第5話 アヴィンサのたくらみ
板でできたクリスマスツリーのてっぺんに、金色の折り紙が張られた星が飾られる。
瞬間、わっと子どもたちから歓声があがった。
「できたー!」
「すごいすごい!」
子どもたちはめいめいに、スマフォで記念撮影をしたり、まじまじとながめたりしている。それを横目に、新太と喜一は、
「やっとできたな」
「うん! みんなのおかげだね。僕、すっごく、うれしい!」
互いに顔を見合わせると、密かに、腕と腕を小突き合わせる。思えば、6時間はかかっただろうか? 休憩をはさみ、思い思いにみんなで協力した結果だ。新太は感慨深く、クリスマスツリーを見つめる。これで、喜一の妹の百々花も喜んでくれるといいのだが。
思案する新太のもとへ、女の子がかけよってきた。
「ねえ、いつもっていくの?」
「ん? そうだな……」
「明日! 明日の朝、持っていく! だから、今日はパーティー! パーティーしよう! 完成のお祝いパーティー!」
「お祝いパーティーか。別にいいんじゃねぇの」
「やったー! おいわいパーティー!」
女の子が喜びながら、みんなに知らせに行く。その後ろ姿を見ながら、新太は思う――たまにはこんなのもいい。大丈夫。こちらに来てから今日で二日目。あちらの世界ならまだたったの20分だ。ハメを外しても大丈夫。親父はまだ、寝ているにちがいない。
「アラタ、どうしたの?」
「いや、別に」
新太は服の袖をまくりあげた。
「さあ、パーティーをするんだろう。とっとと片づけて、打ち上げしようぜ」
「うん!」
子どもたちはうれしそうに片づけ始める。新太と喜一も、その場に加わった。
部屋を片づけ終えたあと、子どもたちはツリーをかこんだ。盛大にパーティーを行う。子どもたちはめいめい、アンタカラにだしてもらったごちそうを食べ終えると、満腹になったのか、毛布をとりだし、くるまって眠った。新太と喜一も、部屋の片隅で、同じように寝てしまう。
深夜、暗闇でおおわれた部屋のなかで、子どもたちの寝息だけが聞こえる。ときおり、体を動かし、寝返りをうつ者はいたが、静寂がその場に満ちていた。
そんななかで、空気をゆらし、歩く者がいる。仁だ。仁は以前とは全く別の黒い服に身を包んでいる。顔も黒いマスクをし、まるで姿を隠しているかのようだ。仁は真っ暗な中、見えているのか、部屋のすみに置いてあるクリスマスツリーにどんどん近づいた。ツリーの前に立つと、目を細める。
「これか……」
仁はポツリとつぶやくと、右手に持っているハンマーをにぎりしめた。
「アンタカラ、オレとあいつらの間に壁を作って。音が聞こえないようにして」
仁がそうつぶやくと、仁の後ろに見る間に石造りの壁ができあがった。
仁はふりかえり、それをチラリと見ると、指で軽く叩いた――厚く、丈夫そうな壁だ。これなら、大きな音を出しても、あちらまで音が響くことはないだろう。
仁はツリーに向き直ると、大きくハンマーをふりかざした。そうして、地面に叩きつけるように、思いっきりハンマーをふりおろした。
翌朝、薄明りを感じて新太が目を覚ますと、突然、女の子の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。なにごとかと思って、新太は毛布をはねのけ飛び起きる。声のするほうを見ると、部屋の片すみ、子どもたちがなにかにおびえるように集まっている。その足元には、無残にも壊されたツリーの残骸が転がっていた。
「ちょっ、おい……」
「うそっ!」
新太が立ちあがるより早く、隣で寝ていた喜一が立ちあがる。喜一はものすごい速さでかけよると、壊されたツリーを前に呆然とした。
「どうして……」
絶句する喜一の横に新太も慌ててかけより立ち並ぶ。あらためてツリーを見る。ツリーは、枝が折られ、幹は刃物で細かく切られ、これでもかというように、粉砕されている。これでは修復もできない。
新太は息をのむと、ゆっくりと深呼吸をした。いったい、誰がなぜこんなことを――と、さまざまな疑問が頭の中をよぎる。
子どもたちが困惑しながら、どうしたらいいのかわからないというように、新太に視線をよこした。ああ、ここはみんなを落ち着かせなければ……と新太は思うが、うまく舌の根が回らない。
新太はなんとか口を開こうとした。その時、
「もう一回作ろう!」
新太は驚き、隣を見る。見れば喜一が興奮した様子で、目は見開き口は真横に強く引きしぼっている。
喜一は再び、
「もう一回作ろう! まだ、時間はある。何度だって、つくればいいでしょ!」
「喜一……」
「もう一回、作ろう!」
喜一は腹の底から力の限り、声を出した。それはまるで、その場の不安や混乱を吹き飛ばすかのようだった。
「喜一……」
新太はあっけにとられ、口を開いた。と同時に頭の片すみで考えだす。もう一回作るのはいい。だが、果たしてまだ時間があるのか? なんせ、こっちには父親という爆弾を抱えこんでいるのだ。父親が目覚める前に帰りたい。
新太は少しの間、考えをめぐらせ、答えをだした。
「……そうだな。喜一のいうように、もう一回作ろう。みんな、まだ時間はあるだろ。もう一回、作り直そう」
新太は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと話した――大丈夫。まだ、時間はある。もう一日だけならなんとかなるだろう。
新太は子どもたちを見まわしながら、
「どうだ? 新しく作ると思って、もう一度、最初から作ろう。喜一の妹、百々花ちゃんも楽しみにまっていることだし。アップデートして、もっと百々花ちゃんが喜ぶ、すごいものつくろうぜ」
「……でも」
「なあ……」
「犯人ならおれがなんとかする」
「アラタ……」
「……そういうことなら」
「うん。それなら、いいかも」
「うん! みんなで、もっといいものつくろう!」
「わたし、本当はもっと色ぬりどうにかしたかったんだ」
「それならぼくも、枝の形をもっとさあ……」
にぎやかに活気づき始めたその場をしめるように、新太が声をあげた。
「さあ、みんな、時間はないぞ。さっさと持ち場にもどって、新しくツリーを作り直すぞ!」
「うん!」
「はーい!」
子どもたちは各々持ち場にもどり、新しい枝の形を考えたりと作製し始める。それを見て、新太と喜一も目を合わせた。
「じゃあ、やるか。おれたちも」
「うん! 百々花がビックリして目が落っこちちゃうくらいのつくるよ」
ふたりは肘と肘をこづきあい、互いの持ち場へと戻っていく。新しいクリスマスツリー作成に向けて、新太は一歩をふみだすのだった。
真っ暗な部屋のなか、テレビだけがうず高くつみあげられ、ぼんやりと輝いている。ほのかに輝くそれはまるで巨大なクリスマスツリーのようだ。その前に、丸いスツールに座り足を組んでいるアヴィンサがいた。
アヴィンサは足元のテレビ画面を見て、
「ふむ……これはいったいどういうことですか?」
とつぶやいた。そして、後ろをふりむくと、
「仁君」
と闇のなかへ声をかけた。瞬間、暗闇より仁が現れる。例により真っ黒な服を着ている。
仁は冷めた調子で、
「オレはちゃんとやった」
「ふむ……のようですけど、これはいけませんねぇ」
アヴィンサの見つめる画面には新太たち、子どもたちが写っている。みな、やる気にあふれ、楽しそうに作業をしている。部屋の片すみには作りかけのツリーの木片がつみあげられ、着実に、クリスマスツリーが再び作られようとしていた。
「本当に粉砕したのですか? 着実に、堅実に、残酷に」
「ああ。やった」
「そうですか。ですが、こうして子どもたちはツリーを作っている。前のままです」
「……そんなの、しらねえ」
「仁君、私はあなたにツリーを壊すようにお願いしたのです。それはいわば、希望を打ち砕き、絶望を与えるのと同意。あなたは絶望を与えましたか?」
「……」
「ならば、また、壊すのです。絶望と恐怖と嘆きをあの子たちに与えてください」
「……なあ、あんた、なんでそこまでするんだよ」
「わかりましたかな? 仁君」
「……わかったよ」
「そうですか。ならばいいでしょう。あとのことはこちらで対処しましょう」
「……なあ、オレとの約束、守ってくれるんだろうな」
「約束ですね。ええ。たがえませんとも!」
「そうか。ならいい」
そう言うと、仁は踵を返し、歩きだす。
「仁君。新太君たちに、未練はないですか?」
アヴィンサの問いかけに仁は手を軽く振っただけだった。そのまま闇の中へ消え去った。
「ふむ。ならば、そろそろ仕上げと行きましょうか」
アヴィンサは立ち上がると、指をパチンと鳴らした。すると、黒い部屋が一気に真っ白な部屋へと切り替わる。360度のパノラマビューだ。アンタカラの町並みが見渡せ、ここがアンタカラの中央にある塔、白銀の塔の最上階だとわかる。
アヴィンサはしらず、舌なめずりをする。
「さあ、新太君、子どもたち、あなたたちの絶望を、希望を、大皿にのせて、私に堪能させてください」
アヴィンサは虹色に輝くアンタカラの町並みをながめる。そこには、新太たち、子どもたちの家があった。
新太はクリスマスツリーの枝の断面に丁寧に紙ヤスリをかけている。触ると引っかかりもなく、なめらかな仕上がりになった。6本目のツリーの枝の完成だ。
新太は顔をあげ、周りを見回した。子どもたちは、真剣にそれぞれの持ち場で作業を行っている。ツリーの飾りを作る者、木の表面を削る者、色をぬる者、それぞれ順調だ。
これなら明日の朝、午前中にはできるだろう、新太はそう思った。
ツリーの飾りの人形を手に持ちながら、喜一が、
「ねーねー、アラタ、時間、大丈夫?」
「時間?」
「うん。だって、本当はアラタ、早くお家に帰りたいでしょ?」
「……」
「だから、ありがとうね! 僕、がんばる! 早くアラタをお家に戻せるように、がんばるから。あと、百々花にすごいツリー見せたいし」
「ああ。ありがとうな。喜一」
「うん!」
そう言って、喜一は持ち場にもどっていく。新太は壁に飾られた時計の針を見つめた。大丈夫だ。もう一日延びたって、向こうの世界ではまだたったの40分。父親が起きるまできっとまだ時間があるはずだ。
新太は足元にあるカナヅチを拾う。このままなにごとも起こらなければいいが……と、カナヅチの柄をにぎりしめながら、強く願った。
夜の暗闇が昨夜と同じように、静かに部屋のなかを占めている。朝からずっとクリスマスツリーを作っていた子どもたちは、夕食を食べると疲れていたのか、そうそうに、毛布にくるまって眠ってしまった。新太と喜一も交代で見張っていようと話し合ったが、いつしかふたりともツリーの側でうとうとと眠ってしまった。昨日、今日と疲れが出たのだろう。
深夜、新太は足音で目が覚めた。ギシッ、ギシッと軽く床をきしませて、誰かがゆっくりと歩いてくる。なるべく足音を立てないように、注意深く、静かに歩いているつもりだが、床に体重がかかり、きしむ音からはさけられない。新太は徐々に、誰かが近づいてくるのを感じ、緊張で体がこわばった。小さく息をのむ。別の部屋にいる低学年の子たちならいいと願いながら、息をひそめた。
新太はとなりで眠る喜一を起こそうと手を伸ばした。肩に触れ、そっとゆさぶる。だが、喜一はよく眠ってしまっているのか、一向に起きる気配がない。
新太は内心焦った。さらに強くゆさぶるが、喜一は相変わらずぐっすり寝ている。
「……っ」
業を煮やし、新太は、上半身を起こすと、喜一におおいかぶさった。耳元でそっと、
「おい、喜一。起きろ。誰か来たぞ」
「……」
「喜一」
「う……ん……」
「喜一、起きろっ」
「新太?」
別の方向から声が聞こえて、新太は内心、心臓が飛びでるほど驚いた。声のした方向を見ると、新太の足元から1メートルほど先に、薄暗闇のなか、よく見知った顔がいる。仁だ。
「仁――」
新太は心底ほっとした。昨日の犯人が来たと思ったのだ。
新太は立ち上がると、仁の肩を軽く叩いた。
「んだよ、仁じゃねぇか! お前今までなにやってたんだよ。どこで遊んでたんだ?」
「……まあ、な」
「まあって、おれたち今クリスマスツリー作ってんだよ。見るか? もうすぐ完成なんだぜ」
「そうか」
「そうかって、お前、もうちょっと興味持てよな。おれたち、っていうか、おれと喜一は、これが完成したらあっちの世界に帰るんだ。お前は? どうする?」
「帰る?」
「そう。あっちの世界に。お前だって、帰らないとだろ。そろそろ夕飯の時間になるし、遅くなるし。親だって待ってんだろ」
「……らない」
「は?」
「オレは、帰らない」
「仁、なにいってんだ?」
「ごめん、新太」
突然、仁は新太を片手で突き飛ばした。予想外の出来事に、新太は対応できない。よろめいてしまう。
仁はその隙をつき、
「アンタカラ! 目の前にあるものを吹き飛ばせ! 強風よ、吹け!」
ゴウッという轟音とともに、強風が吹き、新太の体が床から持ちあげられ、吹き飛ばされた。数メートル先の壁に背中をしたたかに打ちつける。
「ぐあっ」
起きあがろうにも息がつまってうまく起きあがれない。新太はしばらくその場で空気をとりこもうと、金魚のようにあえいだ。打った背中が熱い。痛みが徐々に広がっていく。
「……」
仁はそんな新太を遠目で見ると、踵を返した。右手に持っていたカナヅチを握りしめると、ツリーに近づく。ツリーの前で思い切り振りかぶった。
「ダメーッ!」
突然、横から飛び出した喜一に、仁は抱きつくように体当たりされた。バランスをくずしよろめくも、そのサッカーで鍛えた脚力でなんとかふみとどまる。
喜一は仁にしがみつき、逃げられないように下半身に体重をかけた。
「喜一、放せ!」
「ダメ、絶対ダメ!」
「殴るぞ、喜一!」
「なぐられても死んでも放さない!」
喜一は仁の手からカナヅチを奪おうとする。が、仁はカナヅチを高く掲げ、なかなか手が届きそうで届かない。喜一はいらだち、ジャンプする。その隙を見て、仁は喜一を押しのけた。喜一がよろめき距離ができる。
一瞬の隙をつき、仁が叫んだ。
「アンタカラ! ロープを出せ。オレの目の前にあるものを縛りあげろ!」
「アンタカラ! ロープはなしだ! ロープを切り裂け!」
一瞬、空中に出現したロープはすぐに切り裂かれ、そのまま消えた。
「!」
仁は振り返る。そこには、壁伝いにようやく立ちあがれたのか、腰を屈め、強い眼差しで仁をにらみつける新太が立っていた。
「アンタカラ! おれの体を治せ!」
「アンタカラ! 強風よ、吹け! すべてをなぎ払え!」
「アンタカラ! この場は無風だ!」
一瞬、起きかけた強風が凪ぎ、穏やかな風が通り過ぎた。
「くそっ!」
仁はいらだち、地団太を踏む。
「仁、アンタカラで互いを攻撃し合うのは無理だ。あきらめろ。それに、相手を直接どうにかすることはできない。それがアンタカラのルールだろ」
気まずげに顔をふせる仁に、新太は強い口調でたたみかける。
「仁、なんでこんなことをした」
「……」
「お前が本当にツリーを壊したのか? ツリーを壊そうとしたのか? なあ、仁、答えろよ!」
「……」
「おれたちがなんかしたのかよ。それとも、なんか事情があるのかよ。事情があるなら、おれができることなら協力するからさ、話してくれ」
「……」
「仁! なあ、仁!」
「……いってもムダだ。新太。お前には、わかんねぇよ」
仁はぽつりとつぶやいた。それは思わず本音がこぼれ落ちてしまったとでもいうように。
新太はハッとして、仁を見る。仁は苦しそうに顔をゆがませ、新太を見つめる。
「お前には、わかんねぇ。自由に選択肢があるお前には。オレの気持ちはわからない」
「仁……」
「お前に、オレの気持ちはわからない。オレの押さえこまれている気持ちが。親に選択肢を奪われた気持ちが。お前にオレの気持ちがわかるわけない」
くやしそうに告げる仁に、新太は冷静に、
「……わかるよ。お前の気持ち。おれだって、多少はな。おれの親父、アル中だから。そういう選択肢が奪われるの、慣れてんの。おれ」
仁はなにかに気づいたように顔をあげた。
「新太」
「見たいテレビを安心してみることができない。夕飯を時間通りに食べることができない。宿題を集中してすることができない。友達と遊びに行くこともできやしない。そういう選択肢をおれは常に奪われているんだ」
「……新太」
「でも、おれは誰かの夢を奪おうとは思わない。誰かの夢を奪って手に入れた希望なんて、ウソだ……仁、お前だって、本当に手に入れたいものは、そうやって手に入れるものじゃないってわかっているんだろう」
「……」
新太の強く訴えかける眼差しに気おされ、仁は一歩退いた。その分、新太が一歩前に出る。
「仁。お前じゃないんだろう。ツリーを壊したのは。本当は、お前はやってない。お前はこんなことできるやつじゃない。おれはそう思う」
仁はちがうとでもいうように首を横に振る。だが、そんな仁につめ寄るように新太は徐々に距離をつめていく。
「仁。教えてくれ。犯人を」
「……ちがう」
「仁、お前じゃないって、おれはわかっている」
「ちがうんだ、新太!」
仁は悲痛な叫び声をあげると、そのままうつむき、耳を塞いだ。そんな仁を心配して、近くで見ていた喜一が声をかけようとする。だが、新太がそれを手で止めた。
仁は不安な様子で、
「俺がやったんだ。俺が。カナヅチでこの手で壊したんだ。お前たちのツリーを。そうじゃないと、そうじゃないと、下りない。この町に住む住民票が取れないんだ」
「仁?」
新太はいぶかしがり、仁に近づく。どうにも様子がいつもとおかしい。何かに怯えているような、なにかに恐怖しているような、そんな落ちつきのなさが見てとれる。それを見て、新太の胸にもざわざわとした不安がわき起こる。
「あいつが約束してくれたんだ。アヴィンサが、アヴィンサが、お前たちのツリーを壊したら、この町に住む住民票をくれるって。俺はもう嫌なんだよ。あっちの世界にいるのが。あっちにいたら、俺はもう、なんにもできない。ただ、親の意見にしたがっているだけの人形だ。そんなの、俺じゃない。俺はもうたくさんだ!」
「仁……」
新太は内心、驚いた。クラスではムードメーカーでみんなの人気者の仁だ。両親は医者で、金持ちだ。成績だっていい。なんの不自由も不満もない、そんな日常を送っていると思っていた。
新太は仁に同情した。どうして仁は悩みがないと思っていたのだろう。
必死の形相で仁は新太を見つめ、
「なあ、新太、お前のお父さん、元野球選手なんだろう」
「……ああ」
「でも、アル中なんだってな。俺の父さんから聞いた」
「ろくでもない話だぜ」
「でも、それでも、俺はうらやましいと思う。夢見た先が破滅でもバッドエンドでも、俺はいい。俺には夢見ることさえ許されない。選択肢がない。自分で選んで自分でつかみとったその先が最悪でも、俺にとっては選べるだけ幸せだ」
「……」
「新太、そう思わないか?」
「そ……」
そんなわけないと、新太は反論しようとした。だが、はたしてそうだろうか?
新太は今まで、夢見た先が破滅なら、夢なんてみないほうがマシだと思っていた。だが――
新太は自問自答する。果たして本当に不幸せなのだろうか? 望んだ未来がちがう形できたとしても、それが自分で選んで納得して歩んできたのなら、本人は幸せなんじゃないだろうか?
「……」
新太にはわからない。今まで、状況に流されて、望む未来を選んで歩いてこなかったからだ。新太は沈黙する。新太には回答はない。
「ばっかだなぁ。仁、そんなこと悩んでいたの?」
突然、ふってきた陽気な声に、新太は声の主を見た。喜一だ。
喜一は、両手をぶらぶらさせながら、
「選択肢がないなら、つくればいい。つくれないなら、探せばいい。それだけでしょ?」
「……」
気の抜けた喜一の言葉に、仁は呆気にとられる。と同時に、見る間に顔を真っ赤にさせた。怒り顔だ。
「は? お前、俺の事情わかってる? 俺の父さん、めっちゃ怖いんだぞ。頑固だし。絶対、いうこと聞いてくんねぇよ。母さんは父さんの顔色うかがっているし! 俺に選択肢はねえんだ」
「でも、なんとかする! なんとかできる! そう思って生きる!」
「は、はあ?」
喜一のめちゃくちゃな理論に、仁は困惑気味だ。その様子を見て、新太は思わずぷっと吹きだした。この状況で、喜一ってヤツは……。
「仁、お父さんとお母さんに、お願いした? いいっていうまでお願いした? まずはそこからじゃないの?」
「は? お願いなんて、何回もしたよ。それでも、ダメなものはダメなんだ」
「じゃあ、もっとお願いする。いいって言うまで、何回も何回も、それこそ何百回もお願いしたらどう?」
「はっ、うるせぇって、家から追いだされちまうよ」
「じゃあ、動かないとかは? いいって言うまで、学校行かない!」
「喜一、お前なぁ……」
段々と呆れ顔になってくる仁を見て、新太はまた、吹き出してしまった。
「いいじゃん。籠城作戦。おやつくらい差し入れするよ」
「新太」
「うん! それに、お願いするとき、ぼくと新太も一緒にお願いする! 三人でお願いすれば、お父さんも怖くないでしょ?」
「……ったく、バカか。お前ら」
仁はなかば呆れつつも、頬をゆるめた。その姿を見て、新太と喜一は顔を見合わせる。いつもの仁が帰ってきたように感じたのだ。
「よし! そうと決まれば、仁、お前もツリー作れよ。一緒に百々花ちゃん、喜ばせようぜ」
「うん! ジンも居れば、百々花、きっと喜ぶ。みんなでお祝いしよう!」
仁は顔をほころばせる。わずかに笑いながら、
「……ああ。それもいいかもな」
「やったー! ジンも仲間になった」
「お前、バカ、遅えよ。もっと早く来いよ」
「そうだな」
仁はフッと軽く笑い二人に向かって頭を下げた。
「新太、喜一……ありがとう」
「は、はあ? なにしてんだ、仁。おかしいだろ」
「うん! おかまいなく!」
おかまいなくもおかしいとつっこむ新太とそれに反論する喜一を見て、仁は目を細めた。いったい、自分は今まで何をしていたのだろう――そう、目が覚める思いだった。
その時だ。
「ですが、残念。仁君はもうこちらのものです」
夜の闇からにじみだしたように、突然アヴィンサが仁の後ろに現れた。アヴィンサは仁の口もとと肩をつかむと、マントで隠すように、その懐に抱き入れる。仁の頭だけがマントからのぞいた。
新太は驚く。
「アヴィンサ!」
「いけませんねぇ。仁君。約束を二回も反故するなんて。優等生の風上にもおけない」
アヴィンサはマントをスッと上まであげ、仁の姿を完全に隠してしまった。
「いけない子は、こうです!」
アヴィンサが勢いよくマントの前を開ける。すると、仁の姿が跡形もなく消えてしまった。
「仁!?」
「ジン、どこ!」
アヴィンサは優雅におじぎをする。それを見て、新太は混乱した。アンタカラでは他人を直接どうにかすることはできない。それはアヴィンサだって例外ではないはずだ。それなのに、なぜ――?
アヴィンサが、新太の心を読んだかのように、新太に向き直った。
「新太君、なぜ、私が仁君を消せたのか、疑問にお思いですね?」
「……別に思ってない」
「隠しても無駄ですよ。では、疑問にお答えしましょう。それは、こうです!」
アヴィンサが指をパチンと鳴らすと、いつの間にいたのだろう、新太たちの周りをアンタカラの住人が取り囲んでいる。昼間とは打って変わって、みなどこか虚ろな表情だ。
「ちょっ、は? なんだよ、お前ら」
「みんな、ヘン! アラタ!」
喜一は怖がって、新太の影に隠れるように、背中に回った。新太は喜一をかばうように、胸を張る。
「な、なんだよ。あんたら。よってたかって大人が子供を取り囲んでいいと思ってんのかよ」
「ムダですよ。新太君。アンタカラの住人は全て私のモノですから」
「は? なにいってんだ、お前……」
「アラタくん!」
突然、名前を呼ばれて、新太は声がした方を見た。新太から見て、左斜め前、部屋の奥に二階に通じる階段がある。その階段下に、子どもたちがアンタカラの住人に連れられて、降りてきていた。みな一様に、体をロープで縛られ、拘束されている。
「お前ら!」
「ひどい、ひどいよ!」
「いけませんねぇ。新太君。このアンタカラに来てまで、こんなものを作ろうとするなんて」
アヴィンサが指をパチンとはじくと、壁際に置かれたクリスマスツリーは砂がくずれるように溶けてしまった。かわりに、アンタカラの住人が、アヴィンサにさっと木片を差し出した。新太たちが隠したクリスマスツリーの枝の一部だ。
「!」
「驚いていますね。新太君。アンタカラで、この私に隠しごとなんて、とうてい無理でしょう。全てがこの私の一部なのですから」
「は? うるせぇ! あいつらを放せ! ツリーを返せ! ア……」
「アンタカラは無駄ですよ。もう二度とアンタカラは願いを叶えません。この私がそういう風に設定したのですから」
「アンタカラ! 風を起こせ! 目の前にある全てを吹き飛ばせ!」
「ですから、無駄です。おわかりになりましたか?」
アヴィンサの言う通り、アンタカラにはなにも起こらない。新太はじりじりといらだちをつのらせた。子どもたちが捕まっているため、これ以上、なにもできない。それは、喜一も同じようだった。ぐっと握りこぶしに力を入れるのが見てとれた。
「さあ、もういいでしょう。そろそろフィナーレといきましょう。奇跡が起こり、花咲き乱れるアンタカラの時間は終わりました。今こそ、アンタカラの真の姿をお見せしましょう!」
アヴィンサが両手を広げると、うすい膜が弾けるように、みるまに家の屋根が溶けていく。星が瞬く夜空が見え始めた。
「……なんだ、これ?」
「アラタ、ヘン! 見て!」
喜一が指さす方向には、アンタカラの住人と子どもたちが立っている。新太は住人たちを見た。見れば、住人達も火の灯ったロウソクのように、徐々に頭の先から溶け始めている。
「うぇっ! なんだよ、これ」
「きゃー!」
「こわっ!」
住人たちの手が溶けると、捕まっていた子どもたちが新太と喜一の元へ逃げてきた。子どもたちは、おびえながら、ふたりに寄りそう。
「なにがおこっているの? アラタくん」
「うげっ! とけてる! きもっ!」
「お前ら、大丈夫か? しっかりしろ。なんとかなるからな!」
新太が励まそうと子どもたちを見ると、子どもたちも顔面から溶け始めていた。
「お前らっ!」
「うわっ、なに!」
「アラタくん、たすけて!」
子どもたちは自分の状態を自覚して、パニック状態だ。新太は落ち着かせようと、子どもたちを抱きしめる。だが、そんな新太も徐々に自分が溶けているのがわかった。目に映る指先がもはやない。
「アラタ!」
「喜一……」
目も溶けているのか、にじんだ視界からは唯一、喜一の顔だけがぼんやりと見える。喜一は溶けていないのか……と、新太はどことなくほっとした。
「喜一、お前……」
「アラタ!」
新太は喜一に向かって手を伸ばすが、ひじの先からどろりと手が崩れ落ちてしまった。
「アラタ! ダメ!!」
「キ……イチ……」
新太は自分の腰から下が崩れ落ちてしまうのを感じた。ごろりと上半身が地面に落ちる。だが、もはや人ではないのか、痛覚さえ感じない。ただ、にぶい衝撃を感じた。
「アラタ!」
喜一が駆け寄り、体を抱き起すが、新太は口さえ失われ、もはやしゃべることもできない。ただ、にじんだ視界からは、うっすらと夜空に星が瞬くのを感じられた。
「アラタ! アラタ!」
「……ふむ。喜一君がにぶいのは、やはり、願いを叶える数が少ないせいですね。強制的に、なにか願い事をさせればよかったですね」
そう言うと、アヴィンサは満足そうに、ふわりと宙に浮いた。喜一は、強い眼差しで、アヴィンサをにらみつける。新太はもう、体の一部を残して、ほとんどが溶けていた。
アヴィンサは慈愛をこめた声で、
「子どもたちよ、おやすみなさい。とわに幸せな夢を見るのですよ。そこは奈落の底ではない。永遠に夢が叶う奇跡の海なのですから」
喜一は声を張りあげる。
「アラタを返して! みんなを戻して! ぼくのツリーを返して! アヴィンサ!」
「喜一君、安心なさい。君もそのうち、夢になる。アンタカラの一部になれる。なぜなら、ここは、あなた方の命とアンタカラの命を循環させる奇跡の海。あなたも多少なりともアンタカラで願い事をしたでしょう。ならば、もう、元には戻れない。アンタカラと混ざり合う……さあ、おやすみなさい。喜一君。他の子たちと比べて、混ざり合うまで時間がかかるかもしれませんが、大丈夫。皆さんと同じになる。とこしえに。安寧を」
徐々に空高く飛んでいくアヴィンサに、喜一はさらに必死に声を張りあげた。
「なんだよ! そんなものいらない! アラタを返せ! みんなを返せ!」
「さあ、喜一君。そろそろ幕引きとしましょうか。奇跡の町、アンタカラはいかがでしたか? 願い事を叶えて楽しかったですか? 運が良ければ、この町の住人として、泡沫のように、姿をもって現れる。そうして、次にくる子どもたちをもてなすのです。なんと美しい循環なのでしょう。こうして、奇跡の町アンタカラは永遠に保たれる……ありがとう。喜一君、子どもたち。さようなら。永遠に、良い夢を」
アヴィンサは喜一に背を向けると、空の一点を目指して飛んでいった。アヴィンサが飛んでいった先には、アンタカラの中心部、白銀の塔がある。喜一はそれをまぶたに焼きつけるように、燃えるような眼差しで、じっと見つめた。
「アラタ!」
喜一は、抱きしめたはずの新太に視線を落とした。新太はもはや目の周りのみをのこして、そのすべてが溶けていた。
「アラタ! 消えないで、アラタ!」
喜一の必死の呼びかけも、アラタには届かない。気がつけば、壁も家もすべて溶け果て、町がなくなり、果てのない水面が広がるばかりだ。その水面に枯れ葉のように、新太と喜一が乗った床が漂っている。
喜一は、水面の果てより、ごうごうとうなるような音が近づいてくるのが聞こえた。波だ。ふたりを飲みこもうと大きな波が押し寄せてくるのだ。
喜一はなんとか逃れようと、手で波をかき分けた。だが、のれんに腕押し、すぐに波に追いつかれた。
波にのみこまれる瞬間、喜一は新太の欠片を胸に抱きしめる。
「アラタ! ぼくと百々花のこと、忘れないで!」
ガラスが粉砕するような音をたて、新太と喜一は波に飲みこまれた。そうして、ふたりは海に沈んでいった。
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