第60話 量子力学と実相

 「逃げるしかないだろう」の推敲があるのに、寄り道をしているだるっぱです。

 YouTubeに面白そうな動画が紹介されていたので見てみました。


量子力学が示唆した恐ろしい「世界の本質」


 面白かったです。興味がありつつも理解が出来ない量子力学について紹介されていました。原子よりも更に小さな世界についての話しです。後半のまとめが、仏教の実相の考え方と比較されていたことが、面白かったです。


 最近の僕の言動には「仏教」が多いです。


「ちょっと、頭がおかしくなったんじゃない?」


 もしかすると、僕はそんな風に見られているかもしれません。大丈夫です。最近ではありません。昔から、頭はおかしいです(笑)


 現代の多くの仏教は「神様信仰」と大して違いがありません。ですが、もともとは真理を探究する学問としての側面が、仏教は大きかったと思います。この世界は、どの様な構造になっているのか。真理とはいったい何なのか。そうした疑問に対して、仏教は様々な解釈をしています。その解釈が、現代の科学が考える世界に、似通っている部分があるのです。これが面白い。


 例えば、九識という考え方があります。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識(触)という五つの感覚で、僕たちはこの世の中を感じています。これら五識から得られた情報をもとにして、六識である意識が情報を再構成して、僕たちにこの世界を認識させています。


 ちょっと難しい言い方になりました。でも、この考え方って、映画「マトリックス」を思い出しませんか?


 マトリックスでは、人間はコールドスリープで眠らされていて、仮想現実で生きています。仏教的には、まるでこの世界こそが仮想現実であるかのように表現をします。空仮中の三諦という考え方もあるのですが、仏教的には生きているこの現実を「仮諦」とします。


 生きている間、僕たちは意識で様々なことを感じ生きています。泣いたり怒ったり笑ったり、それに悩んだり。そうした意識の裏には無意識があります。この無意識が自我を構成しているのですが、意識とは比べ物にならない程、深く広大だそうです。これを七識とします。


 自我を構成する七識の底には、更に八識があります。この八識は、大地のようなもので、全ての七識と繋がっています。イメージとしては、大地に草木が生えているようなものです。一人一人の自我が、個々に独立していると思ったら、根っこでは繋がっている。益々、仮想現実(VR)みたいな話になってきました。


 八識の役割は、情報の記録です。アカシックレコードと表現した方が、現代人には分かり易いかもしれません。アニメやシャーマン的な世界で大人気の概念です。人間の行いは全て記録されているとされ、全情報が原因と結果という因果律で関係しあっています。因果応報という言葉がありますが、仏教では行為に対する報いは必ずあるとします。逃げることは出来ません。


 九識は、根本識です。説明は省きます。説明できません。ただ、この宇宙に広がる様々な変化は、一つの実相に収まる。というのが、仏教的な悟りになります。これを、「諸法実相」と言います。感覚的には、「一は全、全は一」みたいな感じです。有名な漫画の名セリフみたいですね。


 一年が終わります。この下半期は、長男と衝突したまま、まだ仲直りが出来ておりません。反抗期はいつまで続くのだろう。このことを考えると、僕自身も腹が立ってしょうがない。僕も、まだまだ未熟です。

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