#18 戦闘準備

 日が差し込み、明るい森の中を紅い幻晶騎士シルエットナイトが走る。

 周囲には森が広がるばかりで何者の姿も無い。

 しかし紅い機体は脇目も振らず、速度を緩めずにまるで何かに追い立てられている様に全力で駆けていた。

 そして事実、紅い幻晶騎士――グゥエールとその騎操士ナイトランナー、ディートリヒ・クーニッツは完全に追い詰められていた。

 

 ディートリヒを駆り立てているのは恐怖の感情だ。

 陸皇亀ベヘモスに学友の幻晶騎士が倒される光景が、彼の脳裏にこびりついて離れない。

 後ろを振り返ることすら出来ず、ディートリヒは遮二無二グゥエールを走らせる。

 自分が走っているわけでもないのに、恐怖に乱れた呼吸が肺を締め付けていた。

 

 彼だけの話ではないが、騎操士達は己の愛機に絶対の信頼を持っている。

 勿論世の中には幻晶騎士の戦闘能力を上回る魔獣もおり、全くの無敵であるとは思っていない。

 時には犠牲も出るだろう。

 しかしそれでもあのような、一切手も足も出ずに、しかも一撃で粉砕されるような敵がいるなど彼の覚悟の埒外だった。

 力への信頼は、それを圧倒的に凌駕する存在に出会った時に崩れ去ってしまう。

 信頼できるものが無いまま戦場に出ることは、寸鉄を帯びずに飢えた虎の前に立つに等しい。

 結果、恐慌状態に陥った彼は恥も外聞も無く生き残る道を――残る学友を囮にしての逃走を選んだ。

 

 

 しかし運命の女神は容易にはディートリヒを見逃さなかった。

 突如、グゥエールの速度が落ちる。

 全く冷静さを欠いているディートリヒだったが、それでもすぐにその原因に思い至った。

 先ほどの戦闘とあわせての全力疾走。

 しかも彼は常日頃の訓練の成果を出すこともなく、とにかく我武者羅で効率の悪い走り方をしてしまった。

 当然その結果に待つのは魔力貯蓄量の枯渇バッテリー切れだ。

 動けなくなることへの恐怖がディートリヒを襲うが、それでもこの状況で何を出来るわけでもない。

 グゥエールを立ち止まらせてから駐機姿勢をとらせ、魔力貯蓄量マナ・プールが回復するまでその場での休憩を余儀なくされる。

 彼はひとまずベヘモスに追われていない事を確認し、荒れた呼吸を落ち着けた。

 

 しかしいざ立ち止まって少しでも冷静さを取り戻すと、次に襲ってきたのは猛烈な後悔の感情だった。

 彼は首を振ってその思考を振り払おうとするが、動くことも出来ずにその場にいる状況では、後から後から思考が湧いて出てはディートリヒを追い詰める。

 

 そう、自分は味方を見捨てて逃亡した―…。

 くつわを並べて戦ってきた友を見殺しにするなど、騎士たる者として恥ずべき行いだ―…。

 

「(だっ、だから何だって言うんだ! あの場にいたんじゃ、殺されるだけだ!

 私は生き残る道を選んだだけだ! 騎士の心得だって無駄死にしろなんて言っていない!)」

 

 他の誰でもない、ディートリヒ自身の内からの声――良心の呵責という名の声を必死に否定する。

 一度は落ち着けたはずの呼吸が再び荒くなる。

 操縦桿を握り締めた手は強張り、力の入れすぎで白くなっていた。

 それにも気付かずにディートリヒは目を見開き、滝のような汗にまみれながら自分の思考を肯定し、否定していた。

 

 

 自らの思考に振り回されていたディートリヒは、突如聞こえてきた音で我に返った。

 圧縮空気の噴出する鋭い音。

 バカッ、と言う金属の摩擦音が続き、彼の正面の視界が広がった。

 余りに突然の事態にディートリヒの思考が追いつかない。

 幻晶騎士の胸部装甲は操縦席へ乗り込むために圧縮空気の力を用いて上下に開くようになっている。

 今、突然それが開いたのだ。

 勿論彼は装甲の開閉操作などしていない。する理由が無い。

 そして外部から開くための方法は、誤動作で装甲が開かないように複雑なレバー操作を必要とする。

 つまりは何者かが外から装甲を開くためのレバーを操作したとしか思えない。

 その推測を裏付けるように、開いた装甲の上に跳び乗るように人影が現れた。

 初等部としても小柄な体躯に、紫銀の髪が眩く映える。

 呆然とするディートリヒに向けて、エルネスティは涼しげな表情で微笑みかけた。

 

「やっと追いつきましたよ、先輩」

 

 エルの口調はまるで忘れ物を届けるかのように気軽なものだった。

 小首をかしげながら、さらりと問いを口にする。

 

「単刀直入にお聞きします、先輩はあの場から逃げ出したのですよね?」

 

 エルにとってはまさに確認のためだけの問いかけだったが、問われたディートリヒはびくりと震える。

 突如として現れた後輩からの、しかもあまりにストレートな問いかけに彼は再び興奮状態へと陥っていった。

 

「……!  くっ  あぁ、そ……  くそ……

 そ、そうだ! 逃げて何が、何が悪い! あの場所で一人増えようが減ろうが、結果は全く変わらない!

 だったら何故私が無駄死にしないといけないんだ、騎士の心得とて、命まで捨てろとは言っていない!」

 

 口から泡が飛ぶのもかまわずディートリヒは繰り返す。

 それはエルの言葉に対する答えではなく、自分自身へ言い聞かせる言葉だ。

 興奮するディートリヒに対し、エルは笑みを崩さずに頷いた。

 

「よかった」

「……なに?」

 

 予想もしない反応にディートリヒが呆気にとられる。

 よかった? 今の彼の台詞のどこに、喜ぶ要素があったというのだろう。

 

「先輩からならば、僕も安心してグゥエールを借りれそうです」

 

 エルがウィンチェスターを引き抜く光景を最後に、ディートリヒの意識は途絶えた。

 

 

 

 大気弾丸エア・バレットでディートリヒを熨した後、エルは操縦席の中を一通り見回した。

 幻晶騎士は全高10mの巨体でありながら、骨格と各種機材を詰め込んだ操縦席内は狭く、雑然としている。

 最も目立つのは中央のシート、その左右の肘掛の部分に2本の操縦桿がある。

 シートの下にはあぶみがあり、騎操士は両手を操縦桿に、両足を鐙に置く形で操縦を行う。

 

 エルは以前見せてもらったことのある操縦席の機能を軽く思い出しながら、操縦に必要な手順を脳内で再確認していた。

 そしていざ気絶したディートリヒを退かせようと、固定帯をはずしながら彼はふと気付いた。

 

「(さすがに気絶したままここに放り出した日にゃ、獣とかに襲われて死ぬんちゃうん?)」

 

 一人で逃亡したディートリヒに怒りを感じていたのは事実だが、さすがに生命の危険に晒すのは彼の本意ではない。

 少し悩んだ後、エルはシートの後ろの空間に目をつけた。

 幻晶騎士の操縦席には一般的に、サバイバル用の物資が備え付けられている。

 毛布や携帯食料、簡易医療セットなどがあり、作戦行動中にはぐれても数日は単独で行動できるようにするためだ。

 大抵の場合はシートの後ろ側に邪魔にならないように詰め込まれている。

 

「(まぁちょっと勿体無いけど、此処しか空いてへんしな)」

 

 エルは無造作に荷物を引き抜き、外へと捨てる。

 背後の空間にいくらかの余裕が出来たのを確認した後、シートの上で伸びていたディートリヒを其処へ詰め込んだ。

 やや人としてとってはいけない態勢のような気がするが、気にしたら負けだ。

 

 ディートリヒを片付けた後、エルは改めてシートに向き直る。

 シートは高等部の生徒の体格に合わせたものであり、そこに座るとエルの体格では操縦桿にも鐙にも届かない。

 勿論地球における車のように、シートの位置調整などという便利な機能は存在していない。

 しかしこれは既に想定済みの問題であり、その対策も考えずに操縦席に乗ったわけではなかった。

 徐にシートの左右のコンソールを切りつけ、外装を破壊する。別に八つ当たりしている訳ではない。

 事前に一般的なコンソールの形式は調査しており、破壊したその下から操縦桿へと伸びる銀製の配線――銀線神経シルバーナーヴを引っ張り出した。

 それをウィンチェスターに巻きつけると、彼はシートに座って固定帯で自分の体を固定する。

 ウィンチェスターの魔力伝達用の銀部分と銀線神経を直結することで簡易の入出力端末にしたのである。

 

 銀線神経は魔力と共に魔法術式スクリプトを伝達する。

 本来、幻晶騎士の操縦には操縦桿と鐙からの入力と、そして魔法術式を利用する。

 しかし幻晶騎士の制御システムたる魔導演算機マギウスエンジンは、最終的には魔法術式のみを使用して全身を制御している。

 つまりは極論すれば操縦桿を使用しなくても、魔法術式さえ利用できれば幻晶騎士は動くのである。

 

 では何故操縦桿と鐙が存在するのか。

 それは操縦に必要な負担を減らし、操縦を簡易なものとするためである。

 幻晶騎士を制御する魔法術式は極めて複雑で規模の大きいものであり、そのままではとても人一人の処理能力で処理できるものではない。

 そのため、魔導演算機から操縦者に伝達される魔法術式は、機能を限定することで処理の軽い形になっている。

 ある程度の条件を変数として持つ、入力専用の関数で本体の処理を隠蔽しているのである。

 ただ、完全に魔法術式に依存する方法では操縦者にとって感覚的に理解しづらい操縦法になってしまう。

 そのため操縦桿と鐙がある。

 感覚的に理解しやすい操縦者の四肢に対応した物理的な入力装置をトリガーとし、限定的な魔法術式の関数から動作の詳細を入力する。

 半思考制御とも言える、この二つを併用する方式により操縦の簡易さと動作の自由度をある程度両立させているのである。

 

 エルが幻晶騎士を操縦するに当たっての問題点は物理的な入力機器が利用できない点にある。

 ならば、最初から全てを魔法術式のみで処理してしまえばいい。

 それは魔導演算機で処理される膨大な魔法術式を個人の魔術演算領域マギウス・サーキットで処理しようというものだが、エルの処理能力はもはや人外の域にある。

 勝算の低い賭けではなかった。

 

 

 

 エルは軽く息を吐いて気を落ち着かせると、目を閉じて意識を集中させる。

 銀線神経と接続したウィンチェスターを通じ、魔導演算機へアクセスを開始。

 送られてくる動作用の関数を読み込むと、そのまま関数の本体へと意識を潜らせてゆく。

 本来、騎操士は魔導演算機から術式を受け取り、必要分を追加して返答することしかしない。

 普通の騎操士は魔法術式の処理による負担が低いほど良いと考えるため、魔導演算機側も騎操士からの直接操作など想定していなかったのであろう。

 拍子抜けするほどあっさりと経路バイパスが確立され、魔導演算機に蓄積された魔法術式が次々に読み込まれてゆく。

 

 目を閉じて術式の解析に没頭するエル。

 彼の意識上では空中に魔法陣が積み重なり、縦横に展開されている。

 彼は意識上で腕を伸ばすと、魔法陣をなぞるようにしてその内容を読み取っていく。

 

「(さぁて、こっからが本職プログラマーの腕の見せ所や)」

 

 これまでにエルが学び、記憶している術式と、魔導演算機内の術式を比較する。

 極めて迅速に、魔法技術の精髄を解体にかかる。

 

「(パターン解析開始……類似術式検出、身体強化フィジカルブースト拡大術式エンチャント……)」

 

 内容の多くが既知の術式との類似を見せ、エルの認識下に置かれてゆく。

 そして術式の配置からその意味を把握。認識が広がるほどに加速度的に内部の把握が進んでゆく。

 

「(いっちゃん根っこにあるんは、身体強化か? 確かに筋肉動かすんやったら似たような話になるか)」

 

 基礎となる術式を下敷きに、個別の制御部が連結されている構造。

 エルの意識上ではすでに空中を埋め尽くさんばかりの魔法陣が展開されていた。

 

「(結晶筋肉クリスタルティシューの動作制御……配置のマッピング。

 部位ごとにモジュール化して連結。

 出力制御、これが魔力転換炉エーテルリアクタの入出力……)」

 

 駐機姿勢をとり、立膝を突いていたグゥエールが僅かに震えた。

 指先が微かに動き、それまでは視線が定まらなかったその瞳がしっかりと周囲を認識し始める。

 

「(動かすには……俺の体を動かす身体強化術式と幻晶騎士の動作用術式を連結。

 動作用パラメータを幻晶騎士にあわせ変換コンバート、併せて入出力制御を初期値デフォルトで動作開始)」

 

 全身に張り巡らされた銀線神経を伝い、魔力転換炉エーテルリアクタで生成された魔力マナがコクピットからの魔法術式を乗せ伝播してゆく。

 幻晶騎士は与えられた術式の指示に忠実に従い、結晶筋肉が貯蔵された魔力を消費し、伸縮を開始する。

 ゆっくりと、震えながら、まるで生まれたての小鹿のような動きで機体が立ち上がる。

 

「(動作パラメータのコンバートを完了、駆動開始……。

 出力制御の変数調整、魔力貯蓄量は十分、まずは一歩……)」

 

 ゆらりと、一歩一歩と踏みしめるようにグゥエールの巨体が歩みを始めた。

 だがその動きはまるで死者のように覚束なく、ゆっくりとしたものだ。

 

「(動作差異の反映フィードバック、最適化を開始)」

 

 実際の動作から情報を反映し、機体を動かしながらも結晶筋肉の余計な動作を走査し、次々と術式に修正パッチを当ててゆく。

 既存の魔法術式の面影を残しつつ、思考と同速度で行われるデバッグにより、短時間の間に術式は極限まで最適化されてゆく。

 数歩の歩みを刻む間に、その姿は優雅ささえ感じるほど滑らかなものになっていた。

 

 エルが魔導演算機へアクセスを開始してからおよそ30分。

 幻晶騎士シルエットナイト――人の英知の結晶とも言うべきその魔導兵器は、完全にエルの制御下に入った。

 エルの意思に従い自在に動くグゥエール。

 エルの思考は魔術演算領域上で直接術式へ変換され、幻晶騎士へ伝達される。

 そこには物理入力装置による遅延も、関数に隠蔽されていたが故の無駄も存在しない。

 操縦者の思考と同速度で動く、完全なる直接制御フルコントロールが此処に実現していた。

 

 

 今は非常事態である。

 こうしている間にも高等部の騎操士達は死線の際で戦っている。

 ここには一刻の猶予もなく、エルもそれが故にグゥエールに命じる。

 エルの意思を受け、グゥエールは此処までかかった時間を取り戻すかのように猛烈な速度での疾走を開始した。

 

 

 しかし。

 走るに連れてエルの表情が緊張感を感じるそれから、笑みの形に変わってゆく。

 この時のエルが感じていたのは、焦燥でも重圧でもなかった。

 今エルはロボットに乗っている。

 ロボットはエルの思うとおりに動き、力強い走りを見せている。

 グゥエールを追っている間は、考える暇がなかった。

 魔導演算機へとアクセスする間は、思考がいっぱいで考える余地がなかった。

 今、実際に移動を開始して余裕が出てきたところで、エルは自分自身がとっている行動の意味を、冷静に振り返り始めたのである。

 こんなときに不謹慎だ、とはエルも思う。

 しかし彼は自らの感情を止めようがなかった。

 

「(うおおロボや、俺ロボに乗ってる、走ってる!)」

 

 機体が走るたびに伝わってくる振動も、幻像投影機ホロモニターに映る景色が恐ろしい速度で流れてゆくさまも、そして今エル自身にかかる慣性も、その全てが彼にとっては幸せといっても過言ではない。

 彼の表情が喜色満面の笑みになるのを、果たして誰が止めれようか。

 エルはこの先に待つのが強大な魔獣との戦闘であることも忘れ、幻晶騎士を動かす悦びに浸っていた。

 

 

 そうして一歩ごとに目的を見失い行くエルと、泡を吹いて気絶したままのディートリヒを乗せ、グゥエールは戦場めがけて駆け抜けてゆくのであった。

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