交わされたのは、言葉ではなく法弾による攻撃であった。
静けさは一転し、戦闘の騒音が森のざわめきを吹き飛ばす。
「最前列、盾構え前進! やつらを森に閉じ込めるのだ!!」
すぐさま、横列陣を組むティラントーの最前列が前進を始めた。長槍と重厚な盾を構えた、黒騎士の中でも殊更に重装備の騎士だ。彼らは森の奥より湧き出でるように飛来する法弾の嵐を盾で防ぎつつ、力尽くで突き進んでゆく。
ジャロウデク軍の戦術は、己は動きやすい平野部に陣取りながら、敵を動きの制限される森の中に閉じ込めるというものだ。そのために、もとより圧倒的な防御力をもつティラントーにさらに盾を装備させ、完全なゴリ押し戦法で距離をとっていた。強力な遠距離攻撃能力を持つ、塔の騎士への対抗策だ。
法弾の嵐に巻き込まれ、森の木々が粉微塵に吹き飛んでゆく。そんな絶え間ない爆炎の猛威の只中で、ティラントーは前進を続けていた。いかに機体が頑丈であるとはいえ自身を攻撃に晒し続けてなお怯まないその姿に、黒顎騎士団の練度のほどが見てとれる。
ひっきりなしに続く猛法撃により被害を受けながらも、黒騎士たちはついに長槍の間合いに入らんとしていた。塔の騎士は近距離での格闘能力がないに等しい。距離をつめきれば、勝利は彼らのものだ。
「捉えたぞ、クシェペルカの案山子ども! 圧殺せよ、
黒鉄の鎧で法弾を弾き飛ばし、彼らは猛然と走り出す。恐るべき質量を破壊力へと変えた長槍の一撃が、塔の騎士へと襲い掛かった。
激突の音が遠雷のごとく鳴り響き、衝撃がかすかに地を揺らす。
新生クシェペルカ王国の王都フォンタニエ。かつては東方領の領主の館であった城の中で、女王エレオノーラはきつく手を組み真摯に祈りを捧げていた。祈る先は神と呼ばれるものか、あるいは今は亡き父親かもしれない。
喉元に剣を突きつけられたかのような気持ちを抱いたまま、彼女は一睡もせずに夜を越していた。彼女にとっては旧王都デルヴァンクールが陥落したあの夜よりも、長い一夜に感じられた。彼女だけではない、騎士たちも非戦闘員まで含めた誰もが、祈るような気持ちで夜明けを迎えている。
この戦いは新生クシェペルカ王国にとって、まさにぎりぎりの賭けであった。なにしろ作戦のためとはいえ、彼らが心臓たる
彼らがこのような徹底した背水の陣をしいた理由。それらは全て“飛空船を一点に集める”ためだけにあった。
大空を自由に移動することができ、神出鬼没にして強大な戦闘能力を持つ飛空船。開戦当初よりクシェペルカ王国を苦しめ続けてきたそれを排除することは、反撃に移るにあたっての至上命題であり最難関であった。
そんな飛空船を集めるために、彼らがとった方法。それは何も特別なことではない、ただ“餌”を撒いただけである。
血筋は正統ながらも歳若い“新女王が即位”し、“王国の再興”を宣言する。さらに優勢であったジャロウデク王国へ向けて堂々と“宣戦布告”をおこなう――これら全ては正しくジャロウデク王国への“挑発行為”だ。
予想に違わず、ジャロウデク軍は主力を投入しての大軍により侵攻してきた。その中には当然、飛空船を擁する鋼翼騎士団もある。
後は、簡単だ。新生クシェペルカ軍は
勝利のために“敵戦力の大半を集める必要がある”など、戦術的には狂気の沙汰だ。一歩間違えば大戦力に押し潰される結果になりかねない、危険極まりない賭けであった。
ギリギリの状況の中、勝負を決めたのはクシェペルカ側がきった、ある一つのカードだった。
拠点防衛に特化した改造量産機――レスヴァント・ヴィードの集中配備という
相性の問題により黒顎騎士団が余計な被害を受けるのを嫌ったジャロウデク軍は、飛空船を先行させての夜襲を決行した。それこそが、クシェペルカの狙いであるとも知らず。
クシェペルカ王国は賭けに勝った。
空は穏やかな朝焼けを迎え、戦いは大地へと還ってきた。残るのはジャロウデク軍の本体ともいえる、黒顎騎士団との決戦である。
銀鳳騎士団の助力により強力な新兵器が用意されていた空の戦いに比べ、陸の戦いは純粋な力比べだ。その結果は誰にも予想することができない。
「近衛隊の先端が、敵軍と接触いたしました」
「…………そう、ですか……」
祈り続けるエレオノーラの元へとフェルナンドが報告をもってやってくる。
エレオノーラは震える指先を下げると、青ざめた顔を上げた。母国を守る戦だとはいえ、兵士たちに出陣の命を下したのは女王である彼女自身だ。命じることしかできなかったとはいえ、たかが齢十六の少女にとってはどれほどの負担であったことか。
彼女には前線で指揮を取る能力などない。できることといえば、身を切られるような思いを押し殺し勝利を祈ること以外になかった。
「陛下、このままではお体に障ります。戦については我らが采配いたしますゆえ、今はお休みをおとりください」
さすがにその尋常ならざる雰囲気を心配して、フェルナンドがやんわりと彼女を諭した。
年若く、また心労からやつれ気味の女王には、今にも折れてしまいそうな儚さがある。事実として彼女の体調は万全とはいいがたい。戦の最中とはいえ、このまま根をつめて倒れられる方が問題は多かった。
だが、女王はゆっくりと首を横に振る。
「兵の皆が、命をかけて侵略者と戦っているのです。いかに未熟な女王といえ、私だけがのうのうと眠ることなどできましょうか」
意外に強情なところは誰に似たものか。この戦いが続く限りにおいて、女王が心安らぐことはないだろう。
いくらか不安の種を増やし、フェルナンドまでもが祈るような気持ちを抱いて、フォンタニエ郊外の森へと思いを馳せるのであった。
近接戦を挑むべく突撃を仕掛けた黒騎士たちに対し、クシェペルカ軍にも大きな動きが生まれていた。
ジャロウデク軍の構えに似せてか、壁を作るように並んでいた
その中央をうち過ぎて、黄金の輝きが走る。
「はっはっは! 近づかせなどするものか!」
エムリスと“
「おのれ! こいつら、ティラントーとやりあえるのか!?」
金獅子だけではない、その周囲ではレーヴァンティア隊がティラントーに格闘戦を仕掛けていた。近接格闘能力に劣る塔の騎士は、近づけば容易に倒すことができる。それゆえに強引に距離をつめていたティラントー隊は、レーヴァンティアの登場により出鼻を挫かれた。
明らかな欠点を晒した塔の騎士を前面に出すことにより、意図的に敵の動きを誘導する。ジャロウデク軍はここでも、クシェペルカ軍の仕掛けた策略にはまっていたのだ。
突出したジャロウデク軍の穂先が鈍り、突破力が失われる。その間にヴィード隊はゆっくりとした動きで位置を変えていた。真正面から向かい合うような形から、緩やかな包囲の形へと。
金獅子に率いられたレーヴァンティア隊はティラントーと正面切って戦うことができるが、その数は多くはない。彼らの役目は、ここぞという場面のみに集中した足止めだ。本命の攻撃は、ヴィード隊の役目である。多連装式の魔導兵装が、凶暴な魔法の光を宿した。
横殴りの雨のような激しさで、法弾がジャロウデク軍へと叩きつけられる。近寄るには難く、またその先鋒もレーヴァンティア隊によって受け止められる。ジャロウデク軍は森の中で進退窮まっていた。
そうこうしている間にも、法撃にさらされて一機、また一機と損害は増えてゆく。
「く、このままでは被害が大きすぎる……! 一時後退し、体勢を立て直すのだ!!」
前線の指揮官である、中隊長が怒声を張り上げた。戦いの流れは、明らかに彼らに不利に進んでいる。仕切り直しが必要であった。
攻撃を諦め、守りを固めたジャロウデク軍が後退を始める。隙あらば殿に喰らいつこうとするクシェペルカ軍を牽制しながら、ジャロウデク軍は森を出る。
平野部まで下がった彼らが見たのは、そこに広がる地獄のような光景であった。
ごうごうと震えるような風切り音をあげて、“ソレ”は森の上空を一直線に飛び越える。
場面は、少々の時間をさかのぼる。
森の中で両軍の先端が接触しようとしていた頃、ジャロウデク軍の中央部隊は後詰として戦闘の準備を整えていた。最前線に配置されているのは黒顎騎士団でも精鋭ぞろいだが、激戦となる分損耗も激しい。すぐに戦列を交代し、中央部隊に出番が訪れるはずであった。
周囲を警戒しつつも心地よい高揚と興奮を感じながら、彼らはゆっくりと森へと入らんとし――そこへ、突如として天より降り来た“槍”が猛然と襲い掛かる。“槍”、それも幻晶騎士が武器として用いるための巨大な代物だ。
山形の軌道を描き森を越えて飛来したそれらは、異常極まりないことに空中で進路を微調整すると、狙い過たず黒騎士へと到達した。その数二〇本、痛烈な加速に重力まで加えた槍は黒騎士の重装甲すらたやすく食い破り、その身を串刺しにした。甲高い金属の悲鳴があがるたび、黒騎士が大地に縫いとめられ奇怪なオブジェと化してゆく。
「馬鹿な、投槍をこんな位置まで届かせるなど、ありえん! くっ、盾を上方に構えるんだ、次が来るぞ!」
泡を食ったのは槍の脅威から逃れた黒騎士たちだ。戦場を目の前にして、彼らに油断などなかった。しかし前線から距離をおいたこの場所に、しかも空中から致命的な攻撃が来るなどとは想像だにしていなかったのである。実際に、ただの投槍を森を越えて届かせることなど不可能だ。
彼らを串刺しにした投槍は、当然ながらただの投槍などではない。銀鳳商騎士団謹製の最新鋭兵装、“
危険を認識するやとっさに盾を上方に構えた黒騎士たちは、確かに訓練をつんだ猛者であるといえる。しかし次に現れた“もの”は、彼らの警戒など歯牙にもかけない超絶的な危険物であったのだ。
轟くは、朱の炎が放つ咆哮。紅蓮の輝きをたなびかせ、異形の存在が空を翔ける。魔導飛槍の後を追うように森の上空を渡った
呆れたことに、黒騎士が空へと向けた盾は鬼神にとって絶好の足場になった。流星のような飛び蹴りに直撃した黒騎士が、圧倒的な勢いに負けて倒れてゆく。強靭極まりないはずの綱型結晶筋肉が断裂し、耐え切れず関節が砕けるとそのまま盾と大地にはさまれ圧壊した。
「森の中は障害物が多くて動きづらいですから、こちらにお邪魔しますね」
ちょうどいい足場で着地の衝撃を和らげたイカルガは、ごく自然な動作で
整然と陣形を組んでいたはずの騎士団は、もはや混乱などという言葉では生温い状況へと叩き込まれていた。敵の攻撃はそのすべてが彼らの知識に、常識の範疇にない。
「ひっ、怯むな! わざわざ我らの包囲に飛び込んできた愚か者に、身のほどを教えてやれ!!」
理解は追いついていないが、戦意のみで立ち直った彼らは素早く反撃に転じていた。背面武装を起動すると、燃え盛る炎の中心へと向けて猛然と法撃を開始する。
隊列のまさに真っ只中に突っ込んできた敵は、最初から囲まれているも同然だ。敵はその愚かさのツケを、自らの命で支払うはずであった。
「良い反応です……これは僕も、全力をもって向かわせてもらいましょう!」
しかし法弾がたどり着くよりも早く、エルは操鍵盤へと命令を叩き込んでいた。衣のごとく揺らめいていた炎が、指向性をもって吹き出す。マギジェットスラスタの噴射が、イカルガを再び空中へと誘った。
あっさりと法弾の包囲をかわしたイカルガは、次は自分の番だとばかりに背に備えた四本の腕を大きく広げた。その手首から先が外れ、爆炎を連れて飛翔する。イカルガの持つ遠隔誘導兵器“
異常極まりない攻撃を前にして、ティラントーの反応が致命的に遅れる。痛烈に加速した“執月之手”は、ティラントーの分厚い鎧もかまわずに突き刺さってゆく。イカルガの持つ莫大な出力が“執月之手”を激烈に強化し、ティラントーの装甲にも負けない強度を与えていた。
「ぐ、奇怪な攻撃を! だが、この程度で黒騎士が倒れると……ッ!?」
その装甲を抉る、“執月之手”の威力は確かに脅威であるといえた。しかしたかが一撃をくらった程度で倒れるほど、ティラントーは柔ではない。慣れない空中の敵へと攻撃を加えようとする黒騎士、そこに突き刺さったままの“執月之手”。
「あまいですよ……まだまだこれからです。“起爆”!!」
“執月之手”はただ突き刺さるだけはない。その内部には、とある魔法が発動していた。大気圧縮と爆炎の魔法の組み合わせ、推進力にも使われるマギジェットスラスタの機能を、四方に向けて発現したのだ。
次の瞬間、“執月之手”が刺さったティラントーが内部から猛烈な炎を噴き出し爆散した。分厚い装甲を誇る重装機であるティラントーも、その内部を焼き尽くされては無事でいようはずもない。四機の黒騎士が一瞬でくず鉄と化し、周囲へと部品を撒き散らした。
「ヒッ、ひぃっ……!?」
吹っ飛んできた腕にあたり、後続の騎操士が悲鳴をあげる。彼らの脳が、状況の理解を拒んでいた。黒騎士の力と装甲に絶対の信頼を置くジャロウデクの騎操士たちにとって、それが完膚なきまでに吹き飛ぶ姿は、精神的な支えを砕くに十分な衝撃を持っている。
恐怖に彩られた彼らの思考は、轟く鬼神の咆哮によってさらなる恐慌へと誘い込まれた。
主機関“
「どうしました、まだまだ、まだまだまだまだ大勢いるのですから、もっと向かってきてください! もっと戦いましょう!」
戦闘音にかき消され、エルの声が届かなかったことはむしろ、ジャロウデク軍にとって幸いであったことだろう。鬼面六臂の魔神から漏れ出す、小鳥の調べのごとき声はあまりにも不釣合いだ。
テンションは最高潮といったエルを乗せ、イカルガはわざわざ敵の多い場所へと向けて猛然と走り出す。まごつくティラントーに銃装剣を叩き込み、法弾が炎を吹き上げた。混乱の間を縫うように“執月之手”が走り、黒騎士を次々と粉砕してゆく。
黒顎騎士団の最大の不幸は、ティラントーが重装機であったことである。彼らの戦闘能力の根幹を成すその幻晶騎士は、イカルガを相手にしてあまりにも相性が悪かった。
黒騎士たちが必死に繰り出す反撃を、イカルガはマギジェットスラスタを駆使した圧倒的な機動力で回避し、彼らには常軌を逸した速度で繰り出される攻撃を避けるすべがない。彼らの自慢の腕力は当たらなければ意味がなく、しかし重厚であるはずの装甲はイカルガの馬鹿げた火力を防ぎきれない。
結果として、彼らは荒れ狂う鬼神の暴威を前に、無力な獲物として並ぶだけだった。
「ば、化け物め! 化け物めぇぇぇぇ!!」
数を頼みに取り囲もうにも、鬼神の機動力は完全に常識から解き放たれている。幻晶騎士はおろか、かりに魔獣であってもこんな動きをするものはそうはいまい。
ただ蹂躙される一方であった黒騎士たちに、さらに断続的に飛来する魔導飛槍が混乱に拍車をかけてゆく。守りを固めるのも攻めかかるのも、果ては逃げることすら侭ならず、ジャロウデク軍の中衛は総崩れを起こしていた。
爆炎と金属の破砕される音に満ち、たった一機の幻晶騎士を相手にして、彼らは壊滅の憂き目を見る。
――悲劇というべきか、ジャロウデク軍の前衛部隊が後退して来たのは、そんな地獄絵図の最中であった。
いまだ温存されているはずの中衛と合流するはずが、そこに広がっていたのはあまりにも凄絶な光景であった。目に映るのは、燃え盛る炎と散らばった黒騎士の残骸のみ。いったい何をどうすれば、黒騎士がこれほどまでに破壊されるのか。すべてが彼らの想像を絶していた。
「なんだ、なにがあった。なんなんだこれは! いったいなんだというのだぁぁぁ!?」
彼らの背後からはクシェペルカ軍が追撃をかけてきている。押し出されるように、進む道は破壊の荒野の中にしかない。
一歩踏み出した彼らは、広がる破壊の只中に、ただひとつ動く存在を発見した。一瞬、味方が生き残っていたのかと思ったジャロウデクの騎操士たちは、直後にその考えを捨て去ることになる。
森から現れた彼らの存在に気付いた、“ソレ”が振り向いた。
味方のはずなどなかった。彼らの軍に、四本の腕を蠢かせ、まるで怒りに歪んだ人の顔のような面構えを持つ幻晶騎士など、いようはずもないのだから。
周囲に散乱する黒騎士の残骸を踏みしだき、ごく気軽な様子で近寄ってくる異形の機体。少し考えればわかることだ、ソレが、この破壊の原因であることなど。
「き、鬼神……!」
クシェペルカ軍は、変わらず彼らの背後から攻めあがってきている。ならばやはり、この鬼神はたった一機で、中衛を殲滅したということだ。いったいどうすればそんなことが可能なのか、理解できた者はいない。
あまりの惨状に立ちすくむジャロウデク軍へと、クシェペルカ軍の主力部隊が追いつき始めていた。このまままごついているわけにはいかない。明らかに危険極まりなくとも、彼らの活路は荒野に進む以外にない。
悲壮な決意も勇ましく、鬼神へと立ち向かったジャロウデク軍前衛部隊は、間もなく全滅した。
壊乱する黒顎騎士団の様子を、騎士団長は呆然とした様子で眺めていた。
彼だけを責めるわけにもいかない。本陣船の司令室にいた人間の、全員が同様の状態にあったのだから。戦況は、もはや誰の理解も追いつかないものと成り果てていた。
始まりは、陣の中央で吹き上がった炎である。布陣を無視しておこったこの炎を中心として、ジャロウデク軍に破壊の嵐が吹き荒れた。焔纏う異形の鬼神が踊るたび、次々に黒騎士が屠られてゆく。何ものをも阻むはずの重装甲は爆炎の朱に染まり、燃え残りの炭のように容易く弾けとんだ。
中央が壊滅したころ、前衛部隊もまた森から押し返されていた。そして、それもまた鬼神の餌食となった。
言うまでもなく手遅れ極まりないが、事ここにいたりようやく、黒顎騎士団の長は勝ち目がないことを悟った。
勝機はまったく、微塵も、どうしようもないほどに見出せなかった。生き残った騎士団に微かにでも統制が残っていることすら、望外の幸運であろう。これほどの破壊を前にしては、算を乱したところでまったく不思議はないのだから。
彼らに許された選択肢は、このまま全滅するか、その前にほんの少しなりとも逃げおおせるか。ただ、それだけだった。
「全軍へ……撤退を指示……」
いつの間にか、彼の口内はカラカラに渇いていた。かすれた声で呟かれた、この遅きに失した指示を、いったいどれだけの兵が聞いていたことだろう。それでも、彼らは慌てて動き出していた。
本陣船が空に浮き上がる。それを追うように、僅かに生き残った黒騎士たちが一斉に後退していった。
新生クシェペルカ王国の新王都フォンタニエをめぐる攻防戦。
この戦いに主力である黒顎騎士団、そして鋼翼騎士団の大半を投入したジャロウデク軍は、そのうち実に八割までを損耗する、記録的大敗を喫したのであった。
「………………意味が、わからん。もう一度言え」
ジャロウデク王国侵攻軍の本拠地となっている、旧王都デルヴァンクール。
玉座に座る総大将・第二王子クリストバルは、目の前で地に頭をこすり付ける黒顎騎士団の団長を眺め、ひどく胡乱げな様子で問いかけた。
黒顎騎士団の本陣船がほうほうのていでここまで帰り着いたのは、つい昨日の話だ。団長からもたらされた報告は、衝撃や驚愕などという度合いを超えて、もはや疑わしくすらあるものだった。
それもそうだろう、ジャロウデク王国の主力である黒顎騎士団、その中でも精鋭である一〇〇機あまりを投入してのフォンタニエ侵攻戦は未曾有の大敗に終わったのだ。無事にデルヴァンクールへと帰りつけたのは、僅かに中隊規模。クリストバルでなくとも、にわかには信じられない結果である。
「お畏れながら、申し上げ、ますっ!! ……我ら黒顎騎士団の騎士、そのうち八割までを損耗。ならびに鋼翼騎士団が有する飛空船、全二十四隻のうち十隻までが……撃沈! 破壊されずに戻ったのは、私が本陣としていた一隻のみであります!!」
呆気にとられていたクリストバルの脳に、徐々に理解が追いついてくる。直後、玉座の間に激しい炸裂音が轟いた。
勘気を起こしたクリストバルが振った杖より、魔法が放たれたのだ。床には焦げ目が残ったが、騎士団長はそれでも微動だにせず、頭をあげることすらしなかった。そのままギリギリと杖を握り締めていたクリストバルは、無理やり何度も深呼吸をして気分を落ち着かせると、搾り出すようにして呟く。
「つまり、かろうじて全滅は免れた。ということか。この、我がジャロウデク軍の精鋭が!」
緒戦の華々しい戦果に対して、彼らが驕り高ぶっていたことも否めない。しかしそれを鑑みたところで、今回の被害は大きすぎた。いったいどこの軍が、自らの壊滅を予想して動こうか。
クリストバルは総大将という立場にあり、常に冷静な判断を求められる。それをしたところでものには限度があった。なによりも、まずは冷静になる時間が必要だ。
「…………下がれっ! お前の進退は追って沙汰する!!」
それは、彼に残った最後の理性が言わせた言葉であった。
黒顎騎士団の団長が飛ぶようにして去った後、クリストバルは謁見の間から慌しく人払いをおこなった。もはや、我慢は限界である。自身の醜態をさらさないためには、他者を追い出すしかない。
だれもいない謁見の間に、魔法による破壊が吹き荒れる。ただの八つ当たりでしかないが、到底我慢できるものではなかった。
狂乱の嵐は、そう長くは続かなかった。散々に室内を破壊しつくし、魔力が尽きたクリストバルは息を荒げて座り込む。
「おのれぇ……なんということを、負け戦はどれも不愉快だ! ……が、この敗北は大きい、大きすぎる!!」
破壊衝動が過ぎ去り理性が帰ってきたところで、彼は事態の重さに顔をしかめていた。
黒顎騎士団の被害も尋常なものではないが、何よりも飛空船を落とされたことが問題だ。これまでは、飛空船は無敵の存在であり、同時にジャロウデク軍の不敗神話を支えてきた立役者とでもいうべき存在であった。
それが、一度に十隻も撃墜されたなどという事実は、黒騎士の被害よりも尚深刻にジャロウデク軍を蝕むだろう。どれほどの悪影響が出ることか、想像もつかない。
「駄目だ、駄目だ……! これを盛り返すには……やはり、飛空船しかない。今のままでは危険だ、早急に飛空船に強化を施さねばならん。ああクソッタレめ、これほどまでに早く破られるとはな。コジャーソ卿も仰天するだろうよ!」
「お呼びでしょうかね」
誰もいないはずの室内で突如飛んできた返事に、クリストバルは飛び退るような動きで振り返る。
果たして、そこにはさえない風貌の男性が佇んでいた。ジャロウデク王国の開発工房の長であり、飛空船の生みの親である“オラシオ・コジャーソ”である。
「人払いをかけていたはずだぞ、コジャーソ卿。いくらお前が重要人物とはいえ、何をしても許されるなどと思っているんじゃあないだろうな」
状況が状況である。凶相を見せるクリストバルに対し、オラシオはどこ吹く風とばかりに平然とした態度でいた。
「ええ、それは承知しておりますがね。この危地におきまして、ぜひとも殿下に許可をいただきたいことがありまして、こうして参りました次第でございます」
クリストバルは不機嫌に唸ると、どっかりと床の上に胡坐をかいた。今は些事にこだわっている場合ではないと、いくらか割り切ったのだ。
「フン……まぁいいだろう。それよりもだ、卿! あろうことか、飛空船が落ちた!! 大至急残る船に強化を施さねばならん。クシェペルカがこの機を逃しはしまい、一刻の猶予もないぞ!!」
「ええ、ちょうどそのことなんですがね……。これだけの、馬鹿みたいな被害を生み出した敵っていうのは、いったいどんな戦い方をしてきたんでしょうね? 今後のためにも、そこんところ詳しくお聞きしたいと思いまして。殿下には、騎士団長殿から詳しい聞き取りをおこなう許可を、いただきたいと思いましてね……」
瞳の奥におぞましい輝きを湛えながら、オラシオはどこか歪んだ笑みを見せた。
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