第60話 理性もおだてりゃ地に落ちる
タオルが肌の上を滑る度、ピキピキと音を立ててヒビの入っていく理性を修復しながら、何とか全体を拭き終えることに成功した。
足の裏を拭こうとしゃがんだ時に、チラッとパンツが見えてしまった時は
おかげでズボンを履くところまで手伝えた彼は、再び横になった
「熱は……36.8、だいたい平熱にまで戻ってきたね。安静にしてれば大丈夫だと思うよ」
「そう、ありがと。美味しいお粥とあなたの献身のおかげかしら」
「彼氏として当然のことをしたまで」
「ふふ、そうね。でも、私の彼氏として評価するなら、まだあとひとつ足りないわ」
「何か忘れてることでもある?」
「大きな忘れ物よ」
玲奈は教えてあげるという風に手招きをすると、前屈みになって耳を近付けようとした瑞斗の肩を掴んで強引に引き寄せる。
そして突き出した唇を目の前の唇と重ね……てしまう直前で止めたかと思えば、その代わりに自分の唇へと押し当てた人差し指と中指をマスク越しにちょんと触れさせた。
それから驚いた目をする瑞斗に意地悪な笑みを浮かべながら、ゆっくりと後頭部を枕に沈め直す。
「……えっと、今のは?」
「恋人なら、おやすみのキスをするものでしょう?」
「それはそうだろうけどさ」
「私たちは偽物だから、キスも偽物が妥当だと思ったの。お礼の気持ちよ、素直に受け取りなさい」
「ありがとう……?」
「よく言えました。でも、あなたまさか本当にキスされると期待したわけじゃないでしょうね?」
「そんなわけないよ。恋心なんてない、ただのお節介とお人好しで演じてるだけなんだから」
―――――――いいや、嘘だ。
客観的に見れば優しさとも取れる理由で偽恋人を続けていること自体は本当だが、瑞斗は一瞬だけキスされることを期待してしまった。
だって、唇同士を重ねるというのは愛情表現の最たるものだから。恋愛感情を知らない彼にとって、それを知れるチャンスだと思ったのだ。
それでも偽物は偽物でしかないし、実際には未遂で終わってホッとした自分もいる。
気持ちがぐちゃぐちゃになって、脊髄に用意されていた言葉で誤魔化すのが精一杯だった。
けれど、そんな気持ちは玲奈に筒抜けだったようで、彼女は優しく微笑みながらベッドに置かれた僕の手をそっと握ってくれる。
「元気になったら、頬くらいにならしてあげてもいいわよ。
「……いや、そこまでする必要ないよ」
「遠慮しなくていいわ。今のあなたは、きっと自分のして欲しいことをしてもらえるなら誰だって構わないと思ってるはずだもの」
「そんなこと……ないとも言い切れないけど……」
「私にはあなたが必要なの。小林さんに取られてしまうくらいなら、少しくらいは寛容になるつもりでいるわ」
彼女はそう言いつつ、人差し指でトントンと自身の唇を叩いた。こちらからもしろという意味だろう。
瑞斗は顔を覗き込むようにすると、マスクの中の自分の唇に指を当てようとしてやっぱりやめた。
そしてその手を玲奈の顔に伸ばすと、少し乱れた前髪を軽く整えてあげる。
「悪いけど、いくら僕でもそんな簡単に寝返ったりしないよ」
「さあ、どうかしら」
「それに今の僕のして欲しいことは、
「何よそれ、カッコつけちゃって」
「背伸びしてないと、かっこいい彼女の隣に立って居られそうにないからね」
「……ふん。せいぜい脚を
瑞斗だって引き受けた以上、それなりの責任と覚悟を持っているつもりだ。
簡単に投げ出したりはしないし、それだけ必死になってもいる。地味な自分のせいで、偽彼女が悪く言われてしまわないように。
そんな気持ちの片鱗を垣間見たからだろうか。布団の下に隠れた玲奈の口元が、密かにニヤついてしまっていたことを瑞斗は知る由もなかった。
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