龍一と宗平

「……あれは」


 それは偶然龍一が見た光景だった。

 そろそろ夏休み前の期末試験が近づいてきた頃、龍一が一人で街中をブラブラしている時にある人物の後姿を見た。

 それは漫画の世界における主人公の宗平、彼がチンピラに絡まれていたのだ。


(……なんだよこの世界、人に絡むのが趣味の奴多すぎだろ)


 どれだけ人に迷惑を掛ける奴が多いんだと嫌になるほどだった。

 見た感じだと宗平はおそらくぶつかった程度だろうが、相手は龍一のように金髪でピアスをしており、それだけでなく半袖だからこそ見えるのだが肩から腕にかけて刺青がビッシリだった。


「しゃあなしか」


 宗平とは別に友人ではなく、ただのクラスメイト……いや、宗平からすれば龍一は好きな女を奪い取った極悪人に見えるかもしれない。

 だが、たとえそんな風に思われていても目の前で困っている人を今の龍一が見捨てるという選択肢はない。


「……っていうか見たことある気がするぜあいつ」


 宗平に絡んでいる男だが、龍一にはどこかで見たことがある顔だった。

 明確に思い出せないが大体こういう時は龍一が訪れたクラブか、或いはそれ関係の店で顔を見たことがある場合が多い。


「まあ良いか。取り合えず助けるか」


 絡まれたならば言い返せ、などと言うつもりもないし宗平が意気地なしだと罵るつもりも一切ない。

 そもそもこのご時世において、あんな厳つい顔で刺青のある男に絡まれたら誰だってもしかしたら暴力を振るわれるんじゃないかと恐れるはずだ。


「よぉ篠崎、何やってんだ?」

「え?」

「ああん?」


 宗平は恐れた表情から一転してポカンとした顔になって振り返り、男は突然現れた龍一に思いっきり睨みを利かせてきた。


「そいつ俺のクラスメイトなんだが何かしたのかよ」

「ぶつかってきたんだよこのクソ野郎がな」

「……んなくだらねえことでなんで絡むんだよてめえらは」


 故意にぶつかったならともかく、ちょっと当たっただけならそのまま立ち去れよと龍一は頭を振った。

 男からすれば今の行動に心底馬鹿にされたと思ったのか、宗平から視線を外して龍一に向かってきた。


「あまり調子に乗んじゃねえぞガキが」

「はっ、別に調子に乗ってねえよ。そんなガキにキレ散らかしてるアホに呆れてるだけだっての」

「……てめえ」


 流石に煽り過ぎたかと龍一は反省した。

 しかし、幸いだったのが今この場に静奈が居なかったことだ。

 少し前なら喧嘩も当たり前……というほどではなかったが、このような手合いとやり取りするのも珍しくはなかった。


(ほら、とっとと行けよ)


 そう目線で宗平に伝えたが、どうも彼は呆然としたまま動こうとしない。

 まあそれも仕方ないかと思う反面、思い通りに動いてくれないことにイライラもしてしまうが……それよりも目の前の男かと龍一は構えた。

 近づいてきた男が龍一の胸倉を掴もうとしたが好きにさせるわけもなく、その手を掴んで逆に力を込めた。


「へぇ、結構っつうかめっちゃ鍛えてんだな」

「っ……このクソガキが!!」


 舐められていると思ったのか男は更に視線を鋭くした。

 龍一としては特にそのつもりはなく、単純に自分の体のスペックの高さに驚かされているだけのことだ。

 殴りかかって来たその拳も難なく掴んだことで、逆に男の方が驚いたような顔になった。


「あれ、ヤバくない?」

「警察呼んだ方が良いんじゃ」

「……ちっ」


 流石に騒ぎになるのはマズいと思ったのだろうか、男は分かりやすく舌打ちをして去って行った。

 あのまま宗平に絡んでいても同じことになっていたとは思うものの、そこまで大事にならなくて良かったかと龍一は息を吐いた。


「……獅子堂」

「ま、ああいう輩には気を付けるこった」


 それだけ言って背を向けて帰ろうとしたが宗平に呼び止められた。

 いくら相手が宗平であっても呼び止められれば振り向くくらいはするし、無視するのも気が引けた。


「どうした?」

「……………」


 出来ることなら話したくない相手のはずなのに無茶をするなよと龍一は心の中で呟く。


「……助かった」

「いや、目に入っただけだ」


 ただそれだけ、特に他意はなかった。

 もしかしたら明日にでも学校で彼を見た時、顔が腫れ上がっていた可能性があったかもしれない。

 それに比べれば龍一が彼を助けた意味は大きいだろう。

 ちょうど近くに自動販売機が置かれていることに気付き、良い機会だなと龍一はそこに向かってジュースを買った。


「ほら、喉渇いてるか?」

「あ……別に良い、とは言いづらいな」


 宗平は大人しく龍一からジュースを受け取った。

 二人で同時に缶の蓋を開け、緊張していた体を解すようにジュースを飲む。


「……炭酸キッツ」

「そうか? 普通だと思うが」


 どうやら龍一の好みはあまりお気に召さなかったらしい。

 それから少し時間を掛けてジュースを飲み、空き缶を設置されていたゴミ箱に捨てた時だった。


「……最近さ、色々と考えたんだよ」

「ふ~ん?」

「俺は……静奈のことを何も知らなかったんだなって」


 それは宗平の独白だった。

 こうして彼から再び静奈の名を聞いたことは久しぶりだったので、ついつい宗平に龍一は目を向けてしまう。

 しかし宗平は特に話を長引かせようと思っているわけじゃないのか苦笑しながら首を振った。


「まあ今更何も言わないさ。確かに獅子堂とのことでショックを受けたのは確かだけど、今静奈は凄く楽しそうにしてるのが分かるんだ。本当に悔しいけど……そもそも幼馴染って立場に甘えてた俺が嫉妬すること自体烏滸がましいんだ」

「……………」


 どうやら宗平なりに色々とあれから考えていたらしい。

 確かに昭と違って……まあ彼を引き合いに出すのは違うが、宗平は別にあれから龍一や静奈に絡んでくるようなことはなく、視線でさえも嫌な感情を感じさせるものは向けてこなかった。


「だからこれで良かったのかなって思えるんだよ。俺は静奈が好きだった……でもあそこまで笑顔にさせられるかって言われると自信はないから」

「そうかよ」


 それでも悔しそうな思いは感じ取ることが出来た。

 しかしならばと、龍一も宗平に返す言葉があった。


「静奈のことは大切にする。まあ任せてくれや」


 それだけを伝えておいた。

 宗平はポカンとした表情を浮かべたが、すぐに分かったと笑った。


(……良い結末みたいなもんだな。これくらい潔くて素直ならこいつもこれから先きっと良い出会いがあるだろうぜ)


 顔は普通だが、おそらく年上に好かれるような気がしないでもなかった。

 あぁそれならと龍一は少し悪戯心が芽生えニヤリと笑った。


「篠崎、お前は今から家に帰るか?」

「え? まあそうなるけど……つうかもう六時近いからな」

「俺はこれから飯を済ませようと思ってんだが一緒にどうだ?」

「……う~ん、ちょっと待ってくれ」


 宗平は特に何も疑うことなくスマホを取り出した。

 おそらく母親に電話をしたのだと思われ、これから友達とご飯を済ますからと言って通話を切った。


「友達かよ俺は」

「……そう言う他ないだろ」

「まあな」


 さて、そうなると向かう先は既に決まっているようなものだ。

 龍一が宗平を連れて行く場所は例のクラブであり、そこに近づくほど段々と宗平がまさかと顔色を変えて行った。


「……おいまさか」

「まあ社会見学だ」


 ドンと宗平の背中を押して中に入った。

 相変わらずの騒がしさと共に人の数は多く、その中を潜り抜けるように二人はマスターが居るカウンター席まで向かった。


「龍一と……誰だ?」

「ま、外で出会ってな」

「……どうも」


 宗平は流石にこういった場所は初めてみたいなので縮こまっている。

 美味い飯を頼むと伝えると、マスターは任せろと口にして準備に取り掛かった。


「クソ野郎だった俺を受け入れてくれた場所だ。こういった場所だが、マスターを含め従業員はみんな良い人たちでな」

「……なるほど」

「まあ訪れる客は良い奴も居ればさっきみたいなアホも居るんだがな」


 現に今もどんちゃん騒ぎしている連中を見て肩を竦めた。

 料理を待っている中、一人の女性従業員が近づいてきた。


「どうも龍一」

「おう」


 龍一はここでバイトをしているのもあるし、昔から使っている場所なので彼女も知り合いだ。

 際どい服装だがガードはかなり固いと有名なキツめの美人だ。

 胸の谷間が見える服装で耐性の無い宗平はサッと視線を逸らすと、そんな初心な姿が女性には可愛く見えたらしい。


「可愛い子を連れてきたのね。いけない子だわ龍一は」

「おいおい、こちとら飯を食いに来ただけだぜ」

「本当に? あぁでも確かに今日は千沙も来てないわね」


 今日は千沙も沙月も来ておらず、知り合いは本当に従業員程度だ。

 龍一は相変わらず照れている宗平に苦笑し、女性にこんな提案をするのだった。


「こいつはこういう店は初めてなんだ。ちと相手してやってくれ」

「お、おい獅子堂!」

「分かったわ」


 女性は宗平の隣に腰を下ろした。

 それから女性が主導して宗平と会話を繰り広げるのだが……最初はオドオドしていた宗平も大人の女性にリードされると落ち着くのか次第に話が出来るようになっていった。


「ここのご飯凄く美味しいですね」

「でしょう? マスターの作るご飯はとても美味しいのよ」

「くくっ、分かる客を連れてきてくれたじゃねえか龍一」


 まあなと龍一は笑った。

 偶にはこんなやり取りも良いじゃないかと龍一は宗平をチラッと見て、まさか自分が主人公である彼とこのように絡むことになるとは思っておらず感慨深い気持ちを抱くのだった。

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