#62 嵐の中を動き出す

 ガラスの砕ける、澄んだ音が周囲に響き渡る。


 旧クシェペルカ王都デルヴァンクール。その中央にそびえる王城、玉座の間にて、ジャロウデク軍総大将である第二王子クリストバル・ハスロ・ジャロウデクは、届けられた報告を血走った眼で睨んでいた。


「……確か、逃した王女は成人したばかりの小娘だったか。大人しく引っ込んでいればいいものを、余計な足掻きを……!」


 報告は語る。時に西方暦一二六九年、ジャロウデク王国との緒戦にて戦死した前クシェペルカ国王アウクスティの忘れ形見である“エレオノーラ・ミランダ・クシェペルカ”が、正式に“女王”として即位した。

 同時に東方領の領都“フォンタニエ”を暫定の王都とし、新生女王の名の下に“新生クシェペルカ王国”を再興すると、西方諸国オクシデンツの普く国々へと高らかに宣言したのだ。


 この宣言は単に即位をしらしめるだけにとどまらない。

 “王”を戴くことは、この時代において“国”としての最低条件とされている。それが失われたからこそクシェペルカ王国はいっとき滅び、貴族も騎士も連携を失い混乱したのだ。ジャロウデク王国はそこに付け込むことで戦況を常に有利なものとしてきたのは、いうまでもない。


「く、もう少しで押しつぶせたものを! ドロテオめ、なにをてこずっているか……!」


 “女王の即位”だけならば、かつて王女を取り逃がしたときより想定されていたことではある。それだけでも十分に不愉快なできごとであったが、クリストバルの怒りを煽り立てているのは続く言葉のほうだ。


「“これより私たち新生クシェペルカ王国は、卑劣なるジャロウデク王国の侵略により奪われた領土を奪還する”」


 ジャロウデク王国に制圧された旧クシェペルカ領土の奪還。つまり彼女は即位するなり“ジャロウデク王国へと反撃を開始する”と、高らかに謳いあげた。

 彼女たちは侵略を受けた側なのだから、それは当たり前のことであるように思えるが、ことはそう単純ではない。

 つまるところ彼女は、講和や降伏ではなく“反撃”を――国土の半分以上を侵略者に奪われながら、それを“取り返すことができる”と言ってのけたのである。

 クリストバルも激高しようというもの。怒りのあまり投げ捨てられ、砕け散った杯を小姓たちが慌てて片付けていた。


「窮鼠猫を噛むというが、往生際の悪い……!」


 実はエレオノーラ新女王の自信は、あながち根拠のないものではない。クリストバルは深く玉座に座りなおすと、先日北部を攻めるドロテオより届いた報告を思い返す。

 旧クシェペルカ王国の戦力を吸収し、大軍勢として放った南北の侵攻作戦。当初は破竹の進撃を見せていたジャロウデク混成軍は、最近になってその速度を大きく落としていた。

 その主な原因は、クシェペルカ軍が戦場に次々に投入しはじめた新兵器によるものだ。

 報告されているもので大きく二つ、小型の幻晶騎士もどきは神出鬼没の行動で彼らを撹乱し、遠距離戦に特化した新型機は恐るべき拠点防衛能力を発揮し、彼らの脚を縫いとめている。

 すでにして緒戦のように、幻晶騎士の性能差で押し切るという戦術は難しくなりつつあった。


 クリストバルは何かを見据えるように、視線を宙のある一点に固定している。現実逃避であろうか。いや、彼には明確に敵が見えている。


「厄介なのは小娘じゃあない。原型オリジナルどもめ……これ以上やつらに時間を与えてしまうのは、あまりにもまずい」


 王女を逃したこと、クシェペルカが突然新兵器を投入し始めたこと。それら全ての背後にちらつく存在――魔獣番フレメヴィーラの影が。

 フレメヴィーラ王国は、ジャロウデク王国も使用している“新型幻晶騎士”発祥の国である。当然、仮想敵国としての脅威度は高い。それを踏まえて、クリストバルたちはフレメヴィーラ王国が参戦する可能性を考えていなかったのか? というとそうではない。

 彼らにとって、自分たちに匹敵しうる戦力、フレメヴィーラ王国の参戦は十分に憂慮すべき事態ではあった。

 そこで彼らが楽観視していたのはその“参戦時期”だ。フレメヴィーラ王国と争うことがあるとしても、それはクシェペルカ王国併合後であると考えられていた。


 きわめて電撃的な侵攻、飛空船レビテートシップを用いて敵の中枢を最初に破壊する全く新しい戦略思想。また新型幻晶騎士という高い地力も備えたことで、クシェペルカ侵攻に関しては万全の態勢を整えていた。

 なんといってもフレメヴィーラ王国は西方諸国を主とした世界観において、文字通りの“世界の果て”にある国である。のこのことオービニエ山地を越えたところで、そのころには既にクシェペルカ王国は陥落している予定だったのだ。


 いったい誰が想像しようか。国同士の関係、その間のしきたりの一切を省みることなく、いきなり首を突っ込んでくる馬鹿王子がいようなどと。いわんや、それに新型の開発者自身が同道するなどと。

 クリストバルたちの慮外の要因として、彼らはこの国に現れた。その結果は、現状が示しているとおりだ。


「もはや悠長なことはいってられん……危うい博打も覚悟せねばならぬか。しかし南北は勢いを失い、いまひとつ攻めきれん」


 彼にもたらされた報告のなかには、北の地にて“紅の騎士”と、そして南の地にて“白き騎士”と、それぞれ相対したとの文字があった。どちらも、王都より逃げる王女をかばいドロテオの追撃を押し返した魔獣番の精鋭戦力である。

 それと共にクシェペルカが新型機を出してきたということは、これらの新型は彼らによってもたらされたものであると考えるのが自然であった。


 クリストバルは、そこで考え方を逆にする。

 南北領におけるクシェペルカの窮地を助けるためには、魔獣番は虎の子ともいえる最精鋭の戦力を派遣せざるを得なかった。

 南北の戦いは足踏み状態にあるが、意味がないわけではない。結果として現在の東方領には、それら重要な戦力がいないのだから。


「……ここはひとつ基本に、立ち返ってみるか」


 旧王都デルヴァンクールは旧クシェペルカ王国の中央部に存在する。これまで彼らがここから直接に東部へと攻め込まなかったのは、南北に残る戦力に挟まれてしまう状況を嫌ったからであった。

 当初の目論見とは大分と形が違っているが、今は南北の戦力は“押さえられている”。これは好機ではない。これ以上敵が強大になる前の、最後の機会であると考えるべきだった。


 クリストバルは決断する。視線の先には広げられた、旧クシェペルカ王国の地図。南北の地に置かれた、黒騎士ティラントーを模した駒。東には冠をいただいた――クシェペルカの新たなる女王の駒。

 彼は地図の各所に置かれた、船の形をした駒をつまむ。船とは当然のこと彼らの切り札、“飛空船”を指す。

 カッ、と音を立てて駒が地図に置かれた。船の駒が置かれた場所。そこには東方領の領都である、フォンタニエの文字。


「伝令を用意せよ。中央守護の部隊を動かすぞ。鋼翼騎士団も呼び戻せ! 残る最大戦力で、東の地を落とす。クシェペルカの王には、再度“退いて”もらうとしよう」


 そばに控えていた者たちがあわてて駆け出してゆくのを見ながら、クリストバルは渋い表情のまま地図を睨み続けている。


「フォンタニエを落とす……しかし、それだけでカタがつけばいいが」


 とても楽観視はできなかった。そもそも万全ともいえる状況で放った南北への進攻は、結局彼らに食い止められてしまった。成功のみを信じるのは危険である。

 彼は目を閉じ、沈思する。フレメヴィーラ王国の参戦により、状況は大きく傾きだしている。その大元といえる原因は何か。


「……“技術”か。かつて我らが飛空船や黒騎士を用意したように、やつらはモドキや“塔型”を用意してきた。このままではいずれ追いつかれ、追い抜かれる時がくる。我らもさらに新たなる歩みを進めねば、勝てん」


 伝令として人が去り、彼しかいなくなった空間に小さな呼び鈴の音が流れた。わずか後には暗闇より沸き出でたかのように、静かに影が進み出る。

 クリストバルは地図を睨んだまま、振り向くことすらしない。


「急ぎ国許の“兄上へ”伝えよ。中央より腕利きの鍛冶師を向かわせてくれ、と。……彼奴らが新しきを作るなら、我らはそれ以上のものを作るまでよ」


 影が頷き、再び暗闇に消えてゆく。

 占領されたそのときより落ち着いていたデルヴァンクールは、久方ぶりの戦の空気に鳴動する。




 それは、諸国へとおこなわれた“エレオノーラ女王即位宣言”から、わずかに一週間後のことであった。

 それまでは旧クシェペルカ王国中部から西部の鎮護として座していたジャロウデク軍の主力、“黒顎騎士団”が大きな動きを見せていた。一個旅団(一〇〇機余)相当の戦力を編成、そのまま一路東方領を目指して進攻を開始したのである。


 石畳により舗装された街道を踏みしだきながら進む黒騎士たち。

 その上空には彼らの奥の手、飛空船の姿があった。その数、一〇隻。“鋼翼騎士団”が擁する飛空船の大半がここに終結している。文字通り、ジャロウデク王国が残す総力を結集しての進攻であった。


 ――ジャロウデク軍、動く。

 これほどの大軍の行動は隠しようもない。その報せはすぐさま新生クシェペルカ王国へも伝わっていた。

 フェルナンドたちとて、ジャロウデク王国がエレオノーラ女王の即位と新生クシェペルカ王国の再興を認めるなどとは、まったく考えていない。

 いや、かの宣言自体がここまで織り込み済みでなされたものであろう。なにしろこの展開は、あまりにも容易に予想できるのだから。



 東進を続けるジャロウデク軍、東方領を護らんとする新生クシェペルカ軍。必然、両者はいずれ相見える。

 彼らはついに、クシェペルカ中央部の東端に位置する“レトンマキ男爵領”において、激突したのであった。


 レトンマキ男爵領は別名“東方領の玄関口”とも呼ばれている。領土の多くが“北の大壁山脈ノーザンコルジレラ”から延びる山地によって占められており、交通の利便性は低く農業にも適さない利の少ない地である。

 しかし、それを逆手に取り東西間の防壁として利用されていた。


 男爵領を横切る数少ない街道には、それぞれ大掛かりな街と関所が配置されている。平時は山道を進む商人たちの宿場として利用されるこの地は今、その門を閉じ守りを固めていた。

 山がちな地形をそのまま利用した要塞じみた関所だ。谷間を遮る城壁の上には、円筒形の“塔”のような物体がずらりと立ち並んでいる。その形状より“塔の騎士”の愛称をうけた“レスヴァント・ヴィード”である。

 本機は既存の量産機を改修したという出自により、生産性に長けている。国内に残る機体の多くが改修を進められており、重要な関所を守るべく相当数が配備されていた。


「閣下、塔の騎士ヴィード隊、配置を終えております。……それと、フォンタニエへと退く者たちも、先ほど出立いたしました」

「そうか。お前も、退いてもよいのだぞ。咎めはせん」


 城壁の上で、二人の男が話し合っている。

 一人はレトンマキ男爵領の主“カープロ・レトンマキ男爵”。その横に控えるもう一人は、レスヴァント・ヴィード部隊を率いる直属の騎士団長だ。


「閣下が動かれぬというのに、ご冗談を。有事に際して盾となるべく、我々はこの地にあったのです。それが容易く背を見せられましょうか。残った兵たちも同じ思いです」


 騎士団長の返事を聞き、レトンマキ男爵は苦笑いを浮かべた。

 押し寄せるジャロウデク軍は大軍だ。こちらも戦線を一本化すべきであり、そのために途中の関所を放棄するというフォンタニエからの指示は至極まっとうなものであるといえた。

 しかし合理的であるだけでは人は動かない。まさに彼らのように。

 この不毛の地に封じられ、それでも誇りをもって生きてきた彼らにとって、戦わずしての放棄は死よりも屈辱であった。事に先んじて、自軍の不利は兵士たちにも伝えてある。それでも兵士の大半がこの場に残った事実が、彼らの抱く複雑な心境を明確に表していた。


「ならば、父祖に恥じぬようせいぜいやつらを困らせてやろう。どうやら、招かれぬ客も到着したようだ」


 男爵の呟きを待つまでもなく、その場にいる全員がそれに気付いた。

 細い山道から広い谷間へと入り、彼らの定石である横列壁方陣形を取りながら前進してくる。熱を帯びた吸排気を漏らしながら、黒鉄の巨人が居並ぶ。その手には長柄の歩兵槍パイクが握られ、刃先が真正面を睨んだ。

 黒に染まった鉄の壁と、関を守る石造りの壁が、距離をとって向かい合う。


 ジャロウデク軍だ。彼らは難攻不落の地形をみてもまったく慌てることなく、淡々と進軍してきた。

 あまりにも落ち着きすぎたその様子は、どこか不気味さすらともなってレトンマキ男爵軍を圧迫する。地形的な有利があるとはいえ、彼らは気おされるものを感じていた。

 騎士団長は遠望鏡を折りたたむと、気弱になっていた彼の部下たちを叱咤する。


「臆するな! お前たちの使うこの新たなるレスヴァントは護りにおいては並ぶものなき力を持つ! 南北の地を思い出せ、我らが同胞はやつらを脚を止めた、怯えることなどない! 城壁に近寄られる前に、やつらを焼き尽くしてしまえ!!」


 ジャロウデク王国の主力幻晶騎士ティラントーは、レスヴァント・ヴィードにたいして非常に相性が悪い。

 近距離での戦闘能力ならばティラントーが圧勝している。だがその間合いに持ち込むには、城壁が難問として立ちはだかっていた。塔型ヴィードの拠点防衛能力はこれまでに類を見ないものであり、機動性の低いティラントーならば近づかれるまでに撃破することができる。

 それが、南北領でジャロウデク軍を押しとどめることができた理由である。


 ヴィードの騎操士ナイトランナーたちは徐々に落ち着きを取り戻してゆくと、勇気を奮い立たせた。応、と力強い雄叫びが唱和し、ウォールローブを纏った塔のような形状の機体がいっせいに魔導兵装シルエットアームズを展開し、迎撃態勢へと移る。

 その照準器レティクルが睨む先にあるは、粛々と歩を進める黒鉄の壁。

 騎士団長は自身もヴィードに搭乗すると、機体の拡声器を使い大音量で指示を下す。


「各自、射程距離に入ったものから応戦を許可する! やつらをこれ以上進ませるな!」


 荊の垣のように突き出した魔導兵装がじっと黒騎士を睨む。騎操士たちは緊張から操縦桿を握り締め、わずかな手の震えは背面武装バックウェポンに伝わり、かすかに震えをおこすほどだ。


 男爵軍が迎撃準備を整える光景は、ジャロウデク軍からもよく見えていた。

 黒騎士ティラントーの重装甲をもってしても油断ならない魔の矢を前にして、彼らの動きに変化が現れる。前進するのは変わりないが、ただ陣形がこれまでとは変わっていた。


「やつら、密集陣形を取らないのか?」


 横列壁型陣形を基本とし、まさしく押しつぶし前進することを是としていた黒騎士の動きに変化が現れていた。部隊をいくらかの小集団にわけ、それぞれ間を取りながら前進してきたのだ。


「やつらも考えたな、こちらの法撃を集中させないつもりか……」


 その動きを見た騎士団長が、すぐに意味を悟り苦々しげに呟く。

 魔導兵装でティラントーの重装甲を破壊するためには、法弾を集中させることが肝要になる。ジャロウデク軍も格闘戦では有効だった密集陣形の不利を悟ったのであろう。

 どうあれ、男爵軍がやるべきことは一つであった。ティラントーが魔導兵装の射程に入ったことをみて、城壁から仮借ない法撃の嵐が放たれる。


 小分けになったジャロウデク軍へと、橙に輝く破壊の矢が降り注ぐ。爆炎のカーテンがティラントーを包み、一瞬その姿を覆いつくした。

 以前ならばそこで無理に進んでいたであろうジャロウデク軍は、しかしそれまでとは異なる動きを見せた。彼らは法弾が飛んできたと見るや、すぐさま後退に移ったのだ。


 騎士団長は、それを見て舌打ちしていた。

 魔法現象により構成された法弾には“有効射程”が存在する。空間中に存在する魔力の根源たるエーテルが法弾へと干渉するため、いずれ構成が崩れてしまうためだ。

 この有効射程を越えた法弾は加速度的に構成がくずれてゆき、やがて完全にほどけて消える。


 ヴィードの有効射程より脱したティラントーは、防御の姿勢もとらず堂々と法弾を弾く。その重装甲の前には、解けはじめた法弾などものの数ではなかった。

 城壁の上から状況を観測していた兵士が、大声でその結果を知らしめる。やがて法撃は止み、戦場には静けさが戻っていた。



 わずかも間をおかず、喇叭ラッパ銅鑼ドラの音が響いた。今度はジャロウデク軍のものだ。

 後方からの指示を受け、ティラントーが前進へ転じた。もとからの足の遅さを踏まえてもなお慎重に、ゆっくりと。黒騎士は再び魔導兵装の有効射程へと踏み込んでゆく。

 今度は法撃はおこなわれなかった。城壁の上では、観測班が遠望鏡をにぎりしめ、彼我の間合いを必死に把握しようとしている。連絡の密度を上げるべく、伝令の兵士があわただしく走り回っていた。


「うかつに手を出すな、法撃には観測班の指示を待て!」

「まだだ、まだ……いま下がられては、たいした威力もない。逃げ切れないところまでひきつけてから撃つんだ!」


 男爵軍は慎重にならざるを得なかった。

 多連装魔導兵装により強力な法撃能力を有するレスヴァント・ヴィードであるが、同時に致命的な欠点を二つ、抱えている。

 一つはいわずもがな機動性の低さなのだが、もう一つは魔力貯蓄量マナ・プールの回復速度の遅さである。

 蓄魔力式装甲キャパシティブレームで構成された“ウォールローブ”を装備することにより、破格の魔力貯蓄量を有するレスヴァント・ヴィード。

 しかしそれを動かす魔力転換炉エーテルリアクタは通常のままである。一度でも魔力切れとなってしまえば、それを回復させるのに必要な時間はきわめて長いものとなってしまうのだ。その隙は、戦闘中にあってあまりにも致命的である。

 ティラントーを倒すだけの法撃を浴びせかけるためには、無駄撃ちは慎まなければならなかった。


「くそう、やつら、焦らしてきやがる」


 陣形の変更のみならず、ジャロウデク軍の動きは異様なまでに慎重であった。

 互いの命を掛け金に、距離と魔力、攻撃と防御を天秤にかけ、綱渡りの駆け引きがおこなわれる。黒騎士が、また一歩歩みを進める。攻撃はない。さらに前進。まだ法弾は飛んでこない。

 そこで、黒騎士は前進をやめた。有効射程内、しかしまだ浅い距離だ。


 男爵軍を率いる騎士団長は、攻撃すべきかどうか激しい迷いを抱いていた。まだ十分に踏み込んでおらず、敵がすぐに後退してしまうのは目に見えている。牽制と割り切って撃ってしまうべきか。

 これでは集団戦というよりも、互いの急所に剣を突きつけあった決闘のようだ。戦場となった谷間には、緊張感をはらんだ粘つくような空気が充満していた。



 淀み動かぬ戦場に、にわかに変化の風が巻き起こる。

 硬直した戦況をかき回す突風、それは自然に起こったものではなかった。風と共に、ふと日差しを遮る影が現れる。

 それは雲の影などではない。薄雲にかげる空に染みのように浮かぶ、雲よりも濃くはっきりとした巨大な黒い影。


 男爵軍がその正体に思い至るまで、さほどの時間も必要なかった。影が見えたということは、その本体もすでにはっきりと目に見える距離まで近づいていたからである。

 ――飛空船。

 ジャロウデク軍が有するのは黒騎士ばかりではない。一度はクシェペルカ王国を滅ぼした彼らの切り札、鋼翼騎士団。

 一〇隻を数える飛空船を目にしたレトンマキ男爵は、喉の奥で痛恨の呻きをあげた。


 空を行く船に、地形の影響などない。それらは悠々と山を、城壁を無視して関所の真上へとやってきた。飛空船に対しては、レトンマキ男爵が誇る天然の要害は無力である。

 これまでの経験から、飛空船が次に何をするつもりなのか、男爵軍の兵士たちよく理解していた。男爵と騎士団長が口角泡を飛ばし、叫ぶ。


「い……いかん! 塔の騎士ヴィード隊、空飛ぶ船を狙え! やつらを地上に降ろしてはならん!!」


 ヴィードがその照準を空へと向けたとき、彼らの耳に最悪の足音が届く。

 飛空船の接近に呼応して、黒顎騎士団が前進を再開したのだ。今度は慎重さなどなく、荒れ狂う津波のごとき勢いで進軍してくる。

 これもただちに迎撃せねば、まもなく城壁に取り付かれるだろう。空と陸との挟撃に、男爵軍はいっとき思考を麻痺させた。


塔の騎士ヴィード隊は空飛ぶ船を狙え、黒騎士は無視してもかまわん! ……もはや我らは後には退けん、ならば後ろの同胞のために、あの船を一つでも減らすのだ!!」


 既に彼らは“詰み”に陥っている。それを理解して、むしろレトンマキ男爵は敢然と決断を下していた。元々、自身の矜持のために無理やり踏みとどまった戦いだ。

 押し寄せる黒鉄の恐怖に耐えながらも、ヴィード隊がいっせいに空を見上げる。そして、悠然と空にある飛空船に対して法撃を開始した。


 地上から放たれた橙の雨が、空へと吸い込まれてゆく。

 火器管制ファイアコントロールシステムと連動し、手動の照準を有するレスヴァント・ヴィード。それでも放たれた法弾の全てが命中したわけではなかったが、上空にいくつもの爆発が咲き乱れる。

 しかし、飛空船はそのなかを平然と突き進んでいた。


 この世界に初めて現れた実用飛行機械である、飛空船。それは当然、“地上の敵を相手にする”ことを前提として設計されている。

 そのため、海をゆく船をひっくり返したような船体、その平坦な下面部と周辺は鋼鉄で強固に装甲化されていた。対法弾を想定して設計された装甲は、少々の被弾で揺らぐようなことはない。


 そうしていると、そのうち数隻が急激な角度で降下を始めた。速度をほとんど落とさずに城壁の上空を横切る。

 いくらヴィードが照準機能を有していようと、所詮は手動で狙いをつけるものである。騎操士たちは上空を飛ぶものを狙う訓練などしてはいない。かろうじて命中した法弾も、装甲を打ち破るにはいたらなかった。


 その状態で、飛空船は強行的に幻晶騎士の投下を始めていた。下部の装甲が次々に開き、鎖に吊り下げられた機体が飛び出してくる。

 ジャロウデク軍の標準である黒色の外装アウタースキン、しかしそれをまとう姿は細身。ティラントーではない、投下されたのは銅牙騎士団の“ヴィッテンドーラ”だ。

 上空で鎖から切り離され、ヴィッテンドーラが宙を舞う。ティラントーならば着地したところで自重で大破してしまうであろう距離、しかし間者向けという用途から特殊な機構を有するヴィッテンドーラは、全身のバネでもって衝撃を逃がしそのまま城壁へと降り立っていた。


 ギリギリと全身の結晶筋肉クリスタルティシューを高鳴らせながら、ヴィッテンドーラは猛然とヴィードへと襲い掛かっていった。

 機体の周囲に“ウォールローブ”という強固な防壁を備えたヴィードだが、その重さが足枷となり近距離での動きは鈍く、格闘戦はままならない。軽量なヴィッテンドーラからしてみれば、まさに鈍重な亀そのものだ。動きの差は一目瞭然である。

 さらにウォールローブには魔導兵装を展開するための隙間が各所にある。ヴィッテンドーラは容易く回り込むと、恐るべき正確さでその弱点を突いた。

 あるものは刺突剣を手に持ち、あるものはそのまま突撃伸腕爪ショットクローを叩き込み、次々にヴィードを葬ってゆく。


「ぐっ……! 塔の騎士ヴィード隊は各自判断で応戦! ローブを捨ててもかまわん、敵を倒せ!」


 ガラガラと、重々しい金属音が響きわたる。

 レスヴァント・ヴィードがその身にまとうウォールローブを投棄したのだ。最悪の場合を想定して、ローブには捨て去るための仕組みが備わっている。今がまさにその最悪の状況といえた。

 とはいえ、魔力貯蓄量という有利の要であるウォールローブを捨て去ってしまっては、後に残るのはただ背面武装を備えただけのレスヴァントだ。

 魔導兵装をばら撒き、果敢に応戦するヴィードだが、格闘性能では明らかにヴィッテンドーラが優越している。城壁を護るべき塔の騎士は、櫛の歯が欠けるように一機、また一機と倒されていった。


 追い詰められた男爵軍に、さらなる破滅の報せが届く。

 足元から響く激しい振動。黒騎士ティラントーが、ついに城壁へと取り付いたのだ。

 パイクを捨て小型破城鎚バトルラムへと持ち換え、城壁へと叩き込む。黒鉄の巨体、その全身に張り巡らされた綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシューが唸りをあげ、勢いをつけて振り下ろされた小型破城鎚の前に鋼鉄製の頑強な城門が歪んでゆく。

 何度も破城鎚の攻撃を受けた城門は、ぼこぼこと波打つような形状へと姿を変えると、ついに耐久性の限界を迎えて打ち破られた。


 破滅の足音が響く。土煙の中から、続々と黒騎士が侵入を始めていた。

 懐に入り込まれたレスヴァント・ヴィードは敵を倒す前に小型破城鎚の餌食となり、法弾も剣戟も、黒騎士の装甲の前には無力であった。もはや、男爵軍にこれを押し返すだけの力はない。

 それから彼らが壊滅するまでに、さほどの時間はかからなかった。




 レトンマキ男爵領の壊滅は、早馬に乗ってフォンタニエへと伝えられた。

 もっとも大きな盾を失った東方領には、これ以上防衛に適した地形はない。フォンタニエにも早晩、ジャロウデク軍がなだれ込んでくるであろう。


「……本当にこれで、よかったのだろうか。フォンタニエにはレトンマキ男爵領ほどの防衛能力はない。かの地が落ちる戦力を相手に、戦うなど……」

「だが叔父貴、やつらを叩くには今しかない。南北の地で踏ん張ってもらっている間に、やつらの本隊を引っ張り出す必要があった。危険は承知のうえ、やるしかないぜ」

「わかっている……すべて、わかっている。そうでなくては……“女王陛下の即位を餌にする”などと、非常の手段までとったのだから」


 東方領の領主、フェルナンド大公は沸きあがる不安を押し殺し、その作戦の発案者へと振りかえる。


「後は君を、信頼しよう……エルネスティ君。君の言葉を」

「お任せください、宴の準備は整っております。あの空飛ぶ船さえ落としてしまえば、黒騎士に対しては塔の騎士ヴィードに利があるのです。恐れることはありません」


 開戦より現在に至るまで、クシェペルカ軍のなかで飛空船に勝利した者は皆無である。

 それでも揺らがない自信を見せるエルネスティの姿を、フェルナンドは信じることにした。この戦いの中で、彼と彼の銀鳳商騎士団のみが唯一、ジャロウデク軍に対して不敗であるからだ。

 その上彼らによって、新生クシェペルカ軍は新たなる剣を与えられた。何の準備もなく、このような賭けに出たわけではない。


「せっかくしっかりと準備をしたわけですしね。空飛ぶ船は僕たちが責任を持って“食べつくし”ますから」


 それでも、やけに嬉しそうなエルの姿をみて、フェルナンドはそこはかとなく不安を感じてしまうのであった。




 クシェペルカ王国東方領が戦場と化そうとするその時、旧王都デルヴァンクールへと一隻の飛空船が舞い降りていた。

 驚くべきことに、その出迎えには総大将クリストバル自身があたっていた。彼は、飛空船より降り立った人物を見て驚きを隠せない様子だ。


「……よもや、貴公がやってこようとはね」

「なにせ相手はあの新型を作った本人オリジナルとお聞きいたしまして。殿下のお力となるには、生半なものでは勤まらないかと存じます」


 ジャロウデク王国より飛空船にのってやってきた、一人の鍛冶師。彼こそ、“飛空船”の生みの親であり、ジャロウデク王国中央開発工房の長である“オラシオ・コジャーソ”、その人であった。

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