第69話 動かざること山の如し

 結局、あれから夜はお風呂に付き添うと言って聞かず、お互いの主張の間を取るという意味で髪の毛を乾かしてもらった。

 混浴に比べれば随分と簡単になったような気がしないでもないが、鏡に映る満足そうな顔を見たらどうでも良くなったことは言うまでもない。

 そして翌日、ちゃんと学校に行った瑞斗みずとは放課後、心配のメッセージを何通か送ってくれていた陽葵ひまり先輩に顔を見せに来ていた。


「随分と充実した病欠だったみたいですね」

「そんなことないですよ」

「隠さなくても大丈夫です。お家を知っていれば、私も看病に行ったんですけどねぇ」

「教えてなくて正解でした」

「それはつまり、人には見せられないようなことをしていたということですか?」

花楓かえでみたいなこと言わないで下さい。ただただ、助けてもらっただけですから」


 ニヤニヤしながら怪しむような目を向けてくる先輩に、彼は「今日は報告だけなので」と背中を向けて部室から出ていこうとする。

 けれど、ドアノブをひねった瞬間、明らかに普段よりも小さい回転角度に首を傾げた。

 この回したいのに回り切らないもどかしい感触、どうやら鍵がかかっているらしい。

 ずっとソファーに座っていた先輩がどうやって施錠したのかは謎でしかないものの、このしてやったりと言わんばかりの嬉しそうな顔は犯人と見て間違いないだろう。


「報告だけ、ですか?」

「先輩、おふざけは勘弁してくださいよ。病み上がりでまだ体力が戻ってないんです」

「まあまあ。とりあえず先輩の話を聞いてください、ジュースとお菓子はありますから」

「近所の優しいけどちょっと話が長い、子供たちに好かれるおじいちゃんですか」

「マンションの隣の部屋に住む優しくて可愛いお姉さんでお願いします」

「それはもう、18禁ゲームのヒロインかおすそ分けの肉じゃがに血液を混ぜるようなやばい人かの二択ですね」

姉川あねかわくんが望むならどちらでも♪」

「だったら普通に部活の先輩でいて下さい」


 瑞斗の答えに少し不満そうに唇を尖らせた先輩は、「仕方ないですね」とあくまで立場を譲ってあげたというスタンスで頷いてくれる。

 普段は包容力があってお姉さんな雰囲気を出すくせに、こういう子供っぽいところがあるところが彼女のズルいところだ。

 残念ながら、それを唯一知っている部活の後輩くんへの効果はいまひとつのようだけれど。


「あ、ジュースは冷蔵庫に入ってますから、好きなのを取って飲んで下さい」

「この部室、冷蔵庫なんてあったんですか」

「先日、部費で買いました」

「部費の存在にはもっと驚きです」

「リサイクルショップにあった一人暮らし用なので、空気清浄機は入りませんけど」

「どこからそんな発想が生まれるんですかね」

「出てくる空気が自然と冷たくなるんですよ? これでクーラーが壊れても安心です」

「密閉されてたら意味ないですけど」

「はい。なので、冷蔵庫の扉は空けておきます」

「片方を犠牲にするしか道はないなら、いっそ両方売り払ってクーラー買いましょう。冷蔵庫in清浄機なんて光景、夏場に見たら幻覚と勘違いしかねませんし」


 そんなことを言いながら、まだまともな使い方をされている冷蔵庫からジュースを二本取り出すと、陽葵は「私は結構です」と首を横に振る。

 そうなのかと片方を片付け、りんごジュースのパックにストローを突き刺した彼は、何気なく彼女と向き合う位置に腰を下ろした。

 すると、間にある机の下に何かが落ちているのに気が付いて拾ってみる。


「瞬間接着剤……?」

「ああ、私が使ったやつです」

「中身空っぽですけど捨てときます?」

「同じのを探すので、渡してもらっていいですか?」


 確かに、商品を探す時に名前が分かっていると便利だ。瑞斗が心の中で頷きながら接着剤の容器を差し出すと、先輩は手を伸ばしてそれを受け取ろうとする。

 ただ、「届かないのでもう少しこっちに……」なんてソファーに背中をつけたまま言ってきた。

 自分が休んでいる一日の間に随分と怠惰になったんだなと思いつつ、仕方なく自分から近くまで渡しに行こうと立ち上がった瞬間、彼の頭にふらっととある疑問が降ってきた。


「そう言えば先輩、頑なにその場から動こうとしませんよね」

「……あはは」

「ジュースを拒否したのも、トイレに移動しなきゃ行けなくなる可能性を考慮すると繋がってますし」

「バレちゃいましたか、自分から言おうと思ってたんですけどね」

「まさか、話があるってのは――――――――」


 瑞斗が手に持っているソレを差し出すと、陽葵はそれを受け取って小さく頷く。

 言葉にこそしなかったものの、動かない先輩と空になった接着剤の容器、そして今のやり取りだけで全てが理解出来た。


「先輩、接着剤でくっついたせいでソファーから立てないんですね?」

「……姉川くん、助けて」

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