第5章 大西域戦争編

#55 西の大地に吹く風は

 “セッテルンド大陸”――人類と魔獣が暮らす、この大地の呼び名である。

 大峻嶺オービニエ山地によって東西に分かたれたセッテルンド大陸のうち、西側には人類が作り上げた数多の国家がひしめいている。それは住まう人々の言葉に曰く“西方諸国オクシデンツ”。

 およそ人間の大半が暮らすがゆえに、人々にとって世界とはまさに西方のみを指している。


 数多国ある西方諸国だが、元を辿ればとある一つの国へとつながっていた。それは幻晶騎士シルエットナイトの力により西方の地に覇をとなえた人類が作り上げた超巨大国家、その名を“ファダーアバーデン”という。

 西方暦一二八九年の現在において西方諸国を構成する主要国家、“ジャロウデク王国”、“クシェペルカ王国”、“ロカール諸国連合”、“孤独なる十一イレブンフラッグス”などの国々は、全てかの巨大国家が分裂してできた残滓なのである。

 強大無比なる力を携え、まさに世界の全てを手中に収めていた“世界の父ファダーアバーデン”であったが、その器は人の身には大きすぎるものだった。皮肉にもファダーアバーデンの庇護による西方の地の安定が、数を増しつつあった人々に欲を与え、やがて野心の炎が大地を焼いた。

 始まりは地方領主同士の諍い。それはすぐに国内全土に飛び火し、国はなす術もなく崩れてゆく。熟れ過ぎた果実が弾けるように、ファダーアバーデンの最期はあっけないものであった。

 それは伝説となるに十分な、およそ千年に近い古の物語だ。

 そんな長い時を経たにもかかわらず、いまだにその名は西方の民の中に生きている。ましてや国々の中には「我こそはファダーアバーデンの正当なる後継である」と声を上げるものも少なくはない。

 それが、西方で紡がれてきた歴史のあらましである。




 大地が、黒く染めあげられていた。冷たく、鈍い輝きに満ちた黒。硬質で重厚な金属質の黒。

 この地を黒い大地と化しているもの、それは全身に黒鉄の鎧を纏った巨人の騎士――幻晶騎士だ。地の果てまでも埋め尽くしていると錯覚しそうなほどの幻晶騎士の大部隊。それがこの場に集い、整然と並んでいる。

 ここはジャロウデク王国の王都。中央には巨大で壮麗な王宮があり、その目前には石畳で舗装された広大な空間が広がっている。

 王宮から正面へと突き出たバルコニーからは、ちょうどこの黒鉄の絨毯が敷き詰められた広場の隅々までを一望することができた。

 バルコニーには数人の人影がある。彼らは先ほどからじっと漆黒の騎士団を睥睨していたが、やがて一人の若い男が前に歩み出た。年の頃は二〇代の半ばほど、精悍な印象の若者だ。


 彼が歩み出るのにあわせ、低くざわめいていた巨人の騎士は心臓の鼓動をひそめていった。魔力転換炉エーテルリアクタの吸排気機構は抑えられ、結晶質の筋肉クリスタルティシューがかき鳴らされることもない。周囲は全てが死に絶えたかのように静かになった。

 彫像のように固まった黒い騎士を眺め、若い男は満足げに頷く。彼はそのまま落ち着いた声音で語りだした。何がしかの仕掛けがあるのか、彼の声は広場の隅々にまで伝わってゆく。


「我が国が西方に誇る、勇壮なる黒顎騎士団ブラックナイツの諸君よ。今日この時を迎えることができ、この私も胸を打たれる思いである」


 ジャロウデク国王である“バルドメロ・ビルト・ジャロウデク”が長子、“カルリトス・エンデン・ジャロウデク”は言葉を切ってゆっくりと周囲を見回した。

 普段は怜悧な印象を与える彼の切れ長の双眸は、いまは力のこもった視線を放ち彼の意思を周囲へと伝えている。


「諸君らも知ってのとおり、我らが国父、バルドメロ陛下は病魔の前にお倒れになった。遥か父祖の代に、卑劣なる反逆者によって分かたれた我らが国土。それを取り戻す大業におもむかんとした、まさに矢先のことであった! 父上がどれほどの無念を抱かれたことか、その御心察するに余りある!」


 彼の言葉は次第に熱を帯び始め、振り付けも大仰なものとなってゆく。その全ては黒鉄の騎士へと向けられていた。


「我らはその志を継がねばならない! 父祖と陛下の無念を晴らすべく、今ここに剣を取り立ち上がるのだ!」


 カルリトスが腕を振り上げるのにあわせ、黒い幻晶騎士が一斉に鼓動を再開する。彫像から騎士へと甦った黒鉄の兵どもが足を踏み鳴らし盾を打ち付け、彼らの主の言葉に唱和した。一糸乱れぬ打撃音は石畳で舗装された広場に反響し、地を揺らして四方に轟いてゆく。

 カルリトスは圧力すら伴った黒鉄のどよめきを、再び腕を振り上げて静止した。鋼の群れはすぐさま静けさのうちへと還る。


「時は来た」


 彼の呟きは静かでありながら、不思議と熱を秘めて聞く者の心にしみこんでゆく。

 黒鉄の鎧を操る騎操士ナイトランナーの一人一人が、いつの間にか熱意に浮かれた瞳で幻像投影機ホロモニターを見つめていた。


「多くの無念により引き裂かれた偉大なる国ファダーアバーデンを、再び我らの下で大いなる一つへと戻す時が来た!!」


 いっせいに上げられた騎士の雄叫びが、出力を上げた魔力転換炉の咆哮が大気を振るわせる。もはや誰が何を言っているのか、正確に把握しているものはいない。ただその場にある熱狂だけが、全てを燃え上がらせ狂わせてゆく。


「黒顎騎士団の全軍をもって、我らが正当なる大地を取り戻すのだ!」


 病に倒れた父に代わり、カルリトスは国王代理の地位についている。彼の言葉はジャロウデク国王バルドメロの言葉と同義だ。

 もとより新たなる強大な幻晶騎士を操り、征服の熱気に煽られた騎操士たちはすぐさま大地を揺らして歩みを始める。


 時に西方暦一二八九年。春の訪れとともに、ジャロウデク王国は隣接するロカール諸国連合へと宣戦布告をおこなった。

 布告よりおよそ一週間後。ジャロウデク王国軍はその保有戦力の過半である、黒顎騎士団、青銅爪騎士団、銅牙騎士団を始めとした六騎士団二個師団、合計約六〇〇機を動員して国境線へと一斉に進軍を開始した。

 ここに西方諸国中央部最大の国家群による全面戦争、後に“大西域戦争ウェスタングランドストーム”と呼ばれることになる戦いの幕が、切って落とされたのだ。




「よもや、ロカール諸国連合が一月ももたないとはね……」


 クシェペルカ王国の王都“デルヴァンクール”。

 その中央に聳える王城の中にあって一際広大な謁見の間。繊細な彫刻を施された玉座の上で苦々しげな様子で呟いたのは、かの国の王である“アウクスティ・ヴァリオ・クシェペルカ”だ。

 彼の眉根に深い皺を刻む原因。それは今朝早くに西の国境線より届いた一通の報せによるものであった。その内容は端的にいうと「ロカール諸国連合、滅亡せり」。ジャロウデク王国の宣戦布告以来、その動向を探っていたクシェペルカ王国としても予想を圧倒的に上回る速度で決着がついたのだ。


「そりゃあ諸国連合は所詮小国の集まり、ジャロウデクとの国力の差は歴然だ……とはいえ、あの者たちも長年の経験から守り戦には長けていたはずだが」

「報せによれば、ジャロウデクの戦い方はまさに力尽くであったとか。さして策を用いることもなく、正面から国を平らげていったと」

「ジャロウデクに、それほどの戦力が……」


 謁見の間に集まった諸侯が口々に言い合うのを、アウクスティ王は表情を動かさないままじっと聞いている。

 西方諸国に名だたる二大国家、それがジャロウデク王国とクシェペルカ王国だ。この二つの国は隣り合っているわけではなく、その間にはロカール諸国連合と呼ばれる小国家群が存在していた。

 東西を二つの大国に挟まれた、吹けば飛ぶようなこれらの国々がこれまで生きながらえてきたのは、実質的に両国の“緩衝地帯”としての役割をあてがわれてのことだ。

 とはいえ彼らは彼らなりに努力はしているようで、身を寄せ合って連合の体を為し、さらに両国の軍事的緊張を利用して双方を牽制して見せるなど、なかなかにさかしく立ち回ってきたようだったが。


「つまりジャロウデクに何かがあったんだな。急激に力を高め、かの野望を再び燃え上がらせるだけの、何かが」


 アウクスティ王の呟いた結論に、諸侯は顔を見合わせる。彼らもその原因に思い当る節はなかった。

 さらに彼らの頭を悩ませる事実はそれだけではない。ロカール諸国連合を撃破した後も、ジャロウデク軍の動きが止まったという報告がないのだ。むしろ、受け取った報せは真逆の内容を示している。


「小国とはいえ一国との戦を経てから、さらに我が国とも戦おうというのか。いかにあの国が大国だとて、少しばかり強引にも過ぎよう」


 諸国連合と戦い、その上でクシェペルカ王国と矛を交える。そこまでがジャロウデク王国にとって、予定された行動であるということだ。

 さしもの大国ジャロウデクであってもそこまでの力は持ち得なかったからこそ、これまで西方には仮初の安定が訪れていたのだが。その前提を覆すほどの変化がジャロウデク王国内で発生したとみて間違いはないだろう。

 アウクスティ王の頭の片隅を、それが何かを知らねばクシェペルカ王国も危ういのではないか、という疑念がよぎる。無視し得ない危機感を抱きながらも彼は王として気弱な姿は見せられなかった。


「いずれにせよ、挑まれたからにはこれを退けねばならない」


 決意に満ちたアウクスティ王の呟きに、その場に集まった貴族たちは緊張感もあらわに頷いた。中でもクシェペルカ西部に領地を持つ貴族の顔色が悪い。間もなく彼らの領地には、ジャロウデク王国が誇る黒鉄の騎士ブラックナイツが押し寄せてくるのだ。


「急ぎ、三枚砦シルダ・トライダに戦力を集めるんだ。侵略者どもに、己の思い上がりのほどを教えてやれ」


 三枚砦――それは、クシェペルカ王国西部の国境線を守る防衛線だ。

 クシェペルカに絶対の守護を約束する強固な城砦群。それをもってジャロウデク軍を迎え撃つ。基本的にして堅実な方策を告げた国王の意を受けて、貴族たちは慌しく動き始めた。


「(とはいえ、ジャロウデクだって西方に名高い三枚砦の存在は知っているはず。これまではどんな数を集めても突破できなかったというのに、それすら越える自信があるのか……?)」


 貴族たちの様子を眺めながら、アウクスティ王は胸のうちのみで呟く。彼の心中は晴れない。

 彼の視線は遥か西に存在する長大な城壁を見通すかのように、じっと宙へと止められていたのだった。




 瞬く間にロカール諸国連合を滅ぼしたジャロウデク軍は、余勢を駆ってそのままクシェペルカ王国との国境付近まで進軍していた。

 クシェペルカ王国、西部国境線。ロカール諸国連合と国境を接するその地には、バストル平原と呼ばれるなだらかな地形が広がっている。

 障害物が少ないために大軍を運用しやすい防衛には向かない地形なのだが、クシェペルカ王国は国力に物を言わせてその場所に長大な防壁を築いていた。三枚砦のうち“一番盾要塞シルダ・ユクシア”と呼ばれる大長城である。

 それは幻晶騎士の数倍に及ぶ高さを持つ堅固な城壁を備えており、さらには単なる城壁ではなく背後には要塞化された街が広がっている。それらを合わせた防衛能力は一〇〇〇機の幻晶騎士に襲われてもびくともしないと讃えられるほどであった。


 大国クシェペルカ王国の力を世に知らしめる金城湯池の大長城を前に、ジャロウデク軍側も幻晶騎士を展開させた一大陣地を築いていた。双方共に緒戦から総力戦の構えである。

 平原を黒く染めるジャロウデク軍の陣地の中央にて、視界をさえぎる長大な石の壁を眺めながら話す人影がある。


「さすがは世に名高き三枚砦が一つ、敵ながら難攻不落の堅城ですな」

「ふん、所詮は怯えの表れ。土地を取られやしないかと閉じこもっているに過ぎないさ」


 うち一人はジャロウデク王国第一王子カルリトスに似た風貌をしている。ただしカルリトスに比べてわずかな幼さと、それに伴う隠し切れない傲岸さが周囲に滲み出ていたが。

 彼の名は“クリストバル・ハスロ・ジャロウデク”。その名の通りカルリトスの弟であり、ジャロウデク王国の第二王子にあたる。彼はこのジャロウデク王国遠征軍において総大将という立場にあった。

 その傍らに立つ、屈強な体躯をした壮年の男性。彼は騎士団には所属せず、クリストバルの参謀的な立場にいる人物であり“ドロテオ・マルドネス”という。

 両軍がにらみ合う重苦しい緊張が垂れ込める中、二人は世間話の気楽さで一番盾要塞を評していた。


 彼らのジャロウデク軍陣地の合間からは、クシェペルカ軍が一番盾要塞の前方に防衛陣地を構築しているのが伺える。いかに堅固な一番盾要塞とはいえ、ただ攻撃に晒されるままではいずれ突破を許してしまう。クシェペルカ軍もさすがに立て篭もるだけというわけにもいかないのだ。

 そうして押し寄せるジャロウデク軍を撃退せんと身構えるクシェペルカ軍を眺め、クリストバルはまるで今にも獲物に飛び掛る肉食動物さながらの強暴な笑みを浮かべていた。


「クシェペルカは前進防衛をとってきましたか。狙い通りですな、殿下」

「半端に知恵が回るというのも悲しいことだな。さて、このまま睨みあっていてもいいのだが……我々が尻込みしているなどと思われるのも不愉快だ。まずは一当て、るぞ」

「御意」


 彼の決定は翌日には実行に移される。日が昇ると共にジャロウデク軍は進軍を始めていた。

 喇叭ラッパ銅鑼ドラの音に合わせて、ずらりと並んだ黒鉄の騎士が前進してゆく。多数の列を作り、粛々と進むジャロウデク軍の陣形。それはまさに、黒色の壁が押し寄せてくるような錯覚と圧力をクシェペルカ軍兵士に与えていた。


「あれが、ジャロウデクの新型か……なんと巨大な……」


 クシェペルカ軍制式採用幻晶騎士“レスヴァント”を駆る騎操士たちは、眼前に迫るジャロウデク軍の威容に息を呑む。

 敵騎士は巨大だ。比喩ではなく、ジャロウデク軍の配備する最新鋭幻晶騎士“ティラントー”は、彼らのレスヴァントと比べると頭一つは巨大なのだ。

 “ティラントー”は、恐るべき重装甲と信じられない大出力をこれでもかとその身に詰め込んでおり、まさに溢れる力ではちきれんばかりに膨らんでいるのである。


 ジャロウデク軍が進軍するのを見て取ったクシェペルカ軍は、すぐに応戦を始めた。まずおこなわれるのは一番盾要塞からの遠距離攻撃だ。

 ジャロウデク軍へと降り注ぐ、投石器による巨石の雨。レスヴァントならば盾ごと押し潰されてもおかしくはない巨石の一撃を、しかしティラントーは盾をかざしただけで易々と打ち払っていた。

 ジャロウデク軍の新型機はいったいどれほどの力を備えていることか。投石攻撃がさしたる効果を挙げなかったことにクシェペルカ軍がさらなる戦慄を覚える。

 やがて前進するジャロウデク軍は魔導兵装シルエットアームズの射程へと踏み込んだ。双方から撃ち放たれる法弾が、さっそく地形を書き換え始める。

 そうこうしているうちにティラントー部隊はクシェペルカ軍の目前まで近づいていた。この距離ならば味方を巻き込まないように、投石はおこなわれない。ティラントー部隊は盾を投げ捨て、接近戦へと突入していた。要塞前に築かれた簡易の防衛陣地を挟んで、両軍の剣戟の音が響き渡る。


「な、なんだこいつら……化け物か!?」

「畜生、剣が、剣が弾かれて……!」


 戦闘は、予想以上に一方的なものとなっていた。ティラントーはまさに無類の戦闘能力を発揮していたのだ。

 ティラントーの強靭極まりない装甲はレスヴァントの振るう剣を無造作に跳ね返し、強力無比の力で振るわれる重棍ヘビーメイスは逆に一撃でレスヴァントを粉砕する。それが密集した横列陣形で攻めかかってくるとなれば、クシェペルカ軍は為すすべもなく叩きのめされ、蹴散らされる一方であった。

 かつてアウクスティ王が危惧した以上に、ジャロウデク軍とその新型機は強力であった。元々、ジャロウデク王国とクシェペルカ王国で使用している幻晶騎士の性能に劇的な差はなかった。ここしばらくの間に、ジャロウデク王国の内部でよほど革命的な技術革新があったのだろう。そんなことがわかっても、押し潰されるクシェペルカ兵には何の慰めにもならなかったが。


「くそう、ジャロウデクのやつら、もう上がってきてやがる……!」

「このままでは陣地がもたない……退け! 一番盾要塞まで退いて防衛するんだ!!」


 数刻の後、バストル平原は鎧の黒か炎の赤のみがある不毛の地と成り果てていた。周囲にはレスヴァントの残骸ばかりが並び、黒騎士の骸は数えるほどしかない。まさに鎧袖一触、痛打を被ったクシェペルカ軍に撤退以外の選択肢はなかった。

 幸いにもジャロウデク軍が誇るティラントーは、その重装甲・大出力の代償として機動性には大きく欠けていた。よって撤退するクシェペルカ軍を追いきれず、彼らはかろうじてその重棍の間合いから逃げ延びることができたのだった。


 平原を埋め尽くす敵軍を眺め、不敗を誇る絶対の防壁の内にありながらクシェペルカの兵士たちは絶望にも等しい不安の中にいた。

 圧倒的な力を誇るジャロウデクの新型機。あの黒色の津波の前にしては、いかに一番盾要塞が難攻不落を誇るとはいえ、いつまでも耐え切れるものではないだろう。彼らはそれまで疑ったことのなかった要塞への不安を、その胸の中に抱いていたのだ。

 すぐさま一番盾要塞から王都へと早馬が走った。絶対の窮状を訴える報せを懐に、要塞の兵士たちの希望を乗せて。


 一番盾要塞の足元まで陣を進めながら、ジャロウデク軍はあわてるでもなくゆっくりと攻城戦の準備を整えていた。

 浮き足立つクシェペルカ軍に比べ、あまりにも淡々としたその様子は不気味さすら漂わせている。そこには敵を追い詰める熱意も、獲物を前にした焦りも感じられない。

 その中で唯一、後方に存在するジャロウデク軍の本陣では、彼らの総大将たるクリストバルが破顔一笑していた。


「くはは、痛快だな。いまごろやつらは泡を食って早馬でも飛ばしているころだろう」

「当然でしょうな。さてどうしますかな、殿下。さしもの精強なる黒顎騎士団といえど、あの城壁を相手にしては骨が折れることでしょう」

「知れたことを。“予定”どおり、せいぜい攻める構えを見せてやろうじゃないか。いずれやつらの戦力が出揃う時がくる。それが、やつら自身の急所を晒すことになるとも知らずにな……」


 クシェペルカ王国の未来を暗示するクリストバルの不吉な予言に、ドロテオは苦笑じみた笑みを返すのみであった。




 何頭もの馬を潰しながら王都に駆け込んできた早馬により、王城は再び緊迫した空気に包まれていた。


「ジャロウデクの戦力はこれまでとは比較にならぬほど強力、死力を尽くしましたが敵わず……このままでは一番盾要塞も早晩破られることになりかねないと……!」


 悲痛な面持ちで、地に頭を擦り付けながら訴える伝令兵に、クシェペルカ首脳陣の顔色は蒼白のものとなっていた。

 アウクスティ王は自身の悪い予感が的中したことに暗鬱とした気分になりつつも、表面上は努めて冷静に振舞う。


「ジャロウデクめ……自信ありげな様子だったがそこまでとはね。彼らの幻晶騎士は、それほどまでに強力なのか」

「どうやら恐ろしいまでの装甲の化け物らしく。正面からは到底勝てぬどころか、返り討ちと……さらには数を並べて押し潰すのが彼奴らの基本戦術であり付け入る隙が見出せぬそうです」


 国王は肺腑から重い吐息をついて、玉座に深く沈み込む。

 彼らにとって一番盾要塞はまさに絶対の防壁であった。三枚砦というからには後方にはまだ“二番盾要塞シルダ・カクシラ”と“三番盾要塞シルダ・コルメダ”が控えているが、それでも一番盾要塞ほどの防衛能力は期待できない。

 さらに真正面からの力負けというのも厄介だ。要塞の存在を考慮しても、彼我の戦力には見た目以上の多きな差があるということである。その状況では彼らに取れる策にも限りがあった。


「陛下、急ぎ西部一五領に触れを回し、戦力を集めるべきかと……」


 クシェペルカ西部に領地を持つ貴族の発言に、アウクスティ王は難しい顔で頷いた。

 数を集める、それは安直ではあるが確実な方法だ。特にクシェペルカ軍の幻晶騎士レスヴァントは、ジャロウデク軍のティラントーに比べて地力で圧倒的に劣っている。とにかく数を増さねば、抗うことも容易ではないだろう。

 それから彼らの話し合いは長く続いたが、結局はありきたりな結論に落ち着いていた。

 ジャロウデク軍の使うティラントーが最も力を発揮するのは、緒戦のように重装歩兵陣を組む場合だ。正面からの突破が不可能であることは、彼らが身をもって証明済みである。

 ならば個別に狙うしかない。一番盾要塞の背後には要塞化した都市が広がっている。そこに引きずり込み、敵戦力を分断すれば付け入る隙があるのではないか。大きな犠牲を覚悟した方法であったが、彼らはそれ以上の策を見出せないでいた。


 会議は重苦しい空気のまま終わり、アウクスティ王は一人居室へと引き上げてゆく。

 普段は温厚で知られる彼であったが、このときばかりは冷静ではいられなかった。一人になった途端に冷静さの仮面を脱ぎ捨て、強く机に拳を打ちつける。


「長く平穏が続き、この国は繁栄の時を迎えていたというのに……まさかこんな国難が待ち受けていようとは……」


 ジャロウデク王国は前々から不穏な気配を露わにすることはあったものの、ここ“一〇年”ほどは鳴りを潜めていた。

 今思えば、それはこの恐るべき戦にむけて準備を進めていたということだったのだ。それを見抜けなかった彼は、王として平和に溺れていたとの謗りは免れないだろう。


「だが絶対に、私が終わらせてみせる。この戦いを“あの子”に継がせることなど……!」


 固く決意を新たにして顔をあげるアウクスティ王。そんな彼以外は誰もいないはずの王族の居室にて、彼へと声をかける人物がいた。


「お父様……?」


 ハッとしてアウクスティ王が振り返ると、そこには一輪の可憐な花が、人の姿をとって咲いていた。

 アウクスティ王の一人娘であり、王位継承権第一位にある“エレオノーラ・ミランダ・クシェペルカ”だ。彼女は物憂げに表情を曇らせながら、ゆっくりと父親の傍までやってくる。


「お父様、周りのものから聞きました。ジャロウデクの攻勢が強まり、西方の守りが揺らいでいると……」

「エレオノーラ、心配は要らないよ。我らが三枚砦は無敵だ。それに西部州の諸侯も力を合わせて侵略者に立ち向かっている。なに、すぐに無体な侵略者を追い返すさ」


 先ほどまでは険しく歪んでいた王の表情は、瞬く間に常の穏やかなものへと変じていた。

 それは王としての威厳を保つよりも、不安げな様子の娘を安心させようとした、父親としての振る舞いだ。

 エレオノーラは今年で十六歳になる。物心ついてからの大半を平穏な空気の中で育った彼女は、物柔らかな性格をした深窓の令嬢へと育っていた。

 到底荒事に向いていると思えないその性質に加えて大事な一人娘ということもあり、アウクスティ王は彼女を不安に陥らせるような言葉は避けている。


「……はい、お父様。その言葉を聞いて安心いたしました」


 父親を疑うことなど到底知らないエレオノーラは、再び春の日差しのような柔らかな笑顔を取り戻す。それからいくらかの会話を交わし、立ち去ってゆく娘の後姿を見送りながらアウクスティ王は小さな呟きを漏らしていた。


「そう、大丈夫だとも。この戦は私が収めてみせるよ。決して、お前の代まで残すものか」




 一番盾要塞を挟んでの両軍の睨みあいは、当初の予想に反して長期化する兆しを見せていた。

 圧倒的な戦力をみせつけてクシェペルカ軍を蹴散らしたジャロウデク軍ではあったが、一番盾要塞が誇る重厚な城壁を攻略するつもりは薄いように見えた。彼らが使用するティラントーの力をもってすれば、城壁を破壊することも不可能ではないだろうに。

 そもそも要塞の前方には一つもクシェペルカ側の陣地が残っていない。城壁を守るものは無いに等しいのだ。にも拘らず、彼らの動きは緩慢である。

 不可解な動きを見せるジャロウデク軍ではあったが、戦力に劣るクシェペルカ軍にとってその時間が好機であったことは間違いがない。彼らは急ぎ国内各所から戦力を抽出し、一番盾要塞周辺に結集を始めていた。


 そうして、国境付近で戦闘が始まってからおよそ一ヶ月が経過する。ジャロウデクの侵攻が始まってより、あわせて二ヶ月の時が流れていた。

 これまでのジャロウデク軍による攻撃は、緩慢ではあったものの確実に一番盾要塞に被害を与え、クシェペルカ自慢の城壁にも綻びが見えている。早晩どこかが決壊してもおかしくはなかった。

 その背後には集結を終えたクシェペルカ王国軍の大部隊があり、城壁の破壊より前に戦力が整ったことにいくらかの安堵の吐息をついていた。

 否応なく高まる、決着の気配。城壁の両側に展開する幻晶騎士は両軍を合わせると一〇〇〇機を超え、西方の歴史上でも稀に見る極大規模の戦闘へと発展しようとしていた。


 壁の向こうの出来事ではあれど、それだけの戦力が出揃えば自然とジャロウデク軍にもその様子が漏れ伝わる。

 クリストバルは待ちに待った時がやってきたと、ほくそ笑み指示を下していた。この戦いの行方を決定付ける、彼らの秘策を決行する指示を。


「頃合だ、“鋼翼騎士団”を呼べ。くく、我らもともに出るぞ。一思いに、やつらの息の根を止めてやるのだ!」

「ハッ、ただちに!」


 そう、極めて強大な戦力を持つジャロウデク軍と、それに見合うだけのクシェペルカ軍。彼らはこの均衡をこそ待ち望んでいた。幻晶騎士の性能において劣るクシェペルカ王国が過剰ともいえる戦力を結集する時を。

 それは月明かりを遮る雲の多い、とある暗い夜のことだった。ジャロウデクの“新兵器”が闇にまぎれて侵攻を開始したことに、クシェペルカ軍が気づくことはなかったのだ。




 クシェペルカ王都“デルヴァンクール”。この街はクシェペルカ王国の中央部に位置し、西部国境線からは遠く離れている。

 大国ゆえに十分な国力を有し、さらに長く続いた平穏な時間により、文化的にも発展しているクシェペルカ王国の王都であるデルヴァンクールは、西方諸国でも有数の規模と華やかさを持つ都市だ。

 瀟洒な煉瓦作りの建物が並ぶ通りは、しかし今は活気を失い、厚くたれこめた不安の暗雲に覆われた状態であった。

 国境を揺るがすジャロウデク王国の黒騎士団。その脅威は様々な手段を通じてこの都にも伝わっているのだ。さらに戦況が芳しくないことも重なって、道ゆく民もどこか精彩を欠く有様であった。


 その日、王都を覆う城壁の上で見回りをしていたとある兵士は、夜の闇の妙な静けさに胸騒ぎを覚えていた。

 明かりのための松明が爆ぜる音だけが、にじむように周囲に広がる。

 ふと流れゆく雲が奇妙な動きをした気がして、彼は足を止めた。月明かりが遮られた闇夜の中で雲の動きを掴むのは容易ではなく、彼はすぐに諦めを覚える。

 ジャロウデクの侵攻により国内を覆う不安が感染したのか。彼は妙な緊張を覚える自身を叱咤し、見回りへと戻っていった。


 だが、彼の直感は誤りではなかったのだ。

 どこからか、突風に布がはためいているかのような音が聞こえてくる。不自然なまでに風の流れる音、彼はそこで強烈な違和感を覚えた。

 地上より高所にある城壁の上、彼の顔をなでる“風の気配はない”。ならば、先ほどから彼の耳に届くはためく布の音はどこで起こっているのか。

 ぞくりと、彼の背筋を冷たい気配が上ってきた。彼はポケットから警笛を取り出してくわえると、油断なく周囲を見渡す。

 かすかにでも動くものがあれば見逃しはしない、そんな決意の元、まもなく彼は凄まじい異常に出会う。


 忙しなく周囲を駆け巡った彼の視線は、最後には空中を向いて固まっていた。

 全くの偶然に、大いなる手が厚い雲の緞帳をわずかに開き、眩い月光の道を作ったのだ。白々とした月光が、その中央を進む巨大な影を黒々と浮き上がらせていた。

 開けっ放しの兵士の口から、警笛がぽとりと落ちる。彼はまず目を疑い、そして次に己の正気を疑った。渦巻く風を引き連れて空を進む巨大な影、それはまさしく“船”としか表現できないものだったからだ。

 彼の常識がこの上ない異常を訴える。彼の常識では“船”とは水の上をゆく乗り物だ。決して空を飛ぶことはしないし、そもそもあれほど大きな物体が空を飛べるわけがない。

 それが黒々としているのは月明かりに影を落としたためではなく、それ自体が闇夜にまぎれる黒に塗り上げられているためだ。ご丁寧に、船体の左右に広がる“帆”までが黒に染め抜かれている。これがゆえに、この距離に接近されるまで発見が遅れたのであろう。


 そうして彼が呆けている間にも、空飛ぶ黒船は帆を膨らませて近づいてくる。さほど風のない夜には不自然なほど、船の周囲のみが順風であるようだ。もはや船の形が、隠しようもなくはっきりと視認できる距離となっていた。

 恐慌状態に陥る一歩手前で、兵士の中の最後の義務感が働いた。ガタガタと、歯の根が合わぬほど震えながらも、彼は失った警笛の代わりに悲鳴のような叫びを上げた。


「だ、誰か……し、侵入者……いや、船だ。黒い船が空からやってくる!!」


 兵士が足をもつれさせながら走り去ってゆく間にも、空飛ぶ船は王都の城壁を越えようとしていた。

 空飛ぶ船は一隻か。違う、二隻、三隻。兵士が見つけた黒い船に続いて、同様の船が後に続く。合計で一〇隻にはなるであろう、一大船団であった。

 次々に現れる空飛ぶ船に、地上では恐慌に近い大混乱が広がっていた。誰もがその存在を信じられず、実際に姿を見ては言葉を失う。

 やがて彼らは、船の帆にうっすらとジャロウデク王国の国旗が描かれていることを見て取り、悲鳴という形で言葉を取り戻していた。


 これこそがジャロウデク王国の切り札である“鋼翼騎士団”。この世界で初めて実用化された空飛ぶ船――“飛空船レビテートシップ”により構成された、異形の騎士団だ。

 これらの飛空船は、水の上をゆく船をひっくり返したような奇妙な形状をしていた。左右には帆が並べられており、そこに風を受けて進む。

 飛空船の丸みを帯びた上部――本来の船ならば底面にあたる部分だ――に突き出て存在するのが船の司令室である。

 様々な機器がむき出しになった、雑然とした間取りをもつ司令室。その中央には一段高く据えられた席がある。本来は“船長”のための席なのだが、いまそこには意外な人物が陣取っていた。それは遥か西の国境線にて一番盾要塞を攻略しているはずのジャロウデク王国第二王子、クリストバルその人である。


「クシェペルカの間抜けどもめ。尻に法弾をくらったように慌ててやがる」

「飛空船の存在を知らないのでは、こんなものでしょう……なに? うむ……殿下、下見張りから報告が。街中に明かりが増えているようで、恐らくは迎撃の準備を始めたものと」

「無駄な足掻きだ、すでに我らは喉元に剣を突きつけている。よし、始めるぞ。速度緩め!」


 クリストバルの命を受け、司令室の兵士たちが命令を復唱する。司令室からの指示は、あちこちに備え付けられた伝声管を通じて船体の各所へと通達される仕組みだ。

 彼らは壁際に並ぶ金属製の蓋をひらくと、現れた管に向かって命令内容を叫び始めた。


騎士像フィギュアヘッドへ、起風装置ブローエンジンを逆風動作せよ。速度を緩めた後、帆をたたみ地上からの攻撃に備える」

「騎士像了解、起風装置、逆風動作をはじめる」


 飛空船の船首から半身を突き出すように伸びる騎士の像。船首像にしてはものものしい造型だが、よく見ればそれは首をめぐらし、蠢いていた。

 そう、騎士像と呼ばれるのはただの像ではなく、そのもの幻晶騎士の半身が設置されているのである。それが両手につながれた魔導兵装を操作すると、飛空船の周囲に巻き起こる風が向きを変えた。無風の夜に起こる風音の正体は、この魔導兵装によるものであったのだ。

 徐々に速度を落としながらも飛空船は滑るように空中を進み、容易く城壁を越えてその背後に広がる王都の真上まで差し掛かっていた。


 王都の中央に位置する王城では城を護る近衛兵たちが右往左往していた。当然だろう、空飛ぶ船への対処法など誰も知りはしない。道筋を見出せないままに、彼らはとにかく夜襲の心得に従って行動していた。つまりただ篝火を増やしていたのだ。

 当然それは上空から見れば、狙うべき王城を見やすくする行動でしかない。飛空船の司令室ではクリストバルがその愚かさに腹を抱えていた。彼はいてもたってもいられないとばかりに腰に差した剣を抜き放ち、船長席を蹴立てて立ち上がる。


「我らが誇る鋼翼騎士団の諸君へ告ぐ! 今宵、この愚か者どもの王都を陥とす!! 全員奮起せよ!」


 彼の号令一下、兵士たちは一斉に動き始める。連絡担当の兵士が伝声管へと矢継ぎ早に命令を叫び、飛空船の各所がいっせいに動き出す。


「伝令! 伝令! これよりティラントーの投下をおこなう、各自降下に備えよ! 騎操士は操縦席につけ!」

「降下手順始め、“源素浮揚器エーテリックレビテータ”内への大気流入を開始」


 船体の内部中央に備え付けられた巨大な器機。これこそが飛空船を空に浮かべる心臓部ともいえる“源素浮揚器”だ。

 その周囲には大勢の鍛冶師たちがいる。彼らは大量に並んだレバーを操り、計器を睨みながら操作をおこなっていた。源素浮揚器は強力だが、非常に繊細な代物でもある。いまここでその機嫌を損なえば、彼らは船とともに落下して死亡することもありうる。

 できる限り素早く、できる限り慎重に。滲む手汗を拭いながら、鍛冶師たちは目的を遂げた。


「返信! ティラントー全機、騎操士の搭乗を確認、投下準備良し!」

「希釈速度五.二一、器内安定状態を維持、降下速度良し!」


 淡々と報告を返す兵士の声を聞きながら、クリストバルは笑みを深くする。やがて彼は待ち望んだ最後の報告を受けた。


「下見張りより報告、地上より距離三〇に入ります! 投下距離よし、いまだ地上からの攻撃なし!」

「ようし、栄えある一番槍である! 船底開放! 鋼翼騎士団よ、征け!!」


 平坦な装甲板に覆われていた飛空船底部の各所が開き、黒々とした穴を覗かせる。すぐさま、そこからギャリギャリと耳障りな音を引き連れて鎖につながれた幻晶騎士が飛び出してきた。

 いかに頑強な幻晶騎士ティラントーといえど、上空からそのまま落とされては破壊を免れない。そのため船体の高度を落としたうえで、途中まではクレーンで吊り下げることで減速して降ろすのだ。


 十分に地上へと近づいたティラントーから鎖が取り外され、土煙をたてて地上に降り立ってゆく。積載の問題から、船ごとに二個小隊(六機)の変則的な編成を取る鋼翼騎士団。国境線の軍勢よりも小規模とはいえ、合わせて六〇機近い漆黒の鎧を纏った巨人の騎士がクシェペルカ王都の内部へと現れる。

 歴史上に初めて現れた飛空船を用いた、空挺降下作戦。常識の外からの奇襲に、クシェペルカ王国の都は全くの無防備を晒していた。



 ジャロウデク軍鋼翼騎士団による奇襲が始まってより数時間。西方でも有数の華やかさを誇る王都デルヴァンクールは、いまや各所で火の手が上がり住民が逃げ惑う地獄と化していた。

 煉瓦造りの建物が並ぶ通りを黒鉄の巨人が歩み、それを阻止せんと現れた王都守護の騎士が返り討ちにされてゆく。王都の周辺にはその守護のために十分な数の近衛軍が配置されていたものの、まさか彼らも直接王都を襲撃されるとは考えていなかった。そのため、王都の異変を察知して素早く駆けつけることができたのはわずかに大隊(六〇機)規模だ。


「畜生が、なんて重装甲! レスヴァントじゃ歯が立たない!!」


 漆黒の装甲を纏う、ティラントーが手に持つ重棍を振るう。状況は国境線での再来といえよう。レスヴァントの機体が構えた盾ごと吹っ飛んでゆく。国境線の様子を聞き、強敵であろうと予想していた近衛兵の予想を遥かに超えて、その力は圧倒的であった。

 まるで根本的な作りが違うかのように、ティラントーと彼らのレスヴァントの差は歴然である。

 それでも近衛兵たちは諦めない。小規模な集団で行動するティラントー部隊を包囲して攻めようとするレスヴァント部隊があった。力の差は数で補おうという考えだ。彼らがその包囲を狭めんとした時、ティラントーとは異なる不審な影が建物の屋根を駆け抜けていった。

 そのまま影は彼らの頭上より襲い掛かる。その大きさからして影は明らかに幻晶騎士であろう。しかし鎧を着た人間の姿を模しているはずの幻晶騎士としては奇抜な、妙に細長い姿に歪に長い腕をもっている。影は腕の先端につけられた、鋭い爪を振りかざしてレスヴァントへ襲い掛かっていった。


「なんだ、こいつら! これもジャロウデクのやつらなのか!?」


 次々と奇襲を仕掛けてくる影に少なからず混乱しながらも、反撃を試みるレスヴァント。影はそれをを余裕を持って回避する。恐ろしいまでに身軽だ。

 と、十分な間合いを取っていたはずの影の腕が突如として伸びた。その先端には鋭い爪、対するレスヴァントは意表をつかれ、腹を穿たれて沈黙する。

 そうして戦力を減らされ手間取っているうちに、包囲されていたことに気づいたティラントー部隊がレスヴァント部隊へと反撃を仕掛けていた。

 もはやレスヴァント部隊に勝ち目はない。次々に潰されてゆくレスヴァントを眺めながら、影たちは再び暗がりへと下がってゆく。

 彼らは身軽に建物を飛び移りながら、次なる獲物を探している。中には一機、それらの指揮官と思しき滑らかなシルエットの幻晶騎士がいた。


「……これでもう、クシェペルカもおしまいさ……後はせいぜい、点数を稼いでおくかね」


 彼らはそのまま進路を変更する。次なる獲物は、クシェペルカ王国の中枢、王城である。



 王城の中で玉座に着くアウクスティ王にも、かすかな振動が伝わり始めていた。戦闘はもはや目前まで迫っているということだ。

 彼の元には、先ほどからひっきりなしに悪い報告が舞い込んでいる。どこで何が起こっているのか、もはや全貌を把握している人物はいない。いや、すでに王都に戦場ではない場所は存在しないというべきだろうか。

 状況のつかめないまま戦力を投入したクシェペルカ軍は、結果として最も愚かな戦力の分散を引き起こしていた。彼らはそのまま少数精鋭で攻め込んできたジャロウデクの騎士にいいように蹂躙されたのだ。

 アウクスティ王の脳裏を、最悪の結末がよぎる。尚いっそう表情を翳らせた彼の元へ、兵がさらに顔色を悪くしながら新たな報告を持ってきた。「一回り大きな空飛ぶ船が接近している」――間違いなく、敵は完全に決着をつけるつもりだ。


「ここまでか……」


 アウクスティ王の疲れを含んだ呟きは、周囲の喧騒にかき消された。それを聞く者がいなかった幸運に少し感謝しながら、彼は立ち上がる。


「諸君、私たちは最後の決断をしなければならないようだ」


 ここは王都。後ろなどあるはずがなく、ここを落とされるということは国の滅亡と限りなく同義だ。それゆえに一兵卒に至るまでが死力をもって抵抗することを選んでいたのだが。

 市街地での戦闘はそのほとんどがクシェペルカ側の敗北であり、その包囲は徐々に狭まっている。

 まだ最後に残った王城に篭城することはできるが、もともと有事の際には王都の周囲の城壁で耐えることを前提としていた。王城自体にはさほどの防衛能力はなく、ただの悪あがきにしかならないだろう。

 クシェペルカ王国は敗北する――アウクスティ王は心臓を潰さんばかりの感情と共に、それを認めざるを得なかった。

 ただ彼にはまだ一つ、やらねばならないことがある。彼は静かに歩むと、不安も露わな彼の愛娘エレオノーラの前に立った。漏れ出でた言葉は、彼自身意外なほどに冷静なものだった。


「すでに王城は包囲されている。このままでは全員が死んでしまうことになるだろう。その前にお前は、隠し通路を使って逃げるんだ」

「お、お父様はどうするのですか!?」

「私は……クシェペルカの国王として、最後の責務を果たさねばならない」


 エレオノーラの瞳にみるみる涙が滲み、彼女は普段から厳しく躾けられた、王女としての慎みをかなぐり捨てて父親の胸へと飛びこんでいた。


「そんなの……そんなのは駄目です、お父様! 私どもと共に脱出するのです!! まだ、間に合……」

「それはできないんだ、エレオノーラ」


 ゆっくりとアウクスティ王がエレオノーラの身を離し、彼女を正面から見据えて優しく言った。


「私が真っ先に背を向けて逃げたとあっては、この場で死力を尽くす騎士に顔向けできない。それに、国王騎を無傷で渡してしまったとあっては、恥もいいところだしね」

「でも……っ」


 その続きは、言葉にはならなかった。アウクスティ王はなりふり構わず泣きじゃくるエレオノーラをゆっくりと抱きしめた後、その横に立つ人物へと視線を巡らせた。


「辛い役目だが頼めるかな、マルティナ」

「無論です。私どもの身命に賭して、エレオノーラ王女はお守りします」


 アウクスティ王の弟であるフェルナンド・ネバレス・クシェペルカへと嫁いできた、前フレメヴィーラ国王アンブロシウスの娘、マルティナ・オルト・クシェペルカは力強く頷く。彼女はその場にもう一人いる少女へと呼びかけた。


「イサドラ、先にいっておくれ」

「はい、母さん。さ、急ぎましょうエレオノーラ。あまり時間がないのです……」


 マルティナの娘であるイサドラが、いまだにぐずるエレオノーラを強引に連れてゆく。泣き喚いて抵抗するエレオノーラだったが、イサドラは手加減なしに彼女を引きずっていった。

 それを見送るアウクスティ王の表情には、ある種の後悔が滲んでいた。


「……すまないな、マルティナ。君には苦労をかける」

「いえ、陛下……そのようなことは。しかし、エレオノーラの言ではありませんが、陛下も脱出されたほうがよろしいのでは。国王騎など、所詮はただの幻晶騎士に過ぎません。御身に比べれば……」

「そうだけどね。敵の姿を見たかい、マルティナ? あの空飛ぶ船は前代未聞の代物だよ。空を飛ばれるのは実に厄介だ」


 アウクスティ王は窓から闇夜に視線を向ける。そこには、地上の炎の照り返しを受けて露わになった、黒い飛空船の姿があった。他よりも一回り大きなその船は、他と同じく黒塗りではあったがよく見れば船上に大きく“旗”が翻っている。見間違えることが出来ようか、それはジャロウデク王国の国旗だ。


「……もし城内に王族が一人もいないとなれば、ジャロウデクの連中はすぐさまあの船を使って捜索を始めるだろう。空から探されては、隠し通路を使ったところで簡単には逃げ切れまい。だからこの場所には王が必要なのだ。奴らを足止めするためにも、私はこの場に必要なのだよ」

「……義兄上」


 マルティナは奇妙に静かなアウクスティ王の様子に、彼が死を覚悟していることを見て取った。


「そうするとあの子に、重荷を任せてしまうことになるね……私は王としても、父親としても良い人物ではないのだろう」

「そのようなことは……」

「妻亡き後、私はついあの子を甘やかして育ててしまった。平時ならばいざ知らず、この戦時にどこまで立ち向かえるか……マルティナ、支えてやってはくれないか」

「ええ、お約束します。いずれはあの子とともに、侵略者どもを追い返して見せましょう」

「頼んだよ。さて、これ以上長話をしている余裕はないか……フェルナンドにも後は頼むと、伝えて欲しい」


 マルティナは一瞬だけ強く唇をかんだが、すぐに姿勢を正して一礼すると、急いで娘たちの後を追った。

 玉座にはただ一人。アウクスティ王はしばし瞑目していたが、飛空船がいっそう近づいてきたことに気付き、無色の笑みを浮かべた。


「憎き侵略者とはいえこの鮮やかな手並み、見事といったところかな。でも、あまり私たちを舐めてもらっては困る……」


 国王より、最後の勅命が飛ぶ。


「国王騎を準備せよ!」


 飛空船の侵入以来、戦闘の音が尽きずに騒がしかった王都はいつの間にか夜の静けさを取り戻していた。

 既にクシェペルカ軍のほとんどは排除され、王都に戦うものの姿はない。黒鎧の騎士たちは、王城を中心とした包囲をいっそう狭めていた。空では飛空船までもがその包囲を狭めている。

 そのとき王城の正門が堂々と開け放たれ、クシェペルカ軍の騎士が列を組んで現れた。これから式典でもおこなうかのような、飾り布などの装飾品が多数つけられたレスヴァントだ。

 王城に置かれた機体には戦力としての意味合いは薄いのだろう、それを持ち出さざるを得なかったことがクシェペルカ軍がいかに追い詰められているかを如実に示している。


 だがジャロウデク軍の視線はレスヴァントを無視して部隊の中央へと向けられていた。そこには一際絢爛たる幻晶騎士がある。クシェペルカ王国国王騎“カルトガ・オル・クシェール”だ。残念ながら炎の照り返し以外、月の光にすら困る闇夜ではその流麗な意匠を見て取ることは難しい。そんな状況でも、上空にある飛空船にとっては良い目印となったのだが。

 緊張感を隠せないレスヴァントのなかにあって、カルトガ・オル・クシェールは、それに乗るアウクスティ王は静かな様子で空に浮かぶ巨大な船を見上げていた。


「バルドメロ王は近年、病に倒れたと聞く。あれに乗っているはずもないだろうが……」


 無防備とすらいえる様子で、カルトガ・オル・クシェールが前に出る。国王機に対する攻撃はない。代わりに、王城の前に開けた通りへと一隻の飛空船が着陸した。その巨体のわりに思いのほか静かに動くのを見て、アウクスティ王は興味深げな表情を見せていた。


「やれやれ、向こうも受けてくれるときたか。ならば、是非もないさ……」


 黄土色を基調とした鈍く輝く機体は、滑らかな動作で剣を抜くと、そのまま切っ先を天へ向けて顔の前に捧げ持つ。まるで祈りを捧げるかのようなしぐさ。次いで剣をまっすぐに指し伸ばしてからぐるりと剣を回すと地面へと突き立てた。

 周囲を包囲するジャロウデク軍の騎士が息を呑んだ。これは古いしきたりに従った、正式な決闘の所作だ。仮にも国王機であるカルトガ・オル・クシェールが決闘を挑む相手といえば一人しかいない。

 アウクスティ王は操縦席で不敵な笑みを浮かべると、普段とはかけ離れた堂々たる様子でのたまった。


「我が名はアウクスティ・ヴァリオ・クシェペルカ。クシェペルカ王国国主である! そこな空飛ぶ船にあるは、ジャロウデクの将と見受ける、聞こえているか!?」


 アウクスティ王の言葉に呼応して、飛空船上に一機の機体が立ち上がった。黒鉄の騎士ティラントーに囲まれた中にあって、ただ一機純白の鎧を纏った、細身の幻晶騎士だ。


「返答いたす! 私はジャロウデク国王バルドメロが息子、クリストバル! 此度の指揮を執るものである! アウクスティ王、国主たる我が父に代わりて、私がお相手仕ろう!!」

「……ほう、バルドメロ王もよもや最前線に倅を寄越そうとはな。しかし貴殿も将たれば、相手にとって不足なし! 我が挑戦受けてもらおう!」

「承知の上よ、アウクスティ王。もはや言葉は尽きた、後は剣に問うのみ!!」


 純白の機体が宙に舞う。着地ざまにジャロウデク王国軍旗機“アルケローリクス”は盾と剣を構え、カルトガ・オル・クシェールと相対した。


「参る!!」

「受けて立とう!!」


 周囲に残ったレスヴァントも、ティラントーも全ての機体がその手を止めて二人の戦いを見守っていた。

 この世界における最強の兵器は、幻晶騎士シルエットナイトという巨人機械である。それは騎士の姿を模しているためか、そこにはひどく非効率的な因習が数多く残っていた。

 大将機同士の一騎打ち。そうした古くから残る因習のうち、これはいっとう非効率的なものであろう。軍の、ひいては一国の命運をただ一組の戦いに委ねようというのだから。


 カルトガ・オル・クシェールは、絢爛たる外観を持つ機体である。のみならず、国王騎として贅を尽くして作り上げられているがゆえに、性能においても国に屈指の力を誇る。乗り手であるアウクスティ王が凡庸な力量の持ち主であることを踏まえても、ティラントーとすら戦いうる機体であるはずだった。

 だが、クリストバルの駆る幻晶騎士“アルケローリクス”の性能は、そんなカルトガ・オル・クシェールの力を軽々と凌駕していた。白地に金で装飾を施した、鮮烈な印象のアルケローリクスが闇夜の中で剣を振るう。カルトガ・オル・クシェールは受けるのが精一杯だ。全てにおいて劣勢にまわり、次第に押し込まれてゆく。


「(一騎打ちに持ち込んでまで勝ち目はないか! ジャロウデクめ……空飛ぶ船といい、一体何をみつけた!?)」


 一合、二合と打ち合う間に、カルトガ・オル・クシェールの動きは明らかに鈍っていた。凄烈な力を誇るアルケローリクスの剣を受け、その結晶筋肉が崩壊を始めていたのだ。さらに言えば、戦闘的ではないアウクスティ王と好戦的なクリストバルとの差によるものともいえる。

 必死に抵抗するカルトガ・オル・クシェールだったが、ついにそれも終わりを迎える。焦り、大振りになった剣が弾かれる。その大きな隙へとアルケローリクスの振るう剣が滑り込み、ついにカルトガ・オル・クシェールの腹へと深々とつきたてられた。

 装甲はひしゃげ、結晶筋肉が断ち切られ、損傷は心臓部にまで達する。吸排気機構が損壊し、機体の魔力供給が不安定になっていた。力を維持することが出来ず、カルトガ・オル・クシェールがくず折れる。その姿は土煙の中に霞んでいた。


「……ぐっ、み、見事……ジャロウデクの王子。君の勝ちだ……さぁ、決着を……つけよ」


 アウクスティ王は衝撃で散々打ち据えられ、朦朧とした頭を振りながらも言い放つ。例えそれが自らの命を絶つ言葉であったとしても、国王が無様な姿を見せることはできない。


「クシェペルカの王よ、勝利はわが手にあれど、貴殿の戦いも見事だった! さらばだ!」


 クリストバルは声に喜悦をにじませながら、表向きは神妙に答えていた。それとともにアルケローリクスは、それまで使わなかった背面武装バックウェポンを起動しカルトガ・オル・クシェールへと連続して法弾を撃ち放つ。

 至近距離から放たれた魔導兵装により、カルトガ・オル・クシェールが爆発に包まれる。煌びやかな輝きを反射しながら、装甲が周囲に舞い散ってゆく。全身が破砕され、操縦席は焼き尽くされていた。

 燃え盛る国王騎の残骸を前にして、クシェペルカ軍の兵士たちは周囲を憚らず嘆き、叫び、だが諾々と武装を解除していった。

 互いの大将機同士による決闘。彼らの精神文化において、その結果はいかなる形であれ絶対である。元よりクシェペルカ軍には選択肢などあってないようなものだったが。


 夜明けを前にして、クシェペルカ王都デルヴァンクールは陥落した。

 それは同時に、西方諸国有数の大国の一つである、クシェペルカ王国が滅亡したことを意味していた。その衝撃的な報せは、まずクシェペルカ国内を駆け巡り、ついで西方諸国に普く轟いた。

 その報せに最も動揺したのは、誰よりも三枚砦にてジャロウデク軍と睨みあっていた騎士たちだろう。敵の侵攻を水際で食い止めていたはずが、彼らの王都が先に落ちたのだ。到底理解できない状況であった。

 彼らは静かに迷走を始める。目前には牙と爪を研ぐ、飢えた獣がいると知りながらも。


 西方を吹き荒れる鉄の嵐は、まだ始まったばかりだ。

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