第88話 今時は紙の地図を読める人も少ない

 翌日、朝9時半に公園へと集合することになっているので、瑞斗みずとは8時頃に起きてのんびりと準備を始めた。

 ここから公園までは歩いて15分もかからない。家を出るのは9時頃でいいだろう。

 そんな計算を頭の中でしつつ、ハハーンが作って早苗さなえが運んできてくれたトーストを頬張った。


「お兄ちゃん、遊びに行くの?」

「学校の課外授業だよ。遊びだけど遊びじゃない」

「早苗も行きたかったなぁ……」

「今度連れて行ってあげるから」

「遠慮しておきます」

「……」


 どうやら花楓や他の人がいるから行きたいだけであって、兄と二人きりは嫌らしい。

 朝から少し落ち込んだ気分になりつつ、最後の一口を口に放り込んだところで、ピーンポーンとインターホンの音が聞こえてきた。

 こんな早くに宅急便でも来たのかと出てみると、玄関の前に立っていたのは花楓かえでではないか。

 彼女は服こそ着替えているものの、髪の毛がボサボサで目は眠そうにトロンとしている。どう頑張ってもこれから出かける姿には見えなかった。


「おはよう。どうしたの?」

「……」

「花楓?」

「すぅ……すぅ……」

「……寝てる」


 立ったまま寝始めてしまった彼女をその場に残すわけにもいかず、そっと抱えてリビングまで連れていってあげる。

 ソファーの上に下ろしてあげると、彼女は薄らと開けた目でこちらを見ながら言った。


「公園、分かんない……」

「遠足のしおりの裏に場所が書いてあるでしょ」

「地図読めないもん」

「……はぁ」


 確かに昔から花楓はどこへ行くにも瑞斗を連れて行っていたし、彼も彼女が方向音痴なことを知っていたから頼まれれば断らなかった。

 ただ、二人はもう高校生だ。近場の公園にくらい一人で行けなくては、これからの人生で困ることも多いだろう。

 そういう気持ちで「頑張れば大丈夫だから」と伝えたのだけれど、ウルウルとした目で見つめながら服を掴まれるとどうしても胸がキュッと締め付けられるような感覚がした。

 そりゃそうだ。瑞斗だって彼女が何も考えずに頼ってきたなんて思っていない。

 自分が絶対に家を出てしまっていない早い時間に来るために、髪の毛のセットも眠気覚ましもせずに慌ててやってくるほど困っているのだ。


鈴木すずきさんも一緒に行く予定だけど、それでもいいなら僕が説得するよ」

「……ほんと?」

「幼馴染が家を出たのに来てませんなんてことになったら、僕の監督不行届になっちゃうからね」

「……えへへ、みーくん優しいね」

「そんなことないよ。僕はただ、幼馴染が行方不明なんてニュースを聞きたくないだけ」


 そう言いながら反るように跳ね上がった髪をぽんぽんと押さえてあげると、彼女は気持ちよさそうな顔をしながらその手を両手で掴んで撫でるように誘導する。

 瑞斗が仕方ないと短いため息をこぼしながらその通りにしてあげると、何を思ったのか花楓が突然ギュッと抱き着いてきた。


「……みーくん、好きだよ」


 耳元で囁かれたその言葉に、何も思わないはずがない。彼女にとって姉川あねかわ 瑞斗みずとがどんな存在で、どれだけ大切に考えてくれているのか。

 それと同時に、嘘をつき続けていることに対する罪悪感が込み上げてくる。

 けれど仕方がない。彼女は異性とあまり関わらないから、昔から傍に居る自分への信頼を恋心だと思ってしまっているだけなのだから。

 こんなぼっちで眠ることが大好きなつまらない男より、ずっとずっと幸せにしてくれる人がどこかにいるはず。

 それまではこの胸の突っかかりも痛みも、知らないフリをする必要があった。


「はいはい。ほら、寝癖を直してあげるからおいで」

「むぅ、真剣に言ってるのに……」

「僕も真剣に言ってるよ。その寝癖は直しておかないと笑われちゃうからね」

「……そんなに酷いの?」

「富士山噴火くらいやばいかも」

「こ、この世の終わり……?」

「いや、そこまでは言ってないけど」


 その後、みんなに笑われたくないと素直に着いてきてくれた彼女が鏡で自分を見た瞬間、眠気が吹っ飛ぶくらいにケラケラ笑い始めたことはまた別のお話。

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