キエフ侵入

 ロシア軍の本隊は二六日の午前八時にキエフに到着し、すぐにキエフを守るウクライナ軍との間で激しい戦闘が展開された。燃料の関係から午前八時半に離陸したウクライナ空軍の戦闘機及びなんとかかき集めたウクライナ陸軍の攻撃ヘリ部隊がロシア軍を攻撃し戦車数両を撃破するが、攻撃ヘリ部隊は対空砲火に捕捉され一機、また一機と撃墜されていく。ウクライナ側が築いた足止め用のバリケードはいとも簡単に破壊され、ロシア軍はずかずかとキエフの住宅街に血みどろの土足で侵入した。ロシア軍が侵入したと見るや、それまで各分隊ごとに銃撃戦を行っていたウクライナ軍兵士は巧みにロシア軍を十字砲火へと誘い込み、各個撃破する。中心市街に手をかけたロシア軍の進撃は停滞し、司令官が一旦後退し兵力を集中しようとしたそのときだった。インターネットの電波は基地局が破壊されたためもう届かない。それなのに、キエフ市街に配置されていた数万台のスピーカーから、そして各施設の放送設備が接続ノイズを鳴らした。低く落ち着いて穏やかな、しかしどこかに威厳と覚悟、そして悲愴を湛えた声が、ガリリという大きなノイズに続いてキエフ市街に響き渡っている。ゼレンスキー大統領の声だった。

「キエフ陥落は時間の問題です。皆さんは、全てのウクライナ国民、全てのキエフ市民は、二つの糞のような選択肢から少しでもマシな方を選ばなければなりません。すなわち降伏及び死か、血みどろで悲劇的で悲惨な抵抗かの二つに一つです。ですが、私が皆さんに選んでほしい選択肢はただ一つです。市民の皆さんはどのようであってもいい、虜囚とも死人ともならずに、生きてください。生きて祖国を守ってください。それが皆さんにとって、ウクライナにとって、そしてウクライナのために命を燃やす全ての兵士にとって最もマシで、かつ唯一マシな選択肢です。皆さん、どうかこの騒動のオチを見たら笑ってください。歴史は、人生は、そして戦争は、一部だけを見れば悲劇ですが、全体を後から見直せば巨大な喜劇なのですから。どうか、笑える日まで生きてください。これは現時点から最も優先される大統領令です。そして今、最も重要なウクライナ国民の責務です。どうか、どうか未来で笑ってください。私はそのためにコメディアンになり、そのためにウクライナ大統領に立候補しました。国民の皆さんもそのために私を大統領に選んでくださったのだと信じています。ですから、どうか未来で笑ってください。そのために、ウクライナの独立を、皆さんの命と幸せを、これ以上奪わせないように守ってください。私も全力を尽くします。国民の皆さん、ともに生き残り、独立を守りましょう。繰り返します、生き延びて独立を守ってください。以上、ウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキー」

 演説のさなかもロシア軍は首都キエフをとさんとして集結する。集結したロシア軍に抵抗するのは、火炎瓶などを投げる市民と正規軍や動員された市民で構成された小規模部隊。ロシア軍が発煙弾を斉射し煙幕を張って身を隠す。しかし煙幕が晴れたときには、抵抗者の姿はどこかへ消えていた。


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