#19 駆け抜けてみよう
開けた草原から徐々に木が増え、いずれ木々は森と呼ばれる密度になる。
その中を石畳に覆われた街道が一直線に東へ向けて伸びていた。
フレメヴィーラ王国東部へと続く最大の街道である“東フレメヴィーラ街道”。
国内における街道の中でも特に、カンカネンからヤントゥネンまでを結ぶ“西フレメヴィーラ街道”と、ヤントゥネンから国境へ向かう東フレメヴィーラ街道は石畳による舗装がなされている。
その歴史は古く、国境線に砦が建築される際に物資輸送を簡易にする目的で舗装されたのが始まりである。
それは現在まで国内の物資輸送を助け、まさに大動脈として活躍していた。
普段は商人の馬車と護衛の
それは多数の魔獣の暴走が発生したためかもしれないし、商人達の噂話に大型魔獣の目撃情報が上がっているからかもしれなかった。
緊張感にも似た静けさが漂っている街道に俄かに騒がしさが訪れる。
数十台の馬車の群れによる蹄の響きが辺りを満たす。馬車にはクロケの森を脱出したライヒアラ騎操士学園の生徒達が乗っていた。
彼らは高等部の
脱出当初は馬車を全力で走らせていたが、さすがに馬の消耗が激しいため今は通常以下のペースで進んでいる。
それでも通常はヤントゥネンまで約1日の道程の凡そ半分程度を踏破していた。
馬車の中では生徒達がそれぞれに疲れた様子で座っている。
ここまでの間背後から魔獣が追ってくる様子も無く、走り続けるうちに大分と落ち着いてきては居るものの、生徒達が胸に抱いた不安感は容易に拭えそうにはなかった。
「エル君、どうしてるのかなー?」
そんな重苦しい空気の中、最後尾を走る馬車の中ではキッドとアディがぼんやりと後方を眺めていた。
クロケの森からの脱出際、馬車を飛び出し森へと入っていったエル。
それは彼らが止める暇もないほど唐突で、そして後を追う前にその姿は視界から消えていた。
「……なぁ、もしかしてよ」
「?」
微妙に上の空のキッドが、何かを思いついたようにぼそりと呟く。
「あいつよ、幻晶騎士奪って殴り込みに行ったんじゃねぇか?」
まさか、と返そうと口を開けかけて、アディはそのまま考え込んだ。
彼女の脳裏にありありとその光景が思い浮かぶ。
常識的に考えれば、騎操士課程の学生でもないエルが幻晶騎士を動かせるはずもない。
しかし彼ならば、あの彼ならば独自の学習で動かし方を知っていてもなんら不思議ではない――事実、動かせたのだが。
となれば、彼がそのまま
「ああー……うん、なんだかすごく納得しちゃった。エル君ならやりかねないよね」
「何にせよ心配いらねぇだろ。いざとなればあの脚で逃げ切るさ」
キッドはエルとともに行っていた走り込みの様子を思い出していた。
エル自身が
狼の疾走より尚早く、空行く鳥と同じ速度で地を駆ける彼を果たして誰が捕まえられようか。
しかも恐ろしいことに彼はその勢いのまま優に1時間は走り続けられるのだ。
かの巨大な魔獣を相手にしても逃げるだけなら早々に視界の外へと逃げおおせるだろう。
そこまで想像して、二人は顔を見合わせニィッと笑いあう。
ちょうどこの頃エルがグゥエールを奪取し、彼らの予想通りにベヘモスへ突撃しているのだが、幸か不幸か馬車に揺られる二人にそれを知る術は無かった。
群れの先頭を行く馬車に乗った教師が、突如後方に注意を促した。
進行方向の遥か彼方に何者かが進む土煙が見え、ほどなく馬車の前方より馬の蹄とは違う音が響いてきた。
重量のある物体が、多数集まっているかのように重なった音。
地響きの原因は直ぐに知れる事になる。列を成し、整然と進む巨人の群れ――それは、フレメヴィーラ王国で制式採用されている幻晶騎士である“カルダトア”だ。
フレメヴィーラ王国の国民にして、その姿を知らないものは居ない。
そしてカルダトアがここに居る意味がわからない者もまた、居ない。
「ヤントゥネン守護騎士団!!」
先頭の馬車に乗る教師の声は、すぐさま後ろにも伝わってゆく。
次々と馬車から顔を出してその光景を確認した生徒達の顔が希望と興奮に輝いてゆく。
此処にいる部隊は幻晶騎士2個大隊規模にも上る約90機、その後ろには輜重隊と野戦整備隊。
これはヤントゥネンの戦力の大半であり、バルゲリー砦からの使者を迎えてより一日も経たない内に揃える事が可能な戦力としては最大限といえる。
カルダトアは制式採用された量産機の常で飾り気には乏しいが、長きに渡って使い込まれ、磨き上げられたその姿は一種独特の迫力を持つ。
両肩に飾られたフレメヴィーラ王国の国旗と、ヤントゥネンの都市旗の紋章はこの地を守護するものとしての誇りを感じさせた。
ライヒアラの生徒達はもはや不安など感じていない。
例えあの
そう信じるに足るだけの信頼と力がそこには存在した。
馬車を発見した騎士団のほうでも、生徒たちとは別の安堵感が広まっていた。
可能な限り急いで準備し出撃してきた彼らではあるが、ライヒアラの生徒達はその時点で全滅すら覚悟されていた。
それがざっと見たところその大半が無事に脱出してきたのである。
そして、ライヒアラ側からはベヘモスの位置情報を含む、貴重な情報がもたらされた。
「そうですか……高等部の騎操士達が……」
そしてその中には、ライヒアラの生徒達が無事に逃げられた理由も含まれる。
騎士団にもライヒアラ騎操士学園の出身者は多い。
彼らは自分達の後輩が見せた騎士の鑑たる行動に、決意を新たにする。
「ご安心ください。我らが国家を守るため、そして犠牲を無駄にしないためにも彼奴は必ずやこの地で討ち取ります」
騎士団は意気を上げてクロケの森へと向かう。
ライヒアラの生徒達が遭遇してからまだ半日と経っていない。
ベヘモスとの遭遇戦は目前と予想され、騎士団の緊張感は一歩ごとに高まってゆくのであった。
鬱蒼とした森の中を、
走る、走る。ディートリヒが逃げてきた道を、それに倍する速度で戻ってゆく。
グゥエールの性能は、勿論ディートリヒが乗っていた時から変わらない。
ではこの差は何によるものか。
現在のグゥエールは彼と同じく高速機動を主体とした動作に最適化されているのである。
更に、彼は完全に
彼の思考は直接
元々幻晶騎士の
結果としてグゥエールは並の幻晶騎士の倍近い反射速度と移動速度を叩き出しながらの行動が可能となったのである。
前方から聞こえる地響きが徐々に大きくなり、暴風吹き荒れる音に混じって爆発音や雷撃と思しき音も聞こえ始める。
あと数分もしないうちにベヘモスと接敵することになる。
思わずエルの顔が笑みの形に歪む。
抑えきれない歓喜を滲ませながら、彼は人生初の幻晶騎士による戦闘に突入していった。
ゴガァッ!!
金属同士の重々しい打撃音が響き、吹き飛ばされた巨人が宙を舞う。
ベヘモスの突撃に弾き飛ばされた機体は、あまりの衝撃にそのまま地面を転がってゆく。
内部の騎操士の安否を確認する暇もないが、地面に打ち付けられ、胴が潰れ腕がひしゃげている様子を見ると無事とは思えない。
「くそっ!」
初・中等部の生徒が離脱した後も高等部の騎操士達は戦闘を続けていた。
すでに疲労の色が隠せない彼らに対し、ベヘモスはさすが要塞とも称される魔獣、その動きには全く衰えが見えない。
元々圧倒的だった力の差に加え、刻一刻と持久力の差まで現れ始めてゆく。
国境守護騎士団でさえ耐え切れなかった圧力を前に、高等部の機体は1機、また1機と倒れ、最早残るのは3機に過ぎなかった。
吹き飛ばされた味方機に一瞬気を取られたエドガーを、ベヘモスの尾が襲う。
鞭のようにしなる尾を避けきれないと直感したエドガーは、アールカンバーを可能な限り下がらせながら左手の盾を大きく振るわせ、危ういところで尾の一撃を受け流した。
それは正にアールカンバーの性能と高等部有数の技量を持つエドガーの力が合わさってこそ可能な離れ技であったが、尾の先端が掠った、その威力だけで盾を弾き飛ばされてしまった。
不用意によろめかない様に衝撃を受け流しながら、アールカンバーがベヘモスから更に距離をとる。
「(盾を持っていかれたか! まずいな、どんどんと追い詰められていく!!)」
それでもアールカンバーはまだ無事な方で、残る2機は
エドガーは脳裏を過ぎる最悪の予感を振り払えない。
後どれ位もつだろうか、悪くすると5分と経たず全滅している可能性すらあるのだ……。
ベヘモスから既に何度目かもわからない
暴風渦巻くブレスは効果範囲が広く、大きめに回避しないと気流に巻き込まれる。
それまでの疲労と損傷が蓄積していた機体が最後の力とばかりに直撃こそ避けたものの、周囲の気流に煽られて大きくその体勢を崩した。
「ヘルヴィィッ!! くそ、間に合えっ!!」
叫びつつ、エドガーは倒れた機体めがけて突撃し始めたベヘモスの気をそらすべく、僅かな可能性にかけて
必死の攻撃も虚しく甲殻に弾かれるばかりで、ベヘモス意識は目の前にいる
ベヘモスの速度が上がり、立ち上がろうとあがく機体へと迫ってゆく。
そして、誰もが次なる犠牲を覚悟した、その時。
「ッッッ ッチェェェェェェストォォォォォォォォ!!!!!」
ついに、グゥエールが戦場に辿り着く。
森から出れば、其処にはいましも倒れた機体を轢かんとするベヘモスが目に入る。
瞬間的にさらに速度を上げたグゥエールは、紅い弾丸と化しながらベヘモスの左手から迫る。
走りながら抜剣。
斬ることなど考えない。
選ぶは突き、勢いを一点に集めた攻撃。
狙うは一点、要塞とも称される魔獣の数少ない急所、眼球。
並みの機体には到底辿り着けない速度を叩き出しながら、グゥエールの動作は精密極まりない。
しかし、ベヘモスはグゥエールの剣が直撃する直前に紅い影に気付いた。
気付いてしまったが故に、ベヘモスは反射的に首をそちらに向ける。
既に不可避の間合い、グゥエールの剣は振り向いたベヘモスの目を正確に追う。
吸い込まれるように剣が眼球へと突き出され、剣と甲殻がぶつかり合う。
それはただの偶然。
ベヘモスの眼を守るはずの甲殻には、僅かな
凡そ半月前に、ある騎士が、命と引き換えに刻んだ、罅が。
ただ横から攻撃を受けただけならば、もしかしたらベヘモスの甲殻は突きを弾けたかもしれない。
しかし振り向いたが故に、偶然に剣は罅を正面から捕らえ――……貫いた。
通常の幻晶騎士に倍にも達する速度で、金属の塊たる自身の重量全てを一点に集中した突き。
金属同士が摩擦する耳障りな音を立て、火花を散らしながら剣がその眼を貫いてゆく。
そのまま根元まで差し込まれるかと思われたが、しかし。
ガツッ、と硬質な音を残して剣が半ばから砕け散る。
乾坤一擲の一撃は確かにその眼を穿ったものの、その奥にある頭蓋を貫くには至らず、両者の衝突の勢いに耐え切れなかった剣が砕けてしまったのだ。
エルは剣が砕けたことを悟るや、正に一瞬であるにも関わらず宙へと飛び上がり、衝突を回避する。
突撃の勢いが残るベヘモスの巨体を掠るようにグゥエールがすり抜けて行く。
高々と宙を舞い、空中で綺麗に縦捻り回転を決め両足から着地。
そのまま更に2回バク転を繰り出し、ベヘモスから離れるとやっと停止した。
ベヘモスが、それまでにない激怒の咆哮を上げる。
左目からはとめどなく血が噴き出し、その身をそれまで経験した事のない衝撃が駆け抜ける。
ベヘモスは魔獣の中でも圧倒的な防御力を持ち、攻撃を受けても傷つくという事が少ない。
それ故に、眼を貫かれるという激痛と、視界の半分が失われたことによる衝撃は計り知れなかった。
ベヘモスは残った右目を血走らせ、左目を奪った怨敵を探して暴れ狂う。
最早その場にいる全てがベヘモスの興味から消えうせる。
求めるのはただ一つ、左目に最後に映った光景、紅いヒトガタの姿のみだった。
高等部の騎操士達は、戦闘中にも関わらずそれを唖然とした表情で見ていた。
状況に、彼らの理解が追いつかない。
逃げたと思われていたグゥエールがありえないほどの速度で駆け抜け、それまでびくともしなかったベヘモスの甲殻を穿ち、その眼を潰して見せた。
今、目の前の巨獣は憤怒の咆哮を漏らしながら、紅い機体と向かい合っている。
「! ヘルヴィ!」
ベヘモスの注意が逸れたのを幸いと、アールカンバーが倒れた機体に駆け寄る。
ヘルヴィ機は転倒による損傷もあり、歩行もやっとの有様だ。
振り向けば、ベヘモスがグゥエールに襲いかかっていた。
片目を失ったにも関わらず、それまでより尚激しい勢いで突撃するが、グゥエールの動きはそれを上回る速度だ。
エドガーの目には本当にディートリヒが乗っているのか疑わしいほどに映ったが、彼にそれを気にする余裕はない。
グゥエールがベヘモスの猛攻を凌げるというのなら、損傷の激しい味方を救出する時間ができる。
「(すまないディー、少しだけ持ちこたえてくれ……!)」
巨獣と踊る紅い機体に背を向け、彼らはその場を離脱した。
エドガーは今グゥエールを操っているのがエルだとは知らない。
そしてエルがどのような状況にあるかも知らない。
グゥエールの中では正面
「これがベヘモス。これが魔獣。これが戦闘。これが……幻晶騎士での!戦!闘!!」
その顔には凶暴なまでの笑顔が花開いている。
隙を突いての奇襲は望外の成果を得た。
しかし、手負いとなった巨獣は更なる殺意に血塗られながら迫り来る。
山としか形容できない威容が、景色をゆがめそうなほどの殺意が、致命の威力を以って迫り来る。
熟練の騎士でも恐怖を拭えないだろうその光景に対しても、エルが感じているのは狂喜であり狂気だ。
ロボットに乗って巨大な敵と戦う。
メカヲタクにしてそれを夢想しないものが居るだろうか。それを望まぬものが居るだろうか。
実際にそれを前にして萎縮する気持ちなど彼の中には微塵もなく、身の内を歓喜が逸り立てる。
それ故に彼が命じるのは唯一つ。
「
僅かに身を沈ませたグゥエールが、爆発しそうな勢いで大地を蹴立て走り出す。
――
瞬く間に両者の距離が詰まる。
互いの相対速度に一瞬で過ぎる時間の中、突如グゥエールの姿がベヘモスの視界から消えた。
片目を失ったベヘモスはそれに気付く事が出来ず、そのままグゥエールがいた場所を粉砕する。
あろうことかグゥエールは衝突の直前にジャンプし、剣山のように刺々しいベヘモスの甲羅を蹴りたてて飛び越えていた。
軽やかに空中で宙返りしながらエルは素早く思考を走らせる。
「(全身ほぼ隙間無く甲殻。よほどの助走がないと斬るだけ無駄。魔法も撃つだけ無駄。
ならば巨大兵器破壊の心得・その壱ッ!!)」
着地の衝撃を膝で殺し、グゥエールが予備の剣を引き抜く。
「(多脚式ならば狙うのはまずは脚、そして関節!!)」
軽く助走すると、恐るべき精密さで以って後ろ足の膝の甲殻の僅かな隙間へと剣を突き立てる。
剣は確かに肉へと突き立ったが、その手応えは予想以上に硬かった。
それを悟ったエルは剣を抜き、即座にグゥエールを下がらせる。
「(ほとんど刺さっとらん! 中身まで硬いんかい!)」
エルとしても予想外だったが、ベヘモスの“
この重量を支えるには四肢全てを強化するしかないため、当然といえばそうなのだが、戦う側にとっては悪夢というほか無い。
突然後ろ足に加えられたダメージに、ベヘモスが更に猛り狂いながら振り返る。
再びベヘモスの視界から外れるべく走りながら、エルは先ほどの攻撃を思い出す。
確かに一撃で関節を破壊することは出来なかったが、甲殻へ攻撃するよりは手応えを感じられた。
クスッ、とそこだけは何故か可愛らしく、嬉しそうにエルは笑う。
「持久戦になりそうですね……まぁ、それはそれで構いません。嫌いじゃありませんから」
激情に猛る巨獣を前にしながらも、軽やかに、そして楽しそうにグゥエールが駆け出した。
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