第108話 ただ立場が違うだけなのに
特訓初日から一夜明けた今日、
特にストレッチでちゃんと伸ばさなかった背中へのダメージが大きかったらしく、走るどころか歩くことすらゆっくりでないと辛い。
学校自体は優しい
「うへへ、みーくんの二の腕ぇ♪」
「……」
前言撤回。やけにベタベタ触ってくることから察してはいたが、助けてくれる動機はやはり優しさよりも下心がメインだったらしい。
ちなみに、
「花楓、トイレに行ってもいい?」
「ダメって言ったら?」
「落ち込む」
「冗談冗談、みーくんのためなら火の中水の中だよ」
「火傷は跡が残るから気をつけてね」
「はーい!」
そんな会話をしながら、介護されるおじいちゃんのように引っ張ってもらう。
普段は1分もあれば辿り着く御手洗にも、倍以上時間がかかるし、周りの視線も気になるから付き合わせてしまって申し訳なかった。
「花楓、面倒なら助けてくれなくてもいいからね」
「何言ってるの。せっかくみーくんにお返しが出来るのに、このチャンスを捨てるては無いよ」
「……ありがとう」
「えへへ、どういたしまして!」
幼馴染の笑顔をこんなにも眩しいと思ったことがあっただろうか、いや無い。
瑞斗は花楓の横顔を見つめながらそんなことを思っていると、目が合った彼女が照れたように笑って支える手に少し力を込めた。
もう少しこの安心感を味わっていたい気持ちはあるが、尿意はそれほど待ってはくれない。
心配そうに「中まで着いて行こうか?」と聞いてくる彼女には外にいてもらって、負傷兵のようにヨタヨタになりながら何とか個室の便座に座ることが出来た。
こうやって少しずつでも慣れさせていかなければ、特訓の度に迷惑をかけることになりそうで怖い。
そんなことを考えながら、用を足し終えてズボンを上げてから個室を出る。
腰を労りながら手を洗い、後ろポケットに入ったハンカチを引っ張りだそうとした瞬間だった。
ポキッ
腰からそんな嫌な音が聞こえたと思った直後、体に力が入らなくなった彼はその場に倒れてしまう。
すぐにちらりと覗いた花楓が駆け込んできて引っ張り出してくれるが、ぎっくり腰のような状態になってしまって立つことすらままならなかった。
すぐに先生たちを呼んできてくれたおかげで、トイレ内で野垂れ死ぬようなことにはならずに済んだが、しばらくは運ばれた保健室のベッドで安静にしていないといけないらしい。
やっぱり昨日の特訓が厳しすぎたのだろう。もっと早くにサボっておけば良かった。
そんなことを思いながら白い天井を見上げていると、コンコンというノックの音の後に入ってきた玲奈がこちらへ近付いてくる。
彼女はぐったりとしている瑞斗を見ると、やれやれと言いたげに短い溜息を零した。
「これじゃ、特訓は無理そうね」
「少しは心配してくれてもいいんじゃない?」
「それより体育祭が心配だわ、こんなので上手く走り切れるのかしら」
「……別に僕は上手くやりたいなんて思ってない」
「どういう意味よ、それ」
口を開けば体育祭と特訓ばかり。彼女にとってそれが大切なことだとしても、付き合わされる身にもなって欲しいというのが正直なところだった。
確かに今のままでは迷惑をかけることは間違いないが、それでも動けない今くらいは嘘でも無理させてごめんと謝って欲しかったのだ。
その一言さえあれば、明日からまた特訓に付き合う気力も湧いてきただろうに。
「彼女なら心配してくれてもいいんじゃない?」
「私は偽物だもの、二人きりの時にまでそんなことをする必要は無いと思うけれど」
「そう、だったら僕も特訓には付き合わない。むしろ運動音痴が本当の僕だし」
「……私に恥をかかせる気?」
「恥ずかしい相手を偽彼氏に選んだのが運の尽きだったんだよ、残念だったね」
言い過ぎている、こんなに酷いことを言うつもりなんて本心の中には微塵もない。
そう分かっていても、少し緩んだ拍子に溢れ出した水はなかなか止められなかった。
だから、きっとこんなことまで言ってしまったのだろう。言われたくないことだと分かっていたはずなのに。
「まあ、
「……そういう態度ならもういいわ」
やってしまったと思った。それでも、険しくなっているであろう彼女の顔から目を背け、痛む胸も知らないフリをし続けた。
玲奈もショックだったのだろう。それ以上は何も言わずに背中を向けると、振り返ることなく保健室を出て行ってしまう。
「僕は馬鹿だな、やっぱり……」
追い付いてきた後悔が押し出したその呟きは、消毒液の匂いに溶けるようにしてどこかへ消えてしまった。
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