第10話
「眠れねぇ…」
その日の夜。
俺は自室のベットの中で悶々としていた。
頭の中では、昼間の出来事がループしていた。
『エレナぁあああ!やっぱり無理だぁああああ!助けてくれぇえええ!!!』
自分の腕を切り落としてまで覚悟を見せて俺を鍛えようとしてくれたエレナ。
そんなエレナの期待を裏切り、俺はブラック・ウルフから逃げて泣いてエレナに助けを求めた。
「はぁ…絶対幻滅されたよな…」
男としてこれ以上情けないことはない。
俺はあまりの恥ずかしさと悔しさに、ベッドに入って数時間が経っても寝付けずにいた。
「オークを倒した時は行けると思ったんだけどなぁ…」
森に入って最初に倒したモンスター、オーク。
エレナ曰く、オークは中級の中では弱い部類だそうだが、しかし、俺にとっては十分恐怖の対象だった。
そんなオークを、俺は確かに自分の手で倒した。
エレナが防御を担当してくれていたおかげでもあるが、オークを仕留めたのは間違いなく俺の魔法だった。
あの時に感じた達成感。
前に一歩進んだという感覚。
これならいけると進んだ先に待ち構えていたのが、俺のトラウマの原因、ブラック・ウルフだった。
しかも前に俺が見たブラック・ウルフよりも一回り大きな個体だった。
ブラック・ウルフを前にした俺は、たちまち自信を喪失し、恐怖に打ちのめされ、気がつけば泣き叫んで逃げ回っていた。
その姿は側から見ていたエレナの目には、非常に滑稽で情けないものに映っただろう。
「くそ…俺の意気地無し…」
俺は自分を叱咤する。
日本でブラック企業に勤め、社会の荒波にもまれ、俺は本当の辛さというのを知った気でいた。
だが、それは思い違いだった。
本当に辛いのは、生命の危機に直面した時。
自分の命が危険に晒されたときに、恐怖に打ち勝って立ち向かっていくことだったのだ。
「あー…明日からどんな顔でエレナに会えばいいんだよ…」
エレナは本気で俺を鍛えようとしてくれている。
それは一晩寝ずに俺の訓練方法を考えてくれたことからも明らかだった。
問題があるのは俺の方だ。
俺にはエレナほどの覚悟がなかった。
だから、自分のかつてのトラウマの原因と相対した時、立ち向かわずに逃げてしまった。
俺はエレナの生徒にふさわしくない。
このままでは、俺にはエレナに魔法を教わる資格がなくなってしまう。
「…ああ、くそ!!やっぱり無理だ!眠れない…!」
たまりかねた俺はガバッと飛び起きた。
目を閉じて、羊を数えたり、素数を数えたり、いろんな方法を試したがやっぱり昼間のことを考えて俺は眠ることが出来なかった。
「…ちょっと外の空気でも浴びるか」
毛皮のコートを羽織った俺は、少し外気に触れて気持ちを落ち着かせようと屋敷の外に出たのだった。
「寒いな…」
この世界にも月というものが存在する。
もちろん現地人には別の呼び方で呼ばれているが、俺は面倒なので月と呼んでいる。
月明かりに照らされる中、俺はコートを羽織って屋敷の外に出た。
最初はただ外の空気を吸って気分を落ち着かせるためだけのつもりだった。
だが、気づけば俺は、ある方向に向かって歩いていた。
「何してんだよ俺…引き返せよ…」
俺は自分が馬鹿なことをしていると自覚しながら、それでも屋敷から離れ、領地を森の方向へと向かって歩いて行っていた。
「夜はモンスターの動きが活発になる…昼間とは勝手が違うぞ…無理だ…下手したら死ぬぞ…」
夜は昼間と比べて圧倒的にモンスターの動きが活発化する。
森の中の浅い部分に足を踏み入れただけで、たくさんのモンスターに一挙に襲い掛かられたり、と言ったことも考えられる。
馬鹿なことをしているのは十分承知だった。
だが、不思議と屋敷に引き返そうという気にはなれなかった。
俺は昼間エレナと通った道をどんどん進んでいき、やがて森の入り口へとやってきた。
『アオーン…』
『ギャア、ギャア…』
『ガルルルル……』
森の中からはモンスターの鳴き声みたいなのが聞こえてくる。
正直言ってめちゃくちゃ怖かったが、ここで引いてしまったら、俺は一生モンスターに立ち向かうことが出来なくなってしまう。
そんな考えに囚われていた。
「行くぞ…ここまできたんだ…行くしかない…」
俺は恐怖に支配されそうになっている自分を叱咤して、森の中に足を踏み入れていった。
「…っ」
そろりそろりと、夜の森の中を進んでいく。
月明かりがあるため、全く周囲が見えないということはない。
だが、昼間に比べて視野は確実に狭くなっており、俺にはエレナみたいな気配察知能力もないため、いつ襲われてもおかしくないような状況だった。
「いつでも魔法を発動できるように…魔力を熾して…」
俺はモンスターに襲われた時に、すぐさま対応できるように魔力を自分の中で練り上げておく。
こうすることによって詠唱から発動までの過程を最小限にすることができるのだ。
『オグゥ…』
「…!?」
俺が魔力を練り上げた直後、右方向の茂みから低い鳴き声が聞こえた。
「…モンスターか!?来るならこい…!」
俺は背後を振り返って退路を確認しつつ、唸り声のした茂みを警戒する。
『オガァア…』
「…っ」
ぬっと、茂みからモンスターが現れた。
体長は三メートルほど。
額から突き出たツノ。
筋骨隆々の体。
手には棍棒のような武器を持っていて、赤く光る目が俺をしっかりと捉えていた。
「オーガ…!」
俺はそのモンスターの名前を口にする。
オーガ。
中級モンスターの一種だ。
ブラック・ウルフよりも体格的には劣るが、しかし、強さはこちらの方が上。
以前に読んだ書物の知識だと、確か中級モンスターの中でも最強格とかではなかっただろうか。
「マジかよ…いきなりこんな怪物に…」
森に入ってまだまもないわけだから、初級モンスターとかに出くわしてもおかしくないのだが、なぜか俺は中級モンスターばかりに出会ってしまう。
「…どうする?戦うのか…?」
俺は自分の運の悪さを呪いながら、選択肢を吟味する。
一つには、もちろん逃げることだ。
退路は確保しているわけだし、逃げに徹すればこの場から逃れることはできる。
もう一つは、戦うという選択肢。
オーガは、ブラック・ウルフよりも強いモンスターだ。
倒せば……もしかしたら、それがトラウマを打ち砕くきっかけになるかもしれない。
「逃げる…は、ねぇよな。なんのためにここまできたんだって話だ」
俺は自重気味に笑って、逃げるという選択肢を打ち消す。
危険を承知で夜の森に踏み入り、モンスターと戦うためにここまできたんだ。
朝までに……俺はモンスターに対するトラウマを払拭する。
そしてエレナの魔法の授業を受けるに相応しい男となるんだ。
「来いよ!オーガ!!」
『オガァアアアア!!!』
オーガが咆哮と共に突進してきた。
「ウォーター・シールド!」
俺は水魔法を使って水の盾を生成し、オーガの第一撃を食い止める。
『オガァア!!』
突進を阻まれたオーガが、水の盾越しに俺を睨む。
『オガッ!オガァアア!』
右手の棍棒で、苛立ったように何度も俺の水の盾を殴りつけるが、その威力は全て吸収されてしまう。
「お前の攻撃はそれで終わりか…?だったら今度はこっちのターンだ!」
俺は体の中で特大の魔力を練り上げる。
今はエレナが同伴していない。
つまり人目がない状況で、出し惜しみせずに魔法を使うことができる。
「上級魔法で屠ってやるよ…!ファイア・トルネード!!」
ゴォオオオオオオ!!!!
『オガァアアアアアアアア!?!?』
炎の竜巻が、起こった。
ゴオオと音を立てながら舞い上がった竜巻は、オーガの巨体を易々と持ち上げて、周りの木々も巻き込み、蹂躙する。
『オガァアアアアア!!!』
オーガの悲鳴が森の中に響き渡る。
しばらくして、炎の竜巻が収まると、そこには焼け爛れたオーガの死体が一つ、転がっていた。
メラメラと、そこらじゅうで燃え移った火が燃えている。
「や、やった…!倒せた…!」
再び、昼間に感じた時のような達成感が俺の中に広がった。
オーガを倒せた。
中級モンスターの最強格、オーガを自力で倒せた。
今度はエレナの力も借りずに、完璧に一人で倒せた。
その事実が再び俺の中に自信を漲らせる。
「行ける…!これならブラック・ウルフだって…!」
俺はぐっと拳を握る。
ブラック・ウルフよりもはるかに強いモンスターを倒せたんだ。
俺にブラック・ウルフを倒せない道理はない。
今がチャンスなんだ。
オーガを倒して自信がみなぎっている今、俺はブラック・ウルフを自力で倒して幼き頃のトラウマを完全に払拭する。
そうすることで俺は一歩、前に進むことができる。
「…とりあえず火を消すか」
俺は一度冷静になって周囲を見渡した。
俺の火属性の上級魔法によって起こった炎が、あちこちに燃え移っている。
このままでは山火事になりかねないため、俺は水魔法を使って炎を消していく。
…その時だった。
「…っ!?」
無数の気配を俺は周りに感じ取った。
『ガルルル…』
『ギャア、ギャア…!』
『フシュゥウウウウ…』
『ギィイ…ギィイ…』
無数の赤い点が、周りの暗闇の中で光った。
どうやら俺が大胆に森の中で魔法を使ったため、モンスターたちが集まってきてしまったようだ。
「はは…!いいぜ、来いよ…!」
昼間の俺なら泣いて逃げ出していただろう。
だが、現在の俺は違った。
中級最強格のオーガを自分の手で倒し、俺には自信がみなぎっていた。
今ならモンスターが何匹襲ってきても倒せるような気がしていた。
「纏めてかかってこい!全員蹴散らしてやる…!
」
俺は体の中で魔力を練り上げる。
程なくして、四方八方からモンスターたちが一斉に襲いかかってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
森の中に俺の荒い呼吸音が溶けて消えていく。
「くそ…!何匹いやがるんだ…!」
あれから半時間ばかりの時が経過した。
俺は、夜の森の中を必死に逃げ回っていた。
オーガを大胆な上級魔法で倒したことによって多数のモンスターに一斉に標的にされた俺は、最初、自分の使えるあらゆる魔法を駆使して正面から立ち向かっていった。
最初はこちらが優勢だった。
人目のない状態で俺は自分の力をフルに使えるため、集まってきた初級モンスター、中級モンスターたちを、惜しげもなく上級魔法を使いまくって屠っていった。
『ギャァアアアアアアアア!!!』
『グガァアアアアアア!!!』
「はははは!!どうだ!!なすすべもないようだな…!これが俺の力だ!!」
森に響き渡るモンスターたちの悲鳴。
俺は調子に乗って、四方のモンスターたちに魔法を撃ちまくった。
そしてその結果。
『『『グガァアアアアア!!!』』』
『『『ガルルルルルルル!!!』』』
『『『フシィイイイイイ!!!』』』
「なんでぇええええええ!?!?」
森じゅうのモンスターのヘイトを集めることになってしまった。
上級モンスターも何匹かまじった群れが俺を追いかける。
俺はあまりにも広範囲に展開されたモンスターの群れに追われて逃げるしかなかった。
この数は流石に捌ききれない。
たとえ正面のモンスターを倒したとしても、右から、左から攻撃を仕掛けられ、俺はあっという間にモンスターの餌食だ。
「しかも…っ…ああ、俺の馬鹿野郎…!」
さらに、不幸はそれだけじゃない。
俺は上級モンスターも混じった群れからとにかく方向も考えずに逃げ惑っていた結果……
「どこか森の出口だ…!?」
完全に森の中で道に迷っていた。
『『『グガァアアアアア!!!』』』
『『『ガルルルルルルル!!!』』』
『『『フシィイイイイイ!!!』』』
「ひぃいいいいいい!?!?」
背後からは、モンスターたちの怒り狂った鳴き声が聞こえてくる。
俺は生きた心地がしないまま、とにかく全力で森の中を走り回った。
そして気づけば、モンスターたちを完全に撒いて、一人になっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ…逃げ切った…」
俺は地面に手をついて、息を整える。
もう森の中でむやみやたらに魔法を連発するのはやめよう。
そう固く心の中で誓いながら、周囲を見渡した。
「…ここ、どこだ?」
あいも変わらず周りに広がっているのは鬱蒼と生い茂る草木。
ここが森のどの部分なのか、見当もつかない。
『クゥン…クゥン…』
「お…?」
俺が深呼吸を繰り返して体力回復に努めていると、足元に何かが纏わりついてきた。
見ればそれは黒い毛並みの子犬だった。
数匹で固まって、まるで『遊んで!』とでも言っているように俺に体を擦り付けている。
「小さいな…こんな小さなモンスター、いたっけかな?」
俺は記憶しているモンスターの種類を頭の中で呼び起こして首を傾げながら、子犬たちを撫でる。
その直後。
『グルルルルル…』
背後で低い唸り声が鳴った。
「あ…」
嫌な予感がした。
俺は固くなった首を恐る恐る回して背後を確認する。
『ガルルルルル!!ガウガウ!!』
「…っ!?」
恐怖の対象、トラウマの原因。
ブラック・ウルフが俺を見下ろしていた。
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