復讐の狂門13 『先輩とは②』


 ズィクトは走っていた。すでに何分も走りっぱなしで汗が滲み出て——否、その汗は体を動かしたからではなく、刻一刻と迫る最悪の状況に左右されての事だった。

 本来少年の走る速度であればすでに実験室には到着している。だが未だ到着する見込みはない。なぜなら……


「魔法生物室……!?」


 そこにはないはずの部屋を確認して少年の顔が歪む——最悪だ、寮を除いたウルテイオにある全てが四方八方に

 彼の心情の通りだった。実験室があった部屋は飼育室となり、走っている階層は二階や三階と階段を使わずとも勝手に変化する。


 さすがウルテイオ魔道学校——世界最大の迷宮、とズィクトが笑った。

 廊下を進み角を曲がった時、


「人が少なくなる時間でも廊下を走るのは感心しないぞ一年」

「す、すみま——」ズィクトの言葉が途中で止まった。


 短く揃えられた黒塗りの髪にブラックホールのような光なき漆黒の瞳。175センチあるズィクトを上回る身長の男を——少年は知っていた。

 

「まさか……ロイマス・ランパスヘイム——先輩、なのか?」

「おれを知っているか。有名になったものだ」


 驚愕に満ち満ちた声だと自分でもわかってしまうくらい震えた声だった。

 だがこれはチャンスだ。俺ひとりでスティンを見つけ出すのは困難を極める——続いて少年が決意する。ならば、


「恥を忍んでお願いしたいことがあります!」


 初対面ながらズィクトが懇願した。


「? 言ってみるといい」

「私の友人が実験室に迷い込んでしまって……共に探して欲しいのです!」


 腰を曲げる後輩の肩にロイマスは執事のような絹手袋を着用している手を添えた。それから出来るだけ優しい声で語りかける


「そんなに畏まるな。まだ一年だろう? これでもおれは監督生だし、何より今は見回りをしていたんだ。実験室まで案内するさ」


 よかった、と少年は安堵した。これで大丈夫だと。

 

 ロイマス・ランパスヘイム。火の寮ピュロメテウスに所属する監督生。その実力は若いながらも世界に通用すると言わしめる学年首席——つまりウルテイオ最強の生徒。

 ズィクトが持ち合わせる情報なんてこの程度だが、彼は信頼に足る人物であると確信していた。


「さて、ではおれについて来い……名前を聞いてなかったな」

「ズィクト・スパーダです」

「ではスパーダ、おれについて来い。途中ではぐれるなよ?」





「わぁ! すごいです先輩!」

「だろ?」


 ルーデウッドが適当な呪文を使って粘土の形や性質を変えていた。初めて見るものばかりである純情な少年は歓声を堪えきれずに漏らし、


「ところでオマエさ、今何時くらいだと思う?」

「え? 何時……ですか?」


 突如変わった話題に戸惑いながら答えた。


「えっと……多分22時を過ぎたあたりじゃないでしょうか?」

「……そっか。もうそんな時間か」


 ルーデウッドの声が少しだけ低くなった気がした。後輩の前での空元気に疲れた——と言うわけではなさそうだ。

 ジッと感情のない双眸を向け始めた先輩に、


「——!」ゾワッとエクスティンの背筋に冷たいものが走った。


「なぁ知ってるだろ? 22時を過ぎたら——」

「っ」


 這い寄る恐怖から逃れるように、あるいはその通りに少年が逃亡した。震えながらもその足に躊躇はない。

 しかしルーデウッドから見ればこうなることも十分に予想し得た。


 こちらもまた躊躇はしない。冷酷な声が素早く放つ。


動き固まれマベラス

「あ——」


 エクスティンの体がうつ伏せに倒れた。鈍い音を鳴らした彼を気にも留めず、狂気を曝け出した男は歩く。


「かわいい後輩だったが、オレも夢があるんでね。喜べよ、オレの夢を叶えるための糧となれるだぜ!」

「……は、はぁがはぁ」 


 乱暴に足を使って寝転ぶ少年を仰向けにしたルーデウッドが顔を皺くちゃにした。その笑顔がかえって怖くなって——エクスティンの身には過呼吸が起こった。

 

「じゃあ、ちょっとの間だけ寝ててくれや。一年の、それも火の寮ピュロメテウス生をとっ捕まえたなんて学年首席の監督生サマの耳に入れば後が面倒だ」

「や、やめ——っ」


 視界いっぱいにルーデウッドの靴裏が溢れて、少年は意識を失った。

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