隠された本能を引きずり出す
静奈とバーに向かい、まさかの咲枝と再会した翌日のことだ。特に気負っているわけでもないが、龍一はあれから静奈が咲枝と何を話したのか気になっていた。咲枝の様子から悪いことは言わないだろうし、静奈も何を聞いたとしても龍一を拒絶するような姿は想像できなかった。
「……ったく、こんなことを気にすることはなかったんだがな」
口にしてみて改めてそう龍一は思った。
「何をだ?」
「……あ~真か」
今日も今日とて音を立てずに友人の彼は後ろに立っていた。
ニヤニヤとするその顔から、どうも彼は龍一が柄にもなくため息を吐く姿が珍しかったらしい。
「何かあったのか? どうせ女関係だろうけど」
「……………」
あながち間違いではないので龍一は何も言わなかった。
今まで数多くの女と関係を持った龍一だが、やはり過去と今では心の持ちようが変わっている。一夜だけの関係もそれはそれでありとは思うが、以前のように猿のように盛っているわけではないのだから。
「ま、頭をスッキリさせるために例のアレに参加するのも良いんじゃねえか?」
「……そうだな」
真の言う例のアレとは多くの男女が集まるパーティだ。
腕を組んで考え、偶には良いかと答えを出した。しかし真に頷こうとしたところで静奈が教室に入って来た。
「おはよう」
「おはよう静奈」
「おはよう竜胆さん」
静奈と関わる前とは違い、昨日のような出来事があったからこそ龍一の視線は彼女に吸い寄せられた。友人たちと挨拶を交わしていた静奈だったが、机の上に鞄を置いて振り向く。当然のように彼女の視線が向いた先に居るのは龍一だった。
「……なあ、最近本当に仲良いよなお前ら」
「まあ、悪くはないな」
目が合うとニコッと綺麗な微笑みを浮かべた彼女はそのまま龍一の元に近づいてきた。彼女の友人たちはニヤニヤと楽しそうに見つめるだけだが、反対に宗平は静奈のことが気になるのかジッと見ているのも横目で確認できた。
「おはよう龍一君」
「……おはよう竜胆」
それはもうクセのようなものだった。
静奈のことを名前ではなく名字で呼んだ。すると、静奈はぷくっと頬を膨らませて龍一の肩を小突く。
「静奈って呼ぶ約束でしょ?」
「約束したつもりはないんだが……はぁ。おはよう静奈」
「っ……うん♪」
龍一の名前呼びに彼女は満面の笑みを浮かべた。
当然、今までは名前呼びをしていなかった二人がお互いの名前を呼んだ。その時点で少なからずクラスではどよめきが起こった。何となくこうなるだろうと思っていた龍一だが、名前一つ呼んだだけでそこまで騒ぐことかよとも思う。
「本当に何があったんだよ龍一」
「何もねえってば」
友人とはいえ真に話すことは何もない。まああのバーに行って店長が彼に話せば一緒に居たことも知られるがその時はその時だ。ガシッと頭を掻いた龍一は相変わらずニコニコと笑みを浮かべ続ける静奈と……そして、唖然としたように見つめてくる宗平が目に入った。
「ねえ龍一君、お昼に時間もらえる?」
「あん? 別にそれは構わないが」
「それじゃあお願いね。また後で」
ヒラヒラと手を振って静奈は友人たちの元に歩いて行った。どうやら本当に龍一に挨拶をしたかっただけらしい。
「ちょいトイレ行ってくるわ」
「おうよ」
真にそれだけ伝えて龍一は席を立った。
まだ時間には余裕があるのでゆっくりと用を足せることだろう。だが教室を出てすぐに龍一は呼び止められた。
「獅子堂」
「……なんだ?」
呼び止めたのは宗平だった。
こうして静奈と関わっている以上幼馴染の宗平が気になるのは理解している。しかし正直なことを言えばどうでも良かった。この世界が漫画の世界、というのは理解しているがそれを気にするのも精神的に疲れるのだ。
この体に憑依したわけではなく、元々この世界に生まれた自分にかつての記憶が戻っただけに過ぎない。なのでこの体は自分自身であり、龍一はどこまでも行っても獅子堂龍一なのだ。
「……………」
さて、呼び止められた龍一だが宗平は特に何も言わない。振り返った龍一に恐れを成しているわけではなさそうだが……いや、少しビビっているみたいだ。
「……すまん。何でもない」
それだけ言ってサッと背中を向けて教室に戻って行った。
用がないのなら最初から呼び止めるな、そう言いたくなったが龍一は取り合えずトイレを優先した。相変わらず廊下を歩くと視線を向けられてはすぐに逸らされる。
「……ふわぁ」
まあ、そんな中でも龍一はマイペースに大きな欠伸をしていた。
「にしても昼か……やっぱ咲枝と何か話したっぽいな」
さて、静奈は一体何を龍一に伝えるのか……その時はすぐにやって来た。
昼食を済ませ、静奈と共に屋上に向かった。相変わらず誰も居ない広々とした場所で、ここでなら好きに話が出来る。
「それで? 何の用だ」
「……えぇ」
静奈は一旦深呼吸をしてから口を開いた。
「あれからお母さんにも聞いたのよ。龍一君が会ったことを教えてくれた、そう言ったらあっさり話してくれたの」
「街中でブラブラしていたところに声を掛けられたって?」
「そうね……それくらいだったわ話してくれたのは」
どうやら咲枝は龍一との甘い夜については話してないらしい。当然と言えば当然だが、龍一としては少しホッとしたことでもある。そもそも、静奈からしてもそんな話は聞きたくないだろう。そう思ったのだが、やはり静奈は勘が鋭かった。
「でもお母さんと龍一君がどんな夜を過ごしたのか、それを察せないほど私は子供じゃないつもりよ」
「……つまり?」
「龍一君とお母さんは関係を持った……違う?」
その問いかけには確信があった。
真っ直ぐに見つめてくる彼女の姿に、龍一は誤魔化すことは無理だなと考え頷いた。
「正解だ。俺はお前の母と関係を持った。つってもあの一夜だけだがな」
「……やっぱりね。お母さんも私が気付いたことは察してるはずなのに、むしろ龍一君とのことを楽しそうに話していたの」
「そうか……」
「ありがとう龍一君」
「……は?」
突然のお礼に龍一は気の抜けた声を上げた。
何度も言うが龍一は静奈の母である咲枝と関係を持った。それなのに何故彼女が礼を言ったのかが理解できない。
「お母さんから聞いたんでしょう? うちはお父さんがもう亡くなってるって」
「あぁ……」
「時折、お母さんが寂しそうにしているのは気づいてた。あの日もきっとそうだったんだと思うけど、そんなお母さんに龍一君は幸せを与えてくれた。だからあの時、お母さんは家に帰ってからずっと笑顔だったのよ」
「……………」
龍一としてはただ、咲枝を抱きたいと思っただけだ。
確かに彼女からその旨の話を聞いたが、そこまでの思い遣りが合ったかと言えばそうではない。
「そんなんじゃねえよ。俺はただ咲枝を抱きたかったら抱いた……それだけだ」
「それでもよ。それでもお母さんが笑顔だったのは嘘じゃないの。あなたがお母さんを笑顔にさせたのよ。だから私はそのお礼を今伝えたの」
真っ直ぐに静奈は龍一にそう言った。
一切の淀みを感じさせない瞳に、龍一はほんの一瞬だが見惚れた。しかし、そこで龍一はなるほどなと思ったことがある。静奈と咲枝は似ている、もしも漫画の龍一が静奈に惚れたのは咲枝の存在もあったのではないかとそう薄らと感じたのだ。
「……まあ、礼は受け取っておく。必要のないモノだし、偶然とはいえ俺がやったことは良いこととは言えないからな」
龍一がそこまで言ったところで、チャイムが鳴った。
このチャイムの後に五分後もう一度チャイムが鳴るが、それが授業の合図なのでそろそろ戻らないといけない。
「ねえ龍一君」
「なんだ?」
「……龍一君からすれば、私は抱くことが出来る女?」
「……はぁ?」
流石に龍一は動かそうとした足を止めた。
一体何を言ってるんだと訝し気に彼女を見るが、静奈は顔を真っ赤にして下を向いていた。まさか、いやあり得るはずがないと龍一は苦笑したが……まあ、彼女の問いかけには答えることにした。
「前も言っただろ、お前は相当な美人で狙っている男は多い。何かが間違えば俺がお前を襲う未来もあるかもしれねえぞ?」
「っ……それは」
「ま、俺から見てもお前は魅力的な女だ――つまり」
ニヤリと龍一は笑った。
龍一は決して意識したわけではない。しかし、その笑みは獰猛さを宿していた。かつての彼が女を見る時に浮かべていた笑み、捕食者の目を静奈は真っ直ぐに受けることになった。
「抱けるに決まってんだろ。これで満足か?」
「あ……あぁ♪」
甘い声が静奈から漏れ出る。
龍一の言葉が静奈の内側を刺激し、隠されたそれを表に引きずり出そうとしているがまだ彼女は耐えているようだった。
「ほら、戻るぞ」
「……………」
「静奈?」
「え、えぇ!」
ボーっとしていた静奈は龍一の背に続いた。
屋上から教室に戻る間、彼女はジッと彼の背を見つめていた。頬を赤く染め、少しだけ潤んだ瞳で彼を見つめ続けていたのだ。
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