第6話 夢の目覚め
真っ白なレースのカーテンが揺れている。そのそばに置かれた革張りの白いソファが、午後の日差しを受けて、柔らかく輝いている。それを見て、新太はこれは夢だと思った。なぜなら、白いソファは、酒に酔った父親が誤って、ビールをこぼして汚してしまったから。だからもう、廃棄され、新太の家にはない。かわりに父親が大型家具店で買ってきた、安っぽい茶色いソファが置いてある。
新太はそれを目を細めて見つめた。今にも母親が帰ってきそうだ。食料の買い出しを終え、にぎやかにいつも帰ってくるのだ、あの人は。
「あっくん。お茶入れて。麦茶、冷蔵庫に冷たいのあるから」
突然、後ろから声をかけられ、新太は心底びっくりした。振り返れば、カウンターキッチンの前に置かれたテーブルに買い物カゴを置き、母親が足を組んでイスに座っている。サラサラのロングヘアーに、元モデルだと証明するようなスラリと伸びた足。その足を持て余すように、テーブルの下でぶらつかせている。久しぶりに見た、3年前と変わらない姿だ。
新太は思わず息を飲み、こぼすように、ポツリとつぶやいた。
「母さん……」
「どうしたの? あっくん、早くしないと母さん、のど乾いて死んじゃう」
新太はうなずくと、急いで冷蔵庫に向かった。その際、360度母親を眺める。だが、まぎれもない、3年前にでていった母親のみきだ。
母親は黒曜石のように硬質な眼差しで自分をじっと見つめる新太に気づき、
「なあに、あっくん。ようやくお母さんの美しさに気づいた?」
「ああ。完璧な厚化粧だ。見事に目の下のしわが隠れている」
「新太! もう、本当、減らず口ばっかり叩いて」
「みきちゃん、大丈夫。みきちゃんはいつだって可愛いよ」
いつの間にいたのか、気がつくと、父親が後ろから母親を抱きしめていた。いつものよれよれの恰好ではない。髭も髪もちゃんと整えて、白いサマーセーターを着た精悍な姿だ。
「親父……」
久しぶりに見た父親のしっかりとした姿に、新太は胸がつまった。言葉がでない。
「新太、どうした? 幽霊でも見たって顔しているぞ」
「反抗期なのよね、あっくんは。なんでも反抗したい年頃なの」
「そうか、反抗期か。新太も大きくなったな」
そう言うと、父親は新太の頭を軽くなで、小脇に抱えた紙袋からシャンパンを取りだした。
「ほら、シャンパン買ってきた。新太にはジンジャーエールな。今日は家族でお祝いするっていっただろう」
「あっくん、ボーとしてないで、料理運んで。お母さん、疲れちゃった」
「は? ババアはだからババアだっていってんだよ。そこで休んでろ、ババア」
そう言うと、新太はいそいそと買い物かごから出来合いのオードブルを取りだす。母親が好きな高級スーパーのものだ。それとフルーツとサラダの盛り合わせを取りだして、新太はリビングのテーブルに並べた。もちろん、箸と小皿ととりわけのトングを用意するのも忘れない。
新太はテーブルに自分のグラスを用意すると、
「できた! で、なに祝うんだったっけ、今日」
「やだなあ、あっくん。忘れたの? 今日は……」
「僕のプロ生活十五年目記念じゃないか」
「すごいよねえ、かずくん。新太が六年生になってもまだ、ずっと現役って。私なんて、モデル三年でやめちゃったもん。このままずっと現役なのかな?」
「うん、僕はずっと現役だよ。新太が成人して大人になっても、僕がしわくちゃのおじいちゃんになっても、ずっと現役だよ。野球選手は続ける」
そう言うと、父親はシャンパンの栓を抜いた。ふたり分のグラスに注ぐ。新太も自分のグラスにジンジャーエールを注いだ。それを見て、父親はグラスをかかげる。
「さあ、お祝いしょう。僕の順風満帆な野球人生に」
「かずくん、おめでとう! これからもよろしくね」
その光景に、新太は胸がつまった。感情がこみあげてきて、うまく言葉が出ない。思わずうつむいた。
「どうした? 新太。やっぱり変だぞ、お前」
「いや、ただ、目にコショウが入って……ちょっと、洗ってくる」
新太はソファから立ち上がり、洗面所に行こうと足を向けた。と、これがなんでもない当たり前の日常のように思えてきた。
――そうだ、父さんは野球選手だった。今も活躍する一流の野球選手だ。
新太はそのままUターンし、ちょこんとソファに座った。にっこりと笑う。
「なんか、気のせいだった。飯にしようぜ」
「プッ。なんだよ、それ」
「本当、どうしたの? あっくん」
「いいから。おれ、肉食べたい!」
「それは、私の! あっくん!」
新太は小皿にステーキを取り分ける。そして、シャンパンを片手に微笑む両親を見ながら、ステーキを噛みしめるのだった。
ひらひらと舞った桜の花びらを喜一は手のひらに収めた。見上げれば、満開の桜。青空が桜の花のピンク色とあいまって、目に鮮やかだ。喜一は思わず目を細める。
「おにいちゃん!」
振り向けば、桜並木を小さな女の子がツインテールを揺らしながら、こちらに向かって走ってくる。妹の百々花だ。百々花は喜一の元にたどり着くと、肩で息をし、汗をかきながら、笑顔を向けた。
「おにいちゃん、どこいくの? モモもいっしょにいく!」
「百々花……」
喜一は困ったようにほほえむと、腰を落とし、百々花と同じくらいの目線になった。そして、まっすぐ見つめてくる百々花を強く抱きしめる。喜一は自分に言い聞かす――これは夢だ、そう、夢だと忘れてはいけない夢だ。
「おにいちゃん、くるしいよ」
「……ごめんね、百々花」
喜一はなにかを振り払うように、ニコッと笑うと、百々花を放した。そして、立ちあがり、踵を返すと歩きだす。もう二度と振り返らない、そう喜一は決めたのだ。
そんな喜一を見て、百々花はあわてて後を追う。
「おにいちゃん、どこいくの? モモをおいていかないで」
「……」
「おにいちゃん!」
追いすがる百々花に目をつぶり、喜一は非情な気持ちで駆けだした。
「おにいちゃん、まってよ! まって!」
痛切な叫び声に、くじけそうになる気持ちを奮い立たせて、喜一は必死に手足を動かす。
「まって! キイちゃん! あっ」
転んでしまったのか、泣き声が聞こえてくる。だが、喜一は聞こえぬふりをした。目を閉じ、耳を塞ぎ、喜一は必死に手足を動かし、駆け抜けていく。
――百々花、ぼくは絶対たどりつく。元の世界に帰るから!
永遠に続く桜の回廊を喜一は走り抜けていく。今はまだ、帰る手段は見いだせない。
「おばあちゃん、これどうぞ」
そういって、女の子は縁側で豆を叩いている祖母に、折り紙でできたメダルをあげた。祖母の古希のお祝いに女の子が折ったものだ。
祖母は、豆を棒で打つ手を止めて、
「まあ、おばあちゃんにくれるの? ありがとう」
「ふふふ。おばあちゃんのコキのお祝いだよ。あ、そうだ。肩もんであげるね」
女の子は祖母の背中側に回ると、肩をもみだした。
「気持ちいい? おばあちゃん」
「うん。最高だよ」
女の子はにっこりと笑って、祖母の肩をもみ叩く。女の子の祖母は古希になる一週間前に亡くなっていたが、それは夢には反映されない。
「おばあちゃん、いつまでも元気でいてね」
「ありがとうね。寿命がのびるよ」
穏やかな秋の日差しがふたりをあたたかく照らしだす。庭の片すみでススキが風に吹かれてゆれていた。
アンタカラの海と溶け合いながら、子どもたちは夢を見る。それは現実の世界では果たせなかった約束、叶えたい夢、取り戻したい過去だ。ある者は、人気動画配信者になる夢を、またある者は、年上の好きな男の子と付き合う夢だ。夢の中で願いを叶えながら、子どもたちはどんどんアンタカラとまじりあう。そうして次第に、アンタカラと自分との境がなくなっていく――……。
「あ、雪だ……」
舞い落ちる雪を見て、新太は空を見上げた。空には灰色の雲が重く立ちこめ、どんよりとした天気だ。だが、新太の心は晴れやかだった。
商店街からは心躍るようなクリスマスソングが流れ、買い物客もどこかみな浮足立っている。そう、今日はクリスマスなのだ。
「母さん、ホワイトクリスマス」
そう言って、新太が振り返ると、母親は肉屋のおじさんと楽しそうに話しこんでいる。
「……んだよ」
新太はすこしつまらない気持ちになって、ジャンパーのポケットに手をつっこむと、ひとりで商店街を歩きだした。
商店街を通りすぎると、大通りに出た。雑居ビルの立ち並ぶ通りを歩くと、母親が息せき切って追いかけてくる。
「あっくん! まってよ! ひとりでいかないでって、いっているでしょ!」
「ババア……」
名前を呼ばれて、新太は振り返る。すると、ふいに視界の片すみ、雑居ビルの合間にいつもとはちがって、見慣れない四角く茶色い建物が飛び込んできた。病院だ。この町にただひとつある総合病院だ。
新太の心臓がドクンと跳ねあがる。なぜだか無性にあそこに行かなければならない気がした。新太は駆け寄ってきた母親の手を振り払うかたちで、急に走りだす。
「あっくん!?」
「悪い、ババア! 先、家に帰っていて」
戸惑う母親を振り返りもせず、新太はどんどん走り出す。なぜだろう、一秒でも早くあそこにたどりつかなくてはと心がはやる。
横断歩道を渡り、雑居ビルの角を曲がる。ごちゃごちゃした住宅街の細道を進むと、ふいに目の前が開けた。広い駐車場がある総合病院だ。総合病院は灰色の空の下、どっしりとした重厚感ある構えで立っていた。
新太は建物に近づくと、入り口はどこだろうと、ロータリーをうろうろした。すると、目の前を紺色のトラッドコートを着た、坊主頭の見慣れた少年が通り過ぎた――喜一だ。
喜一は焦っているのか、白い息を弾ませ、一直線にガラス張りの玄関口へ走っていく。それを見て、新太も自然に後を追った。
自動ドアが開き、喜一が玄関口へ吸いこまれていく。新太も後を追うように、玄関口に近づいた。と、そこで足が止まる。
ガラス越しのその先、人々が行き交うエントランスホールに幼い女の子が車いすに乗っている。入院患者用のピンクのパジャマを着て、車いすの左上にはポールが伸び、そこに点滴と輸液ポンプがついている。それは女の子の左腕、包帯の下に伸びたチューブと繋がっていた。
喜一は女の子の元へ駆け寄ると、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。そうして、手に持っていたコンビニの袋を開いて、おもちゃの箱を取りだして見せる。女の子は興味深そうに前かがみでのぞいた――百々花だ。喜一の妹の百々花だ。白血病で入院中の六つ年下の百々花だ。
今、新太ははっきりと思いだした。アヴィンサに連れられてアンタカラに来たこと。仁たちや子どもたちと一緒に鬼ごっこをして遊んだこと。そして、喜一と一緒に百々花のためにクリスマスツリーを作ったこと。
記憶の底に封じ込められていた記憶が次々とよみがえる。
父親はアルコール依存症で、野球選手は当の昔に辞めていたこと。東京の家から父親の実家がある田舎に引っ越してきたこと。そして、母親はもう出て行って、あの家にはいないことを――……。
新太は心が痛んだ。と、同時に妙な清々しさが胸をすく。新太は声を立てて軽く笑った。
「……っ、ははっ。そうだよな。そりゃそうだ」
どうして忘れていたんだろうとそう思う。これが現実だ。自分が向き合わなければならないリアルだ。
「……そう、悪くもねぇだろ」
新太はそう思う。そう思わざるをえなかった。
新太はうつむき、足元を見た。雪が地面に落ち、じわじわと溶けていく。新太はそれを無感動に眺めた。
このままここにいるのも悪くないかもしれない……新太がそう思い始めた時、自動ドアが開いた。次いで、女の子のわめき声が聞こえてくる。新太はハッとし、顔をあげた。
見れば、百々花が車いすから飛び降り、仁王立ちしている。押し倒されたのか、喜一がしりもちをつき、呆気にとられた様子で、百々花を見上げていた。
百々花は、興奮冷めやらぬようすで、
「ちがうちがうちがうちがう! モモ、こんなのいらない! こんなのじゃない! ちがうの!」
「も、百々花、落ち着いて。これ、おもちゃは選べないんだ。ランダムだから」
「でもでも、ちがうの! ちがうのがいいの! きいちゃんのバカ!」
うわーんと百々花が声をあげて泣き始める。喜一がほとほと困ったようすで、頭をかいた。騒ぎを聞きつけて、ロビーから母親らしき女性が走ってくる。泣いている百々花を抱きあげた。だが、百々花の号泣は治まらない。
「きいちゃんのばかーっ、きいちゃんのいじわるーっ」
「どうしたの、百々花。困ったことがあった?」
「ぼく、おもちゃ買ってきたの。百々花が欲しがるから。でも……」
「欲しいのじゃなかったのね。百々花、また、買ってきてあげるから。お部屋帰ろうね」
「やだやだやだやだっ、かえんない! おうちいく!」
「うん。もっと病気が良くなってから、帰ろうね。喜一、車いす引いて」
「うん。わかった」
「おへやかえんない。おうちかえる!」
百々花は母親の腕から逃れようと暴れた。母親は、バランスを崩しそうになり、思わず、百々花を床におろす。百々花は涙もそのまま、むすっとした顔で、自動ドアに向かって歩きだした。それを見て、喜一があわてて前に立ちはだかる。母親が車いすを押しながら、点滴が抜けないようにと、ついてきた。
「百々花、ダメだよ。先生もお外でちゃいけないっていっていたでしょ」
「いいの! おそといく!」
「だめだよ、百々花。だめったら、ダメ!」
百々花は喜一の制止を振り切るように、なおも外へ行こうとする。そこへ、後ろから、母親の怒鳴り声が飛んだ。
「百々花、いい加減にしなさい! なに考えているの!」
母親の怒鳴り声に、百々花は一瞬ビクッとし、ついで、さらに大きな声で泣きだした。母親はなおも怖い顔で百々花をにらみつけている。その様子を見て、喜一も緊張した様子で、体をこわばらせ、事の成り行きを見守った。
「百々花、だめなものはだめなの。わかった?」
そう言う母親の声も聞こえてないのか、百々花はさらに泣きわめく。もはや自分でもなんで泣いているのかわからない様子だ。それを見て、母親はため息をついて、呆れ顔になった。静観を決めこんだように、じっと百々花を見ている。
百々花はしゃくりあげながら、声をうわずらせつつ、
「だ、だって、もう、やなんだもん。いたいのもせまいのもやだ。モモ、おうちにかえって、あそびたいんだもん。おそとでたい!」
そう言って、百々花は肩を震わせ、めそめそと泣いた。それを見て、喜一の胸が痛んだ。思えば、病気が発覚して、三か月、時々、こうやって爆発することはあったけど、ここまでしたのは初めてだ。長い入院生活に、耐えられなくなって当然だ。
喜一は百々花の前で片膝をついた。百々花の点滴をしていないほうの手をそっと取り、
「百々花、気持ち、すごくよくわかるよ。ぼくなら、こんなせまいとこに閉じこめられて、三日ともたない。百々花はすごいなぁ。えらいよ」
「……ほんとう?」
「うん。百々花はすごいよ。えらい! だから、ぼく、百々花に贈り物をしたいんだ。がんばっている百々花にプレゼント。クリスマスのプレゼントだよ。なにがいい?」
プレゼントという言葉に、百々花の瞳がきらりと輝く。
「プレゼント?」
「そう、クリスマスプレゼント。一か月後の!」
喜一がにっかりと笑うと、百々花は涙を袖口でふいた。喜一をまっすぐに見つめて、
「モモ、クリスマスツリーがいい! 空までとどくおっきいの! きょねん、みた、ツリーみたいに、空までとどく、おっきいのがいい!」
「うん。わかった。空まで届く、大きいのだね」
喜一は百々花に小指をさしだした。
「約束。ぼくは必ず百々花の約束を守る。天(そら)まで届くクリスマスツリーを百々花に贈るよ!」
「うん! きいちゃん、やくそくね」
「約束」
喜一と百々花は指切りげんまんをする。指を放すと、百々花がほころぶような笑顔を見せた。
新太は今、目撃者だった。これは、喜一の百々花と約束をした日の記憶なのだと確信する。喜一の記憶が自分に流れこんできたのだと。
新太は感動で胸が震えた。今までの喜一の言動が、全てここに集約しているのだ。新太は胸が熱くなる。これは、『希望』だ――喜一の『希望の物語』なのだ。希望の物語なのだから、失敗はありえない。希望を叶えるまで、彼は何度だって、立ちあがるだろう。今までの障害を乗り越えてきたように。
新太は自分をかえりみる。日常に絶望し、打ち砕かれるたびに、自分は何をしてきたのだろう。何を観てきたのだろう。少しでも、そこに『希望』を探すことを自分はしてきたのだろうか。
新太は、今、奮い立つ時だと感じた。状況に流されず、誰がどうとか責任を自分以外の誰かのせいにせず、ただ、自分がどうしたいのか、それだけを求めたい。
新太は今、初めて生き方を知った。それは希望を求める生き方だ。喜一の生きざまだ。かつて新太の父親がしていて、けれども、そこの部分を自分は観ていなかった。自分の性格がもともと暗かったからだ――と、新太は思った。
新太は希求する。自分も喜一のように生きたいと。父親がアル中だからとか、母親がでていったからだとか、そんなこと関係ない。自分は自分の心のままに、望む人生を歩きたい。自分で、自分の人生をつくりあげたい。それが、まじめに生きるっていうことだろう。
新太の心からこんこんと生きる意欲がわきおこる。それは体からあふれでるほどの強い意思だ。新太は決めた。自分は、自分の人生を生きると。誰がどうとかじゃなく、状況に左右されることなく、ただ、自分がどうしたいかだけで生きると。それを叶えるために、ただ、ひたすら全力で生きると。
新太は空を見上げた。視界は白い天井で覆われている。新太は目を閉じ、大きく息を吸った。一瞬ためて、腹の底から大声で叫んだ。
「おれは、『希望』のみで生きる! おれはおれ自身を幸せにする! それがおれに対する礼儀だ!」
新太は深く息を吐いた。自分を絶対に幸せにする。そう決意した。その時、
「アラタ!」
突然、後ろから名前を呼ばれて、新太はびっくりした。一瞬、百々花の前で屈んでいる喜一が自分に話しかけてきたのかと混乱する。だが、ちがった。
ふりかえったその先、自動ドアの外側に、桜並木が広がっている。満開の桜と桜吹雪に、新太は一瞬、今は春だっただろうかと考え始めた。
その中央、桜並木の真ん中から駆けてくる少年がいる。喜一だ。ひょろひょろの手足を精一杯動かして、喜一がこちらに向かって走ってくる。
喜一は手をふりながら、満面の笑みで、
「アラタ! うれしい! 絶対会えると思っていた! ぼくと百々花のこと、憶えていてくれたんだね!」
自動ドアが開くと同時に、喜一が駆けより新太に飛びついた。
「重っ! 喜一、やめろ!」
「アラタ、アラタ、アラタ! きいて、ぼくね、ずっと考えていたんだ。この世界から出る方法。それはね、希望だと思った」
「希望?」
「うん! アヴィンサが言っていたの思いだしたんだ。この世界から持っていけるのは、意思の宿った物だけだって。つまり、希望だよ!」
「希望か……」
「うん、希望!」
「希望ねえ……」
新太はニヤニヤ笑いだした。それを見て、喜一は不思議そうな顔をする。
「アラタ?」
「おれもちょうど考えていたんだ。希望のこと。おれにとって希望は……」
お前だよと言いかけて、新太はあわてて口を閉じた。それではあまりにも自分のキャラに合わない。
新太はとりつくろって、
「希望は……友達だ!」
「アラタ……」
喜一は再び、新太を抱きしめ飛びはねる。
「ちょっ、おま、苦しいっ」
「アラタ、アラタ! ぼくも一緒だ。ぼくもね、希望はアラタなの。希望はひとりじゃ叶えられないの。皆の助けがあって、希望なの。だから、アラタが希望!」
「そっか」
「うん!」
「じゃあ、希望同士、ここから脱出するか!」
「うん! しよう、しよう!」
そう言うと、喜一はTシャツをまくりあげる。見れば、お腹に大きな金色の星がヒモでくくりつけられていた。喜一がツリーのてっぺんに飾ろうと、木の板に金色の折り紙を張りつけて作ったものだ。
「すごいな。お前、かくしていたのかよ」
「うん! 大事な物だから。ぼく、ずっと持っていたくて」
喜一はヒモをほどくと、金色の星を手に取った。空にかかげて、
「トップスターはね、希望の印なんだって。母さんがいってた。だから……」
喜一はそっと星を抱きしめた。優しい声で、
「これは特別な星なんだ。みんなの願いがこめられている。ぼくの願いも……」
喜一は決意した様子で、新太を見つめた。
「だから、ぼくはこの星を持って帰りたい。みんなと一緒に持って帰りたい。持って帰って、百々花との約束を果たすんだ。百々花の希望にするんだ」
「喜一……」
「お願い、新太。ぼくの願い、叶えてくれる?」
子犬のような眼差しで、喜一は新太を見つめた。そんな喜一に新太はプッと吹き出し笑いをする。
「……しょうがねぇ、叶えてやるか」
「アラタ!」
ふたりは互いに向かい合い、トップスターを手に持った。
喜一が静かに、
「ぼくひとりならできなかった。でも、ふたりなら」
「この夢の牢獄から脱出できるかもな」
ふたりはトップスターを空にかかげる。
「トップスター、お願い! みんなの目を覚まして!」
「よい子は起きる時間だぜ。ケツでも叩け、トップスター!」
だが、特に何も起きず、ふたりは困った様子で互いに目配せをした。
「なにも起こらないね……」
「やばっ、おれ、めっちゃ恥ずかしい」
新太は耳を真っ赤にする。すると、両手に振動が起こった。
「なんだ?」
見れば、トップスターが真っ赤になり、激しく揺れている。振動で熱が上がっているのだ。
「アラタ! 見て!」
「マジか? 本物の星になるっていうのかよ」
放せ!と新太が言うやいなや、トップスターがものすごい勢いで、空に飛んでいく。やがて、空一点の星になると、ひときわ大きく輝いた。
それは、星の爆発を思わせるほどの輝きで――
「アラタ!」
あまねく光に照らされて、全てのものが白に還る。やがて、喜一と新太、ふたりの姿も消えてしまった。
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