飲み比べ
「えー、シェフからの通達です。なになに? このままだと営業に支障が生じるから、大食いは止めてくれ、と」
「……」
「……」
ユズハが手紙を読み上げると、ギルドを沈黙が覆った。
「えー、……どうしましょ?」
紙面から顔を上げたユズハの眉は八の字を描いていた。
レイラの眉もおんなじだ。目尻に光るものが見えるのが違いか。
そして激戦を繰り広げた勇士はと言うと。
「満腹満腹。げぷー」
「うっぷ……。すいません、ちょっとトイレに」
勝負の結果は引き分けだったものの、その明暗はハッキリと
ぽんぽんのお腹を擦るミラ。口元を押さえてトイレに駆け込むブレア。……これ、本当に引き分けか?
「これじゃただ、ミラにご飯を奢っただけじゃないの……! うぅー!」
「安心してレイちゃん。お姉ちゃんにいい考えがあるわ」
気落ちする妹の肩に、ドーラが優しく手を置いた。
そうして人の輪から一歩出、ピシと指をさす。
「出てきなさいミルドレッド! 学生時代の決着を付けてあげるわ~!」
「へ、
爽快と、ミルドレッドがドーラの元へと向かう。
二人が正対すると、その間に目に見えぬ火花が散った。
魔術学院の同期であり、更に首席と次席。二人は学生時代からのライバルであった。
剣呑な空気を察し、ユズハが遠慮がちに声を上げる。
「え、えーと、何をなさるんですか? 物騒なのはちょっと……」
「大丈夫よ〜ユズハさん。別に魔法で
「へ? いや、でも……」
そんな闘志満々で姿を見せて、
ミルドレッドが肩を竦めながら言う。
「ま、そうだよな。実技試験でも模擬戦でも、お前さんは一度も俺に勝ったことないもんなぁ?」
「う、うるさいわねぇ‼ あ、アナタこそ男の癖にそんなに肌色を露出して、恥という概念がないのかしら!?」
「んなこと言っても。俺もお前もおんなじローブ着てるだけじゃんか」
そう。二人が着ているのは男女の違いこそあれど、誉れある魔術学院卒業生にのみ授与される特別なローブである。
材質が超高級品なのは言わずもがな、数々の効果が付与されており、着ているだけでも同業から畏敬を集める珠玉の逸品。
嘘か真か、大気中に漂う魔力を感じ易いようにと、肩が、胸元が、臀部が。露出が多いのが難点といえば難点だろう。
「……」
「……」
顔を見合わせ、魔法使い二人は揃って溜め息を吐いた。
「なぁアズ? ミルドレッドの言ってることは本当なのか?」
「えぇ、本当ですよ」
マリオンがアズに尋ねる。
ミルドレッドが、ドーラに負けたことが無いという話だ。
今更ミルドレッドがそんな嘘を吐くとは思ってはいないし、ドーラの反応から見ても本当なんだろう。
ならばどうして、彼は次席卒業なのだろうか?
「あー、それはですね。ほら、ミルドレッドは霊子の研究をしているじゃないですか? あいつにとっちゃそれが常識っていうか、それこそが真実なんで。そのせいか筆記の方は今一つで。あいつはよく、問題の方が間違ってるとボヤいてましたよ」
「ふむ」
筆記と実技。いくら実技が優れていても評価に上限があるのなら、筆記で差が出てしまう。そういうことなのだろう。
主席なれど実力はミルドレッドが上。ドーラの強いライバル意識も納得である。
とすると、二人は何で決着をつけると言うのだろうか?
危険なことはご法度だし、大食いは厨房から直々にダメ出しを食らっている。
不思議なことに、当の二人は何で決するか分かっているようで、揃ってテーブルに着いた。
「あのぉ?」
「ユズハちゃん。大食いはダメなんだろ? ならこっちはどうだい?」
そう言ってミルドレッドは、目に見えぬ何かを、一気に煽るようなジェスチャーをした。
──つまりは飲み比べである。
「あ、え? お酒ですか? どうなんでしょう?」
厨房を見る。給仕の女性が腕で大きく丸印を作った。
「オッケーみたいでーす!」
「うおおぉぉぉぉぉぉっ‼」
気落ちしていた冒険者らのテンションがぶち上がる。
飲み比べと聞いて焦てて駆け寄ったのはアズだ。ブレアはまだトイレに閉じこもっている。
「大丈夫なのかよミリー⁉」
「っ。……おいおいアズちゃんよ。俺の酒の強さを忘れたか?」
「お前の酒癖のせいで巻き込まれたトラブルの数々を忘れる訳ないだろ」
過去の散々な記憶が脳裏を過ぎり、ミルドレッドの耳の近くで囁く。
こそばゆい感覚にミルドレッドは身を捩りつつも、一切の態度には出さず平静さを装う。
親友からの評価に少しショックを受けつつ、ミルドレッドは勝利の根拠を口にする。
「いいか? ドーラは酒好きだ。だが酒好きの癖に酒に弱い。まぁ見てな! 華麗な勝利をもたらしてやるよ」
自信満々に告げる親友に、アズはそれ以上何も言えなかった。
一方、
「お姉様? ほ、他の勝負にしませんこと?」
「……私も。不安かも」
レイラとミラが、姉にひそひそと語り掛けている。
「大丈夫よ~。ミルドレッドはお酒に弱いから。まぁ見てなさい~。お姉ちゃんがレイちゃんに勝利をプレゼントしてあげるわ~!」
どこかで聞いたような会話である。
豊かな胸を張る姉に、妹らは強く言えなかった。
「えぇ。それじゃぁ、料理長の許可も頂きましたし。さぁさぁ、対戦者以外は出ていってください」
結局、説得することは叶わず、時間切れだとアズもセイラも押し出されてしまう。
(あぁ、不安だ……)
アズの勘は意外と当たる。
何を以て不安と感じるのか、それはミルドレッドの過去の所業であり、また
そして何より、ドーラの言った「決着を付ける」という言葉が何よりも不安を煽った。
「それでは
「は。いつでもいいぜ」
「えぇ、いいわよ」
「それでは、ミルドレッド選手対ドーラ選手のぉ! お酒飲み比べ勝負! 始めっ‼」
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉっ‼」
実況席に戻り再びやる気を取り戻したユズハが、始まり合図を
──結論から言えば、アズの不安は見事に的中した。
「うわははは! ろうしたドーラぁ? もう終わりかぁ? ひっく」
「うううううるひゃいわねぇ!? あんらこそぉ、顔真っ赤じゃないのぉ。ひっ」
滝の様に酒を煽る、煽るミルドレッドとドーラ。
その飲みっぷりは惚れ惚れするものではあったが、空のジョッキが積み上がるにつれ雲行きが怪しくなってきた。
目は座り顔は赤黒く、酒を飲むペースも落ちてきた。
「うう~ん? おろぉ? 空らぞぉ? ひっく、おかわり
「こっちもよぉ! ミルドレッドになんひゃ、負けないんらから!」
二人の動きは緩慢で、むしろよく勝負している事を覚えているなと感心するぐらいだ。
「しっかしドーラよぉ。お前が冒険者なんれ、意外じゃぁねぇかぁ? ひっく。てっひり、宮廷まじゅちゅしにでも成るもんかと思っれたぜぇ」
飲むよりも駄弁りが多くなってきたせいで、観客もダレて来た。
冒険者は祭り好きだが、同時に熱しやすく冷めやすくもある。
ぼちぼち自分たちの活動に戻ろうか、そんな時であった。
「なぁによぉ~? 文句あるのぉ?
ぎょっと、ギルド内にいた全員が驚きに身を固くした。
突如としてドーラがわんわんと泣き始めたからだ。
マズいと、セイラとミラが飛び出す。
「お、お姉様!? しっかりして下さいまし‼ もう勝敗とかどうでもいいですから、ね? ね!?」
「あ、
「うぅ、
泣いていたドーラが今度はネジが外れたように笑い始めた。
そうして心配で駆け寄ってきた妹をまとめて抱き止め、頬ずりをする。
「くっさ!? お酒くさ!」
「うえぇぇ、姉様離れてぇ」
「うわぁ~ん!
酔っ払いの言葉である。真面目に受け取ると馬鹿を見るが、本当に実行してしまうのでは? そう、信じてしまうぐらいに最期のトーンだけやけに真に迫っていた。
「うわはははは‼ 妹! 妹に拒絶されてやんのぉ! ひっく! ……死ぬなドーラ、うぉん‼」
今度はミルドレッドが泣き始めた。
堪らずアズが飛び出した。
「うおぉ~ん! ドーラぁ、死ぬなぁ! ひっく」
「おい、おいっミリー‼ お前も飲み過ぎだぞ‼」
「お、おぉ~? アズぅ~?」
堪らずアズは水の入ったコップを渡す。
しかりミルドレッドの手はふらふらと、コップを掴むことすら覚束ない。
「んっくんっく。ふぁ~? 何らか
どうにか水を飲んだミルドレッドが、そんな事を
アズの予感が、最大限の警鐘を鳴らした。──が、遅い!
「おい、ミリー──」
「うぇ~い!」
止める間? そんなもの無い。
ミルドレッドが勢いよくローブを脱ぎ捨てる。
脱ぎ捨てられたローブが宙をはらりと舞い、ミルドレッドの肢体が露わになった。
マリオンとも負けず劣らずのおっぱい。不健康な病的な青白い肌。運動とは無縁だったからだろうか、少しだらしのない肉の付いた身体。
情けないことに、アズは親友の裸体に目を奪われてしまった。
「うぇ~い、涼ぅしい~」
「うおおぉぉぉぉぉぉぉっ‼」
男どもが血涙を流し咆哮を上げた。
「ちょ、ちょっとミルドレッドさん!? 何してるんですか‼ スタッフ、スタッフぅ~!?」
「アズ! そんなじっくり見るヤツがあるか‼」
男どもが歓喜の雄叫びをあげる中、実況席も俄に慌ただしくなる。
「──ハッ! そ、そうだミリー!? お前何やってんだよ! は、早くこれ着ろって‼」
「ん、んん~? なんだぁアズぅ? おまへ、俺のおっぱい見て照れてんのかぁうりうり~。ひっく」
「や、やめっ!? 自分で胸を揉むんじゃぁない‼」
アズがミルドレッドに上着を着せようとすると、激しいブーイングが飛んだ。
そして隣から、不穏な言葉が聞こえた。
「
「お姉様‼ モーラ家の長女がそんな、はしたない‼」
「姉様‼ それはダメ! マジでダメ‼」
アズの目が、物凄い速さでドーラに向いたのを、一体誰が責められようか。ゴクリと、生唾を飲んだ男共に責める資格が無いことは確かだ。
そして視界に入ったのは、ローブに手を賭けたドーラと必死で抑えようとするレイラとミラ。そして白磁の如き肌が、少しずつ露わに──。
「チェエェストおぉぉぉぉぉ‼」
「ぐあぁぁぁ!? 首が、首がああぁぁぁぁぁぁっ‼」
突如、アズの視界は反転した。
実況席から電光石火で飛び出したマリオンが、アズの首を百八十度捻ったのだ。
「はいストップ! ストぉぉぉぉップ‼ これ以上はレフェリーストップでぇす‼ 第二試合は無効、無効となりました‼」
ギルド職員が大きい布をミルドレッドとドーラに被せる。
男どものブーイングが飛び交う中、ユズハが大きく腕でバッテンを作った。
なんというぐだぐだ。
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