バイトのはずがイチャイチャ
「……あら」
「あん?」
それは放課後のことだった。
龍一にとって今日はバイトに向かう日なので、残念ながら放課後を一緒に遊ぶことは出来ない。
それでも静奈を家に送っていく……というよりは一緒に帰ることで彼女が嬉しそうにしてくれるので龍一としてもそんな笑顔が見たいのと、日頃のお礼の意味もあって出来るだけ彼女の意に沿うようにはしている。
「どうしたんだ?」
そんないつもと変わらない放課後のはずだったが、静奈の下駄箱にいつもは置かれていない物が置かれていたのだ。
それは手紙、いわゆるラブレターというやつだ。
「どうすんだ?」
「興味ないわ」
静奈はそれだけ言って手紙を懐に仕舞った。
彼女の様子から本当に興味の一欠けらもないのは分かったが、懐に仕舞ったということは帰ってから読むだけ読むのかもしれない。
「別に帰ってからも読まないわ。学校じゃなくて家なら捨てても誰も見ないから」
「……なるほどなぁ」
とはいえ、静奈に告白することに無謀だなと龍一は思った。
龍一は別に静奈と付き合っているわけでないが、彼女が龍一のことを心の底から想っていることもは伝わっている。
傲慢になるつもりでも静奈の気持ちに驕るわけでもないが、名前も知らぬ誰かに対してご愁傷さまだと心の中で呟いた。
「静奈」
もしも今、彼女のことをどこかで見ているのなら目に刻みつけろと言わんばかりに龍一は静奈の肩を抱いた。
「もしかして嫉妬でもしてくれたの?」
「した」
「なんてね。龍一君に限って嫉妬なんて……うん?」
静奈の気持ちが分かっており、この手紙の送り主の気持ちが伝わらないのは明白なので嫉妬はしていない。
しかし、どうも静奈は冗談だと見抜くことはなく驚いたように目を丸くした。
「……ふふっ♪」
(……機嫌が一気に良くなったな。嫉妬したってことにしておくか)
目を丸くしたかと思えば頬を緩ませて笑った静奈の姿に、龍一は冗談だと訂正せずにそのままにしておいた。
「そっかぁそうなのね。龍一君も嫉妬するのね♪」
「まあなー嫉妬するわー静奈は俺の女だぞー」
「えぇ! えぇえぇ! 私は龍一君だけの女よ♪ むっはあああああっ!!」
「……………」
完全に奇声なのに静奈の声は可愛らしく、かといって緩みに緩み切った表情も彼女の愛らしさを表しているようだった。
それから静奈を家まで送り、龍一はバイト先のクラブまでやってきた。
まだ開店していないがマスターや従業員はそれなりに居り、中に入った龍一にみんなが声を掛けてくれる。
学生にとっては不純な場所であり、大人としてもそういった趣味の連中が集まる特殊なクラブだが、不思議なくらいに雰囲気も良いし人柄も良い連中が多いのだ。
「来たな龍一」
「おっすマスター、今日も頼むぜ」
髪型をオールバックにした強面のおっさんがやってきた。
彼こそがこのクラブのマスターであり、女よりも男の方に興味がある若干のカマ要素を持った男性だ。
「お前は屈強な男だがあまり無理はしないようにな。ただでさえ学生なんだ。ここの空気に染まるな……ってのも今更だがな」
「違いねえ」
こうしてバイトをする前も数えきれないほどここに顔を出していたのだから本当に今更だ。
「今日はお前に指名が入ってる。他のことはしなくていい」
「はっ? 誰だそれは」
「まああっちが来れば分かることだ」
マスターにそれだけ言われ開店の時間がやってきた。
店員がそれぞれの仕事に就く中、マスターの傍で手伝いを真面目にしている彼の傍にとある二人が近づいてきた。
「やっほ~龍一、やってるわね」
「こんばんは龍一君。来ちゃいました♪」
振り向かずともその声で誰か分かってしまった。
龍一は小さく息を吐いてそちらに目を向けると、千沙と沙月が仲良く並んで龍一を見つめていた。
「お前らだったのか。指名って言われたからもしかしたらとは思ったが」
「女相手ならお前以上に適任は居ないようなもんだが、俺としては仕事とはいえ知り合いと話をしているお前も見れる方が落ち着くからな」
「……そっか。なら仕方ねえな」
まあそうは言ってもこうして龍一がバイトをする日には決まって千沙と沙月はここに訪れるようになっていた。
千沙はともかく沙月があれからこのクラブに訪れるというのは驚くべきことかもしれないが、彼女がここに来る理由は龍一が居るからだろう。現に彼女は龍一が居なければここに来ることはないと言っていた。
「つうことはまた仕事じゃねえのか」
「バーロー、お客様の相手をするのは立派な仕事だ。それじゃあこのスレたガキを頼むぜ千沙ちゃんに沙月ちゃん」
「えぇ。任されたわ」
「任されました」
そうして龍一は二人の間に放り込まれるのだった。
マスターは二人に挟まれる龍一を見て満足そうに頷き、他の従業員に至っても微笑ましそうに龍一に目をむけるほどだ。
「……ったく、俺なんかに甘いんだよいつもいつも」
そう吐き捨てると、千沙が人差し指を龍一の頬に当てた。
「そういうことを言わないの。マスターもある程度はアンタの家庭事情を知っているってことよ。アンタは結構普通にしてるし周りに気にさせないようにしてるけど割とというかかなりハードよ?」
「……まあ確かにな」
一般的に高校生に比べて龍一の今はハードだと言えるだろう。
幼い頃から両親に必要とされず、そんな両親ではあったが早くに亡くしその後も祖父母に愛されずに生きてきた。
言ってしまえば龍一は家族の温もりを知らず、家族から愛されることがどんなものかも分からない。
(……そう言えば前世の家族のこととかも分かんねえな。思い出せないっつうか、不思議な感覚だけど)
この世界のことは時折忘れかけるが漫画の世界、だからこそ普通ならあり得ないような家庭環境もあり得る。
それならば前世の家族を思い出して家族の温もりがなんであるかも理解できるはずなのに、どうしてかその前世の家族を思い出せない。
「……………」
まあ思い出せないとはいっても、それは別に悲しいことではなかった。
むしろ龍一からすれば変に前世に関して未練がなくて良かったなと思うくらいで、その方がきっと引きずらないし悲しくならないからだ。
「ほら龍一、アンタも何か頼みなさいよ。ご飯、ここで済ましなさい」
「……俺は今バイトなんだよな?」
「私たちと一緒にご飯を食べること、それが今のお仕事ですよ?」
「くくっ、そういうこった。美味いモノ食わしてやるからとっとと注文しろ」
まるで小さな子供を甘やかす大人に囲まれているよう……いや、どちらかといえば末っ子を甘やかす姉二人と近所のおっさんといったところか。
イマイチ釈然としないながらも、龍一はこうなると彼女たちは絶対に退かないことを知っているので言うことを聞くことにした。
「……はぁ。じゃあ飯食わせてもらうぜマスター」
諦めた龍一だった。
誤解がないように言うならば今日みたいなことは当然毎日ではなく、静奈に心配されたように頑張りすぎて次の日に疲れが残ることもそれなりにあるのだ。
「龍一君♪」
隣に座る沙月が身を寄せてきた。
体に触れる彼女の感触を楽しんでいると、ふと何か視線のようなものを感じて龍一はそちらに目を向けた。
「……?」
一人の男性客が沙月だけでなく千沙も見ていた。
まあこの店は出会いの場でもあるので、彼は千沙と沙月のどちらかを狙っているのだと思われる。
しかし傍に龍一が居るので話しかけるのを断念したようだ。
「アンタは酒を飲めないけど、ほら晩酌しなさいよ」
「あいよ」
素直にビール瓶を受け取り、千沙のコップに注いだ。
しゅわっと泡が立ち零れそうになるが、ギリギリのところで慌てるように千沙がコップに口を付けた。
「やっぱりこうしてアンタや沙月たちと飲む酒は美味いわ」
「そうかよ」
「ふふっ、私も今日は少しだけ飲みましょうかね」
沙月もビールをちびちびと飲み始めた。
ただ、沙月はビールを飲む中でも決して龍一から体を離そうとはしなかった。一時でも離れるのは嫌だと暗に伝えられているような気がしてしまい、龍一は抱かれている腕を抜き逆に彼女の肩を抱くようにした。
「あまり飲み過ぎるなよ。お前、そこまで強くないだろ。どっかの女と違ってな」
「大丈夫ですよ。ちゃんと自分の限界は知っているつもりですから」
「ふ~ん? 約束を守れないならこうやって悪戯しちまうからな?」
肩から手の位置をズラし、沙月の豊満な胸に手を添えた。
すると沙月は一瞬で目をトロンとさせ、コップに注がれたビールを一気に飲みこんなことを口にするのだった。
「悪戯をしてもらうためにたくさん飲まないと……ですね?」
「……そう来るか」
沙月も大分龍一の前では大胆なことを口にするようになってきた。
少し前までは小さなことでもオドオドしていたのに、今の沙月は自分に自信を持って素直な気持ちを龍一に示してくるようになった。
「ちょっと~! 何二人でイチャイチャしてんのよぉ!!」
仲間外れにされたと思ったのか千沙も参戦してきた。
龍一にとってはバイトのはずだが、彼女たちのおかげでバイトとは程遠い時間を過ごすことになる。
まあこうしてお客様である彼女たちの相手をするのもそれはそれで仕事だが、誰が見てもなんて羨ましい仕事なんだと口を揃えて言うことだろう。
「マスター! ゴムって置いてる~?」
「あるわけねえだろ……」
「あるよ」
「っ!?」
やはりこのクラブ……否、マスターが一番普通ではないらしい
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