6・正しい記憶とはなにか

 不思議と気分は落ち着いていた。孤児院の地下室で子供と院長に会ったときとは大違いだった。業火などなかったように周りでは小鳥が声を交わしていて、木々も続いていた。一人ずつ持ち上げて横に並べていく。

 硬い。院で子供の亡骸を抱えたことがあったが、そのときに感じた死後硬直のような硬さではなかった。他の何を燃やしても嗅ぐことのない独特の臭気を放っている。生き物はその死に方でこうも状態を変えるのだ。

「おや、誰かと思えば。久しぶりだね」

 遺体を木のそばに並べ終えたとき、後ろで声がした。この声を知っている。院長の妹、ヒルデだ。

「……よりによってこんなときに会いたくはありませんでした」

 彼女のことはよく知らない。たまに孤児院へ来ては院長に分厚い紙の束を渡して、晩まで飲み帰っていく。彼女は彼女で何人か子供の面倒を見ているようだった。

「クイルから聞いたよ。知っちゃったんだってね」

 フードを目深に被った女の子を一人連れていた。

「どうせあなたもそのクチでしょう」

「ああ、同類だと思う。君が今弔ってくれたその死体は昨日私が死なせた子らだ。少年兵を育てていた」

 人手が十分にあるスチーマ・グランデで子供を戦力に起用することはまずない。志願すれば誰でも、その年齢に見合った教育を受けられる。その中で十四才以下を英才教育組と俗称している。しかし彼らは少年兵とは呼ばれない。短絡的なくせに自信ばかり満ち溢れていて、言うことを聞かないので、とても戦力には入れられなかった。それを踏まえて、ヒルデは自分が育てている子供を少年兵と呼んだ。

「人の価値観は経験により形作られる」

 シリコーンゴム製の額を歪ませるアマレに面と向かって、まずそう言った。

「今君が我々兄妹のことをよく思わないのも、そう育てられたせいだ。そしてこの子らが巨大な異形に果敢に突っ込んでいったのも」

「何が言いたいのです」

「君の幸福が子供たちの世話であったように、この子らの幸福は新生物を片っ端からぶちのめすことだった。私はその手伝いとして新生物と引き合わせてやっただけだ」

「人の命を捨てたことに言い訳なんて通じるもんですか」

「そんな言葉を吐き捨てるような頭の悪いお人形じゃなかったと思うが。……まあいい、この子はルーフェン。新生物の駆逐に命を捧げることを拒み命拾いした子だよ」

 ヒルデの隣を歩いてきた少女が三十度くらい、うなだれるようにしてお辞儀をした。折れた犬耳が目の前に来る。

「こんにちは。かわいい耳だね。カチューシャでも?」

「生えてるんだよ。狼人間さ」

「……新生物?」

「いや私が作った。人工子宮ってのを開発して、急成長させるんだよ。それじゃただのでっかい赤ちゃんができるだけだから、歳相応の常識やスキルも記憶させてね…… アマレ」

「はい?」

「クイルと別れたのはどのくらい前だい」

「さあ。昨日か一昨日ですかね。気絶していた期間があって」

「そうか。ありがとう」

 ヒルデが二人の方を寄せると、コートの裏側から一本、柄付きの擲弾を取り出した。

「えっちょっと」

「いいからじっとしてなさい、特にあんたは頑丈なんだからモロに食らってもらわなきゃ困る」

 ヒルデの腕はほどけない。薄い強化外骨格で部分的に筋力を上げている。ルーフェンは状況をよくわかっていないながらも抵抗をやめていた。



 飛び起きた。頭痛と吐き気がすごい。人形に嘔吐という防御反応は必要ないのに。白熱電球の光が目に刺さる。

 「よし起きたね。妙なことに監督者がいないんだ。まあ取り押さえられなくてよかったよ。まったく、バスタオルくらい体にかけてくれればよかったのに」

 アマレはぬるま湯を張ったバスタブに寝かされていた。横に立っているヒルデとルーフェンもそうだったようで、三人とも衣服を失っている。

「何が何だか。とりあえず生きてるってことしかわかってないんですが、何が起こってるんですか」

「この部屋、覚えてるだろう」

 血生臭い石畳に鉄のテーブル。あのときは暗くて全貌を知らなかったが、この匂いはよく覚えている。孤児院の地下室だ。

「……どうして。出ていったはず」

「君は孤児院を出ていなかったんだよ。私が生物…… もっと言えば魂からの記憶の抜き取り、保存、改竄、書き込みについて記した未発表の論文があってね。まずクイルに喜び勇んで見せに行ったんだ」

「つまり?」

「それを我々に対して使われた。何を考えているのかさっぱりわからん。どうやらさっきまでの記憶は我々で共有できているから、さっきいた世界は、同期された知覚によるものらしい…… 巨人が現れたって記憶は、アマレが孤児院を出た記憶のあとだったよな」

「ええ。出た先で遭遇しました」

「孤児院を出たのが改竄された記憶なら、私が五人もの我が子を死なせたのも改竄された記憶だったって希望があるだろ」

「……あの」

「なんだルーフェン」

「服どこですか」


 装備はそのままの状態で保管されていたので、わざわざヒルデたちが支度を整えに家へ戻る必要はなかった。例の森へ向かう途中、

「孤児院の子らによるとクイルが院を出たのは我々が目を覚ますほんの少し前だ。何かあって仮想空間情報のリンクを切ってすぐ出たと考えていい」

「記憶だのリンクだのってなんですか」

 今は亡きシュミット兄妹の母が意識と魂の関係について進めた研究成果をもとにヒルデが個人の記憶を改竄したり、任意の知覚を発生させる技術を確立した。今回はそれをクイルがヒルデ、ルーフェン、アマレの三人に対して行使したものとヒルデは踏んでいる。

 三人の記憶をもとに空間を仮想的に作り上げ、そこでの出来事を三人に知覚させることで、擬似的に別世界を知覚させることができる。その仮想空間は、そこで知覚した情報だけでは現実世界との区別がつかないので、仮想空間と現実世界との記憶の矛盾を自ら見つけ出すことで、どこからが仮想空間での出来事なのかを推測する。

「はあ、なんかすごい技術ですね」

「君がアマレとして生活を初めて何年も経っていないのに見た目の年齢と遜色ない常識や知識なんかを持っているのも、この技術のおかげだよ」

「てことは、もう何年もその論文を発表してないってことですか。実際に論文の内容を実行してるのに」

「ああ。発表する機会はもうないと思う。クイルがやってしまったろ、許可もなく人の記憶を簡単に改竄できる。こりゃ多くの人に公開するには危なすぎるよ。もちろん、良い使い方だってたくさんできるが」

「改竄…… 仮想空間での出来事を知覚しただけなら、それは改竄ではないんじゃないかと思うんですが」

「そりゃ自分の記憶の多くが人工的なものである君だからそう思えるんだと思う。仮想空間が当たり前にある状態ならそれが共通認識になるかもしれない」

 ルーフェンは二人の後ろにくっついて歩きこの話を興味深そうに聞いている。

「アマレ、院を出てから巨人と遭遇するまでに何をしていた」

 新生物と会っていた。孤児院でクイルと会ってからの記憶が仮想空間のものならば、あの新生物は仮想的なものか、あるいは同じように仮想空間に接続させられていたものだろう。後者であれば、クイルが新生物と関わりを持っていたということになる。

 あの新生物たちのことを、ヒルデたちに知らせるべきではない。ファーザーが新生物たちにやらせていることが人間に害を与えることならば、ヒルデたちはそれを止めにかかるだろう。そうするとファーザーがアマレに課す仕事にも支障が出るかもしれない。

 ……いや待て。なぜ自分はファーザーの言うことにそのまま首肯した?

「……いえ。そのまま出て、あてもなく歩いていったところで巨人に遭遇しました」

「そうか」

 巨人の足跡が奥の森から街の壁にかけて続いている。壁の前にはその倒れた巨人もあった。あのとき見たままの無骨な金属の塊だった。

 しかし、あの爆発を食らったときにできたはずのアマレの身体の損傷は、どこにもない。服だって穴一つ空いていない。



「私が巨人に遭遇したのはすぐそこだ。……それを見に行く勇気がない。アマレ、悪いが、見てきてくれないか」

「わかりました」

 この場所からは、彼女らの遭遇地点であるはずの場所に何があるかは見えない。まっすぐに立つ針葉樹の間を歩いて行く。

「……ない。でも」

 遺体を片付けたときにあったクレーターや木々の燃えかすはそのままあった。それに新しい蹄や足の跡も多くある。

 事実関係が交錯している。アマレが仮想空間で巨人に遭遇したのなら、確認した通り身体や服に傷はないだろう。しかし、巨人が森から街に向かって歩いてきたのは現実の出来事で、この場所で爆発が起きてもいる。しかしこの爆発を食らったというヒルデの記憶は、本人曰く仮想空間での出来事だ。

 アマレは仮想空間で巨人に遭遇し、ヒルデの少年兵は現実世界で死んだ。

 では、アマレが片付けたのは何だったのか。

 ヒルデのところに戻る。

「どうだった」

「爆発は、あったようです。新しい足跡があったので、遺体は片付けられたのだと思います」

「……妙だ」

 ヒルデもこの矛盾に気がついたようだ。

 ここでようやくルーフェンが口を開く。

「けっ、結局、……姉ちゃんたちは」

「ああ。死んだ。……ひどい期待をさせてしまったね」

 期待をしていたのはルーフェンだけではない。ヒルデだってこの希望に賭けていたはずだ。しかしこんなとき、わかりやすく落胆してみせない。どんなことにおいてもそんな態度であり、生命倫理において疑問を呈されるような研究を繰り返しているので、彼女は人の心を持っていないように思われることがある。

 ただ、頻繁に交流があったアマレにも、勝手に改造して育てた生命を戦場に送り、戦士したら悲しむというヒルデの心理は、まるで理解も共感もできなかった。

「ヒルデさん、ほんとにわかりません。自分で戦場に送っておいて、死んだら悲しいなんて、都合が良すぎるんじゃないですか」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、ヒルデはアマレの目を見ながら、眉をひそめた。それは本人も、実際にそうしたかどうか定かではないくらいだったが、確かにひそめた。

「……君はまだ『若い』し、常識とされていることくらいしか経験していないから、それが矛盾した行動や心理だと思っているだろうね。教会の神父が、神の教えを啓蒙する傍らで、そこで寝泊まりする孤児をレイプしていたって事件、覚えてるだろ。教えを啓蒙したいのも、子供たちに欲情するのも、その神父にとってはどちらも本心だってことは、わかるかな」

「欲情が、わからないので。なんとも」

「つまり認知的不協和はただの不協和であって、本人の根底では矛盾するものではないということだ。よく覚えておきなさい」

 言いくるめられているような気しかしなかった。しかしクイルがアマレの記憶に教え込んだ常識の中に、『自分の理解を超える話を聞くと、それが論理的に正しいものであろうとなかろうと、それを判断するだけの理解がないせいで、なんだか騙されたような気がしてしまう』という言葉があった。

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