【霧呼】 上

 これは、私の知人から聞いた噺です。


 霧が出た時は、この道を通ってはいけない。腹をすかせた霧呼に食べられてしまうから。


……知人の住む地域の古くからの言い伝え。

 霧呼は霧の時にだけ現れて人間を襲う巨人の怪異で、見つかったら霧の中を延々と追いかけてくる厄介な奴です。

 常に身体を霧で隠しているせいで大きな影しか見えず、本当の姿は誰も見たことが無いそうな。

 ……まぁ、仮に見た人が居たとしても、既に食べられてこの世には居ないでしょうけれど。


 とはいえ知人も周りの人達も「所詮は霧で視界が見えづらくなって、迷子になったり怪我をするから入るな。」という注意の為に作られた迷信だとばかり思っていましたから、あまり気にしていませんでした。


そう、あの日までは……。


 ある時、知人が友人達に軽い世間話として話をしたところ、興味を持った一人が彼女を連れて肝試しに行きたがりました。

 彼女は最初怖がっていましたが、好奇心と男の押しに負けて、ついて行くことになります。

 その場所は一本道とはいえ霧のせいで全体的に暗く、時折雑木林からガサガサと葉が揺れるきみが悪いところでした。

 中程まで歩くと、何処からかあおーん、あおーん、とオオカミの遠吠えの様な音が周囲に響いて、木霊します。


「なに!?オオカミ!?!?」


「まさか、此処は日本だぞ?

オオカミなんて、とっくに絶滅してる。」


 そう気丈に言いつつも、男の身体は震えていました。

 何故なら、霧呼が出る前は必ずオオカミの様な鳴き声が聞こえると知っていたからです。

 濃くなる霧を進むなか、ふと暗い影のようなものが頭上にかかり、上を見上げると……。


 大きな手型の影が、背後から手を伸ばしていました。


 男は悲鳴を上げ、駆け出します。

 絶対に後ろを振り返るな、とだけ告げて恐怖のせいか冷たくなった彼女の手を握り、彼女と出口に辿り着く事だけを考えながら彼は必死に走りました。

 男女で体力の違いがあるからか段々と彼女がついて来れなくなり、引っ張る手がズンッと重くなって走り辛くなっていきます。


 しかし、それでも手を離さずに暫く走り続け、ようやく彼等は出口の民家の近くまで逃げる事が出来ました。

 霧は晴れ、向こう側から人の姿もチラホラと見えます。


助かった……!そう思い、背後の彼女を確認すると…………。


 振り返った先に、彼女は居ませんでした。

 先ほどまで確かに握っていた手の代わりに、べったりと手の形をした血の跡が張り付きねとねとしています。

 男は恐怖と絶望で大声で彼女の名を呼んで探すものの、どこにも見当たりません。

 心配した周りの人から悪夢でも見ていたのでは無いかと言われましたが、夢ではないでしょう。

 その証拠に、手の他にも今まで走ってきた道に、何か大きな物を引き摺ったような赤い血痕が………。


「みぎゃあああっ!!!」


「あ、有栖川くん!落ち着いて!!

大丈夫だよ、きっと作り話だから!!」


「その彼女さん、今も行方不明らしいって。」


「あ''あっーーー!!!!」


「もうっ!!更に脅かしてどうするの!」


 休日の真昼間。

 俺はクラスメイトに誘われて、友達の家で納涼怪談大会に参加していた。

 新谷先輩に出逢ってから怪異に遭遇する事が多発した結果、俺にも話せる噺が多少なりとも出来たこと、羊山さん達も来るので度胸がある所を見て欲しい、などの理由で参加してみたのだが、ご覧の有り様である。

 ゲラゲラと怯える様を笑われ、女子である羊山さんに慰められるという醜態を晒しながら、俺は参加した事を猛烈に後悔していた。


『でも、案外本当の話かもね。』


 新谷先輩まで何を言い出すんだ。と意地の悪さを咎めるように文字を映すスマホの画面を睨みつけると『少し調べてくる。』と通知が来て、静かになってしまった。


 何だかすっごく嫌な予感がする。

……ほぼ確信に近い予感に寒気立ち、それを振り払う様に俺は自分の噺の準備を進め始めるのだった。

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