#16 魔獣襲来の夜

 ヤントゥネン市街地、東門へと一機の幻晶騎士シルエットナイトが辿り着いた。

 余程急いで来たのであろう、機体を駆る騎操士ナイトランナーは疲弊しきった様子であったが、城門へ辿り着くなり詰めていた騎士へと駆け寄る。

 突然の事に騎士は驚いていたが、騎操士の話を聞くなり顔を青くして報告に走った。

 

 

「それは……本当の事か!?」

 

 ヤントゥネン守護騎士団の団長であるフィリップ・ハルハーゲンは、部下の報告に血相を変えた。

 共に団長室にいた副団長であるゴトフリート・ヒュヴァリネンも無表情ではあるがその顔色は蒼白であり、報告の内容が与えた衝撃の強さを表している。

 

「ハッ、陸皇亀ベヘモスの襲撃によりバルゲリー砦は壊滅的な打撃を受け、守備隊も恐らくは全滅。

 ベヘモスはそのまま国内へと西進しており、いずれはこのヤントゥネン付近に姿を現すことが予想される、との事です!」

 

 師団級魔獣の突然の襲撃。

 悪夢としか言いようのない事態に、フィリップは眩暈がする思いだった。

 しかし、騎士団の指揮官たる彼が呆けている場合ではない。

 不幸中の幸いでその騎操士が急いでくれたことにより、ベヘモスが現れるまでに僅かな猶予がある。

 この時間を一刻たりとも無駄にすることは出来なかった。

 

「く、大至急ヤントゥネン付近にいる全ての騎士に召集命令を出せ!

 緊急事態だ、現在遂行中の全ての任務より優先する!」

 

 報告を持ってきた部下は復唱すると、敬礼を返しすぐさま走ってゆく。

 その後を追うように、フィリップとゴトフリートは作戦会議室へ向かうべく団長室を飛び出した。

 

「ベヘモスだと……いかなヤントゥネンと言えど、師団規模の戦力はないぞ。

 そんなものを持っているのは王都ぐらいだ」

「等級の区分は目安でしかありません。

 師団規模ならば余裕を持って相手を討ち取れると言うだけの話。

 現在の戦力でも、相応の被害を覚悟すれば討伐は可能かと思われます」

 

 足早に移動しながら、フィリップは拳を握り締める。

 

「わかっている、そんなことはわかっているが、問題は被害の規模だ!

 我が騎士団の100の騎士と相打ちでは意味がないのだぞ!

 その後ヤントゥネンは誰が守るというのだ!」

 

 その言葉にゴトフリートは押し黙る。

 彼とて騎士団の壊滅を望んでいる訳ではない。

 しかしすでにベヘモスにより砦一つが壊滅しているのだ。

 仮にこのままヤントゥネンが甚大な被害を被った場合、国内の物流が大きく滞る。

 国境線への物資補給が滞っては、連鎖的に被害を被る砦も出てくるだろう。

 今此処で騎士団と引き換えにしてでもベヘモスを倒す必要があった。

 そして必要とあらば如何なる内容であれ団長に進言するのが、副団長たる彼の役目なのだ。

 

「……いや、もはやそのような事を言っている場合でもないな。此処で止めねば下手をすれば国が滅ぶ。

 王都に遣いを出すぞ。我々が壊滅した後の騎士団を頼まねばならん……」

 

 状況への苛立ちに表情を歪めるフィリップに、ゴトフリートは頷きを返すことしかできなかった。

 

 

 フィリップ達が作戦会議室へ入ると、そこには騎士団詰め所にいた騎士達が集まっていた。

 どの顔も突然の事態に緊張の色を隠せない。

 外に居る騎士達が召集指令を受け集まるまでの間に現状の確認が行われる。

 早速地図が用意され、ベヘモスの予想進路の推定作業が始まった。

 報告を持ってきた騎操士も、ベヘモスの具体的な位置を把握しているわけではない。

 ベヘモスの移動能力、地形からのルート割り出しで大まかな現在地を推定するのだ。

 その上で騎士団が迎撃するための場所を決定する必要がある。

 

「やってきた方角、バルゲリー砦からの地理を考慮するとデグベル山を迂回し、麓の森林地帯を踏破するルートが最も有力な予想進路になります」

「このルートだとヤントゥネン近郊は避け得ないな…現在位置の推測は?」

 

 問われた騎士が地図上の1点を指す。

 

「恐らくはクレペル平原を過ぎ、クロケの森に差し掛かったあたりかと」

「クロケの森か……近いな。このままでは迎撃するにもヤントゥネン至近での戦いになるな……」

 

 その時、背後で一人の騎士が切羽詰った声を上げた。

 

「クロケの森だって……!?」

「どうした?クロケの森に何かあるのか?」

 

 最悪の予感を感じ、声を上げた騎士は言葉を詰まらせる。

 

「あそこでは今、ライヒアラの学生たちが演習を行っています!」

「なっ……!?」

 

 周囲の騎士たちも絶句する。

 ヤントゥネンの街だけではなくライヒアラの財産たる国民、それも子供達が危険に晒されている。

 中にはライヒアラの騎士学科に家族の居る者も居た。

 焦った一部の騎士が前に出る。

 

「すぐさまクロケの森へ向かうべきです!」

 

 重なる問題にフィリップは頭を抱える。

 しかし、悩んだのは一瞬だ。彼には優先すべき使命がある。

 

「伝令は向かわせる。しかし、騎士団は動かさん。もう少し騎士が集合してからだ」

「団長! 見捨てるおつもりですか!?」

 

 血相を変えて詰め寄る騎士をフィリップが一喝する。

 

「そんな訳はないだろう!」

 

 隠し切れない悔しさが、その声に滲んでいた。

 

「助けに行きたいのは当然だ、だが我が騎士団の戦力ではベヘモスを倒すので精一杯なのだ!

 ……それ以上の戦果は望めない。

 戦力の整わぬまま焦って出撃しても徒に消耗し、最悪ベヘモスを討ち切れない可能性もある。

 間違えるな! 我々の目的はあくまでもベヘモスの討伐。

 それによりヤントゥネン……ひいてはフレメヴィーラ王国を守ることにある!」

 

 ざわついていた騎士達が沈黙する。

 

「……今我々に出来ることは、彼らの幸運と機転に期待する事だけだ……」

 

 

 

 クロケの森の入り口、ライヒアラ騎士学科のベースキャンプ。

 中等部の撤退が完了した後は、高等部の幻晶騎士が全機でベースキャンプを囲み防衛網を構築していた。

 森から出てくる魔獣の大半が1m前後のサイズであり、大きくても3mほどである。

 全高10mの幻晶騎士とは戦闘能力の桁が違う。

 群れ集う魔獣は剣の一振りで吹き飛んでいた。

 しかしサイズが違う故にどうしても討ち漏らしが出てしまうため、その穴を埋めるようにまだ生徒達が展開していた。

 

 魔獣の側からしてもその存在を誇示する幻晶騎士と正面からぶつかるのを嫌ったのか、いつしか流れがベースキャンプを挟んで二つに分かれていた。

 ちょうど川の真ん中に島があるような形に例えられる。

 中等部にて怪我人が多く出、戦力的に厳しい騎士学科の面々にとってこれは幸運だった。

 

 

 太陽が中天を越し、真っ赤な姿で山間に沈む頃。

 魔獣の襲撃が途切れてからも警戒態勢を維持していた彼らもさすがに事態の収束を感じ、一息ついた。

 

「さすがにもう魔獣は居ないようね……」

 

 ステファニア・セラーティは心底疲れた、と言う風に息をつく。

 結局彼女は無事な生徒達を率いて最後まで指揮を執っていた。

 キャンプには合流した教師達も居るが、脱出中から指揮を執っていた彼女が継続したほうがわかり易いだろうという判断だ。

 

「キッド、アディ、エル君」

 

 警戒態勢を緩め、休息をとりだす生徒達へと労いの言葉をかけながら彼女もキャンプへ戻っていた。

 その中に彼女が良く知る顔を見かけ、呼び止める。

 

「あ、ねぇ……じゃない先輩、お疲れ様です」

 

 慌てて言い直すアディにステファニアが苦笑する。

 

「わざわざ隠さなくてもいいわ。こないだの事もあるし、今まで通りで、ね?」

「うん、じゃあ姉さん……怪我してない? 中等部は大変だったってきいたんだけど!」

 

 ステファニアは首を振る。

 

「見ての通り私は大丈夫よ。それより、貴方達も無茶をするわね」

 

 そういうステファニアの表情はやや呆れ気味だった。

 ベースキャンプまで撤退した直後は、負傷と疲弊により中等部の戦力はかなり落ちていた。

 そのままでは幻晶騎士の防衛網を掻い潜ってきた魔獣の相手も困難だったが、エル達が時間を稼ぐことでなんとか部隊を立て直したのである。

 

「っつってもよ、あん時は戦えるの俺達だけだったしな。多少の無茶はするってもんだ」

「……3人で部隊1つレベルの活躍を見せるのは多少どころじゃないと思うのだけれど……まぁいいわ。

 あ、エル君」

 

 ステファニアは二人の後ろに居たエルに近づくとそのままがばっと抱きしめる。

 抵抗する暇も無く捕まり驚くエルをよそに、ステファニアはご満悦の状態で髪の毛に頬ずりをしていた。

 

「ああ~やっぱり癒されるわ♪ エル君がいればまだまだ戦えちゃう」

「(おいおい。まぁしゃあない、今回はサービスしとこか。俺一人の犠牲で気分転換になるなら安いもんやろ)」

 

 エルはよっぽど抗議しようかと思ったが、これまでの彼女の活躍を考えて思いとどまる。

 後ろの双子も、アディがなにやら不審な挙動を見せてはいたが止めるつもりは無い様だった。

 

 

 そうしてステファニアがしばらくエルを堪能していると、彼らの背後からおずおずと声がかかった。

 

「あ、あの、生徒会長……」

 

 ステファニアを呼びに来たと思われる生徒は、彼女の様子に半ば以上引き気味だ。

 つい先ほどまで中等部の生徒を率い、凛々しく指揮を執っていた彼女が今は下級生を抱きしめてだらしない笑顔を浮かべているのである。

 さもありなんという所だ。

 

「何かしら?」

「(うん、今更キリッとしても手遅れやとおもうんよ。色々と)」

「今後の方針を決めるので、来て欲しいと先生がお呼びで……」

「わかったわ。ごめんね3人とも、行って来るわ」

 

 恐ろしい速度で生徒会長モードに切り替わったステファニアに半ば呆れつつも手を振った。

 

「(さぁて、当面の危険は乗り切ったやろうけど、こっから先どうなるんやろね)」

 

 エルはクロケの森を振り返る。

 日が落ち始めた森は、まるで視線を拒むかのようにどんどんと暗さを増してゆく。

 その奥に何が潜んでいるのか、それはエルにもわからなかった。

 

 

 

「それで? 結局移動は明日になったのかよ」

 

 その後の方針をめぐって多少もめたようだが、夕食が始まるごろには全員に行動が伝えられている。

 夕食に携帯食料と簡単な山菜のスープを啜りながらエル達は状況を確認していた。

 

「ええ、負傷者は多いのですが幸いにも致命傷を負った人はいません。重くて骨折といったところでしょう。

 それよりも魔力を使い果たし疲弊している人も多く、実働上の戦力が乏しいのが痛いですね。

 この状況で強行軍で移動するのは危険だと言う判断だとか」

「ねぇ、こんなところで休んでるのも危険じゃないの?」

「夜間となれば、馬の視界も利きませんしね。

 疲弊を押して危険な馬車での移動中に襲撃されるよりは明かりもあり、まだ拠点としての能力のあるこのキャンプのほうが安全だと判断したようです。

 それに、さすがに同規模の魔獣の群れがもう一つ存在するとは思えませんし」

「ふーん。なんか楽観的だね!」

「楽観つーよりゃ、何やっても賭けになるからリスク低いほう選んだってだけだろ。

 仮に夜になんか来るっつっても、動かねーほうが幻晶騎士による防衛がカンタンなんだしよ」

 

 似たような危惧は他の生徒も抱いており、小声で話し合う姿がそこかしこで見られた。

 今現在彼らに出来ることは十分に休養を取りつつ、危険が発生したときにそれを速やかに検知・対処することだけ。

 ギリギリの状況ではあるが、こまめに交代することで前日に倍する人数の見張りを立て、緊張感は拭えないものの何とか夜を過ごすのだった。

 

 だが、彼らは見落としていた。

 魔獣が暴走した原因は何なのか。

 そして彼らは気付けなかった。

 こちらへ向かう魔獣が、どれも必死の様子だったのを。

 何かに追い立てられる様にして西を目指していたことを。

 それを後悔するのは、夜明けを目前にした深夜のことであった。

 

 

 

 夜が明け、じわりじわりと山々の頂から赤い日差しが見え始める頃。

 見張りに立つ生徒が、森から異様な音が聞こえてくることに気がついた。

 それは木が張り裂け、倒れる音。

 規則正しい間隔で聞こえる、重量物が落下したような音。

 彼らがその意味に気付くのに時間は必要なかった。

 すぐさま力の限り警鐘を打ち鳴らす。

 

「やばい! 大物だ! 大物がきやがった!」

 

 突如鳴り響いたけたたましい鐘の音に、教師、生徒を問わず寝ているものは全員が飛び起きた。

 元々緊張もあり眠りはやや浅かったこともあり、全員起き上がるや否やすぐさま行動を開始する。

 待機中の幻晶騎士が森の入り口を固め、休憩に入っていた機体も次々に立ち上がって行く。

 

 だんだんと木が倒れる音も、地響きのような足音もはっきりと聞こえ始めている。

 かなり巨大な何者かが迫っている。

 

「おいおい、こいつはやばかねぇか?」

 

 言うまでも無く、その場にいる全員がこれまで以上の危険を感じている。

 張り詰めたような空気の中、引き寄せられるように全員の視線が森の入口へと集中した。

 

 これまでクロケの森には決闘級(最低でも幻晶騎士が必要なレベル)以上の大型魔獣が居なかった。

 小型の魔獣しかいないからこそ実習の場所に選ばれたのである。

 しかし響いてくる足音は明らかにそれ放つ者の巨大さを物語っている。

 元々クロケの森には居ないはずの大型魔獣。

 突如襲撃してきた小型魔獣の群れ。

 昼間の群れは森にいる全ての魔獣が向かってきたような数だった。

 あれがもしや、この大型魔獣の侵入によって追い立てられてきたものだとしたら……。

 

 

 ついに入り口付近の木々が倒れ、夜明けに差し掛かる薄暗い光の中に魔獣がその姿を現した。

 剣山のように刺々しい甲殻に隙間無く覆われた体。

 人間の持つ最強戦力である幻晶騎士すら子供のごとく見える、小山と見紛うばかりの巨大さ。

 その巨躯に比べ驚くほど小さな瞳が、目の前の光景を睥睨する。

 誰もが声も無くその威容に萎縮し、恐怖した。

 陸皇亀ベヘモス――過日国境線に現れた巨獣は、今正にヤントゥネンの喉元まで迫っていたのであった。

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