#56 通りすがりの商人です

 王都デルヴァンクール陥落より後、“旧”クシェペルカ王国内は大混乱に陥った。国の中枢そのものである国王を失ったのだから致し方のないことではあるが。

 さらに悪くしたことに、国王のみならず王都につめていた上級貴族のうちいくらかが襲撃に巻き込まれて死亡してしまっていた。それにより混乱は彼らの領地にも飛び火。事態を収拾させるべき側が混乱する中、状況は悪化の一途を辿っていくことになる。


 その間隙を縫うようにして、ジャロウデク王国軍は従来ならば考えもしない大胆な行動に出ていた。

 陥落させたとはいえ敵中に孤立無援の状態であるはずの王都。ジャロウデク軍はそれに閉じこもるを良しとせず、彼らの切り札たる“飛空船レビテートシップ”をもって国内のあちこちにさらなる奇襲を仕掛けたのである。

 綱渡りの上で斬りかかるがごとき曲芸的な戦術であったが、結果としてジャロウデク軍は大きな勝利をもぎ取ることに成功する。


 いつどこが襲われるかわからない飛空船という新兵器の登場により、旧クシェペルカ王国の貴族たちは“境界線上を重点的に守る”という従来の方式を改めざるを得なくなっていた。

 その脅威を体感した彼らがとった対策は単純なもので、重要な都市ごとに必ず防衛戦力を置くというものだ。しかしそれは空中からの襲撃を警戒するあまり、簡単に戦力を動かせなくなることを意味していた。こうして旧クシェペルカ王国の貴族たちは自由な行動を縛られていったのである。


 全てをまとめる中枢がいなくなったことは、後に最悪の事態を引き起こす。

 国内全土を蹂躙する鋼翼騎士団の襲撃に対抗するため戦力を欲した貴族たちは、三枚砦シルダ・トライダに派遣していた戦力を引き揚げはじめたのである。

 目前にはいまだジャロウデク王国の大軍が存在する。大局的な視点で見ればまったく愚かしいことに、要塞につめる騎操士ナイトランナーたちは引き揚げに応じてしまった。

 彼らの精神的支柱であった国王が失われていたのも大きい。国という枠は揺らぎ、彼らが守るべきものは故郷という狭い範囲へと陥ってゆく。結局、彼らは背後で故郷が襲われている状況を看過することなどできなかったのだ。

 状況はもはや詰みに陥っており、一番盾要塞シルダ・ユクシアからは相当量の戦力が戦わずして失われた。


 クシェペルカ王国が世に誇った三枚砦がジャロウデク王国軍の突破を許すのは、それからまもなくのことである。




 旧クシェペルカ王国東部。

 国内を走る街道からはそれた、静かな森の中を奇妙な影が駆け抜けてゆく。

 その姿は人間よりは一回りは大きく、しかし二本の脚で歩む人に近い姿を持っている。さらに全身は暗緑色をしており、森の中にあって高い保護色効果を発揮していた。

 それらは馬と紛うほどに素早く、さらにほとんど音を立てずに木々の間を駆け抜けてゆく。およそ尋常な存在とは思えなかった。

 やがてそれらは森の中を密かに進む、とある集団を発見した。森の暗がりにまぎれながら、その集団が求めるものであることを確信したそれらは静かに頷きあう。

 やがて影のうち一つがそっと離れ、どこかへと駆け出していった。


 木漏れ日の射す穏やかな森の中、馬車と騎馬の群れがゆったりと進んでゆく。

 整備された街道ではない起伏にとんだ地面は馬車にとって負担が大きく、その歩みは遅い。それでなくとも馬車の主たちには人目を忍ぶ事情があり、静かに動かざるをえないのであるが。

 その事情とは馬車に乗る人物が示していた。色濃い疲労を顔に浮かべ、憔悴を通り越して無表情となっている少女。彼女こそ、クシェペルカ王国直系となる王女“エレオノーラ・ミランダ・クシェペルカ”その人である。

 その正面に厳しい表情で座るのはクシェペルカ王弟の妃である“マルティナ”、その隣でエレオノーラへ気遣わしげな視線を送っているのがマルティナの娘である“イサドラ”だ。


「エレオノーラ、しっかりして。陛下のことは私も無念……でも、これからは貴女がこの国を支えないといけない。あいつらをここから追い出さないと」


 イサドラが声をかけてもエレオノーラは反応せず、ただ馬車の揺れに合わせて壊れた人形のように首を振るままだった。

 その様子を見ながらマルティナは表情に皺を増やし険しくしていた。この逃避行の間、エレオノーラはずっとこの調子である。咲き誇る花のごとくと讃えられた美貌は今や虚ろで、生気が感じられない。まさしく人形のようなありさまだ。

 見かねたイサドラが何度も彼女に声をかけているものの、そのほとんどが徒労に終わっていた。


 王都デルヴァンクールが鋼翼騎士団に襲われたあの日、国王の犠牲により辛くも王城より脱出した彼女たち。

 彼女たちは、本来ならば一路東を目指す予定であった。東部にはマルティナの夫である、王弟フェルナンドが治める大公領が存在する。遺された王女を匿うのにそれ以上の場所はないはずであった。

 しかしそんな動きを阻む事情があった。

 それは鋼翼騎士団の飛空船である。一度は亡きアウクスティ王の目論見どおり国王を倒して油断していたジャロウデク王国軍であったが、やがてそれ以外の王族の姿がないことに気が付いた。

 王統・血統主義が幅を利かす西方において、国王の血族が残っているということは後々において問題となる。彼らはクシェペルカ国内へと侵攻しつつ、逃げた王族の情報を執拗に捜し求めていたのだった。


 ひとたび空を横切る船の姿を見かけてから、マルティナたちの旅は隠密を最優先したものとなった。

 この場にいるのはクシェペルカ王国にとって最後の希望ともいえる、尊い血筋の人物である。万が一を起こすわけにもゆかず、護衛の騎士たちは慎重に慎重を重ねた。

 情報を漏らさないよう街との接触は最低限に止め、街道を外れ大きく迂回する森の中を進む。物資と体力をすり減らしながらの隠密行。希望と意思だけが支えとなる状況において、箱入りで育ってきたエレオノーラの心が早々に折れたとして責められるものではない、だが。


「(このままだと、無事逃げおおせてもエレオノーラがもたないかもしれない)」


 この逃避行自体、問題ではないところがないというほど問題だらけではあるが、マルティナは中でもエレオノーラの様子に苦慮していた。

 大公領へと辿り着いた後は、正当なる血筋であるエレオノーラを旗印としてクシェペルカ王国の再興を目指さねばならない。そのために必要な、先頭に立つだけの強さが彼女には決定的に欠けていた。

 マルティナはふと隣に座る自身の娘の様子を伺った。イサドラはこの苦境にあってなお凛々しさを失わず、エレオノーラを案じ心配げな空気をまとってはいるものの、彼女自身にへこたれる様子はない。普段は騎士の真似事などを気取るおてんば娘ではあるが、この状況にあって彼女の強さは得がたい資質といえる。

 エレオノーラに娘の一割でいいから強さがあれば、そう考えずにはいられないマルティナであった。


 それぞれの悩みをのせてゆっくりと進み続けていた馬車だったが突然、その歩みを止めた。周囲の騎士たちが慌しく動く気配が馬車の中まで伝わってくる。


「! ……どうかしたのか!?」


 窓を開け、随伴する騎士へと鋭く問いかけたマルティナに、馬上の騎士が振り向いた。


「馬上より失礼します。斥候からこの先に異常を発見したと報告が」

「敵か?」

「詳細はわかりません。しかし万一もありえます、ここはさらに迂回するよう……」


 言いつつ、騎士が振り向こうとしたときである。

 彼らの耳が鋭い風切り音を捉え、それと同時に飛来した矢が、窓の外に覗く騎士の頭部を貫通した。息を呑むマルティナの目の前で、騎士の姿は馬上から崩れ落ち見えなくなる。


「敵襲! 敵襲!」

「馬鹿な、もっと先にいたはずでは!?」

「とにかく動け、このままだと的になる……ガッ!?」


 突然の襲撃に、護衛の騎士たちは完全に浮き足立っていた。その間にも茂みの中からはクロスボウを構えた兵士が次々と現れ、容赦なく彼らを屠ってゆく。伏兵の兵士は全員が統一された簡易な鎧を身につけていた。そこに描かれた紋章は、ジャロウデク王国のものだ。

 奇襲により護衛の騎士たちがどんどんと数を減らす中、王族の乗る馬車の御者はすぐさま馬に鞭をいれ馬車を急発進させていた。彼も訓練を受けた騎士の一人である、その即断は十分に評価されるべきであったが、状況はそれすら手遅れであった。


 突如、馬車の行く手の地面へと眩い橙の光が飛来し、次いで爆発が起こる。強烈な炎と風に煽られて馬が絶命、馬車は横転し二、三度地面を跳ね回った。

 さらに前方から重量感に満ちた足音が近づいてくる。金属でできた鎧がぶつかる音、さらに結晶筋肉クリスタルティシューが奏でる甲高い駆動音と、魔力転換炉エーテルリアクタに空気を取り入れるくぐもった吸気音も聞こえてきた。

 その正体が何か、説明の必要はないだろう。木々の間より漆黒の鎧を纏う巨人の騎士――幻晶騎士がゆっくりと現れたのである。現れたのは一機だけではなく、周囲からは次々と、合計で六機の幻晶騎士が現れ馬車の一団を取り囲んでいた。

 ここにあるのは先日王都を蹂躙した“ティラントー”ではない。ティラントーは戦力としては極上だが致命的に機動性に欠け、広範囲の探索には向いていない。これらは幻晶騎士として標準的な体型を持つ“ヴォラキーロ”という機体だ。

 ジャロウデク王国軍が好む漆黒の鎧をまとい、その背から伸びる背面武装バックウェポンが伺える。そのうち一本が法弾を放った痕跡である、淡い光を放っていた。


 幻晶騎士の足元からはわらわらと生身の兵士が駆け寄ってくる。横転し動けない馬車は完全に包囲されていた。

 クロスボウや杖を手に並ぶ彼らをかきわけて、しっかりとした鎧を身につけた男が前に出てくる。兵士たちをまとめる隊長格の男だ。彼は抵抗するものが既にいないことを見て取ると、顔を笑みの形に歪めて声をあげた。


「馬車の中のものたちよ、外に出てくるのだ。抵抗しても無駄であるぞ」


 帰ってくるのは沈黙ばかり。彼らの奇襲と、何より幻晶騎士の法撃により大きな被害を被ったのだから当然だろう。

 だが彼は不愉快げに鼻を鳴らし、再び問いを投げかけていた。


「別に我々は、お前たちの生存には拘っていない。このまま吹き飛ばしてから考えてもいいのだよ」


 あからさまな脅しだが、言葉に合わせてヴォラキーロが魔導兵装シルエットアームズを構えたとなれば、どうか。


「待ちなさい」


 溜息一つ分だけ間があり、果たして答えは返ってきた。男がピクリと眉を上げた直後、横転していた馬車の扉が“内部から吹き飛ばされる”。ジャロウデクの兵士がぎょっとして各々の武装を構える中、馬車の入り口からゆっくりと人影が這い出てきた。

 マルティナだ。彼女は馬車の上に仁王立ちになると、周囲を取り囲む雑兵を睥睨する。


「ふん、幻晶騎士まで持ち出してきて大仰なことだ。で? お前たちは女一人を相手に、武器を構えないと話もできんのか?」


 女性としては長身であり、鍛えられた彼女が馬車の上に立つと周囲を大きく見下ろす格好となる。

 長旅で薄汚れたドレス姿でありながら、些かも迫力と威厳を失わない彼女の様子に、兵士たちは怯みを覚えていた。隊長格の男もいくらか表情を引き攣らせたが、彼はすぐに状況を思い出し慇懃無礼な態度を取り戻す。


「これはこれはマルティナ妃殿下でございましたか。ご尊顔を拝謁しまこと恐悦至極……」

「ぬけぬけと」


 マルティナは顔をしかめて隊長格の男の言葉を無視すると、周囲を見回した。彼女たちは完全に兵士に包囲されており、さらには離れた場所に幻晶騎士まで配置されている。

 反対に、彼女たちを守るべき護衛の騎士たちはすでに倒れていた。状況はあまりにも不利だ。仮に彼女の身を囮にしたとても、エレオノーラとイサドラを逃がすことができるだろうか、彼女は確信を得られずに唇をかみ締めた。


「さて、クリストバル殿下は貴女がたの捕縛をお命じになった。余計な抵抗はなされませぬよう……我々は確認さえ取れるならばどのような状態でも構わぬといわれておりますのでな。ですが大人しく従っていただけるなら、無体な扱いはせぬと約束いたしましょう」


 圧倒的優位を隠そうともしない隊長格の男の物言いに、マルティナは不興げに眉根を寄せたが、さすがにそこで抵抗を選ぶほど彼女も反骨心に満ちてはいなかった。


「……失敗したものだね。何をするにしても、幻晶騎士は実にまずい」


 人間など一瞬のうちに挽肉に変えてしまえる力を持つ、巨人の騎士が無言で彼女を威圧する。いかなる抵抗もその力の前では無意味だ。

 ここで王女と娘と共に投降するという選択肢はマルティナにはない。だがそれ以外の選択肢もない。

 決断までに残された時間は少なかった。隊長格の男が短気を起こす前に決めなければならないのだ。彼女の心の天秤が、絶望に傾いてゆく。


 ――だが、しかし。直後、彼女の意思とは関係なくその場に異常が訪れた。

 森に轟く馬蹄の音。一定の間隔で地を打つそれは、騎士である人間には耳に馴染みの深い旋律だ。だが彼らはそれに違和感を覚えていた。どう聞いてもそれは馬蹄の音としては“重すぎる”。まるで幻晶騎士と同じくらいの大きさの馬がいるかのように、重量と激しさに満ちた音だ。

 オービニエ以西から魔獣の大半がいなくなり、はや数百年が経つ。この場にいるジャロウデクの兵士たちにとって、決闘級魔獣すら半ば伝説の中の生き物だ。

 彼らは“魔獣”という存在を想定しない。ただ、何者かがやってくるということに警戒を深めるだけだ。特に今は逃げ出したクシェペルカの王族を拿捕しようというときである。水を差されてはたまらない。

 そんな尖った空気が漂う中、ただ一人マルティナだけがはるか遠き故郷での懐かしい記憶を思い起こしていた。


「……これは、魔獣……? まさか、クシェペルカにもいたのか!?」


 彼女の予想は、外れていた。

 はるか森の奥より、土煙を蹴立ててやってくる影。強烈な勢いで木々を折り砕き、大地を打ち鳴らしながら“それ”が白日の下に現れる。

 “それ”は、彼ら全員が全く見知らぬ、奇妙な存在であった。上半身は人に近い姿をしていたが、下半身は馬の姿をしていた。半人半馬とでもいうべき異形の存在。

 想像の外にある“それ”を前に、誰もが全貌を把握するまでに多少の時間を要していた。その間にも“それ”は騎馬による騎槍突撃ランス・チャージよろしく、突き出した長大な騎槍ランスをもって進路上のヴォラキーロへと突撃を始めていた。馬蹄の響きは地を割らんほどに高まり、それが持つ力をうかがわせる。

 ヴォラキーロの抵抗など、何ほどのものもなかった。仮にも幻晶騎士であるその鎧を易々と貫き、勢いのままに高く蹴り飛ばしながら、“それ”――人馬騎士“ツェンドリンブル”はジャロウデク軍の包囲のど真ん中へと踊りこんでゆく。

 魔力転換炉を二基搭載しているが故の独特の共鳴音スクリーミングノイズが馬のいななきのごとく駆け抜け、ジャロウデク軍の包囲を揺るがした。


 動揺したジャロウデク軍の対処が遅れる間に、ツェンドリンブルが途中まで背後に牽いていた、切り離された巨大な荷馬車キャリッジから何者かが飛び出していた。それはツェンドリンブルの後を追って迷うことなくジャロウデク軍の包囲の只中へと飛び込んでゆく。


「そこをどけぇ!」


 陽光を眩く反射する、黄金の輝きがヴォラキーロの幻像投影機ホロモニターの上を踊る。勢いのままに飛び出した、金色の鎧を持つ幻晶騎士“金獅子ゴルドリーオ”が両手で構えた大剣を渾身の力で振りきった。

 狙われたヴォラキーロが慌てて盾を構えようとしたが、間に合わずそのどてっぱらに大剣が叩き込まれる。屈強な金獅子の出力はヴォラキーロの装甲を果実か何かのように破砕し、結晶筋肉も金属内格インナースケルトンも委細構わずその身を両断していた。斬り飛ばされた上半身が、しばらく空中で回転したあとようやく地面へと辿り着く。

 金獅子は勢いに乗ったままマルティナのいる馬車の元へと駆けつける。ツェンドリンブルと金獅子が、馬車の左右を守るような形で立ちはだかった。


「なっ、なっ、なんだ、なんだ!! これはっ一体ッ……!!」


 ジャロウデク軍の隊長格の男は、巻き込まれないように必死の形相で異形の幻晶騎士から逃げ去ろうとしていた。そうして逃げる兵士たちと入れ替わりに、ようやく衝撃から立ち直ったヴォラキーロ部隊が包囲を狭める。

 凶悪な人馬の騎士と黄金の獅子を前に、ヴォラキーロの騎操士たちは必要以上に警戒しながら、徐々に距離をつめていった。

 それを気にも留めず、金獅子が首を巡らし足元を確認する。土煙から己を庇いしっかりと馬車にしがみつく叔母マルティナの姿を視界に捉え、金獅子の操縦席の中で“エムリス・イェイエル・フレメヴィーラ”は安堵を覚えていた。


「危ないところだったが間に合った……からには、もう遠慮はいらん。こちらは必ず俺が護る、だから」


 振り返ってジャロウデク軍を見据えれば彼の中から安堵は消え去り、代わりに強烈な怒りが湧き起こっていた。彼は、獣たちの王が怒りを表す時に似た、低く感情に満ちた声で命を下す。


「全て、潰せ」


 ヴォラキーロ部隊は十分に警戒していたはずだ。これらの異形の者どもにより全くの奇襲を受けたのだから、同様の存在が後続にあると想定するのは当然であろう。

 しかしそんな彼らであっても想像だにしなかった。新たなる脅威は、彼らの常識の外で、すでに攻撃へとうつっていたのである。

 日の光を遮って、空から巨大な影が落ちる。それは雲にしては明瞭な輪郭を持ち、鳥というには巨大に過ぎた。明らかな異常を感じたヴォラキーロが慌てて見上げたとき、全ては手遅れとなっていた。


 藍色の装甲が、太陽の影に黒く染まっている。一瞬だけその姿を垣間見たヴォラキーロの騎操士は、それがもつ奇妙に人間じみた面構えと目が合った。

 “上空より”やってきたのは、間違いなく幻晶騎士であった。それは当然ただ落ちてきたわけではない。落下の勢いもそのままに、ヴォラキーロへと両の手に持つ二本の大剣を振り下ろしていた。鋭さには欠けるであろう肉厚の剣が、勢いの力だけでヴォラキーロを肩口から断ち割ってゆく。

 完全に足元まで通り抜けた大剣が地面を抉り、爆発的に土煙を噴き上げた。機体を無理矢理三つに分けられたヴォラキーロが力なく倒れてゆく。もはや状況を把握しきれず凍りついたように動きを止めるジャロウデク兵士を前に、“それ”はゆっくりと立ち上がってゆく。


「いーち」


 幻晶騎士である。幻晶騎士であろう。身の丈およそ一〇m、珍しい意匠を持った藍色の鎧を身に纏い、奇抜な形状をした大剣を両の手に持った幻晶騎士だ。だが最も目を引くのはその背中にあるものであろう。なにしろその機体は、狂気的なことに背からさらに四本の腕を伸ばしていたのだから。人馬の騎士も衝撃的であったが、これもまた尋常の存在ではない。

 戦慄するジャロウデクの兵士を前に、銀鳳騎士団団長専用機、鬼面六臂の鎧武者“イカルガ”は、その妙に人間臭い面当ての奥で眼球水晶をぐるりと巡らせ、次の獲物を捜し求めていた。


「く、くそっ、次から次へと! 総員、法撃戦だ! こいつらは危険だ、まとめて吹き飛ばせ!!」


 隊長の叱咤により、ヴォラキーロ部隊がごく短い自失の状態より回復する。彼らは空から現れた新たなる脅威を含め、全てを最大級に危険だと判断していた。なりふり構わず、それらの足元にいるクシェペルカ王族の生き残りも含めて全てを吹き飛ばすべく背面武装を起動する。

 その機先を制して、恐怖が轟いた。

 “咆哮”、それは咆哮としか表現できない音だった。己の強大さを、巨大さをあまねく知らしめるためだけに放たれる、巨獣の雄叫び。木々を震わせる、師団級魔獣の心の臓ベヘモス・ハートによる激しい吸気音とマギジェットスラスタの噴射音が周囲を圧倒する。

 爆音がジャロウデク兵士の耳朶を打った。全身の鎧から紅蓮の炎を噴き上げて、反動を得たイカルガが常軌を逸した速度で駆け出したのだ。


「ヒィッ……!!」


 呻き声を上げつつヴォラキーロが反射的に放った法弾を、イカルガは僅かなスラスタ噴射で避けると次の瞬間には剣の間合いまで詰め寄っていた。

 勢いをのせて大剣を振り下ろすイカルガに対し、ヴォラキーロがかざした盾が間に合ったのは、ほとんどが偶然だ。直撃した大剣による激しい打撃により一瞬で盾が歪み、ヴォラキーロの脚が地にめりこむ。盾を支える腕からは結晶筋肉が幾本も砕け飛び、折れなかったのが奇跡と思えるほどだった。

 彼らの知るティラントーをも上回るほどの、恐るべき力だ。直撃すればただではすまないだろう。そうしてヴォラキーロが衝撃で動けなくなっている間に、イカルガは無慈悲にも次なる攻撃へと移っていた。


 イカルガの背に折りたたまれていた四本の腕が蠢き、展開されてゆく。両手というべきか、二本ずつの手で持った二本の斧槍ハルバードが構えられると、円形の軌跡を描いてヴォラキーロへと襲い掛かっていった。

 遠心力を載せた一撃が唸りをあげて叩き込まれ、ヴォラキーロの両腕が失われる。攻撃、防御の手段を失ったヴォラキーロが呆然と立ち尽くす間に、大剣による二撃目がその身を襲った。斬撃を受けたヴォラキーロは腰から折れ曲がり、くずおれる。


「にーい」


 残るヴォラキーロは二機。その騎操士たちは完全に恐慌状態に陥っていた。もはやその形がどうといった状況ではなく、ただ敵が脅威に過ぎる。彼らの脳裏では、どうしても勝利を得る手段が思い浮かばなかった。

 それでも彼らは彼我の距離が残っているうちに背面武装を乱射し、がむしゃらな攻撃に出た。鎧武者か、人馬の騎士か、黄金の獅子か、はたまたクシェペルカ王族の生き残りか。どれかにあたれと、悲痛な願いをこめて法弾が宙を飛翔する。

 イカルガは斧槍を振り回すと、あっさりと法弾を弾きとばした。馬車を狙った法弾は金獅子によって防がれている。


 イカルガはそのまま、がむしゃらに攻撃を続けるヴォラキーロへと向けて大剣を突き出した。剣の届かない間合いであるにもかかわらず、だ。

 その大剣はただ尋常の剣ではない。イカルガが大剣の持ち手にあるレバーを弾いて操作した瞬間、その刀身が真っ二つに割れる。肉厚の刀身の内部には、明らかに剣には不要な機構が存在していた。銀板、鋼の枠、そして触媒結晶。

 そのまま大剣に魔力マナが流れ込んでゆく。次の瞬間、先端部に設置された触媒結晶に輝きが宿った。そう、これはただの大剣ではなく魔導兵装としての機能を兼ねている、つまりは巨大な銃杖ガンライクロッドなのである。その名を“銃装剣ソーデッドカノン”。

 内部の紋章術式エンブレム・グラフにより構築された戦術級魔法オーバード・スペルである、侵徹炎槍ペネトレイトランスが莫大な魔力の迸るままに発動した。

 ヴォラキーロへ向けて、鮮やかに輝く法弾が発射される。狙われた機体は常識の外から飛んできた法弾を呆けたように見つめたまま、避ける間もなく直撃していた。炎の槍カルバリンのそれに比べ、数倍はあろう激しい爆発がヴォラキーロの鎧を穿ち、吹き飛ばす。次々と続く法弾が突き刺さり、やがてその姿は爆炎の向こうへと消えていった。


「さーん」


 残った一機のヴォラキーロは、既に身も世もなく逃げ出していた。ある意味で賢明であろう、藍色の鬼神はどう考えても戦いを挑むべき相手ではない。二個小隊(六機)はいたはずの僚機は瞬く間に破壊され、もはや味方は残っていないのだ。


 当然、それを見逃すイカルガではなかった。その鎧が展開を始め、隙間から地獄のような炎が吹き上がり始める。マギジェットスラスタの圧倒的な推力を受け、イカルガの姿が消えた。いや、静止から一瞬の間に圧倒的な速度を得、ヴォラキーロに詰め寄っていたのだ。

 しかも“木々の生い茂る森の中を”である。全身のスラスタが小刻みに蠢き進行方向を調整することで、正気とは思えない速度で障害物だらけの森の中を進むことを可能としていた。

 残る最後のヴォラキーロには、何かを言い残す時間も残されていなかった。突き出された銃装剣がその背面装甲と背骨を砕いて刺さってゆく。そうして刺さったまま銃装剣の刀身が展開。直接内部で放たれた法弾によりヴォラキーロが爆砕し、次の瞬間には完全な鉄屑へと変じていた。


「しーい……あれ? もう終わりですか……まだまだ足りないのに」


 爆発の余韻が残る中、イカルガを駆る騎操士“エルネスティ・エチェバルリア”はまるでお菓子をねだる子供のように不満を露にしていた。イカルガがそれを表し背の斧槍をぶんぶんと振り回す。

 とはいえないものは仕方がない。イカルガが背中の腕を折りたたみ、斧槍と共に収納状態へと移行する。続いて両手に持つ銃装剣をくるりと回転させると、腰部装甲に収納されていた小さな補助腕がそれを掴んで固定した。

 最後に一際大きな咆哮を上げ、周囲を埋めていた騒音が止んだ。戦闘状況が終わり、皇之心臓ベヘモス・ハートを停止して通常動力へと移行したのだ。

 完全に通常状態へと戻り終わったところで、イカルガの肩に飛び乗ってきたものがいる。暗緑色に塗られた幻晶甲冑シルエットギア・シャドウラートと、それを操る藍鷹騎士団の騎士“ノーラ・フリュクバリ”だ。


「……滞りなく」

「見事な腕前です。目的の人物は、間一髪で助けられたようですよ」


 ノーラとシャドウラートが頷く。エルたちがこの場所に駆けつけることが出来たのは、間者集団である藍鷹騎士団の支援があってこそだ。その目的を果たした今、エルは彼女たちに新たな任務を与える。


「ひとまずこちらは問題ありません。最低限の“結界”のみのこし、あとは情報の収集をお願いします」

「承知」


 再びシャドウラートが木々に紛れるのを見送り、イカルガは踵を返していった。



 森の中を満たしていた咆哮が途切れたことに気付き、馬車を護っていたツェンドリンブルと金獅子は顔を見合わせていた。


「でんかー、いつの間にか終わっちゃいましたよ」

「ううむ、思ったよりちょっとばかり早すぎるが、何も問題はないな! さて、とだ」


 エムリスが金獅子の首を巡らせて見れば、横転した馬車の上にマルティナがどっかりと胡坐をかいていた。仮にも貴人としては憚られる姿である。

 突然現れ、ジャロウデク軍を圧倒的な力で蹴散らした謎の幻晶騎士部隊。もしこれらが敵だとすれば、その危険度はジャロウデク軍の比ではない。そこでマルティナはいっそのこと抵抗をすっぱりと諦めて、その出方を伺っていたのだ。それにしてはふてぶてしい態度であるが、そこは彼女の性格的な問題である。その様子を見てエムリスは押さえきれず低く笑った。


「さすがは叔母上、肝が据わっているな!」

「……その声、まさかと思うがエムリスリースか!!」


 ひたと金の幻晶騎士をにらんでいたマルティナは、その中から響いてきた声に仰天する。その間にも金獅子が膝をつき、獅子の顔を模した胸部装甲がその口を開くようにして展開していった。


「あんた……」


 操縦席から現れた、なじみ深い顔を見てさしものマルティナも言葉に詰まる。気丈さを身上とする彼女であっても、いくらなんでも状況が対応できる範囲を超えていた。

 そのとき、倒れたままの馬車の中から慌てた声が聞こえてきた。


「リース……母さん! リースにいが来たのですか!?」


 マルティナが反応するより早く、馬車の出入り口へとイサドラがよじ登り外へと出てくる。先ほどまでじっと息を殺していた彼女は、戦闘の音がやんだところで馴染みの名を呼ぶ母の声を聞き、矢も盾もたまらず飛び出してきたのである。

 そんな彼女の目前にあるのは、ド派手な金の獅子とその口の上で誇らしげに胸を張るエムリスであった。彼女はマルティナ譲りの凛々しげな顔つきに驚愕よりも呆れを浮かべ、そのまま佇む機体と騎操士をたっぷり三回は見比べてポツリとつぶやいた。


「リース兄、相変わらず趣味悪い」

「なんだとぉっ!? こっ、こんなに格好いいというのに!?」


 愕然と、それまでの余裕を翻して叫ぶエムリス。立て続けに意味不明の事態が起こり、どうにも反応に困るマルティナ。

 そんな彼女の背後から、幻晶騎士が歩く重い足音が聞こえてきた。それに続いて、どこか幼さの残る澄んだ声が降ってくる。


「でん……いえ、“若旦那”。懐かしんでおられるところ申し訳ありませんが、今は説明を急がれたほうが」

「おっと! それもそうだな、いつまでもこんなところにいるわけにもいかん」


 エムリスは特大の笑みを浮かべた後、さっと表情と姿勢を正す。それから、じつにわざとらしく恭しい態度を作ると、のたもうた。


「これは、これは、マルティナ妃殿下ではありませんか。われらは“銀鳳商会”ともうす、通りすがりの商人とその護衛にございます。見ればなにやら難儀されていたごようす、差し出口かとはぞんじますが見るに見かね、お助けに入った次第」


 これ以上はなかなかないだろう、素晴らしい棒読み口調で読み上げられたエムリスの台詞に、マルティナは常に明快な彼女にしては珍しく、実に珍しくたっぷりと絶句していたが、ようやく言葉を搾り出していた。


「え? ああ、そういう? いや、いくらなんでも白々し過ぎやしないかい、それは」

「おお! 親父が言うにはいくら白々しかろうが、いったもの勝ちだそうだ!」

「リオ兄さんの心遣いが染みて涙が出そうだよ」


 マルティナは嘆息する。これほどの超絶的な幻晶騎士を引き連れて、彼女の甥は“国”のよしみで助けに入ったのではないという。その意味が理解できない彼女ではなかったが、それもここまでわざとらしく言い切られては呆れるしかない。


「で、だ叔母上。俺たちは商人だからな! 商品を買ってほしいんだ」

「は? あんた一体何をいっているんだい」

「俺たちが売るのは“安全”と“戦力”だ。ひとまずはフェルナンド叔父貴のところまで、でどうだ? お代は後払いで結構だぜ」


 不敵なようすで、明快な笑みと共に放たれた言葉につられて、マルティナもようやく余裕と笑みを取り戻す。

 その二人の笑みは良く似ており、やはり血の縁を感じさせるものだ。


「……まったく、このお馬鹿は……いいじゃない、買ったよ!」


 彼らが契約を交わしていると、その背後から先ほども聞いた重々しい馬蹄の音が聞こえてくる。人馬騎士ツェンドリンブルは、この場にあるもの以外にもう一つあったのだ。それは荷馬車より甲高いブレーキの音を響かせながら減速し、マルティナたちの元までやってくるなり盛大に愚痴を始めた。


「アディ、森の中で飛ばしすぎだっつの。危ねーだろ!」

「うーん、これは仕方ないのよ。ものすごく急げってでん……若旦那のご命令だし!」

「うむ!」

「……若旦那ぁ、あんま無茶しないでくださいよ。木に衝突でもすれば洒落じゃすみませんよ」

「大丈夫だっただろう!」

「この人らは……」


 マルティナとイサドラは、夢でも見ているのかと思わず頬をつねっていた。黄金の獅子はまだいい、標準的な幻晶騎士だ。だがこの人馬の騎士は一体なにものなのか。見たことも聞いたこともない、この異形の騎士をエムリスが率いているということは、これらは彼女の実家フレメヴィーラ王国にて作られたものなのか。彼女たちの疑問は尽きない。


「しばらく帰っていないけど、一体今のフレメヴィーラはどうなってるんだろうね……」


 呆れを隠せない様子のマルティナのぼやきに、何故かエムリスがガッツポーズで応えていた。


「はっは! さて契約成立だ。出立するぞ、銀鳳“商”騎士団よ!」

「心得ております“若旦那”。契約に従い、僕たち銀鳳商騎士団はあなたがたの剣として、存分に力を振るう所存にあります」


 振り向いたマルティナは、そこに最大の異形を認める。やけに人間くさい面構えをもった藍色の鬼神。常に怒りを湛えたかのようなその形相は、マルティナをどこか落ち着かない気分にさせていた。


「それに“賊”どもには、少々縁もあるようですしね……」


 イカルガの操縦席の中、エルネスティは幻像投影機にうつるジャロウデク軍の幻晶騎士の残骸を見つめていた。

 そこには“背面武装”を装備していた形跡があった。それは彼と彼の騎士団が作り上げた最新装備だ。フレメヴィーラ王国以外にそれを使うものがいるということは。

 その後彼が浮かべた、ひどく物騒で楽しげな笑みを見るものがいなかったことは、ある種の救いであったことだろう。



 外に響いていた幻晶騎士の駆動音と、戦闘をおこなっているとおぼしき爆発音はいつの間にか止んでいた。

 それに反応することなく、横転した馬車の底でエレオノーラは力なく地面を見つめていた。暗い空間である。周囲にはかき回された内装の残骸が散乱しており、破壊の跡も生々しい。

 彼女の心はこの破壊された馬車と似たようなものだ。父親を失い、国を失ってからの逃避行。状況はそれまで平和にまどろんでいた彼女には過酷に過ぎた。心折れた彼女は倒れ、動くことが出来ない。

 そうして立ち上がることすらできずにいた彼女へと、唯一開いた天上の穴から誰かの手が差し伸べられた。マルティナだ。彼女は強引にエレオノーラの軽い身体を引っ張り出すと、馬車の上へと彼女を立たせていた。

 明るい日の光の下へ出たエレオノーラは目にしていた。黄金の輝きをもつ、獅子を象った騎士。その後ろに付き従うのはまるで御伽噺からでてきたような半人半馬の騎士。いや、神話か伝説であろうか? そんなある種の神々しさを含む光景を背に、マルティナが彼女の手を握り締める。


「エレオノーラ、しっかりとおし。私たちは力強い味方を得たのよ」


 エレオノーラはついに、自分の心は現実を正常に認識できなくなったと思った。これは彼女の心が見せた、あまりに都合のいい幻であると。

 そんな夢うつつの彼女を目覚めさせるように、背後から恐ろしい巨獣の咆哮が一瞬轟いた。振り向いた彼女はそこに最大級の異形の影を見る。強大な力の顕現としての、鬼面六臂の姿。それは彼女にとって助けであるのか、最後を告げにきたものか。

 自分は一体これからどうなるのだろう。現実感の薄い光景の中で、彼女はただぼんやりとそれだけを考えていた。




「逃がしただと……?」


 旧クシェペルカ王都デルヴァンクールにある王城。かつてはクシェペルカ王のためのものであった玉座に居座りながら、ジャロウデク王国第二王子“クリストバル・ハスロ・ジャロウデク”は部下の報告に不興げな声を上げた。


「ヴォラキーロ二個小隊をもってしながら、たかが女ごときを取り逃がしたというのか!」


 彼らにとって逃げ出したクシェペルカ王族の拿捕、ないしは殺害は急務である。なんとなれば、生き残った王族がいると知られれば反抗的な旧クシェペルカ貴族に大義名分を与え、結果として戦争の長期化を招くかもしれないからだ。ジャロウデク王国の保有する戦力は圧倒的であり、クシェペルカ制圧も時間の問題ではあるのだが、余計な被害は少ないに越したことはない。

 そんな折にまさに捜し求めた王族を一時は捕らえながら逃がすなどと。しかも相手はほとんど丸腰である、彼が激怒したのも無理なからぬことであった。


「お、恐れながら、正体不明の敵兵力が現れたため我々は不意をつかれ……」

「われらが黒騎士ブラックナイトが、惰弱なクシェペルカ兵ごときに敗れたというのか! 数か? いったいどれほどの大軍が現れたのか、申してみよ!」


 報告をしている兵士は、言葉に詰まっていた。彼の不幸は、敵が銀鳳商騎士団であったことだろう。正直にその正体を聞かせても到底信じられるとは思えず、妄言と取られるのがせいぜいである。それゆえに彼は言い訳も出来ずにぱくぱくと口を開閉させるのみだ。

 そんな行き詰まりを見せる玉座の間に、新たなる人物が現れた。彼はしばらく報告の次第を聞いていたが、やがて前に出ると発言を請う。


「殿下。その任務、わしが引き継ぎましょう」

「む、ドロテオか。それは、しかしだな……」


 クリストバルは常と同じく落ち着いた“ドロテオ・マルドネス”の言葉に、不興げな表情をいくらか緩めていた。


「取り逃がしたとなれば、下手をすればそろそろ大公領に転がり込む位置にいましょう。あれは確か王弟が領主であったはず、そうなれば少々厄介でございます。ここは戦力を小出しにする場合ではありません、飛空船を投入してでもカタをつけねば」

「なるほど、お前の言葉も一理ある……が、飛空船は各地の攻略にかかりきりだ。いかにお前とて、早々回すわけにはいかんぞ」


 ドロテオはふむ、と一つ唸ったあと


「さすれば、一度進路上に先回りして我らのみを降ろしていただければよいかと。すぐに飛空船は送り返し、我らは逃げた王族を始末して戻りましょう」


 クリストバルはいくらか悩んだが、結局はドロテオの案を認めた。

 確かにドロテオの言葉通り、空をゆく飛空船の移動能力があればギリギリ間に合うであろう位置にいる。やはり王族の処分は、逃すべきことではなかった。また彼の進言どおり、飛空船だけ送り返すのならば戦力的な負担も許容範囲内である。


「……よかろう、許可する。お前にはそのままティラントー二個小隊を預ける。我らの憂いを断ってこい」

「ありがたき幸せ、必ずや期待に沿うてみせましょう。しからば、早速」


 ドロテオは一礼すると、そのまま颯爽と謁見の間より歩み去った。このまますぐにでも準備を整え、出撃するのであろう。機に敏くあれ、とは彼の座右の銘である。

 彼は一兵卒の騎士からの叩き上げであり、数々の軍事的功績によって名誉男爵の称号を得るまでに至った。肉体的には峠を過ぎた年齢ながら、豊富な戦場経験から優秀な指揮官として鋼翼騎士団の一翼を担っている。


「やれやれ、相変わらず慌しいやつだ……」


 苦笑を浮かべながらも、クリストバルの態度からはドロテオへの絶対の信頼が伺える。ドロテオがクリストバルに仕えて、既に十年以上の時が経つ。能力的にも立場的にも、彼はまさにクリストバルの懐刀といえるのだ。


「待てよ、念には念を入れるか……」


 彼はドロテオを疑ってはいない。だがそれとは別に、物事には完璧をきす性質であった。


「誰ぞ、あれ」


 空中へと放たれた呼びかけに応じ、静かに沸き出でるように現れる人影。クリストバルは彼に向かい命じる。


「銅牙騎士団を動かし、ドロテオの支援にあたらせよ」


 静かに一礼した人影がそのまま無音で立ち去るのをみながら、クリストバルは笑みを深くする。クシェペルカ王国が完全な滅びを迎えるまで、あと少し。

 彼の計画は仕上げの段階へと入っていた。

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