第14話 冷たい優しさと無邪気な涙

 青野あおのが逃げ出した後。

 玲奈れいなもさすがにこれ以上追い詰めるつもりはなかったらしく、やれやれとため息をつきながら瑞斗みずとの元へと歩み寄ってくる。

 彼女は尻もちをついたままの彼をベンチまで運ぶと、先程渡されたハンカチを冷水で濡らしてきて、赤くなった右頬にそっと当ててくれた。


「……ごめん、彼氏役なのに彼氏っぽいこと出来なくて」

「何言ってるの、十分してくれたじゃない。守ってくれた姿、かっこよかったわよ」

「気付いてたの?」

「ええ。もう少し庇うのが遅かったら、突っ込んでくる青野君の腹に膝を入れてたところかしら」

「ということは、僕は殴られ損ってことか」

「少なくとも、私の中であなたの株は上がったわ」

「なんの得にもならないよ」


 その言葉にクスクスと笑った玲奈だったが、すぐに「謝らないといけないのは私の方よね」と呟いて、ハンカチを離した頬にそっと指で触れる。


「こんなことになるとは思ってなかった、なんて言い訳にしかならないわ。でも、怪我をさせたことを本当に申し訳ないと思ってるの」

「ちゃんと伝わってるから気にしないで」

「いいえ、責任を取らせてちょうだい。そうしないと私の気が収まらないから」

「割り込んだのだって僕の意思だよ。それにさっきの僕は鈴木さんの彼氏、立場的に当然のことをしただけ。違うかな?」

「……あなた、本当に優しいのね」

「自己満足の優しさだけどね」


 これまで向けられていた温度の感じられない視線とは違い、少しは見直してくれたのだと分かるその優しい瞳。

 瑞斗はそれを直視出来ないまま、しばらく罪滅ぼしと言わんばかりの応急処置を黙って受け入れたのだった。

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 玲奈と別れて帰宅した瑞斗は、これまでずっと抱えていた何かを公園に置いてきたような気持ちで家に上がった。

 その直後、リビングの方から駆け足で出てきた花楓かえでが、「おかえりなさ……」と言いかけて驚きのあまり足を滑らせる。


「うぇぇ?! どうしたの、そのほっぺ!」

「何でもないよ。それより、どうして家にいるのかな。ここは花楓の家じゃないけど」

「それは私がみーくんの幼馴染だから……って話題変えないで! 何でもなくて腫れてたらそれこそ心配だよ?」

「確かに」

「あの日、結んでくれた約束を忘れたの? 私にはトイレで替えずに放置したペーパーの芯の数すら教えてくれるって」

「そうだよね、隠し事はしないって約束……いや、そんなギャグ漫画みたいな約束はした覚えないよ」


 信じ込ませる作戦だったのか、「失敗かぁ」と小声で悔しがる彼女の襟首をひょいと掴んで、元々居たリビングへと連れていく。

 言われてみれば何か約束をしたことがある気もするが、それが何だったのかは全く思い出せない。

 花楓が運命の鍵を持っているわけでも、半分にちぎってくれた消しゴムを保管しているわけでもないから、それほど大切なものでもなかったとは思うけれど。


「分かった、不良に絡まれたに違いない!」

「まあ、ある意味そうなのかもね」

「みーくん、喧嘩弱いから殴られちゃったんでしょ。やっぱり花楓お姉さんがいないとダメだね」

「急にお姉さんぶるのはやめてよ。僕に守られてばっかりだったくせに」

「あー、覚えてないんだ? 雷を怖がって私に抱きついてきたあの夜のこと―――――――――」

「記憶にございません。あったとしても子供の時の話だから、今はもう克服してるよ」

「えへへ、本当かなぁ?」


 その後、怪しむような目を向けてニヤニヤしつつ、「今度、ビリビリグッズ買ってこよ」と呟く花楓に、彼が「やったら二度と口聞かない」と脅して黙らせたことはまた別のお話。


「嘘だよ? みーくん、ほんとに嘘だからね?」

「わかったわかった」

「ビリビリのことは嫌いになっても、私のことは嫌いにならないでっ!」

「どこかで聞いたことあるセリフを自己中心的に改変するのはやめて」

「みーくんに嫌われたら生きていけないもん……」

「はいはい、相変わらず大袈裟なんだから」


 しゅんと小さくなったように見える彼女の頭をポンポンとしながら、頬の件は忘れてくれているらしい様子に少しホッとする瑞斗であった。

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